地上に出ると、外はまだ明るく、サトシの落ちに落ちた気分など関係ないとばかりに太陽がきらめいている。
夕方までにはまだ時間があり、絶好のお散歩日和といったところだが、当然そんなことをする気分ではなく、今日は早々にポケモンセンターで休もうと足をずるずると重苦しく運ぶ。
しかし、誰がどう見ても無気力なサトシをくいくいと引っ張るやつがいる。
「・・・ピカチュウ、今日はちょっと」
「ピッカピ」
昼食をとっていない上にこのまま夕食まですっぽかされることを懸念したのだろうか。
こういう時は空気を読んだりサトシの心情を汲み取ったりしてほしいものだが、そんなものより自分の食事が大事らしい。
気分で腹は膨れないのだ。
さすがに二メートル超えの筋肉の塊を引きずってポケモンセンターまで歩くことは不可能なので、仕方なく近くのレストランに入ることにした。
タマムシデパートで調達した方が安く済むが、今日に関してはてっとり早く済ませて早く休みたいという気分が勝った。
早く済ませたいという心持ちに変わった所為か、多少歩調が回復したようにも思えるサトシは、裾を掴んだままのピカチュウを誘導して視界に入っていた大き目のレストランへと身体を滑り込ませた。
「いらっしゃい。空いてる席にどうぞ。」
「・・・どうも。」
返事すら元気が無い。
遠目でみたら老人ではあるまいかと思えるほどゆっくりとテーブル席に移動し、ピカチュウと対面で座る。
ピカチュウにメニューを渡し、指さすものをいくつか注文し、そのままテーブルに突っ伏す。
「―――一体僕は、何をやってるんだろ。」
どっと疲れが湧いてくる。
身体の疲れではなく、精神の疲れ。
ものの一、二時間といったところではあるが、極度の緊張感は丸一日動き続けたのではないか、と思えるほどの疲労感と倦怠感を生み出していた。
さらに、サトシの頭はこれでもかという程に様々なことを考えなければならない状況にある。
目の前のバトルのことだけ考えていた今までとは違う。
とにかく前に進んでいれば解決するだろう、という安易な考えは命を危機に晒すということを身をもって体験した。
ロケット団の事は絶対に許せないと躍起になっていたのが嘘のように、今は思考が冷めている。
なにしろ、先ほどまでサトシはその憎きロケット団のボスに保護され、丁重に送っていただいたのだ。
一体何しにいったのだろうか。恨みはどこへ。自分の身の可愛さからだろうか。
そもそもサトシとロケット団の間に接点はほとんど無い。
トランセルが殺された、という事実の除いた場合、サトシ自身に被害は何もないのだ。
もちろんその一件が非常に大きなウェイトを占めているというのはあるが、果たしてその一件だけを理由にサトシがロケット団の壊滅を行う必要性があるだろうか。
サトシ自身の命を晒し、数千とも数万ともいわれている組織を壊滅に追い込む。
ロケット団のボスは実はトキワシティジムリーダーだという情報も掴んでいる。――――当然その情報を誰かに伝えることはサトシの死を意味することになるだろうが。
もっとも言ったところで信じてなど貰えないとも思える。突拍子もない話だし、サトシ自身も実際に見るまで信じられなかった。
サカキさんは言っていた。
自分自身にできることを考えろと。
身の程を知れ、と。
ジムリーダーを四人倒した。それは確かに実力がある証明にはなるかもしれない。だがそれだけだ。
そんな人間は今までも多くは無いにしろいただろう。
サトシもその中の一人というだけの話。
まだ裏の世界は何も変わっていない。何も変えられていない。
いなくなったジムリーダーはまた別の人間が入るだろうし、入れ替わった理由を問う人がいたところでサトシの名前が出ることはまずないだろう。
何も変わっていない。何も変わらない。
所詮はたった一人の少年が海の上でばしゃばしゃと足掻いているだけ。
波立った海面はあっという間に別の波にかき消され、サトシ自身も飲み込むだろう。
無力。
ピカチュウという非日常的な力を手に入れたことにより、サトシ自身は勘違いしていたのかもしれない。
自分には力がある、と。どんな大きな事でも変えることができる力があるのだ、と。
そう、考えればわかることだったのだ。
サトシ自身はごく普通の十四歳の少年なのだ。
ジムリーダーを打倒してきたとしても、その事実は何も変わらない。
もちろん、この先ジムリーダーを、サカキさんを含めて倒し、ポケモンリーグを制覇すれば裏のルールを変えることができるだろう。
サトシには、それが漠然と自分ならできるという根拠のない自信があったのかもしれない。
英雄願望に憑りつかれていたのかもしれない。
それがどれだけ困難なことで、奇跡に近い確率で、誰もが一笑に付す壮大な目的であることなど、少し考えればわかることなのに。
『自分という人間を知るべきだ。』
サカキの言葉が脳内に木霊する。
そういえば、クチバシティのポケモン大好きクラブの会長にも同じようなことを言われていた。
自分という存在を知る事だと。
サトシという人間が、何に狂っているのかだんだんと明確になっていくことだろうと。
