如月ハルの人間考察   作:はるのいと

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第三章 「その嘘を愛そう 1」

 私立啓北学園1年A組――入学式が終了して1週間が経過した。教室の生徒たちは未だ周りに気を使いながら、自らのポジションを模索している。入学当初やクラス替え時には、よく見る光景だ。そんな中、窓際の席では一人の女子生徒が静かに溜め息を漏らしていた。

 

 さてと、どうやって()()ちゃん(・・・)を誘い出そうかなあ……あの厄介な朴念仁のことだ、一筋縄でいかないのは分り切っている。でも嘘も泣き落としも、ましてや色気仕掛けなんて、絶対に通用しないしなあ。清水有紀は再度、大げさに溜め息を漏らしながら、先日の出来事を思い起こした。

 

 その日、有紀は行きつけのカフェで親友の藤崎奈々から、とある相談を持ちかけられていた。奈々には小学2年生になる加奈という妹がいる。おっとりとした性格で、いつも周りを和ませるような子だった。年が離れているという事もあり、奈々はそんな妹をとても可愛がっていた。だが最近になって彼女の様子に変化が起こり始める。

 

 虚言癖――。

 

「嘘なんて吐く子じゃなかったのに……」

 

 奈々は溜め息を漏らしながら、ティーカップの中の琥珀色の液体を見つめた。

 

「何か心当たりはないの?」

 

「両親も私も全然……」

 

 有紀の問いかけに彼女は、ゆっくりと首を横に振った。奈々の話では加奈はある日突然、なんの前触れもなく嘘を吐くようになったそうだ。だが変わった点といえばそれだけで、あとは以前と同じで優しい性格はそのままらしい。

 

「どうして嘘を吐くの?」

 

 奈々は何度となく問いかけた。だがその度に、加奈は微笑みながら首を横に振るばかりだそうだ。そしてなんの打開策も浮かばぬまま、彼女の虚言が始まって今日で丁度、1週間が経つ。両親もそろそろ医療機関への受診を考えているそうだ。

 

「あの子、これからどうなっちゃうんだろう……」

 

 思い悩む奈々を見ているのは辛かった。何もできない自分が歯がゆかった。こういう時にこそ、支えてあげるのが友達なのに……あっ! へこんだ親友にかけてあげる言葉を探している時だった、不意に一人の仏頂面の顔が頭に浮かんできた。

 

 ”アイツは素直じゃねえし、愛想もねえ。だけどここぞって時にはすげえ頼りになる” 信ちゃんはあの人のことを自慢するように、よくそう言ってたっけ……うん、これは使えるかもっ!

 

「よしっ、私に任せなさいっ!」

 

「任せなさいって……どうすんの?」

 

「大丈夫っ! その手の厄介事に、うってつけの人物を知ってるから」

 

「本当に?」

 

「うん、奈々も名前ぐらいは聞いた事があるはずだよ。何せその人の彼女さんはうちの学園の有名人だからね……主に男子生徒たちから」

「男子生徒たちから?」

 

「そう、だから安心して私に任せなさいっ!」

 

 小首を傾げる奈々をよそに、有紀は満面の笑みで頷いた。

 やっぱ、ちょっと勝手に話を進め過ぎたかなあ……。有紀は溜め息を漏らしながら、先日の回想から帰還した。でも親友の悩んでいる姿を見ると、どうしても力になってあげたかった。

 

 それにしても、この後先考えずに突っ走る癖……一体誰に似たんだろう? 有紀が頬杖をつきながらそんな事をあれこれ考えていると、昼休みを告げるチャイムが鼓膜に届いてきた。よしっ、考えていても始まらない。こうなったら出たとこ勝負だっ! 彼女は勢いよく席から腰を上げると、目的地の3年D組を目指し颯爽と教室を飛び出した。

 

 

 

 3年D組――窓際の一角では相変わらずの4人組が、いつものように昼食を始めていた。有紀は「おじゃましまーす」と小声で言うと彼らのもとへと小走りで向かってゆく。

 

「こんちはー」

 

「あら、どうしたのよ?」

 

 早苗は購買部のパンを頬張りながら、有紀に顔を向けた。

 

「私も一緒にいい?」

 

 有紀が愛母弁当をかざすと、小夜と早苗は微笑みながらコクリと頷いた。よしっ、第一関門通過。有紀はそう思いつつ椅子に腰を下ろし弁当を広げると、チラリと如月の顔を盗み見た。

 

 いつもの無表情――小夜さんくらいになると機嫌が良いのか悪いのか、一発で見抜けるらしいけど……ダメッ、全然分んない。っていうかこの人に機嫌がいい時なんてあるのかなあ……いやいや、今はそんな事はどうでもいいのよっ! 有紀は心の中で自分を諌めると、軽く深呼吸をしてゆっくりと如月に視線を合せた。

 

「ねえ、お兄ちゃん――」

 

