ポケットモンスター 「闇」   作:紙袋18

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おひさしぶり


第百五十七話 正しさ

 崩れ落ちる巨体。

 幾度となくその無類のパワーとスピードを駆使して戦い抜いてきた肉体が、ついに倒れる。

 考えるまでもなく、それは必然であった。むしろ主力となりえるポケモンが一体の状態で勝ち進んでこれた現状こそが奇跡であったと認識すべきだった。

 この事態は起こるべくして起きた。起きてほしくない、という願望に縋ることなど到底不可能だった。

 ピカチュウ一体で勝ち抜くという薄氷を踏むような戦い方で、数々の挑戦者を叩き落としてきたジムリーダーを下し続けるなど出来はしない。

 

 その脆い牙城を打ち崩した張本人―――ナツメのバリヤードは、その変わらない能面のような笑い顔を二つ胴体から生やし、片方がねじ切れるようにして地面に落下し、ほどなく崩れるようにして消え去った。

 

 

 

 

 

 

 ピカチュウが勢いに任せて殴り掛かり、強靭なバリアーを割った。

 威力は随分と削がれたが、軟な胴体を破壊するには十分な威力。ピカチュウの拳はバリヤードの顔面を正面から打ち抜く。

 砕いた感触。幾度となく味わった破壊の手ごたえ。この期に及んで躊躇など無く、その硬く握った拳には十分な手ごたえがあった。

 しかし、その直後にバリヤードの手がピカチュウを打ち抜いた。

 

 ―――カウンターという技は、そもそも自身が攻撃を耐えねばならない。

 ドーピングの蔓延る裏の世界では、正面切って攻撃を耐えるなどということは愚行の極みであり、防御力と体力を自慢する強化を行ったポケモンでも、相手の攻撃には細心の注意を払う。

 その過酷な状況の中で、相手の攻撃を受けねばならないという技の発動条件を満たす事はとても正気とは思えないものであり、且それを選択するトレーナーなど居ない。

 

 だが、もしも、相手の繰り出すものが物理攻撃であることが事前にわかり、その強力無比な打撃を耐えうる術があるのだとすれば、カウンターという技は相手を倒しうる攻撃として十分以上に効果を発揮する。

 攻撃を耐えうることが前提条件。その前提条件を満たすことができるのだとすれば―――

 

 

 

 部分的に『みがわり』を使う。当然相応の体力を消耗するし、そこ以外に攻撃を受ければ何の意味も無い。

 それを解消することができるならばその限りではないという事。

 ピカチュウの渾身の一撃はバリアーで威力を削がれ、拳の軌道をずらされてバリヤードの顔面を打ち抜いた。

 

 ―――否、顔面を打ち抜かざるを得なかった。

 そしてそれは意図するところであり、その結果ピカチュウの混信の一撃は部分的にみがわりしたバリヤードの頭部を破壊するにとどまり、威力が落ちたとはいえ自身の攻撃に対するカウンターを受け、無意識に叩き込まれた打撃によってピカチュウは意識を飛ばし、地面を舐めることになった。

 

 

 

 

 

「あ・・・ぴ、ぴかちゅう・・・・?」

 

 

 

 今まで放心状態だったサトシから声が漏れる。

 だが、それは思考の復活でも起死回生の手段が思いついたわけでもない。ただ、現状を見つめることに恐怖するただの一人の少年。

 そんな状態の少年がまともな思考をできるはずも無く、口から洩れるのは単なる救済の願いのみ。

 

 

「みんな・・・死なないで・・・お願い・・・だから―――」

 

 

 それが届いたのがどうなのか。

 だが、長く連れ添ったサトシのポケモンにとって、それは指示として十全に機能する。

 たとえそれが無意味なものであったとしても、何もしないという選択肢は死を意味するのだから―――

 

 

 

「クラーブ!!」

 

