その日、CAFE GIRAFFEは祝日ということもあり、女性客やカップルたちで大いに賑わっていた。辺りを見渡しても、楽しそうに午後の一時を楽しむ人々で溢れている。
そんな中、窓際の一角では明らかに周りの空気とは一線をかくす、三人の少女たちの姿があった。一人は鬼のお形相を浮かべながら、まるで親の仇のように、パフェを口に運んでいる。そして向かいの席では、そんな彼女を宥めすかす二人の姿があった。
「もう、考えられないわよっ、あの
「あんたねえ、気持ちは分かるけどもうその辺でやめときなさいよ。それ三杯目でしょ?」
「いいのよ、ほっといてっ!」
小夜のあまりの剣幕に、早苗と有紀は同時に溜め息を漏らした。彼女の苛つきの原因――それは言うまでもなく如月ハルである。事の発端は本日の早朝に起こった。
小夜が眠気眼でベットから起き上がると、枕元に置いていたスマートフォンがメッセージの着信を告げてきた。欠伸を漏らしながら目を向けると相手は如月だった。
【すまない、今日の予定は全てキャンセルさせてくれ】
液晶画面にはぶっきら棒にそう書かれていた。
当然ながら ”はい、そうですか” と小夜が了承するはずもなく、その後はお決まりの電話攻撃が開始された。だがその全てが徒労に終わった。要するにお得意のガン無視である。
「別にキャンセルならキャンセルでもいいのよ。でもね、理由ぐらい伝えるのが礼儀ってもんでしょ? それをガン無視って……一体どういうことなのよっ!」
「私らに言われても……ねえ?」
早苗の問いかけに、有紀は気まずそうに無言で頷いた。これは相当きてるな……小夜さんがこんな怒ってんの初めて見た。有紀は憧れの先輩をチラッと盗み見た。
っていうか、こんな美人をブッチしてあの人なにやってるわけ? 有紀は溜め息を漏らしながら、黒縁メガネの無表情な顔を思い浮かべた。すると彼女のスマホが着信を告げてきた。画面に目を向けると、LINEのメッセージが映し出されている。
【藤崎奈々の連絡先を教えてくれ】
相手は、今まさに話題の中心に上っていた如月だった。
「誰から?」
「うん?……柳田、柳田」
早苗の問いかけに有紀は咄嗟に、自分の恋人の名前を告げた。この状況で本当のこと言えば、波乱は避けられないからである。
「ちょっと、失礼」
有紀は席から腰を上げると、足早にトイレへと向かった。個室入ると彼女はすかさず、如月に電話を掛ける。2~3回のコール音――相変わらず良く通る声で彼は電話に出た。
「ち、ちょっとお兄ちゃん、何やってんのよっ! 小夜さん、超ブチ切れてるよ」
「そんなことは、言われなくても分ってる。それより早く藤崎奈々の連絡先を教えてくれ」
「奈々に何の用?」
「用があるのは彼女じゃなくて妹のほうだ」
「加奈ちゃんに?」
「ああ、そうだ。だから早く教えてくれ」
加奈ちゃんに用……となると、その用件は一つに絞られてくる。
「じゃあ、私も一緒に行く」
「ダメだ」
「どうして?」
「確信はあるけど、現段階ではまだ仮説に過ぎない。だから彼女とは二人きりで話がしたいんだ」
また訳の分からないことを……でもこのお兄ちゃんが、私に頼みごとをしてくるなんて、恐らくよっぽどの事情があるのだろう。しょうがない。この人には兄妹共々、沢山借りもあるから……よしっ、今回は言う通りにしてあげよう。
「分った、奈々には私から連絡を入れておく。待ち合わせ場所は、あの子の家の近所にある公園でいい?」
「ああ、構わない。それとこのことは僕らだけの秘密だ」
「秘密……何かドキドキするね?」
「悪いが皆無だ。じゃあ、セッティングのほうよろしく」
「もう、相変わらず、いけずなんだから」
「ほっとけ、じゃあな」
如月との通話を終えると、有紀はすかさずさ奈々に連絡を入れた。用件を聞くと彼女は少し驚いてはいたが、「加奈の為になるなら」と言って、妹と合わせることを了承した。
その夜、奈々から連絡があった。
お兄ちゃんは公園に現れると「少しの間、妹さんと二人きりにしてくれるかい?」と奈々に言ってきたそうだ。
