私が惚れた男は、いつも決まってあの子に恋をする。そう、いつも決まって私の大切な親友に……。
例年にないほど、寒さ早まる
そんな彼らの鼻の頭は、あと数か月もすれば訪れるであろう、例のトナカイのように真っ赤に染まっていた。荒川早苗はそんな日常的な光景を、先程から頬杖をつきながら、退屈そうに眺めている。すると聞きなれた親友の声が彼女の鼓膜に届いてきた。
「ねえ、お昼食べないの?」
「うん? ああ、食べる食べる」
早苗は緩慢な動作で振り返ると、小夜の問いかけに生返事で返した。そしていつものように窓際の指定席に腰を下ろすと、斜め向かいには見慣れた黒縁メガネの姿があった。
この朴念仁も、小夜に心を奪われた男の一人だ。だけどこいつだけは他の男とは少し……いいや、かなり違っていた。なぜなら難攻不落だった小夜城を、いとも簡単に陥落してしまったのだから。
この無表情との付き合いも、早いもので3年近くになる。でも相変わらずなにを考えてるのか、正直なところさっぱり分からない。まあ、いまさら分かったところで、仕方ないんだけどね……。恋人のお手製弁当に箸を伸ばす如月を見つめながら、早苗は小さく溜め息を漏らした。
「人の顔を見ながら溜め息とは、一体どういう了見だい?」
「別に大した理由じゃないわよ。だからそんな恐い顔しなさんな」
憤慨した様子の如月を軽くいなすと、早苗は購買部のパンに手を伸ばした。
危なっ……相変わらず、鋭いんだから。ったく油断も隙もあったもんじゃないわね。早苗はそう思いつつ、如月を一瞬盗み見た。それにしても……こいつ、ここ数年で随分と背が伸びたなあ。恐らく180近くはあるはず。なんせ身長だけでいったら、隣のバカといい勝負だもん。
それにしても相変わらず線が細いわねえ……もやしっ子もいいとこじゃん。っていうか体重何キロくらいなんだろう? 購買部のパンに口を付けながら、早苗はボンヤリとそんことに考えを巡らせた。
するとそんな彼女をよそに隣のバカこと、清水信二が苦虫を噛み潰したような表情で、如月の顔を覗き込んだ。そして静かに彼の肩に腕を絡めると、からかうように体を揺すった。
「おいっ! お前、今月に入って一体何人の女子に告られたんだよ」
ったく、バカっ! このタイミングで、なんと余計なことを……。
「3人よ」
無言の如月に代わり小夜が冷めた声色で答えた。言わずもがな、その表情は不機嫌そのものである。そして彼女は更にこう続けた。
「因みに三人とも後輩で、しかもみーんな可愛らしいのよ。よかったわねえ、ダーリンっ。モテモテになれてっ!」
小夜は嫌味交じりで、如月の顔を覗き込んでゆく。すると彼は豚肉の生姜焼きを頬張りながら、不機嫌丸出しの恋人に目を向けた。
「わざわざ調べたのかい?」
「だって……聞いても教えてくんないんだもん」
小夜がそういうと、如月は途端に顔を曇らせた。
「告白は確かに受けたよ。でも、ちゃんと断った。だからいちいち、キミが気にする必要なんてないはずだろ?」
「でも……どんな子がダーリンに告ったのか、知りたかったんだもん」
「彼女たちにだってプライバシーはあるんだよ。どうして、そういうことを――」
「はーい、ストップっ! 両者ブレイク、ブレイク」
早苗はヒートアップ中の二人を宥めすかすと、小夜に視線を移し諭すようにこう続けた。
「あんたのダーリンがモテモテになったのよ? 彼女としては喜ばしいことじゃないの」
「まあ、それはそうなんだけど……」
小夜は渋々といった表情で納得してみせた。そして早苗は次に相変わらずの無表情に視線を移した。
「この子のこういうとこも、全部含めて好きになったんでしょ? なら今回はあんたが折れてあげなさいな」
暫しの睨み合い――程なくして如月は分かったよ、といって昼食を再開した。彼の言葉を受け、早苗は安堵するように微笑んだ。そしてすぐさまその表情を隠すと、途端に眉間にしわを寄せながら、事の発端であるボーズ頭に鋭い眼差しを向けた。
「あんたには後でたっぷりと話があるからね。覚悟しときなさいよ」
「へい、すんません……」