 クラブが両手のはさみから水を噴き出す。『なみのり』の技だ。

 通常のポケモン相手であれば十分な威力を誇る攻撃ではあるが、ことドーピングポケモン相手ではまるで意味を成さない。

 バリヤードには当然のように光の壁で防がれ、フーディンはテレポートで消える。

 

「クラブ!クラーブ!」

 

 何度も、何度でもなみのりを繰り出す。必死に抗うしか選択できない。逃げることも降伏することも許容できない。なにより目の前で自身の主人が危機に陥っている。そんな状況を看過できる訳が無い。

 故に、抗い続ける。

 

 ―――それが何かを生み出すことに繋がるかは、全くの別問題だが。

 

 

 幾度かの攻撃をし、さらに限界まで撃ち続ける気概を見せるクラブだったがついにその手が止まる。

 目の前に破滅の象徴―――巨頭の化け物が突然出現した。

 

 

 

 地面を這いずり、不気味に髭をうねらせる。

 その目はジッと気味悪くクラブを見据える。通常であればそこから動くことなど出来ない。

 目に、迫力に、威圧感に、その動きを完全に封じられる。

 

 だが当然ながらそれだけで済む相手では無い。

 これは互いのどちらかのポケモンがすべて戦闘不能になるまで続くのだ。

 それは瀕死などという生易しいものだけでなく、死亡も含まれる。

 裏のバトルとしては当然で、だからこそトレーナーも全力を投じ、強力に育成した自身のポケモンを繰り出す。

 

 その条件を満たさないことの方が例外で、その例外がどうなったのかは語るべくもない。

 

 

 

 

 

『―――サイコキネシス』

 

 

 

 

 

 感情の無い声がそう呟く。

 

 

 

 フーディンの目が緑色に輝き、次のターゲットに狙いを定める。

 不可視の一撃がクラブを襲う。

 だが、その間に割り込んだ存在がフーディンの一撃を辛うじて打ち払った。

 

 

 

 クラブとフーディンの間に立ち、コンクリートの壁すら穿つ威力のサイコキネシスを耐えたのは、醜悪という言葉を具現化したような見た目をするバリヤードだった。

 

 

 

「・・・―――?」

 

 

 一瞬の間。

 この部屋の全ての視線がそのバリヤードに注がれる。―――ピカチュウと戦っていた、もう一体のバリヤードも含めて。

 

 その数秒の間に、何か逆転の秘策があれば変わったのだろうか。

 少なくともこの攻撃を決死の覚悟で防いだポケモンは、その行動だけで精一杯だったといえる。

 

 部屋に現れた二体目のバリヤード。その姿がぐにゃりと波打ち、紫色の小さいスライム状の塊へと変貌した。

 ―――メタモンのへんしん。その力はドーピングされたポケモンへすら変身を可能とするが、数秒の後に元の姿よりもさらに小さい姿へと収縮してしまう。時間制限付きの一発勝負な能力。つまりは切り札的な使い方をすべきもので、そのタイミングはトレーナーの指示があってこそ生かされる。

 だが、今この場所に適切な指示を出せるトレーナーはおらず、メタモンは唯一の指示である『生きて』という言葉に従ったに過ぎない。

 トレーナーの適切な指示が無いバトル。そんなものは当然ポケモンバトルと言うにはあまりにお粗末。

 だが、トレーナーの意志が介在しないポケモンの動きというのは、ことこの場所、このバトルにおいてのみ、さらに言うのであれば、自意識で適切に動くことを可能とするポケモンが居る場合に有効的な戦い方でもあった。

 

 

 

 

 ―――思考を読めないこと。ナツメが強力である理由の一つが、『トレーナーの思考を読める』ことだ。

 その能力は卑怯そのもの。本来、トレーナーの指示無くしてポケモンは動けないのだから、その思考を読むことは相手の攻撃に合わせてすぐに対応できる。

 だが、このバトルにおいて、相手のトレーナー―――サトシはすでに通常の思考を失っている。目の前で一体のポケモンを始末すれば、怒って思考が読みやすくなるハズだったが、何故だかこの少年はそうならなかった。

