Angel計画は頓挫した。
いくつか達成すべき成果を得ることはできたが、最終目的には遠く及ばないものだった。
数年の歳月をかけて研究者が得たものは、「人の習慣の模倣」「自己判断能力の付与」「人型への変質」など、確かに非常に効果のある結果ではあったが、どれもこれも目的には遠く及ばない。
研究者が追い求めた結果になるには、「信仰心の理解」が不可欠だった。
善悪の区別など、信仰心さえあればどうとでもなる。
しかし、自己判断能力がついたまではよかったのだが、それにより善悪の区別を付けるようになってしまった。
それを払拭することが、どうしてもできなかった。
結果的に研究資金が底をつき、それ以上の進展も見込めない状態になり、その研究者は行方を晦ませた。
そこですべて片がついた、と思われた。
しかし、失敗に終わったと思われた研究が、再度動き始めたと噂が流れた。
詳細は一切不明。誰が始めたのかも、問題をどう解決しようとしているかも謎。
計画が再始動した、という事のみ眉唾な噂として耳に入った。
そしてそれには、ロケット団が関与している、とも。
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「ロケット団・・・!」
「さすがに知っとるわな。ポケモンつこうて、あかんことばっかりやっとる犯罪集団やな。ただ、いくらロケット団いうても、研究を完遂させることなんてでけへん。そんときも、今でもそう言われとる。不思議なんは、どうやってロケット団がその研究資料を手に入れたか、やな。ただの犯罪組織が簡単に手に入れられるようなとこになかったにも関わらず、や。」
ロケット団。
サトシにとって、現状もっとも忌むべき存在であり、名前を聞くだけで吐き気がするほど。そのような思いを抱いている人はサトシだけではあるまい。それ程までに多くの犯罪と悪行を積み重ねている集団である。
「―――ん?でも、研究は進まないんですよね?それなら問題ないんじゃ」
「そこがこの話の核心のとこや。よーく覚えとき。」
そういわれて、サトシはゴクリと喉を鳴らし、一言一句聞き逃すまいとマサキの発言に注意する。
「最近なって、また一つ、噂話がでてきたんや。そのAngel計画についてなんやけどな。」
「どんな噂話ですか・・・?」
緊張の面持ちでマサキの言葉を待つ。
「なんでも、レッドが別のとこで絡んどるらしいで。」
「レッドが!?」
裏と表の統制をしたレッドが、何故今更になってAngel計画などに手を出すのか。
そもそもずっと行方を晦ませていたレッドが、噂にでてきたということは、本当にどこかに現れたか、誰かが意図的にその噂を流しているかだ。
レッドの存在を考えると、どちらもありそうなことではあるが、その意図は一体何なのか、全く見当がつかない。
「レッドは何故Angel計画に関わろうとしたんですかね?」
「わいも詳しいとこはわからへん。それに、計画を進ませようとしとるのか、止めようとしとるのかもわからん。レッドの真意はなんなんやろな。」
「・・・レッドはどこにいるんでしょうか。」
「さあ、そこまではわからへん。最も、ここまでインフラが発達した世の中で隠れられる場所なんてそうないで。」
「レッドの居場所がわかるんですか!?!?」
知りたかった情報がマサキの口から出た瞬間、身を乗り出した。
裏の世界に入った最初の目標は、レッドに会うことだったので、サトシの反応は当然のことではある。
肝心のレッドに対する評価と考え方は、旅に出たときよりも変化しつつあるが、真実はレッドしか知らないのだ。
実際に会うまではあくまで自分の想像にすぎない。
「そう喚くなや、焦らんでも言うから座っとれ。それに、ただの可能性の話や。」
「あ、ごめんなさい――」
乗り出していた身体を引き、元の場所に座り直す。
「カントーにおるなら、多分、ハナダの洞窟やろな。」
「ハナダの洞窟・・・?ハナダってことは、この町に?」
「まあ、確かにこの町には違いないんやけど。行くのはちーっと面倒やな。」
「面倒・・・?」
マサキが言うには、そのハナダの洞窟というのはこの町の目と鼻の先にあるらしい。
ところが、その洞窟へ行くには並大抵の力量ではいけないとのことだ。
