ポケットモンスター 「闇」   作:紙袋18

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第百七十三話 地獄

「やあ、サトシ君。これはなかなか、楽しいね。ファファファ。全く、ここまでやらなければならないなんて久しぶりで、どうにもうまくいかない。」

 

一面に広がる光景は、地獄と形容してもあまりあるような光景。

惨憺たる光景を多くみてきたつもりのサトシだったが、人間はここまでのことが平気でできるものかと思うほどであった。

 

「何を・・・どうしたらここまで」

 

胃袋から込み上げる何かを無理やり飲み込み、それでも飲み込みきれなかった言葉だけが口から溢れでる。

ここに来るまでに必死で頭の中がぐちゃぐちゃになっていたが、絶望の中にあると思い込んでいた自分が甘かったと錯覚するほどに、今目の前にあるものは現実離れしている。

自分はまだあの牢獄の中で、鎖に繋がれたまま、項垂れて夢をみているのではないかと思うほどに。

 

いや、これが夢であってくれたならどれだけよかったであろうか。

 

 

「どうしたのかね、サトシ君。よもや、怖気付いたともいうまい。」

 

 

怖気付く、なんて生やさしい言葉では言い表せない。

 

 

「こんな・・・・こんなことが」

 

 

室内の畳の上に大量に横になっている生き物たち。

そのどれもが、生きてはいる。

その生きてはいるという状態が、サトシを絶望の淵へと追いつめる。

生きている。生きていればよいのか?と自問自答を繰り返すが、もちろんその解答は「YES」となるのだが、目の前の惨状をみて、また同様の質問を自分へと繰り返す。

 

 

「何を驚いているのかね?サトシ君がいる世界とは、こういう場所だということを知らなかったわけではないだろう?それとも何か、きれいに整えられた赤絨毯の上を優雅に歩いている世界だとでも、本気で思っているのかね?ファファファ」

 

「キョウ・・・お前のやっていることは、人間の行いじゃない」

 

「人間の所業だよ。これが人間なのだよ。見たまえサトシ君。この見るも無残な姿。素晴らしいとは思わないかね?」

 

「お前は・・・狂ってる」

 

「拙者からしたら、君の方がよっぽど気がふれているよ。命は、尊いものだろう?それを平気で取りこぼす、君たち狂人と拙者を一緒にしてもらっては困るね。命は、弄ぶものであろう。美しく、華麗で、儚く、小さく壊れやすい。なあサトシ君。君も味わっただろう?命の尊さを。危うさを。何をすることも許されず、生かされる経験はどうだった?少々イレギュラーがあったが―――その体験を是非ともご教授願いたい。どういう気持ちだった?救いがくると信じられたかね?それとも虚無感?絶望か?拙者に命を媚びることも考えたかね?」

 

「うるさい・・・!そんなことはきいてない!これは一体なんなんだよ!」

 

 

喉がかさつき、口内が乾燥でところどころへばりつき、唇も水分を求めていながら、それでも精いっぱいの声をあげてサトシが声を荒げる。

サトシは、人はもっと理由があって行動していると思っていた。

人それぞれに正義があって、信じるものがあって、救いがあって、生きているものだと思い込んで、信じ込んでいた。

この狂った裏の世界にも、カスミやエリカのような、歯車がかみ合わなかっただけで本当は良い人で、生きる道を誤らざるをえなかっただけなのだと。

だが、この目の前の男は違う。

この男は、ただただ、正気だ。正気であることを自覚し、その上で、これをしている。

サトシにも自覚はある。もはや通常の世界に戻ろうと思っても、馴染めないのではないかと。自身のいる正常な世界と、裏にいる狂気の世界との近さに気持ち悪さと恐怖を覚えてしまうと。

 

 

「なんなのだ、といわれてもだ。これが、命というものだろう。ごく自然、当たり前、世の中に蠢いているものそのものだよ。」

 

「お前は、なんなんだ」

 