「何百回と訂正してるけど、キミの ”お兄ちゃん” はそこの坊主頭だよ」

 

 如月は弁当に視線を落としながら、独り言のように呟いた。

 相変わらず、この人は絶対に ”お兄ちゃん” という呼名を認めない。ここまで拒絶されると、逆にこっちも意地になってしまう。

 

「だから、こっちこそ何百回も訂正するけど、この坊主頭は ”信ちゃん” なのっ! ねえ?」

 

 有紀は兄の坊主頭をさすりながら問いかけた。

 

「おい、妹よ。お兄ちゃんの頭をスリスリするのを今すぐ止めなさい」

 

「やっぱ坊主頭って気持ちいー」

 

「兄としての威厳が……おいっ、いい加減にしろっ!」

 

 妹の愚行にキレた陸上男子――その後は、程なくして見苦しい兄妹喧嘩が始まる。それは見かねた小夜と早苗が、間に割って入るまで行われた。一方、如月はといえば弁当を食しながら、我関せずを貫いていたのはいうまでもない。

 

「お兄ちゃんのせいで、話がずれたから元に戻すけど……実はお願いがあります」

 

 一悶着を無事に終えると、有紀は姿勢を正し静かに如月を見据えた。滅多に見せないその真剣な態度に、流石の如月も箸の手を休め彼女に視線を合せた。

 

 すると有紀は意を決したように早速、先日のカフェでの一件を話し始めた。如月は箸を置き、瞼を閉じながら只黙ってその話に耳を傾けている。程なくして話を聞き終えた彼は、ゆっくりと瞼を開いた。

 

「姉が奈々で妹が加奈……因みに母親か父親の名前にも奈という字は付いているのかい?」

 

「付いてませんっ!」

 

「何だ、そうか」

 

 如月は途端に興味を失うと、止まっていた昼食を再開した。相変わらず、どうでもいいことを気にするんだから……。有紀はそう思いつつ、眉間に皺を寄せながら話を続けた。

 

「名前以外で、他になにかご感想は?」

 

「その虚言によって、彼女は周りになにか迷惑でも?」

 

「ううん。でも今のままの状態が続けば、学校での立場とかも……」

 

 当然のことだが、嘘つきは嫌われる。ましてや幼い子供同士となると、それは露骨に態度に現れる。いじめ――奈々が危惧していたのはそこだった。幸い今は、そのような兆候はないらしいけど……でもこのままでは、時間の問題だと彼女は言っていた。

 

「まあ、そうだろうね。それで、僕に頼みたい事というのは?」

 

「だから、お兄ちゃんならその嘘つき加奈ちゃんを、直せるんじゃないかと思って――」

 

「悪いけどそれは買い被り過ぎだよ。キミがどう思ってるか知らないけど、僕は普通の高校生だ。精神科の医師でもなければ、どこぞの教祖様でもない」

 

 眼鏡の奥の黒い瞳が静かに見据えてきた。確かにお兄ちゃんの言ってることは正しい。別に彼はヒーローでもなければスーパーマンでもないのだ。でもこの人だったら……何故かあの時はそう思った。私はお兄ちゃんに一体何を期待していたんだろう……。有紀は俯きながら弁当箱を閉じた。

 

「どうも、お騒がせしました……」

 

 有紀がしおらしく椅子から腰を上げると、如月の良く通る声が彼女を制した。

 

「話はまだ終わってない」

 

 彼はそう言ってノートを取り出すと、素早く何かを書き始めた。そして数秒後、ノートの切れ端を有紀に手渡した。

 

「相良琴音――ヘビースモーカーで患者に副流煙を吸わせても、何とも思わない極悪人だ。だが同時に精神科医としては優秀な人物でもある」

 

 有紀はノートの切れ端に目を向けた。綺麗な字……。そこにはSクリニックの住所が明記されていた。

 

「因みに琴音さんはダーリンの母親代わりでもあるのよ。しかもこの朴念仁が唯一、頭の上がらない貴重な女性なの。ねえ?」

 

「余計なことは言わなくていいよ」

 

 如月の鋭い視線を、小夜は悪戯っぽく舌を出して受け流した。すると彼は大げさに溜め息を漏らしながら、有紀に視線を移した。

 

「悪いことは言わない。こういった場合はプロに任せるべきだ。相良先生には僕から後で連絡を入れておく。それと治安の悪い場所だから、親御さんにも注意して行くように、と伝えといてくれ。以上だ」

 

 如月は一気にまくし立てると、止まっていた昼食を再開した。そんな彼の様子を見つめながら、小夜たちは苦笑いを浮かべて目配せをした。素直じゃねえし、愛想もねえ。だけど、ここぞって時にはすげえ頼りになる。ほんと、信ちゃんの言う通りだ……。有紀は満足そうに微笑むと、如月と同様に止まっていた昼食を再開した。


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