 結果、ナツメは目の前の事象のみを観察し、対処することになる。

 

 ―――最も、それが普通であり、それでサトシが有利になるわけでもない。

 これが凡庸なトレーナー相手であれば、指示を無くしたポケモンを一掃すればよい。

 そして、サトシ自身はまぎれもなく凡庸なトレーナー。

 違うとすれば、そのポケモン達。

 

 サトシのポケモン達は、基本的には普通のポケモン。一部例外もいるにはいるが、血が舞い踊る闇の世界に長い間身を浸していたのはピカチュウのみ。

 その他はあくまでも通常のポケモン達。生まれや経歴に差はあれど、普通でまっとうなポケモン、であった。

 

 しかし、サトシの元にいたという現実はその「普通のポケモン」を数段成長させるに十分以上の環境が整っていたことは、当のポケモン達にとっても、そのトレーナーであるサトシにとっても想定したものではない。

 

 その偶然に偶然が重なったからこそ生み出された一瞬。発生するはずの無い想定外。ドーピングされたポケモンに変身するというメタモンの変異体。それを目の前にして、あのナツメにしてほんの数瞬だけ思考が止まり、視界が狭まる。

 なんの展開も望めなかったこの状況においてそれはあまりに短い時間だったが、もう一つの想定外によってそれは悉く覆される。

 

 

 

 

 

 ―――崩れ落ちる音がした。

 

 起こり得る筈の無い場所で、起こり得る筈の無い生き物が崩れ落ちる。

 意識を失い、体の力が抜け、制御していた超常の力も発散し、地球の重力に引かれて地べたに這いつくばる。

 

 ナツメの容れ物がその音の元に意識を向けた時には全てが終わっており、その空間を漂う黒い霧の姿を拝むことしかできない。

 無数の手を持つナツメのバリヤードは、今までどこにいたのか、ゲンガーのナイトヘッドによってその意識を飛ばしていた。

 

 

 

 

 ―――『ナイトヘッド』

 悪夢を見せて精神にダメージを負わせる、と言われているゴーストタイプが持つ技。

 この性質上、詳しいことはあまりわかっておらず、未だにどのような効果なのか解明した者はいない。

 

 ただ唯一わかっていることは。

 

 

 人間に対してこの技を使用した実験の際に、人間性の喪失、言語能力の喪失、思考能力の喪失など、およそ人間と例えるのは困難な状態になったということのみである。

 

 無論、このことが記載された論文は公表されることなく、ある組織の書庫深くに保管されるに止まっている。

 

 

 

 

 

 イソギンチャクのようなシルエットのピエロが崩れた時、最も効果的に動けるのはそれを成した張本人、ゲンガーのみ。

 ゲンガーは糸の切れた操り人形を見ることもなく次のアクションを起こす。

 ゲンガーの視線は次のターゲット、フーディン。

 

 その攻撃は『サイコキネシス』。

 

 

 

 サイコキネシスはフーディンだけの技では無い。ゲンガーとてその技は習得している。

 遠距離による見えない破壊の手。その攻撃は相手が誰であろうとも際限ない破壊を産む。

 だが、それはもちろん破壊する対象が狙った先に存在していればの話だ。

 

 ゲンガーがサイコキネシスを放った先にフーディンは居ない。

 厳密には、居なくなったという方が正しいのだが―――

 

 その狙っていた筈のフーディンがどこにいったのか。それは当然、このバトルとも呼べない一方的な破壊行動に決着をつけるべく、最適な行動をとったまで。

 

 

 ゲンガーを襲う背後からの殺気。

 存在しなかった筈の何かがそこにいることは間違いなく、それが何であるかは明確。

 それに気づくだけの時間があったのは偶然が作為か。

 しかし、ゲンガーの身体の右半分が消し飛んだことは事実である。

 

 ゲンガーの身体はゴーストであり、実体があるわけではない。右半分が削れたとて絶命するわけでも、その常にニマリと笑っている表情も崩れない。消し飛んだ部分を補うように、残った左半身から霧が周囲を覆う。

