「うふふ、ではまいりますわ。いきなさい、モンジャラ!」
エリカの手からモンスターボールが放たれる。
その動作も流麗な演武のごとく、美しく見惚れるものだったが、それを楽しんでいる状況でないことは百も承知だ。
モンジャラはツル状ポケモン。その名前通り、見た目はうねうねと大量のツルで覆われており、キラリと光る二つの目と、ちょこんと申し訳程度に外にでている足以外は全くの謎。噂では溺れた少年の幽霊、なんて根も葉もないものすら存在する。
ようは、謎だらけのポケモンというわけだ。
まあよく分かっていないポケモンはモンジャラだけではなく、結構な数が存在するため、そこまで問題ではない。問題なのは理解不能な部分ではなく、生理的嫌悪感を生み出すその見た目だ。
そんな意味不明なポケモンをトレーナーが繰り出す。
しかも裏の住人により育てられたポケモン。一体どのような変化をしているのか、想像しえない。
当然、逃げるなんていう選択肢はない。迎え撃つだけである。
「一体どんなポケモンが・・・」
サトシの心配をよそに、草木に囲まれた広大なフィールドの中央で赤い光が輝き、戦う相手を形作る。
いままで幾度となく見たこの光景。そして毎回のように感じる緊張感。
ジムリーダーエリカの繰り出した一匹目のポケモンの姿が明確になり、サトシの視界に飛び込む。
「・・・・え、ちっちゃ」
視界に飛び込んできたジムリーダー最初の一匹は、おおよそ五十センチに満たないほどの身長しかなかった。
ボールから出てくる時の、あの壮大なエフェクトはなんだったのだろうか。
大きく広がった赤い光が凝縮して出来上がった姿は拍子抜けしてしまうほど小さいシルエットに過ぎなかった。
本来、モンジャラは大きいと分類されるポケモンではない。
その存在自体がレアで個体数が少ないため、統計情報としてはあまり信用のおけるものではないらしいが、それでも大体の個体は一メートル程度の身長として認知されている。
そこから大きく外れた個体は今のところ確認されていない。
つまり、目の前にいる小さな、本来のモンジャラの半分程度しかない大きさのモンジャラは、まぎれも無くドーピングによって得られた効果によるものだろう。
しかし、いや、それでも――――
「ドーピングで、小さくなるなんてことがあるのか・・・?」
ドーピングは基本的に能力を強化するものだ。
強化によってその姿を変えることがあるとするならば、それは肥大化するという選択肢しかないように思える。
変化を少なくする、という方法はカスミがやっていたようにあるにはあるようだが。
「驚いてらっしゃるようですわね。うふふ。かわいいでしょう。でも、無駄な詮索は不要ですわ。すでに戦いの火蓋は切って落とされたのですもの。お互いに戦場を目の前にしている以上、あとは戦って決着をつけるのみだとは思いませんか?サトシさん。うふふ。」
挑発、とも思える発言ではあるが、ことエリカに限ってその可能性はとても低い。ここまで戦う条件としてはフェアを貫いてきた人間だ。これは挑発ではなく、鼓舞。今すべきことを導く発言であり、サトシもそれを行動で返答する。
「よし!いけ、ピカチュウ!」
「ピッピカチュー!」
サトシは傍らに立っていたピカチュウを戦場へ送り出す。
何度も見てきたその背中。今となっては頼りになる姿だ。こと戦いに限っては、の話ではあるが。普段はむしろボールに入っていて欲しい。切実に。
いろいろな思いも考えるべきこともあれど、エリカの言う通り今はバトルに集中すべき。サトシも気持ちを入れ替え、ピカチュウと共にバトルに挑む。
タマムシジムリーダー戦、開始だ!!
