如月ハルの人間考察   作:はるのいと

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 考察――見た・調べた結果(事実)から、物事を明らかにするために深く考えること。
察して考えるという漢字の通り、察したことを自分なりに考えることを意味する。
よって、察したことを書く「感想」や「所感」とは違う。 



第一章「粉雪の降る夜に 1」

 昼休みの教室では、母親のお手製弁当を頬張る男子生徒や、購買部で買ったパンを友人同士でシェアする女子たちの姿があった。生徒たちの笑顔が、そこらかしこに溢れている和やかな光景。そんな中、窓際の一角では、明らかに周囲とは異質な空気をまとった、男女4人の姿があった。

 

 どうしてこの男はこうも融通がきかないのよっ! 三島小夜は心の中で叫んだ。そして先程から無言で食事を続けている如月ハルに、鋭い眼差しを向けた。だが当然の如く彼からの反応は無い。例によってお得意のガン無視である。

 

 現在、私立啓北学園の1年D組では犬も食わぬ、といった痴話喧嘩が繰り広げられていた。喧嘩の原因――それは毎度のことながら、小夜の過剰なまでの嫉妬である。事の発端はいまから30分程前に起こった。

 

 4時限目の授業を終えると、小夜たちは昼食の準備のため、いつものように机を向かい合わせに移動させていた。そんな中、如月の姿が見当たらないことに彼女が気付く。

 あれ? ダーリンどこ行ったんだろう……。小夜は小首を傾げながら教室を見渡した。だが如月の姿は見当たらない。彼女が何気なく廊下に出ると、衝撃的な光景が目に飛び込んできた。

 

「あり得ないんですけど……」

 

 小夜は冷めた声色で呟いた。そんな彼女の目線の先には、中等部の女子生徒と親しげに話す如月の姿があった。

 私にも滅多に見せない笑顔……。それだけで小夜の嫉妬心を駆り立てるのには十分であった。この事態に憤慨した彼女は、当然のことながら如月に詰め寄った。そして矢継ぎ早の質問攻めが開始される。次がその時のやり取だ。

 

 問1 あの子は誰?

 問2 どういう関係?

 問3 どんな話をしてたの?

 

次がこの問いについての如月の答えだ。

 

 答え1 白瀬華純さん、中等部の3年生。

 答え2 ただの知り合い。

 答え3 言わない。

 

 この問3の答えが、小夜の逆鱗に触れた。どうして言えないの? 再三の問いかけにも関わらず、如月は無言を貫いた。言えないということは、何かしら疾しいところがあるということだ。向かいの席では相変わらず如月が弁当に箸を伸ばしている。

 

 無表情な顔――全く何を考えてるのか分らない。彼と付き合うようになって数か月が経つけど、相変わらず分らないことだらけだ……でも聞きたいことは遠慮なく聞かせてもらうわよ。だって私にはその権利があるものっ! 小夜はそう思いつつ、鋭い眼差しを如月に向けた。

 

「どうして言えないのよっ! なにか疾しいことでもあるわけ?」

 

「言えないじゃなくて、()わない(・・・)だ」

 

「はあ? それのどこが違うのよっ!」

 

「天と地ほどの違いがある」

 

「じゃあ、その天と地ほどの違いを今ここで説明してよっ!」

 

「駄目だ。それを説明するということは、言わない理由を話さなければならない」

 

「また始まった……どうしてそう融通がきかないのよっ! 少しは私にも分るように説明してくれても――」

 

「ヤマアラシのジレンマ、という言葉を知ってるかい?」

 

 如月は箸を休めると、静かに小夜を見据えた。

 

「……なによ、急に」

 

「ヤマアラシのジレンマ――寒空にいるヤマアラシは互いに身を寄せ合って暖をとりたいが、鋭い針が相手を傷つけるため近づくことが出来ない。ドイツの哲学者である、アルトゥル・ショーペンハウアーの寓話(ぐうわ)にもとづく心理学用語だ。この話は人間社会にも置き換えられる。互いに付かず離れず最適な距離感を見つけ、相手に不快な思いをさせないようにするのは、人間社会においては当たり前のことだ。だから――」

 

 また長々と訳の分からない話を……。小夜は大げさに溜め息を漏らした。因みに私のダーリンはこのように訳の分からない話をいきなり語り出す。そして長々と語った結果、結局のところ本筋の話とは全く関係がなかった、などということは日常茶飯事であった。

 

「それで、結局なにが言いたいわけ?」

 

 小夜はたまらず如月の言葉を遮った。

 

「たとえ恋人同士だとしても僕はバウンダリー(他者との境界線)はきっちりと引いて欲しい」

 

 彼はそう言って出し巻き卵を口に運んだ。

 

「……どういう意味よ?」

 

「過剰な嫉妬や度を越した詮索はやめて欲しい、ってことだよ」

 

 過剰な嫉妬? 度を越した詮索ですと?……ブチッ、私の頭の中で小さな破裂音が木魂した。

 

「一体、誰のせいでそうなったと思ってるのよっ!」

 

 小夜が拳を机に下ろすと、和気藹々(わきあいあい)としていた昼休みの教室内は途端に静まり返った。

 

「まあまあ、落ち着きなさいって」

 