 

 テレポートでゲンガーの背後に回ったフーディンも覆い隠し、そして、フーディンは霧から背後に弾き飛ばされ、ダメージを負う筈のない身体にダメージを負い、か弱い胴体をくの字に曲げて気を失った。

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 静寂。

 

 耳を刺す静寂がこの空間を埋め尽くす。

 今まで動いていたものが、一斉に停止する。

 誰も想像しえなかった偶然と、一瞬の出来事。

 

 

 誰もがこの状況を読めない中、ゲンガーの霧が収束し、新たな右半身として定着する。

 そして霧が晴れた中に横たわって居たのは、この場に最も似つかわしくないポケモン、コイキングであった。

 

 

 

 

『コイキング・・・?』

 

 ナツメの容れ物が言葉を発する。

 超能力によって相手の思考が読める人間において、事象に対する疑問などいつぶりであろうか。

 それほどまでにナツメは確信の元に行動選択をしてきている。

 

 しかし目の前に起きた出来事はなにか。

 倒される筈のない鉄壁の守りを誇るバリヤードが無数の手を地面に散らばらせ、最強の超能力攻撃を持つフーディンが壁を背にその巨大な頭を地面に擦り付け、白目を剥いている。

 

 その自身のポケモン達を勝ち誇った顔で見下ろすのは黒い霧。嫌味ともとれる三日月型の口元でニヤリと笑い、さも当然だとばかり勝ち誇る実体の無い生物。

 

 

『最初からコイキングを狙って・・・・?』

 

 

 ゲンガーがフーディンに向けて放ったサイコキネシスは、コイキングを引き寄せるため。

 フーディンが自身の背後に回ることを想定して、わざと自分に向けてコイキングを高速で引き寄せた。

 そして自分自身を目くらましとして、物理攻撃の効かない自分の身体を貫通させてフーディンに激突させた。

 

 

 なんともあっけない幕切れ。しかし、その全てが奇跡とも思える偶然の上に成り立ったもの。

 どの要素が欠けてもなり得ない、綱を渡るような奇跡の一瞬。

 

 その要因の最も重要なことが、誰の意識からも外れて居たゲンガーという存在そのものだった。

 

 

 そして、そのゲンガーの行動はここで終わることはなかった。

 

 

 ゲンガーはトコトコと横たわったフーディンの元へ行き、目の前で立ち止まる。

 まじまじとその巨大な頭を眺め、大口を開けてその頭に噛り付いた。

 

 当然、ガス状であるゲンガーが肉を貪ることなどあり得ない。だが、何も食べないかというそういうわけでもなく。

 この何を考えているかわからない不定形のポケモンは、「夢を食う」のだ。

 

 

 

 

 

 

『ゆめくい』とは、これまた効能のはっきりしていない技の一つである。

 相手の夢を食べることによってその活力、精神エネルギーを我が物にするというが、夢を栄養にできるかどうかなど、それこそポケモンにしかわからない。だが、事実として目の前に結果があるのだとすれば、それは紛れもない事実なのである。

 

 そして、当然ながらこの技を人間相手に試そうなどという悪魔の研究をする悪魔のような人間もいるわけで、その研究結果はーーー

 

 

 

 

 

 

『きゃあああああああああああああああああああああああ!!!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 響き渡る叫び声。

 ナツメの容れ物だった女性は叫び声をあげ、白目を剥き、口から泡を吹きその場に膝をつき、頭を抱えながら地面をもんどりうって転がる。

 ゆめくいの攻撃をされたのはフーディンだが、ナツメとフーディンは深く意識の底で繋がりすぎていた。

 そのため、ゆめくいの効果はフーディンに止まらず、ナツメにも及ぶこととなる。

 

 

 人間にゆめくいを使用した際の結果は、『記憶の欠如および重度の混乱』。

 ナツメ自身が記憶の中で生きている今において、それは死と同様の亡失を意味する。

 