清水は借りてきた猫のように大きな体を縮みこませると、気まずそうに
ああ、やだやだ。よりにもよってどうして私が二人の痴話喧嘩を仲裁しなきゃなんないのよ。ったくほんと我ながらお人好しのピエロもいいとこだわ……。早苗は自嘲した微笑みを浮かべると、木枯らしが吹きすさむ窓の外にゆっくりと視線を移した。
放課後の廊下――小柄な後輩女子が、潤んだ瞳で早苗に手紙を差し出してきた。
「荒川先輩、これ読んでくださいっ!」
ああ、またか……今月に入ってこれで10通目だよ。まあ、今に始まったことじゃないけど……。早苗は心の中で溜め息を漏らすと、微笑みながらありがとうといって手紙を受け取った。
女の子ばかりにモテてもねえ……たまには男からも告られてみたんもんだわ。ったく私ってそんなに魅力ないのかなあ……。早苗は小さくなってゆく後輩女子の背中を見つめながら、心の中で愚痴をこぼした。すると背後から聞きなれた、よく通る声が彼女の鼓膜に届いてきた。
「相変わらずモテモテだな」
「ええ。まだまだあんたには負けないわよ」
早苗が微笑みながら振り返りかえると、そこには予想通り分厚い本を抱えた如月が佇んでいた。
「
「うん。素直でよろしい」
早苗は得意げな顔を如月に向けると、不意に親友の不在に気付いた。
「あれ、小夜は?」
「担任に呼ばれてるよ。恐らくいつもの雑務だろうね」
「ほんと、うちの担任は人使いが荒いんだから……」
「同感だね。でもそれも、あと数か月の辛抱だよ」
「そうだね……」
早苗は少し寂しそうな表情を浮かべた。この学園を卒業すれば、彼女と清水は推薦で体育大へと進む。一方、如月と小夜も有名国立大の推薦が既に決まっていた。要するに仲良し4人組の学園生活は、あと僅かということだ。
「なんだか……寂しくなるね」
「大げさだよ。その気になれば、いつでも会えるじゃないか」
「そうだけど……でも今までみたいにはいかないじゃん」
「どうしたんだい? 今日は随分と
「うっさいな、放っときなさいよ」
早苗はふくれっ面で如月の肩を小突くと、照れ隠しのように「っていうか、その分厚い本はなんなの?」と尋ねた。
「ああ、これかい? これはね、食材図鑑だよ」
「食材図鑑? そんなもん読んで一体なにが面白いのよ」
「面白くない本なんて、この世には存在しないよ。しっかりと読み込めば、どんな本にだって必ず面白味はあるんだ」
ったく珍しく嬉しそうな顔しちゃって……本のことになるといつも夢中になるんだから。
「じゃあ、因みにその食材図鑑はどの辺りが面白いの?」
「うーん、そうだねえ……例えばキミはマグロは好きかい?」
早苗は頷きながら「うん」と答えた。
「じゃあ、あれは何科の魚だと思う?」
「うーん、そうねえ……」
暫しの熟考――程なくして早苗は人差し指を立てながら、自信満々にこう言い放った。
「やっぱ、マグロ科でしょっ!」
「マグロ科なんてのは、存在しないよ」
「……じゃあ、何科なのよ」
呆れる如月をよそに、早苗は唇を尖らせた。すると彼は食材図鑑を開きながらこう答えた。
「マグロはね、実はサバ科なんだ。要するにサバ、いわし、さんま、アジと同様に青魚ということだね」
「マグロが青魚?」
「ああ。ほら、見てごらん」
「うわっ、ホントだ……」
食材図鑑を覗き込むと、早苗は驚きながら目を丸くさせた。そんな彼女の様子を見て、如月は更に続ける。
「因みに植物の分野で言うと、トマト、ジャガイモ、ナス、トウガラシ等は、ナス科。タマネギ、ニンニク、ネギ、アスパラガス等はユリ科。サクランボ、モモ、リンゴ、ナシ、イチゴ等はバラ科に属する」
「へえ、そうなの」
「一見すると似ても似つかない食材でも、実は同じ科に属してたりするんだ」
一見すると似ても似つかないかあ。まるで私と小夜みたいだ……。早苗はそう思いつつ、自嘲した笑みを浮かべた。
「どうだい、食材図鑑も捨てたもんじゃないだろ?」
「ええ、そうね」
こいつのこういった話を聞くのも、あと少しか……そう考えると、やっぱり寂しいなあ。相変わらず食材図鑑について、熱く語る本の虫を見つめながら、早苗は寂しげにそして切なそうに微笑んだ。