「―――――わからないよ・・・わからない・・・・」
口をついてでた言葉は、弱音。
サトシは十四歳の少年。本来であればマサラタウンで同年代の友達と遊んでいるだろう。
今となっては大人でもしないような経験を数多くしている。
しかし、いくら経験をしようともまだ感性豊かな十代の子供。理不尽な出来事を割り切って乗り越えるなどという器用な真似を覚えていない。
さらに言えば、いくら悩み事を抱えようとも相談できる相手はいない。多感な時期にこそ相談相手や心の味方は必要であるにも関わらず、サトシはここまで自分と、自分のポケモン達で必死に進んできた。
ポケモン達は確かに自分を信頼してくれているだろう。
だが、言葉の通じない彼らはサトシの相談相手にはなり得ない。気持ちは通じていても、言葉は通じない。
人間の相手は、人間にしか務まらないのだ。
いままでだましだましやってきたサトシの精神は、ここにきて限界になりつつある。
十四歳という若年層にはあまりにも負担をかけすぎている。
ただでさえ命の遣り取りとなるポケモンバトルだけでなく、サトシの精神を削り取っていく人間との関わり。
オーバーヒートした頭脳は休息を求め、サトシ自身の防衛機能によって睡眠へと誘っていく。
突っ伏した頭の先ではカチャカチャとピカチュウが食事している音が聞こえているが、すべてがどうでもいいと思えるほどに衰弱したサトシは抵抗することなく意識をストンと落とした。
―――――――――――――――――――
「――――――――・・・・んあ」
頭にモヤがかかったような感覚から徐々に思考を取り戻す。
重い瞼は放っておくと閉じそうなまでに疲れているが、それは硬いテーブルに突っ伏していたことによる身体的疲労によるものだ。
「――――眠っちゃったのか・・・えっと」
目を擦って無理やり現実世界へと意識を戻す。
押し付けて赤くなった額を抑えつつ顔を上げると、随分と暗い。
両肩に重みがあると思ったが、いつの間にか毛布が掛けられていた。
周囲を見回すとようやく状況が把握できてくる。
ここはあの後入ったレストランで、もうお客さんがいないことを考えるとすでに閉店してしまったようだ。
先ほどからカチャカチャジャージャーと響く音はキッチンから聞こえてくる。
閉店間もなく、食器を洗っているのだろうということが想像できた。
ところで、眠りこけている主人の頭の上でバクバクと食事していたでっかいのはどこへいったのだろう。
毛布を背もたれに掛け、フラフラとキッチンへと歩いていく。
よく考えてみたら朝食の後何も食べていない。
睡眠をとったにも関わらず体力回復しきれていないのもその所為だろう。
空腹を知らせるお腹を押さえて光が漏れるキッチンをのぞき込むと、大きい影と中くらいの影。
言わずもがな、皿洗いしているコックと蛍光色を光らせているピカチュウだ。
「・・・あの」
サトシが声を掛けると、気づいたコックが水を止める。
「ああ、起きたんだね。よく寝ていたから起こすのも憚られてね。食器洗いをこのお兄さんにも手伝ってもらっていたよ。ははは。」
「お兄さん―――ああ、なるほど。」
ピカチュウの事か。相変わらず一般の人には図体がでかい変装した滑稽な人間だと思われるようだ。不思議なことに。
「それによく食べていたからね。お代ももらわないとね。ははは。」
「あ、すみません・・・すぐに」
リュックから財布を出し、お金を支払う。金額は気にしないようにした。
「何も食べずに寝てしまっていたからね、なにか食べるかい?ああお代はいらないよ。賄いだからね。」
「あ、そんな―――」
申し訳ないです、と言おうとしたがお腹のアラート音は理性と反して鳴り響いてしまった。
「・・・ご迷惑でなければ」
白いエプロンを締め直したコックはニコリと笑って
「ははは、子供をお腹すかせたままにするほど落ちぶれてはいないよ。ちょっとまっててね。」
そういうとコックはピカピカに片付いているキッチンに再度向かい、冷蔵庫を軽く物色し始めた。
コックが離れていくのに対して、サトシに近づいてくる大きな姿。
「ピカチュウ・・・」
「ピッカピ」
今日の朝と全く変わらない相方の姿。
サトシの気分がいくら落ちようとも、ピカチュウはいつもマイペースだ。
―――マイペースのように振る舞っているのかもしれないが、さすがにそうまで気遣われていると思うとやるせないので、本気でマイペースなのだと思うことにした。
そして、今はそのあっけらかんとしているピカチュウに少しだけ救われている気がした。
なんだかんだでこの黄色いのはサトシの精神安定剤として機能しているのだなと改めて感じる。
「なんか、助けられてばっかりだね。僕は。」
「ピカピー?」
わかっているのか、わかっていないのか。
少なくとも今のサトシにとってそんな細かいことはどうでもよく、一方的な独白を受け止めてくれる存在がいるだけでもありがたいと感じた。
そうしていると、キッチンから美味しい匂いが漂ってきたので、とにかく今はお腹を満たして、それから考えようという気持ちになるサトシだった。