 そのナツメの束縛が解かれ、容れ物の女性は本来の自我を取り戻す。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・は!ナツメ様!!ナツメ様!!!!ああ、なんてことに!!!!今お出しします!!!!」

 ナツメから解放された女性は地面から起き上がり、ナツメが入っているという機械についているハンドルに手をかけ、力一杯回す。

 機械についている小さな窓が開き、続いて人一人通れる程度の隙間が機械に生まれる。

 緑色の液体がコンクリートの床に広がり、機械の中から裸の、黒髪の長髪が液体と共に身体に張り付いた少女が力なくこぼれ落ちる。

 それを汚れることを厭わずに女性が抱きかかえる。

 

 

「ナツメ様!ナツメ様!!大丈夫ですか!!!ナツメ様!!!」

 

「・・・・あ、ここは?おかあさん・・・?」

 

「ナツメ様・・・記憶が・・・?」

 

 

 

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!なあああつめえええええええええええ!!!!!!!!こんなところにいたのかあああああああいいいいあああああ!!!!!!」

 

 

 

 

 勢いよく入り口が開け放たれ、エスパー親父が乱入してきた。

 サトシや倒れたポケモン達には目もくれず、正面の機械の元へ震える足で疾走する。

 

「ナツメ!ナツメ!!ナツメ!!ナツメなのか!!!?ナツメがそこに!!!!ああなんてことだ裸じゃないか!!!これを着て!!お父さんだ!お父さんだぞナツメ!!!わかるか!!?わかるかい!??念話はしなくていいからな!言葉で!!!しゃべれるかナツメ!!!」

 

 着ていたジャケットを脱ぎ、ナツメを覆う。

 女性から半ば奪うようにしてナツメを抱き寄せ、その女性は別段拒否するでもなく成されるがままナツメを手渡した。

 

 

 

 エスパー親父が怒涛の勢いでナツメに話しかけている間、ゲンガーはまずピカチュウの元へ行き、デコピンする。

 物理的な干渉もある程度はできるようだ。

 

「ピッピカ」

「ギャギャギャ」

「ピピカチャ」

 

 なにやら会話をし、ピカチュウを連れてサトシの元へ行く。

 呆然とサンドパンを見ているサトシの前にゲンガーが立ち、同様にデコピンをする。

 

 しかし、無反応。茫然自失している。

 

 ゲンガーがやれやれというジェスチャーをすると、ゲンガーの後ろからピカチュウがのそりとでてきて、ギリギリと音が出そうなほどに人差し指と親指をしならせ、サトシにデコピンを放つ。

 

 

「あいったあああ!!!!!いたい!!!!何!!?いたい!!!いっっった!!!いったい!!!」

 額に手をあて転がるサトシ。

 

「っ何するのピカチュウ!!いきなりでこぴ・・・・ん?あれ、僕は何を・・・あ・・・」

 

 止まっていたサトシの脳みそが再度稼働を始める。

 ここはナツメのジムで、バトルの最中―――バトルは終わったようだが―――ピカチュウもゲンガーも無事で、あの悪魔のようなナツメのポケモンは奥で倒れている。

 どうやらまたポケモン達に救われたようだ。だが――――――

 

 

「サンドパン・・・そんな・・・」

 

 

 サンドパンは、もう動いていない。

 やられた時はまだ呼吸があった。だが、今は無い。もう、命が失われている。

 

 もしかしたら守れたかもしれない命。だが、またしても自分の判断により大事な、かけがえのないものを失った。

 十代の少年に期待するにはあまりに重すぎる問題。目の前で自分のポケモンが何度も血まみれになり命を落としているにも関わらず、それに慣れて適切な判断ができるようになれなどと、一体誰が言えようか。

 もしかしたらそれが裏の人間として馴染む条件なのかもしれない。ポケモンを命としてではなく、一つの数として捉える悪魔の思考を持つことこそが、この狂った世界における生き方なのかもしれない。