「人間だよ。それを知らないサトシ君でもないだろう?ファファファ」

 

 

サトシとキョウのいるこの和室には、多数の生き物が()()()()()

 

ポケモンたち、だったナニカたち。

いや、きっと今でもポケモンであることに間違いはないのだろう。生きてもいる。生きているだけ。

細かい息遣いも、空気を吸って吐く生命としての行動も、心臓の鼓動で脈拍をうつ血の流れも。すべてある。

ないのは、生命としての尊厳。

 

もともとの姿はどのようなものだったろうか。

紫色に変色した体は水ぶくれのようにところどころがブツブツと泡立っており、割れたところからは血とも膿とも思えるような液体がドロリと流れ出て、その液体が皮膚をなでる度に新しい火傷のような傷を生み出す。

その傷がジクジクと音を立てて、また血の泡を生み出し、割れるを繰り返す。

泡が割れる度に体は一瞬痙攣したように小さく跳ね、また細かく呼吸をするだけになる。

叫んで痛みを伝えたところで、聞く耳を持つものがいないのを悟っているのか、ただ痛みを耐え、少しでも苦しみが退くように最低限の動きをするのみ。

 

 

もともとの姿はどのようなものだったろうか。

体の一部が肥大してパンパンに膨れ上がっている。

破裂寸前とも思われるその部位にくっついているように見えるのが、胴体と思われるものだろうか。

その胴体から伸びる四本の細い足は、痛みで震えながらもその場から逃げ出そうとする無駄な努力を続けていた。逃げ出せたところで、行き場はないことを体は知っているのだろう。この地獄から解放されることはない。

 

 

もともとの姿はどのようなものだったろうか。

胴体が大きく切り裂かれたように鋭利な窪みがあるが、そこから血は流れておらず、どす黒く変色した傷口と呼吸が儘ならない苦しみから解放されたがる生き物の姿。

 

 

キョウの目は狂気に燃えていた。サトシに問われても、自分の行いが当然のことだと信じて疑わない。むしろ、こうした残虐極まりない行為に喜びさえ感じているかのようだった。

 

 

「ふふふ、素晴らしい光景ではないか?命の儚さと脆さを味わえるだろう?」

 

 

キョウはさらに付け加えた。

 

 

「人間は愚かだなサトシ君。命というものの尊さを最も理解している生物であるのに、最も命を粗末に乱雑に扱う種族だ。拙者は人間という、未知の生物に対して愛着を持つし、生物全体の命という不可解なものに酷く執着しているよ。見たまえ、こんな姿でも生きている。命とはなんとも鮮烈で、美しく醜いものだな。」

 

 

サトシは膝から力が抜けそうになった。目の前の惨状に恐怖で言葉を失っていた。しかし、ポケモンたちの苦しみを前にしてなすすべもない無力さに、怒りが込み上げてきた。

 

 

「お前は人間どころか、生き物としておかしい・・・!この非道な行為をやめるんだ!今すぐにでも!」

 

 

キョウは大笑いした。

 

 

「ファファファ・・・ファ!命を粗末にしてきたとは思えない言動だな。どうした、おびえているのか?それとも哀れみか?ならばその目で見守れ!死に至る過程を!」

 

 

キョウの手が躯体の一部に触れると、ポケモンは痙攣を起こした。サトシは叫びそうになったが、声すら出なかった。

キョウの手が触れたポケモンは、痛みに耐えかねたのか、ようやく口を開き絶叫した。しかしその声は、ただの掠れた啼き声にすぎなかった。

 

サトシは目を背けたくなったが、それはできなかった。

キョウに対する怒りと、現状をどうあっても変えることができない自身の無力さに無言の慟哭をすることしか許されていない。

目の前の光景を、自分の無力さの体現とキョウという人間の行動を、見続けることしかできない。

 

 

「見るがいい。これが生命の本当の姿だ。弱く儚く、些細なことで滅びる。本当に勿体ないことだ。だが―――」

 

