衣玖さんが行くだけ。   作:君下俊樹

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罪「青春のバカヤロー!」

加筆修正


響子と泉と草笛

 永江衣玖は、久方振りに地を歩いていた。自分の足で道を歩くのはいつ振りだろうか。

 ふわふわと漂うように空を泳ぐのが常になっていたので、歩き方を忘れてやしないかと思ったが、どうやらそんな事はなかったようだ。

 

 何処からだろうか、小さいが軽快な笛の音が聞こえた。綺麗な音色だ。聞いた事のない旋律だが、音楽を趣味に持たない衣玖でも心を動かされたような気分になる。いい歌だ。ふと、音の出所が気になり、惹かれるように進行方向を変えた。衣玖が踏み入れたのは茂みの中だ。

 

 砂利道を進み、茂みの奥に見つけた清流を少し遡っていると、笛の音は少しずつ大きくなっていった。

 水が近く、涼しさを感じるここならばこの音色を聴きながら眠るのも良いかもしれない。そんな事を思いながらも、歩みは止めなかった。

 

 

 

 衣玖が見たものは、幻想的な泉だ。湖というには狭すぎる。ただ他より少し広くて深いだけの小さな泉。

 その泉の淵に腰掛けるようにして、一人の少女が居た。彼女は口に一枚の葉を当てていて、衣玖にも草笛だろうという事が分かった。

 周りの新緑によく似た緑青のウェーブのかかったショートボブ。そこから垂れた二つの犬耳。

 服装は夏だと言うのに長袖で、小豆色した短めのワンピース。冷たい水に足をつけた少女の隣に黒い靴とソックスが置いてあった。

 

 ふ、とその少女が草から口を離して顔を上げたと思えば、バッチリ衣玖と目が合った。瞳も、綺麗な新緑の色をしている。草笛の演奏が止まってしまった衣玖は残念に思いながらも場違いにそう思った。

 少女は一瞬驚いたようだが、すぐに口から草笛を離して笑顔になった。

 

「おはよーございまーす!」

 

 キンキンと響くような大きな声だ。予想だにしない大声に衣玖には耳をふさぐ暇も無く、その声が鼓膜をひどく揺らした。返事も出来ずに衣玖は痛む耳を押さえていた。

 そんな衣玖を見た彼女はしょんぼりと悲しそうに肩を落とし、それを見た衣玖もまた罪悪感のようなものに押されるようにして挨拶を返した。

 

「お、おはようございます……?」

 

 途端に少女は笑顔になる。そんな現金な様子は年相応の子供のようだ。小さな体躯の少女のパタパタと動く耳を見て衣玖はそう思った。

 

 

 

「響子さんは草笛がお上手なのですね」

「はうっ! ありがたき幸せです!」

 

 衣玖の賛辞に大袈裟に喜ぶこの少女は幽谷響子と言うらしい。本来は妖怪山彦で、山頂で叫ぶ声に返しているらしいが、どうやら最近は叫ぶ人も少なくなっており暇を持て余しているらしい。声が大きいのもそのためで、よく苦情も来るのだとか。

 

「そんなにかしこまらなくとも、響子さんの腕前は素晴らしいものですよ」

「いやあ、えへへ。あんまり褒められ慣れていないもので……」

 

 キュピン! 二人がそんな事を話していると突然、響子はそんな効果音が入りそうなほど目を大きく見開き、耳を天に向けて逆立てて、素早く立ち上がった。

 何かあったのか、と問おうとしたが、響子が素っ頓狂な方向を向いて息を吸った途端に衣玖は全てを察して、急いで手で両耳を塞いだ。

 

「青春もお前よりは馬鹿じゃないぞーーーーー!!!」

 

 耳を塞ぐ手を通り抜けて聞こえた声から推測するに、事もあろうに青春様を馬鹿にした奴が居たようだ。

 

「ごめんなさい、いきなり」

「いえ、お仕事ですものね」

 

 ぺこり、と頭を下げた響子に衣玖は小さく笑って返した。

 その後も、二人は会話を続けていたが、やはり彼女の言う通り、この日に山頂で叫ぶ人はあの一人だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぴす、ぴすー、と気の抜けた音がする。

 今ならば目を強く瞑り、唇を突き出して、必死に草笛を吹こうとする衣玖の姿も一緒に見られるだろう。

 

「もうちょっと力を抜いた方が……」

「わ、分かりました」

 

 それでも、衣玖の肩は角度が付けられるほど上がったままで、ぴすぅ、ぷへぇ、といった気の抜ける音しか出てこない。

 そんな衣玖を見かねたのか、響子は衣玖の首に手を回して背中にぶらさがった。

 

「!? きょ、響子さん!?」

「もっと、肩の力を抜きましょう! 私がずり落ちるくらい!」

 

 衣玖は小さく返事をして、肩を下ろす。自分でも知らぬ間に肩を張っていたらしく、大きく、肩が下がった気がした。ずるり、と本当に響子がずり落ちる感触もあった。

 そのまま、息を吹くと、かぼそいものの、先程までとは大きく違う。ピーと芯のある音が響いた。

 衣玖は喜びに目を細めて、横にある響子の顔と見つめあった。響子は笑顔になり、元気な声で衣玖に言った。

 

「うふふ、出来ましたね!」

「ええ、ありがとうございます」

 

 衣玖のお礼にまた響子ははにかみ、そこらの木の葉をむしり取って、水で湿らせて口に当てる。衣玖もそれに倣って口に木の葉を当てた。

 ピー、と清らかな二重の音色が、森の中に響いていた。小さな音だが、清流にもかき消されることなく、どこまでも響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人里のそば屋で二人の男が談笑していた。彼らが曰く、これは、ただの噂だが。雲の中の天女は、それはそれは美しい笛を吹くそうだ、と。




衣玖さん「ぴすぴす(必死)」←ルナティックかわいい。

響子ちゃんは変にスキンシップが多いイメージ。なんというか全体的に近い。

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