「ポケモンタワー、やっぱりなんかこう、威圧感みたいなものがすごいな・・・」
今まではなんとなく遠目からしか見てこなかったが、目的ができてしまった以上もう避けられる問題では無い。
あの子供たちが言うには『ふじおじいちゃん』という人物は定期的にポケモンタワーに亡くなったポケモン達の慰霊に来ているようだが、基本的に朝出て昼前には帰ってくるとのことだった。
それなのに、昼どころか夕方になっても帰ってこず、夜が明けた今日の朝にも帰ってきた形跡は無かったらしい。
そんなことを泣きながら、すべての単語に濁点が付いたようなしゃべり方で説明してくれた。
具体的には「ぼびいびゃんが!えぐえぐ!びぼうがりゃがえってごばいぼ!」とかそういう感じである。
我ながらよく解読できたなと思うが、人間必死になれば読解能力すら向上するといういい例だろう。
「幽霊に憑りつかれた、とか?まさかね・・・」
幽霊など居ない。サトシとてもっと小さい頃は人並みにおばけという存在について怖がっていた記憶はあるが、すでに意味なく怯える時期は過ぎ、今となっては見えるものの方が怖いという認識に変わっている。
それもこれもこの旅が数多くの有意義な経験をサトシに与え続けているからだろう。
嬉しきことかな。あとは命の危機さえなければ諸手を上げて喜べることではあるのだが、残念ながら一番身近な問題が命の危機だ。
自分の状況に嫌気がさしつつ、他人の危機は放っておけない善人まがいのサトシ。
いや、ポケモン大好きクラブの会長曰く『正義に狂っている』状態らしいが、サトシにとってはまだその実感らしきものは感じられない。
トラウマに近い経験ではあるが、サトシはこの旅において非常に重要な技を身に着けている。
そう、『考えたく無い事は棚に上げる』という必殺技だ。
現実逃避とも言うし、後回しとも言う。ともかく、サトシはサトシ自身の思考法によって、問題を先送りにすることでかろうじて正常なメンタルを保っているのだ。
まさに綱渡り。もはやサトシの脳みそキャパシティは限界を超えており、考えすぎて煙が上がるほどなので、必要な情報がそろうまでは全部まとめて後回しだ。
『旅を続ける』ことが、今のサトシにとって最も大事なことだ。
そして、ふじおじいちゃんを何かから救出するのが今考えるべきことだと、サトシは結論づけた。
「よし、いこう。」
「ピピカチャー」
意を決して、不気味なオーラを出す慰霊の塔の入口に足を踏み出した。
―――――――――――――――――――
ポケモンタワーの中は、外から見たイメージとほぼ変わらない様相だった。
つまりは、重苦しい。
シオンタウンの町を歩いている人達も大概であったが、ここはさらに暗い。
落ち込んでいることがここへの入場チケット代わりだ、といわんばかりに皆視線を落とし、足元をみつつフラフラとしている。
もちろん全員が全員そういうわけではない。
きちんとお墓参りに来ている人も当然いるにはいるのだが、単純なお墓参りという雰囲気ではなく、やはりなにか重苦しい空気というのを醸し出している。
サトシ自身もこの建造物の中に足を踏み入れた時から何か重苦しいものを感じる。
人に充てられたか、空気に充てられたか、それはわからないが、何かしら人為的なものとは程遠い影響がこの塔の内部に及んでいることは間違いなさそうだ。
「うう、絶対何かいるって・・・なんか階段の上薄暗いし・・・奇声みたいなのも聞こえるし・・・どうなってんの」
部屋の隅に二人が並んでギリギリ通れるくらいの階段があり、あの周辺だけ景色が歪んで見えそうなくらい何かを感じる。
あれ?自分って結構霊感強い?とかそういうことを平然と思えるくらいにはこの空間は異常に過ぎる。
ゴクリ、と唾を飲み込み、階段を一歩一歩登る。
だんだんと緊張感があふれる、予定であったがピカチュウが後ろから肩を強く押し込んだため半ば駆け上がる感じで二階へ到達した。
急激に心拍数が増加したことをピカチュウに叱責するがどこ吹く風。
いつも通り何を言っても無駄だなとため息交じりに納得したところで周囲を見回す。
「―――お墓だ。」
大量の墓石。
迷路のように、とは言い過ぎだが、狭い室内に所狭しと均一な墓石が並んでいる。
大きさは六十センチ程度であろうか。直方体の石の切り抜きをそのまま墓石にしたような墓がサトシの視界を埋め尽くした。
サトシは目を閉じる。わかってはいる。わかってはいた。ここはそういう場所だ。
墓地というのは否応なしに死を連想させる。覚悟をしていなかったわけではないが、それでもサトシの脳内には失った掛け替えのない二つの命が強く浮かび上がる。
(トランセル、スピアー・・・僕は)
この旅で失ってしまた二つの命。サトシの目の前で散っていった命はさらに多い。