 サトシはそんな考えは糞食らえとしてここまできた。ここまで来てしまっている。結果、サトシの精神は無力な正しさの奴隷として今もなお蝕まれ続けているのだ。

 

 サトシはサンドパンに何をしてやれただろうか。

 せめて、死ぬ間際に抱きしめてやることくらいできたのではないか。―――それをせず、ただ悲しみに埋もれていたのは紛れも無いサトシ自身の判断。

 脆弱な精神を持っているサトシの、どうしようもない人間の判断なのだ。

 

 

「また、また僕は――――――あいたっ」

 

 

 先ほどとは違う軽いデコピン。ゲンガーのデコピン。

 

 

「ゲンガー?一体なにを」

 

 ゲンガーを見ると、短い腕でどこかを指差している。

 そちらに目を向けると、

 

 

「やあ、そろそろいいかね、サトシ。」

 

「あ、エスパー親父さん―――と、その子は?」

 

 エスパー親父の腕の中に収まっている少女。サトシには見覚えの無い人物だが、こんな子、この場所にいただろうか?

 

「ナツメだよ。ナツメだ。私の娘。ようやく会えた私の娘だ。」

 

「え?あーうん?そう、なんですか。」

 首を傾げながら、頭があまり働かないサトシはうなづく。

 

「ナツメはね。私の声に、おとうさん、と一言返したんだよ。今は眠ってしまっているが。だが、今私の手の中にいるのはまぎれもないナツメだとも。ようやく会えたんだ。もうこんなところには置いておけない。私は今すぐに、ここからナツメと共に逃亡する。どこにかはわからないが、とにかくこの場所からなるべく遠くに、人の少ないところにだ。サトシのおかげで私はナツメに会えた。ありがとう。君は本当に、成し遂げたんだね。私の見込んだ通りだった。すまない。ありがとう。ではさらばだ。もう会う事もないだろう。」

 

 

 一方的にそう話すと、エスパー親父はサトシの言葉を待つ事なく一つしかない扉を抜けて、外へと抜け出していってしまった。

 

 呆然と扉を見つめるサトシに、またも背後から声をかけられ、目を向ける。

 

「あ、えっと、ジムリーダーの」

 

「いえ、私はただの容れ物ですので、名前などはありません。まずはバトルの勝利、おめでとうございます。いろいろと状況が読めないかもしれませんが、これをお渡しします。」

 

 そう言うと、サトシに分厚い封筒と、バッジを手渡した。

 金色に輝くそれは、まぎれもない勝利の証、ゴールドバッジだ。

 

 

「さて、私は彼に、エスパー親父と名乗るあの方についてゆきます。」

 

「・・・エスパー親父に?」

 

 どうして、という言葉を発する前に女性はつらつらと話を進める。

 

「あの方からナツメ様の事情については聞いているのでしょう。私は、実験によって生み出されたコピー。いわゆるクローン人間です。」

 

「え?それってどういう―――」

 

「そして、私の記憶は、ナツメ様の母親のものをこの身体に移植したものです。」

 

「――――――・・・・・・え?」

 

「私は、ナツメ様を保護、管理する役割として作られました。もうその役目も終わりのようですが。私は自分の身体の記憶の食い違いにひどく不安定さを感じていましたが、もう少しナツメ様の側にいたいという、記憶の中の母親が私をそう行動させようとしています。作られた私に生きがいなどというものがあるとは思いませんでしたが、あのかわいそうな子と一緒に、もう少しだけ生きてみようと、そう思います。この設備は別の場所から管理されているので、すぐに異常に気づいた研究員が察知するでしょう。私はここでお別れです。あなたにお礼を言うべきか、私にはわかりません。ですが、ナツメ様を解放してくださって、ありがとうございます。それだけは、まぎれもない本心です。それでは。」

 

 

 そう一方的に告げると、女性も先ほどのエスパー親父のように足早に扉を抜けて行ってしまった。

 

 あまりに一方的で、サトシが考える時間など無いに等しい。

 

 

 結果、この場所には。

 