そして二人はベンチに腰を下ろし、何やら会話を交わしたらしい。だがそれは、時間にすると1~2分程度のとても短い時間だったそうだ。二人がどんな言葉を交したのかは、奈々には分らない。加奈ちゃんに聞いても、微笑みながら首を横に振るばかりだったそうだ。
あの子供嫌いの朴念仁は、一体どんな話をしたんだろう……。有紀はそんなことを考えながら、湯上りのままベットに体を預けた。すると途端に急激な眠気が襲ってきた。今日はお兄ちゃんのせいで、精神的に超疲れた。ああ、髪の毛乾かすのめんどい……。
「もう、ダメ……おやすみさない」
彼女はそう呟くと静かに瞼を閉じた。
翌日も昨日と同様に快晴の空が広がっていた。今日も有紀たちは、3年D組で昼食を摂っている。理由は自明。早苗に場の空気を盛り上げるために、応援要請されたのだ。当然ながら、昨日の件により小夜の機嫌が最高潮に悪いことは、言うまでもない。
不機嫌にさせた張本人である如月との間にも、朝から険悪な空気が漂っている。そんな中、先程から無言を貫いていた小夜が徐に口を開き始めた。
「じゃあ取りあえず、どうして最愛の恋人とのデートをブッチした挙句に、その後ガン無視ぶっこいていたのか、その理由を簡潔に説明してくれる?」
「……悪かったよ」
如月はコンビニ弁当から小夜に視線を移すと、溜め息を漏らしながら呟いた。因みに彼女のお手製弁当は、当然ながら今日はおあずけである。
「謝罪の言葉が欲しいんじゃないの、私は理由を聞いているんです」
「ちょっとした調べもの。それとある人に会っていた」
「どんな調べもの? 誰と会ってたの?」
「何を調べていたかは言えない。会っていたのはキミの知らない女性だ」
恐らく調べていたのは加奈ちゃんに関係すること……。有紀はそう思いつつ、隣の奈々に視線を走らせた。すると彼女は少し緊張した面持ちで、購買部のパンに口を付けていた。当然だが奈々は如月がデートをすっぽかして、誰と会っていたかを知っている。要するに口止めをされたのは、有紀だけではないということだ。
「女性ですと?」
途端に小夜の目が吊り上る。すると如月はすかさずこう付け加えた。
「勿論、分っているとは思うけど色恋沙汰は皆無だ」
「そうね、それは信じてあげるわ。それじゃ、今度は何を調べていたのか言いなさい」
「ダメだ、悪いけどそれはまだ言えない」
如月が間髪入れずにいつもの無表情で返すと、小夜はウンザリした様子で溜め息を漏らした。
「また始まった……そう、なら白状するまで絶交よ。当然だけどその間はお弁当の方もおあずけ、それでもいいのね?」
「致し方ないね」
「ち、ちょっとタイムっ! 二人とも意地張るんじゃないわよ」
二人のやり取りに、見かねた早苗が間に割って入ってきた。
「僕は意地なんて張ってないよ。でも言えないものは言えないんだ」
歳とったらこの人、絶対に頑固ジジイになるだろうな……でもどうしてそこまで隠すんだろう? 有紀は小首を傾げながら、如月を凝視した。
「なあ、どうして言えねえんだ?」
「言えば……折角の努力に水をさすことになる」
清水の問いかけに、如月は珍しく歯切れの悪い答えを返した。
「折角の努力……一体誰の?」
「言えない」
「また言えないか……んじゃしょうがねえな。でもまあ、よく分かんねえけど、お前がそこまで言うんだから、その方がいいんだろうな」
清水はあっけらかんと言うと、愛母弁当を豪快にかき込んだ。すると如月は苦笑いを浮かべながら、フッと吐息を漏らした。
癒し系というか、いい意味で空気が読めないというか……こういうところ、ほんと信ちゃんらしいなあ。有紀はそう思いつつ小さく微笑んだ。
結局その後、二人は仲直りすることなく、無期限の絶交が開始された。全く、ほんと頑固なんだから……。何を隠してんのか知らないけど、最愛の恋人と絶交するくらいなら、思い切って全部ぶちまけちゃえばいいじゃん……。
男って……いいや、この人だけはほんと何考えてんのか分らんわ。有紀は心の底からそう思った。だが彼女はこの時、まだ何一つ分っていなかった。如月が知ってしまった悲しい事実を。