旅に出る前から考えると、命に対する考え方は、元々どんな考えであったかを忘れるほどには変わっていた。
どれだけ掛け替えのないものかということと、どうしようも無くあっけなく消えてしまうものだということ。
墓石で埋め尽くされた部屋を見回すと、何人かお参りに来ている人がいた。
墓石の前でうずくまっている人もいれば、供え物をしている人もいる。
ポケモンハウスの子供たちの言葉から、なにかしら騒動が起きているのでは、と危惧していたが、墓地としては平穏そのものだ。
目に見えるものに関してでいえば、だが。
「・・・立ち止まっていてもしょうがないし、進もう。」
意を決して進もうと足を持ち上げるが―――
「よー、サトシじゃん。なにしてんの?」
横からかけられた随分久しぶりな声に、持ち上げた足をそのまま元の場所に戻し、声の主の顔を見る。
実際にはそこまで長い間会っていなかったわけではない。向こうもそのつもりで気軽に話しかけてきたのだろう。そういうことがすぐに察知できるほどに気軽に、容易に話しかけてきた。
数多くの悲惨な経験を有り得ない密度で体験してきたサトシにとっては、それはひどく懐かしく感じ、同時にある種の感情が沸き上がった。
「・・・シゲル。」
オーキド博士の孫。目が覚めるようなオレンジ色の髪をツンツンに尖らせ、シンプルな黒いシャツを羽織った
すでに気にしなくなって久しいが、サトシと同時期に旅に出た人間はあと三人いたということをたった今思い出した。
その中の一人が目の前の人物、サトシの幼馴染であるシゲルだ。
「ポケモンタワーに用事?残念だけど上は通れねえぜ。無駄足だったな。」
「・・・そう、なんだ。」
「なんだよー元気ねえな?それより、バトルしようぜ。俺の育てたポケモン、すっげー強くなったぜ。」
幼馴染からの提言。
墓地という陰鬱な場所においても、そんなものは関係ないとばかりに明るく振る舞うシゲル。
そして気軽にポケモンバトルをしようと至極真っ当なポケモントレーナー生活を送っているようだ。
真っ当で、真っ直ぐで、汚れなく。
特に意図があるわけでもなく、純粋に力試しをしようと、幼馴染は提案してきている。
その曇りなき眼が、サトシにとってまぶしくて仕方が無かった。
「ごめん、シゲル。今はそんな気分じゃないんだ。また、今度。」
「なんだよーケチ。―――まあいいや。もっと鍛えて圧倒的な力でねじ伏せてやるぜ!じゃーまたな。」
そのままサトシの横を通り過ぎ、スタスタと振り返りもせずに階段を降りて行った。
その背中を、なんとなく目で追いかける。
複雑な感情がサトシの中で渦巻くが、そんなことを知る由も無い純粋なポケモントレーナーが見えなくなってもしばらくその方向を見つめていた。
「ピカピ?」
「うん、大丈夫。行こうか。」
ほんの短い間、過ごす環境が違うだけでここまで人間に影響を与えるものなのかと身をもって感じる。
普段から裏の世界とは何の関係も無い人々と接する機会はある程度あるものの、幼少の頃を共に過ごし、似たような価値観を持っていたハズの幼馴染がこうまで感覚が変わっていると、驚きを通り越してなにか悲しい、大事なものを置いてきてしまったのではないかと心配にすらなる。
当然、その発想は大きく異なる。サトシは得てきたのだ。この旅において、大人ですら到底得ることが適わない程の経験を、その小さな身体で受け止めてきた。
少年の身には収まるハズの無いそれらは、今もサトシを蝕み続けている。
小さいころは口汚く仲良く罵り合っていた友人を前にして、何か達観したかのような感覚に襲われた。
なんて純粋で、キレイで、儚く、幼いのだろうと。
ただ単にポケモンバトルをしたい。自分の育てたポケモンで頂点を目指したい。そんな言葉が言わずとも聞こえてくるようで、サトシにとっては、自分とは全く違う生き物なのだと錯覚してしまう程だった。
紛れも無く幼馴染で、友人で、同年齢。そしてライバルであった。
十四歳の旅立ちの日、サトシは本当に『日常』という掛け替えのないものから遠ざかる道を選んだのだなと再度認識する。
知識や経験を得ることで幸せになるとは限らない。
世界の理を知れば知るほどに、絶望が襲うのだという、ある種の真理すらも感じ始めていた。
それでもサトシは選んだ。
その選択を後悔しているだろうか。あの時戻っていれば、と悔やむだろうか。
――――どちらにしても、サトシは進むしかないのだ。後続は絶たれ、今は前に続く細い道をゆっくりと進むのみ。
「なんか、さらに危険な空気が漂ってる気がする・・・」
二階から三階へと昇る階段を前に一度立ち止まるが、命の危機、というわけではない。
頭にゴーグルのようにシルフスコープを装着し、意を決して三階へと足を進めた。