 呆然とするサトシと、何をすべきかオロオロするクラブと、小さくなったメタモンと、横たわっているコイキングと、サトシを見つめるピカチュウと、ニヤニヤするゲンガーと、もう動かなくなったサンドパンだけが残されていた。

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 ここにずっといるわけにもいかない、とようやく判断できたのはあれから一時間ほど経ってからだった。

 

 サンドパンを抱きかかえ、ヤマブキシティジムを後にする。

 服に血がべたりとついてしまったが、特に気にすることもなく、申し訳なさと無力さを抱えながら、決して軽くはないサンドパンを抱えて歩く。

 

 空は徐々にオレンジ色の染まろうかという色合い。

 さすがにこの姿で大都市ヤマブキシティの往来を行くのは余計なトラブルを起こしかねないが、そんなことを考えている余裕はもはや無い。なるべく人に会わないように裏の道を――――――

 

「おおお!!!サトシさんではないか!ジムバトルはいかがでしたかな・・・って!その血は一体!!!!抱えているポケモンはどうしたのですか!!!!!」

 

 

 サトシ史上、最も暑苦しい男に早速見つかってしまった。

 よくよく考えてみれば、この空手王と名乗る男のいる場所はヤマブキシティジムの隣。遭遇してもおかしくは無い。無いのだが。

 

 

「あの、いまはちょっと・・・」

 

「ぬうん、まさかそのポケモンはもう―――」

 

「ええ、まあ。なので、お墓を―――」

 

「任せてくださいサトシさん!この筋肉、サトシさんの為ならばいかようにでもお使いあれ!おおい!お前ら!!」

 

「タテヨウト・・・」

 

「なんでしょう空手王!―――ぬぬぬ!?そこにおられるのはサトシさんとぴかぴ殿!その血はいかがされた!!」

 

「あの、えっと」

 

「お前ら!サトシさんのポケモンが!ポケモンが天に召されたのだ!!この空手王、一度拳を交えた相手は友である!しかも我らに修行までつけてくださったのだ!その恩義に報いるのだお前ら!!全力でサトシさんのポケモンの墓を建てるのだ!!!!」

 

「なんということか!!!ぐぅ・・・!目から汗が、止まらぬ!!!」

「愛するポケモンを失うのはいつだって苦しい!悲しい!!」

「うおおおおおお!!!!サトシさあん!!!!!」

「任せてください!!!俺たちが立派なお墓を建てるゆえ!!!!」

「やるぞおおお!!!!手を抜いたら腕立て二万回!!!」

「「「「うおおおおおおお!!!!」」」」

 

 

 何も言わずにむさくるしい連中が空手道場の裏手で工事を始めてしまった。

 

 サトシもさすがに諦め、サンドパンをぎゅっと抱きしめてその様子を見守る。

 

 

「さて、サトシさん。」

 

 その横で空手王がサトシに声をかける。

 

「・・・はい」

 

「俺は頭はよくない。だからなんて声をかけるべきかわからぬ。」

 

「・・・」

 

「だが、これだけは言える。これしか言えん。」

 

「・・・」

 

「抱えて生きろ。決して忘れず、共に生きるのだ。それだけが、その魂に報いる方法だ。」

 

「・・・魂に、報いる」

 

「そうだ。魂に報いるのだ。向かい合うのだ。正面で立会い続けるのだ。お前が何を考えようとも、向き合い続けるのだ。それが、戦友の死を看取った者の宿命であり、果たすべき役目なのだ。」

 

「・・・」

 

「サンドパンと共に生きろ。今まで共にあった魂と共に進め。立ち止まることは許されぬ。自身の信念など、死した友と比べるに値しないものだ。身体は死しても魂は死せず、だ。」

 

「・・・」

 

「今はいい。今は思い出に浸ることも大事だ。だが、お前は進める。進む。そうだろう、サトシ。我が友よ。―――おお、できたようだぞ。さあ、供養してやれ。」

 

 サトシが目を向けると、この短時間で作り上げたとは思えない立派な墓がたっていた。

 