「こちらからいきますわ。モンジャラ、『せいちょう』」
「ジャラー」
「せいちょう・・?たしか、特殊を上げる技だったけど―――」
そんな技が裏のバトルで何の役に立つのか、というサトシの言葉は放たれることなく、サトシの口からは息が詰まった呼吸音がでたのみだった。
――――『せいちょう』を使ったモンジャラは、その体積を倍に増やした。
より正確に言うならば、モンジャラにまとわりついているツル状のものの量と長さが爆発的に増え、その見た目をより醜悪なものへ変貌させた。
「――――趣味悪いよ・・・!!ピカチュウ!十万ボルト!!!」
「ピカー!」
ピカチュウの頬袋から一筋の放電がされ、それをなぞるように巨大な電撃が放たれる。
光の猛獣とでも表現したくなるような暴力的で怪物的な光の束は目の前の敵を黒焦げにするべく容赦なく襲い掛かる。
その圧倒的な力の奔流に対抗すべく、エリカはモンジャラに命令を下す。
「モンジャラ、『せいちょう』」
サトシは途端に背筋に寒気が走った。
これはいけない、早く決着をつけなければ、取り返しのつかないことになると、そう本能が感じた。
それほどまでにエリカの命令は異常であったし、それによるモンジャラの変化も異常すぎるほどなものだった。
「ジャラー」
ピカチュウの電撃が襲い掛かるその瞬間、モンジャラは再度爆発的な成長を遂げる。
そして、圧倒的な威力を誇るピカチュウの十万ボルトは、モンジャラのツルを大量に焦がし、削り取った。
――――そう、焦がして、削り取っただけだった。
「せいちょうを防御に使うなんて・・・そんなのあり!?」
「うふふ、裏ポケモン同士のバトルは単なる力と力のぶつかりあいではないのですわ。工夫次第でいろいろな事ができますの。うふふ、楽しいでしょう。」
「やっぱり趣味悪い・・・・」
モンジャラを守ったのは、モンジャラ自身。
攻撃に使われるはずのツルを大量に纏うことによって、モンジャラ自身を守り抜く。
当然ツルはズタボロになるが、『せいちょう』によって何度でも復活できる。
敵の攻撃を凌ぐのは単純に防御力だけではない。たった一つの小石であれば蹴り飛ばせば無くなってしまうが、百万の小石が積まれていたとしたら一つ二つ蹴って弾いたところで影響は無いに等しい。
目の前のポケモンを倒すには百万の小石を短時間で弾き切らなければならないのだ。
「―――――ピカチュウ!!!」
「ピカピ?」
サトシが命令を下す。
今までピカチュウと共に戦い、ピカチュウと共に勝利を掴んできた。
そのサトシがこの苦難な状況を打破するための作戦。
その内容は――――
「任せた!!!がんばれ!!!!!」
「ピッカピー」
単なる丸投げであった。
「うふ、あははははは!!サトシさん、冗談ではなくて?試合を放棄するにはまだ早すぎますわ!」
エリカの発言も頷ける。ポケモンはトレーナーが指示をしてこそ高度な戦略をもったバトルに展開するのだ。
それをポケモンに任せるなど愚の骨頂。
単なるパワーファイトならいざ知らず、互いの戦略が結果を大幅に左右するハイレベルな戦いにおいて、ポケモンに行動を任せるなど自殺行為も甚だしい。
一般的なポケモンバトルにおいて、その考えは大いに正しい。むしろそこに例外など存在してはならない。本来のポケモンバトルにおいてならば。
しかし、今行われているのは裏のバトル。
ここに自然の摂理は通用しない。ましてや、ここにいるのはただのドーピングポケモンではない。
人間の思考、行動をその身に宿した謎多きドーピングポケモンのピカチュウなのだ。
そのピカチュウの行動を最大限最適化する方法ならば、サトシは十分に知っていた。
サトシは命令をしたのだ。『自由に戦え』と。
「うふふ、一体なにを・・・・?」
ふとエリカが戦場に目を戻すと、すでにピカチュウの姿が無い。
そして過去の戦闘経験からこれを危機だと察しすぐに行動を起こしたエリカはさすがと言える。
「モンジャラ!『からみつく』!」
モンジャラの周囲を蠢いているツル状の物体が、突如指向性を持ったように動く。
一瞬ピタリと止まったツルは、今までの柔軟な動きを止めて一直線に外側へ高速で伸びていく。