激流を昇り、岩場を進み、且つ強力な野生ポケモンが蔓延っているという。
洞窟の存在を知っている人がほとんどいないこともそうだが、何よりたどり着くことが難しい。
確かに隠れるにはもってこいの場所ではあるようだ。
クラブであればなみのりを使うことができるが、技を出すのと実際の水場を進むのは訳が違うらしい。
セキチクシティのジムリーダーが持つバッジを、なみのりを持つポケモンに見せることでその本当の能力が開花するという。
レッドに会うにはまだ先の話になりそうだ。
ともあれ、情報を得ることはできた。
マサキが最初に言っていた通り、これからどう動くべきかの指針を定めることができたように思える。
「ワイがサトシくんに話せることは、これくらいやな。あとはなんか、ききたいことあるか?」
マサキから聴いた情報を反芻し、疑問点を思い浮かべる。
確かにいろいろと判断が難しいことが多い内容ではあったが、改めて問い直すような疑問点は無い気がする。
それよりも、今のサトシには気になっていることが一つだけあった。
本来は、サトシが気に掛けるべき問題ではないし、気に掛けるだけの必要性も意味も無い。
しかし、サトシにとっては非常に重要な問題であるような気がした。
「カスミは、どうなりますか?」
「この期に及んでそれかいな。ホンマおもろいやっちゃな、サトシくん。」
他に手段がなかったとはいえ、自分の判断によってカスミは追われる身になってしまったのだ。
気に掛けないわけにはいかない。
「心配せんでも、なんもせんわ。カスミはカントーから出して、他所の地域へ行ってもらうわい。ポケモンリーグはカントーが管轄やさかい。そこまで追ってくることはあらへんわ。まあサトシくんがどーしてもっちゅーんやったら、あんなことやこんなことで手―出してもかまへんけどな。」
「だ、だめです!」
「随分お気に入りやんか~サトシくん~。カスミは人もポケモンもぎょーさん殺してんねんで?人殺しを好きになるなんて、サトシくんもおかしいと思わへんか?」
ニヤニヤしながらサトシを見るマサキ。
随分と下世話なものだ。しかし、カスミも大人びた精神を持っているとはいえ、まだまだ十代の女の子。
マサキにとっては下手に手を出して遺恨を残すくらいなら、少年と少女の甘酸っぱい恋愛ストーリーを目の前で堪能した方が面白いと判断したようだ。
とても悪趣味である。
しかしマサキの言うことも最もだ。
カスミは人殺しであり、ポケモン殺し。
裏の世界に身を置いているとはいえ、カスミのそれは意味合いが大きく異なる。
カスミは打ちのめし、叩き潰し、虐殺することに喜びを感じていた。
あの狂気そのものと言える趣味の悪いショーも、カスミの欲求を満たすためだけに始まった悪魔の一夜だ。
自分ではそう思いたくない、という考えはあるのだが、カスミのことを思うと顔が熱くなり、心臓の鼓動が早まる。
これが恋だというのなら、間違いなくそうなのであろう。
ただ、その対象が狂人であったというだけの話。
本来であれば決して相容れない禁断の恋慕。
それを成立させようとしてしまうのは、恐ろしくもカスミの魅力か。
人は危うさを求める。リスクを楽しみたがる。
サトシにそのような考えがあったのかどうかはわからないし、本人にその気もなかったであろう。
しかしサトシはまんまと、人間の欲の醜い部分に自ら足を踏み入れようとしていたのだ。
黙るサトシを楽しそうに眺めるマサキは、少年の考えることなど手に取るようにわかっているのだろう。
その心の葛藤を褒めもせず、責めもせず、どのように変化していくのだろうかと心の中で舌なめずりして楽しんでいるようだ。
闇にはまりつつある人間は、自分が善悪どちらに傾いているのか判断がつき辛い。
本人たちにとっては由々しき問題であっても、それを見守る第三者にとっては娯楽にもなり得ることだった。
マサキは別にそういった趣味があるわけではなかったが、あまりにサトシが初心だったので、楽しむことにしたようだ。
少年のアブナイ恋を成就させてあげるのも、大人の役目などと考えているのかもしれない。
そんなことは露知らず。
サトシは赤くなった顔で不機嫌な顔を作り、嫌な笑顔を浮かべているマサキをにらみつけていた。