 すかさず幼馴染の荒川早苗が、小夜の癇癪(かんしゃく)を優しくいさめた。彼女とは幼稚園の年少時代からの付き合いだ。どんな時でも私の味方であり、同時に良き理解者でもある。因みに1年生にして我が学園の陸上部のエースでもあった。

 

「だって――」

 

「今回はどう考えても小夜が悪い。それは自分でも分かってんでしょ?」

 

 早苗のお蔭で、頭に上っていた血がゆっくりと下がってゆく。冷静に考えれば彼女の言う通りだ。 ”過剰な嫉妬や度を越した詮索” 如月が言ったのは紛れも無い事実だった。どうやら私はまたやらかしてしまったようだ……。小夜は静かに俯いた。すると早苗は吐息を漏らしながら、相変わらず無表情で昼食を続ける如月に呆れ顔を向けた。

 

「あんたの気持ちも分からないでもないわよ……でも言い方ってもんがあるでしょうが。ねえ?」

 

 早苗は先程から気まずそうに事の成り行きを見守っていた、清水信二に同意を求めた。すると彼はボーズ頭を掻きながら曖昧に頷いた。因みに彼も早苗と同様に、陸上部に在籍している。温厚で心優しい性格――私たち仲良し4人組の一人である。

 

「言い方?」

 

 如月は昼食の手を止めると、怪訝な表情を早苗に向けた。このような顔をした時の彼は、必ずと言っていいほど気分を害している。理由は自明だ。

 

「そうよ。どうしてもう少し優しく――」

 

「いくら優しい言葉を並べたてようが、相手にこちらの真意が伝わらなければ、それは何の意味もなさない。言葉とは本来そういうものだよ」

 

 早苗の言葉を遮ると、如月の低くよく通る声が教室内に響き渡った。悔しいけど正論過ぎて何も言い返せない。小夜は恨みがましい眼差しを彼に向けた。メガネの奥の黒い瞳――一切揺れる事はない。 ”意地でも言わない” って顔してるし……。彼女は溜め息を一つ漏らすと如月から視線を逸らした。

 

「分かった、もういい……」

 

 小夜がそう呟いた時だった、教室の入り口から担任の菅原が如月に声をかけてきた。恐らくいつものように、雑務でも言い渡すつもりだろう。彼は食べかけの弁当を片づけると、ごちそうさまと言って静かに教室から出て行った。

 

「小夜、こんなこと言いたくないけどさあ――」

 

「なら言わんでよろしい」

 

 如月が出て行ったのを確認すると、早苗は頬杖をつきながら呆れ顔を向けてきた。彼女の言いたい事は聞かずとも分る。

 

「……たかが後輩女子と話してただけでしょ? 何をそんなに目くじら立てる必要があんのよ」

 

「たかが後輩女子じゃないわよ。かなり(・・・)可愛(・・)()後輩女子よっ!」

 

「あれあれ、常に殿方を惑わしてきた三島小夜さんとは思えない発言ね。もしかして勝つ自信がないとか?」

 

「はあ? 誰に言ってんのよっ!」

 

「ならそんにいきり立つ事ないでしょ?」

 

 早苗は勝ち誇ったように、薄ら笑いを浮かべた。

 

「分かってる、でも――」

 

「それとも、あのメガネが浮気するとでも思ってるわけ?」

 

「それは……あり得ない」

 

 そう、あり得ないのだ。他の男ならまだしも、彼がそんな事をするとは到底思えない。これはあの朴念仁を信じている、といったレベルの話ではなく、単純に如月ハルという人間はそのての事に興味がないのだ。

 

「なら少しは束縛ゆるめてあげたら? じゃなきゃ、ほんとに嫌われちゃうよ」

 

 小夜は無言のまま俯いた。ぐうの音も出ない、とはまさにこの事である。早苗の言っていることは正論だ。私だって馬鹿じゃない、それくらいは分かっている。だけど……。

 

 彼と出会って早いもので半年以上が経とうとしていた。短い間に私の価値観を覆すような事件が何度も起った。そして怒涛の日々は終わりを迎え、いまは幸せな日常が当たり前のようになっていた。

 

 以前は如月と一緒にいるだけで幸せだった。勿論いまもそれは変わらない。でもそれだけでは満足出来ないもう一人の自分がいる。 ”彼の全てを独占したい” 私は相変わらず強欲で厄介な女だった。

 

「まあ、あんま深く考えなさんな。如月はあんたにベタ惚れなんだから、でーんと構えとけばいいのよ、でーんとねっ!」

 

「うん……そうね」

 

 早苗の優しい言葉が鼓膜に届く。だが頭の芯までは届いてこなかった。私と如月では恐らく互いを想う比重に差異がある。例えば私の想いが10ポイントとしたら彼は多く見積もっても5……いいや、6ポイントくらいだろう。たかが4ポイントの違いでしょ? と思うだろうが、当人にとってこれは驚くべき開きなのだ。

 私はいつから、こんなウザい事を考える女になっちゃったんだろう。明らかに重度の恋愛依存症……いいや、如月依存症だ。小夜は教室の天上を見上げると、溜め息を漏らしながら静かに瞼を閉じた。


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