そして、周囲五メートル近くの全方位を、モンジャラのツルが超高速で貫いた。
しかし、エリカの一瞬の油断は、勝敗を決するのに十分な時間でもあった。
サトシから見てその光景は、モンジャラを中心にして直径十メートルを超えるドーム状の物体が突然現れたように見えた。
勿論それは錯覚ではあるのだが、そのドームに捕らわれて生きている生物など存在しないのは明白。
だが、その死のドームは数秒と待たずに柔らかいツルに戻り、力なく地面に落ちた。
そのドームがあった中心には、ツルが非常に少なくなったモンジャラと、そのツルの数少ない隙間、顔面に位置する場所をピンポイントで拳で打ち抜いているピカチュウがいた。
『こうそくいどう』。ピカチュウの十八番であり、物理攻撃力の高いこのピカチュウにおいて、非常に相性のいい技だ。
瞬時に近づいたピカチュウによって、無防備な顔部分を叩いた、というわけである。
「モンジャラ!・・・死んでは無いようですわね、戻りなさいモンジャラ。」
仰向けに倒れたモンジャラが僅かに呼吸で上下している様子を確認し、エリカはすぐさまモンスターボールで戻した。
「・・・なかなか、やりますわねサトシさん。」
「え?・・・は、え、は、あ、ああ!もちろん!ピカチュウはすごいんだ!」
いまいち状況を把握するのに時間がかかっていたため、急に話を振られて動揺してしまったが、ピカチュウが勝った、ということなのだろう。
「ピカピ」
激闘の一戦目を制したピカチュウがサトシの元へ戻ってくる。
「よくやったぞピカチュウ!その調子で・・・・って、怪我してるじゃないか!きずぐすりを!!」
ピカチュウの身体には結構な数の刺し傷、打撲痕があった。
おそらくモンジャラの最後の攻撃を至近距離で食らってしまったのだろう。
―――逆に言えば、至近距離で助かったということかもしれない。
まだ加速しきる前に攻撃を受けたためにこの程度で済んだのだ。もう少し離れていたら完全に串刺しだったかもしれない。
殺すことは避けたいと言っていた割には、随分とえげつない技を使うものだ。
「・・・あの、エリカさん。」
「はい、なんでしょうサトシさん。」
「さっきの『からみつく』、からみつくどころか刺しまくってるんですが。」
「うふふ、大丈夫ですわ。さっきの技は、刺した後、身動き取れなくなってから身体が見えなくなるくらいからみついて、息の根を止める技ですもの。きちんとからみつきますわ。」
「怖いよ!!!えげつないよ!!!」
「うふふ、あなたのピカチュウ、随分とお強いですわ。わたくしも油断しておりました。お詫びに、二番手はそううまくいかないと思ってくださいね。うふふ。」
エリカが二つめのモンスターボールを手に持つ。
相変わらずニコニコと変わらない笑顔を見せているエリカだが、先ほどまでの笑顔と明らかに異なる。
見た目だけでは説明のできない、決定的に違う空気を纏っている。
ここからが正念場、ということか。
ゴクリ、と喉を鳴らすサトシ。サトシは最初から油断などしていないが、それでも目の前の余裕綽々だった人物の変化を見過ごせるほど緩くは無い。
再度戦いに対する感情を高ぶらせ、身構える。
「まだまだ楽しませてくれるのでしょう?いきなさい、フシギバナ。」
戦いの前にエリカが申告した通り、フシギバナがが二番手。
ドーピングされたフシギバナを見るのは二回目だ。
カスミの所で裏のトレーナーが使っていたが、たしか黒い花を携えて一層巨躯となっていた。
ドーピングの仕方によってその姿かたちを大きく変動させるが、はたしてエリカの育てたフシギバナはどのような変貌を遂げているのだろうか。
本日二度目の赤い光が展開される。
最初に大きく光り輝いたモンジャラとは違い、今度は小さく赤い光が漏れる。
そして、赤い光が最も有名な草ポケモンの姿を形作り、その大きな花を見せびらかす様に自慢げにその場に現れた。
その姿はどのようなものであったか―――――
「うっそでしょ・・・・」
サトシの目の前には、フィールドの半分近くを埋め尽くす、体長十メートルに及ぶのではと思われる程の巨躯となったポケモンが姿を現した。