 

「・・・空手王さん」

 

「おう、なんだとも」

 

「―――ありがとうございます」

 

「応とも。」

 

 

 お墓に貴賎は無い。ピッピに守られたトランセルも、海を眺めるスピアーも。それらはみんな同等で、サトシにとってはかけがえのない存在で。

 

 

「サンドパン、ごめんね。でも、僕の中でこれからも一緒に進もう。」

 

 そこに加わるこの場所も、かけがえのない存在で、共に歩き続けるのだろう。

 

 

「全員!!黙祷!!!!」

 

 

 少し威勢の良すぎる人達だけど、この場所を守ってくれるだろう。

 

 

「一緒に行こう。そして、また一緒にここに戻ってこよう。」

 

 

 悲しみと共に、悔しさと共に、恨まれていたとしても、憎まれていたとしても。

 面と向かって共に進む。

 

 

「それが、僕の負うべき役割。何に対しても優先すべき、僕の宿命。ですね。」

 

「応。さすが我が友!」

 

 

 何が正しいかはわからない。エスパー親父も、ナツメも、あの女性も、きっと自分の中の正しさがあったのだろう。そして、それはきっと同じじゃない。人それぞれの正しさがあり、間違いもある。それはとても自由だけれど、自分の自由に他人を巻き込むことは許されないんだ。それは、きっと、間違えているから。

 

 

 一歩。また一歩。サトシは前に進む。

 それしか選択肢は無いのだと、今は言える。サトシも自分の正しさで巻き込んでしまっているのだ。

 自身のポケモンたちは、その正しさの犠牲になってしまっている。

 だから、立ち止まることは許されない。一緒の方向を見ていたのだとすれば、なおさら。

 

「行くよ。僕は進む。トランセルも、スピアーも、サンドパンも。一緒に行くんだ。」

 

 

 日は暮れて、街からはは色とりどりの光が漏れる。

 明るく輝く、魂のように。

 

 キラキラ、キラキラと。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――――――――――

 

 

 

 

「博士、今回のレポートです。」

 

「ああ、そこに置いておいてくれ。」

 

「残念でしたね。」

 

「いや、そうでもないさ。失敗は成功の母、だろう?」

 

「博士がその言葉を使うなんて、槍でも降ってきそうですよ。」

 

「私だって失敗くらいするとも。」

 

「そうであってほしいですね。」

 

「ははは。さて、次の準備はできているかね?」

 

「ええ、すでに記憶も埋め込んであります。」

 

「管理者も、できているかね?」

 

「抜かりなく。」

 

「さすがは私の助手だ。成功の母はもう目の前だな。」

 

「そうであってほしいですね。―――ではまた後ほど。」

 

「ああ、よろしく頼む。」

 

 自動で開く白いドアから研究員が出て行くのを見届け、博士と呼ばれた男は目の前にある大きなシリンダーを見上げる。

 

「やれやれ、君にも困ったものだ。いい加減に言うことを聞いてくれてもいいと思うのだがね。」

 

 室内に話せる人間は博士以外にはいない。

 

「まあ、君の能力は想像をはるかに超える。ゆっくりとやっていこうじゃないか。ナツメちゃん?」

 

 ゴウンゴウンと、緑色の液体に浸かった長髪の少女は無言で揺らめいている。

 

「ナツメちゃんのクローン体作成の研究は間も無く佳境に入る。ヤマブキジムを利用しての実験も、あと数年だな。いい調子だ。」

 

 ときたま、呼吸をするように液体の中に気泡が浮かぶ。

 

「さあ、またお母さんと一緒にジムリーダーの真似事をしようね。ナツメちゃん。はっはっは。」

 

 

 一人の男の笑い声が研究所の一室に響き渡る。

 自分の正義で他人を利用し続ける。

 それは間違いなのか、それとも――――――

 

 

 

 




ナツメ編、終了です。
ああーん疲れたよもうチカレタ
長くなりすぎナツメ編。さあ、次はどこだろう。

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