 

キョウは酷薄な言葉を並べた。

ポケモンの身体は次第に朽ち果てていき、最後に頭部が爆裂した。血しぶきがサトシの顔を濡らした。

 

 

「これもまた一興。ふむ、見事だったろう?生と死の狭間を見た気分はどうだ?これが、失われるということよ。ずっと見せていた、あの命の輝きも、なんと呆気ない。一瞬の最後の煌めきともいえるが、終わってみればただの肉塊よ。命あっての、美しさではないかね。」

 

 

サトシは吐き気を催し、そのまま意識を手繰った。

キョウはそんなサトシを変わらぬ表情で見続け、笑みとも哀れみともとれる目をする。

 

 

「サトシ君も、こちら側だと思っている。だがまだ足りないか。もっと拙者を楽しませてくれる存在と期待しているのだが、これを見せれば変わるかな?」

 

 

キョウはゆっくりと壁に手を這わせ、その先にあるスイッチを押す。

カチリと無機質な音をたてると同時に、さび付いた音を鳴らして漆喰の壁が上に開く。

和風な室内には似つかわしくない機械仕掛けだなとふと思った。

そんなささいな思考も、目に映る光景に悉く吹き飛ばされてしまった。

 

 

「さあ、これでどうかな?サトシ君。ほら、見てみたまえ。」

 

「僕の・・・ポケモン」

 

 

開かれた壁の中にいたのは、昏睡状態のような自身のポケモン達。

まだ毒に侵されている様子はないが、かろうじて呼吸している胴体の上下は見られるが―――

壁の中は分厚いガラスで区切られていて、こちらからは見ることしか適わない。

 

 

「これから何が起こるだろうね、サトシ君の大事な大事なポケモン達。さぞ丁寧に、愛されてきたのだろうな。死闘を繰り広げてきたか?強く抱きしめてやったか?笑顔で食事を共にしたか?過去の仲間との思いとやらを背負っているか?一緒にこれからも戦い抜く決意を抱いたか?温もりを覚えているか?互いに信頼しているか?なあサトシ君。困ったね、君は何もできなくただ自分の狂気に気づくことなく這い蹲って拙者に許しを請うか、否定するかしかできない。さあ、どうする?目の前に広がっているポケモン達は誰がやったのだろうな、なにやらとんでもない毒に侵されているように見えるが、さて、治療法などあるのかね、ここまでひどい状態から復帰できるとは到底思えないが、まあ生きているということはきっとこれからも生きることはできるかもしれないが、地獄の苦しみから解放されるかは、そうだな、毒のみぞ知る、というところか。ちなみにこの部屋はな、拙者の調合した毒を煙にしていれることができるようになっておるのだ。外に漏れないように厳重に、な。拙者のお気に入りよ。ここに転がっているポケモン達は拙者と愚かにも対戦しに来たトレーナー達のポケモン。人間達も同じ目に合わせたのだが、サトシ君と違って生きる渇望が少なかったな。悲しいことよ。さて、サトシ君のポケモン達はまだ眠っているだけよ、心配せずともまだ危害は加えていないとも。大事なサトシ君のお友達にそう簡単に手を付けたりしないさ。」

 

「ぴ、ぴかちゅうは」

 

「うん?」

 

「ピカチュウがいない・・・どこにやった、ここに来たハズだ」

 

「ああ、ピカチュウ。あのドーピングまみれの異常成長体ね。適当に落とし穴に放り込んでやったわ。今頃は暗い部屋の中で騒いでいるのではないかな、ファファファ。」

 

「・・・そんな」

 

 

そう、ガラス部屋の中にピカチュウはいない。

―――そして、ゲンガーも。

 

 

これが望みなのか、ただの思い過ごしなのか、サトシには何もわからない。

 

「さあ、ショータイムというやつだ。サトシ君。楽しんでくれよ。ファファファ。」

 


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