「……と、啖呵を切ったは良いものの」
平城宮、朝堂(政務を執り行う庁舎)にて。
高野姫天皇を上座に、院、橘諸兄、鈴鹿王、その他臨時に任命されし参議、吉備真備、さらには楊貴妃らが集まり、会議を行っていた。
姫天皇、あっけらかんとのたまわく、
「具体的にどうするかは全然考えておらぬ!
いざや者ども、思案せい!」
橘諸兄、苦笑して、
「姫ェ」
姫天皇、
「おっ、なにやら今日は暑いのう」
*
檜扇は扇子の原型で、奈良時代後期、会議に用いる木簡(薄い木片)を束ね、持ち運びやすくしたのが始まりとされている。現代に言うところのメモ帳である。
平安期以降、紙製の優美な扇が生まれ、祭器、舞踏の小道具、和歌を書きつける洒落た手紙、などとして、大いに普及した。
なお、現代ではもっぱら、うちわの替わりに使われる扇子であるが、これは、このときの姫天皇の照れ隠しが由来……なのかも、しれない。
*
鈴鹿王。
「まずは彼我の戦力を整理しておきましょう。
先の戦闘で京の
現在再編を急いでおりますが、元の規模に回復するには短く見積もっても一年はかかります。
その他、大和、河内をはじめ、畿内や近国の軍団を招集すれば一万程度の兵力は確保が可能です」
橘諸兄。
「大宰府の防人をこちらに回す手は?」
「得策とは言えないな。
我々の敵は、ガヅラだけではない」
ちら、と鈴鹿王に視線を送られ、楊貴妃はくすくすと笑いを零した。
「そうね。
再び鈴鹿王。
「それに対してガヅラだが、奴の皮膚は鉄矢をほぼ受け付けなかった。
一方、大仏が殴ったときには、一撃で卒倒している。
つまり相応の衝撃を加えれば、傷を負わせることはできる、ということだ」
そこへ、吉備真備、おずおずと挙手して申すよう、
「あの、あの、お経。般若シン経」
吉備真備は、経典を、ぞろり、と机に広げた。
長大なるその文面を、一同、顔を突き合わせて覗き見る。
「あの、これ、解脱させます、解脱。
がづら。
がづらだけ、だけに効けば、がづら」
楊貴妃、腕を組んで、乳房を盛り上げるようにして、鼻を鳴らし、
「無理よ。
そんな都合よく相手を絞れるなら、わたくしがとっくにやってる」
橘諸兄、首をひねって曰く、
「ん? この音韻、前にどっかで……
待てよ? おい、誰か! あいつを呼んでくれ!」
*
ややあって、朝堂に呼ばれてきたのは、
「はいはーい!
で、あった。
大伴家持。のちの中納言家持。
日本を代表する歌人のひとりであり、彼の手になる和歌は現存するだけでも470首余。
三十六歌仙にも数えられ、日本最古の歌集「万葉集」の編纂者であるとも言われている。
まさに、和歌の歴史に燦然と輝く巨人、である。
橘諸兄、気さくに手など振り、
「よお家持。悪いな急に」
「ンンー!
いいのよ、愛するモロちゃんの頼みだもん。
家持なんでも許しちゃう!」
姫天皇、呵々大笑。
「
鈴鹿王。
「お恥ずかしい……」
大伴家持、般若シン経を一瞥して、あら、と声を上げ、
「ねェ、これ、どこから持ってきたの?」
「ふうん……
じゃ、これが元ネタだったのかもね」
姫天皇。
「なんのじゃ?」
「家持は、先の帝に写本を一回みせてもらっただけだケド。
忘れられないわァ。
あの美しい音韻。
深みある詩情。
まさしく
原本は、院のかたがお持ちのはず。
その書の名は、“
著者の名は――天武天皇よ」
*
院(元正上皇)から見て祖父、姫天皇からは高祖父にあたる。
“大化の改新”で大鉈を振るった
天武天皇は学問に極めて優れ、とりわけ
すなわち大陸渡来の道教、占術に深く通じていたのであった。
未来を見通す能力さえあったとされ、事実、壬申の乱においては御自ら卦を立て趨勢を占い、さらには天神地祇に祈って雷雨を止め、自軍を勝利に導いている。
彼は、今で言うところの超能力者であったのか?
あるいは、偶然の成果を史書がまことしやかに語っているだけなのか?
今となっては定かではない、が――
*
院が御自ら内裏より持ち出したる書物、金烏玉兎集。
金烏とは太陽の霊鳥。
玉兎とは太陰(月)の神獣。
すなわち金烏玉兎とは、陰陽の神髄、の意であろう。
その巻物を見た一同は、一様に息を呑んだ。
あの楊貴妃さえもが、である。
天武天皇直筆の詩集は、驚くべきことに、楊貴妃のもたらした般若シン経に、うりふたつであったのだ。
楊貴妃、驚きに唇を震わせ、
「まさか……こんなことが」
と、その脇から、吉備真備が、巻物へ跳びついた。
舐めるようにしてその文面を読み漁る。
「違う所あり、改良。
空。色。あと……呪。違う、これ」
大伴家持。
「ウン。とってもキレイでしょ。
言霊の流れが無差別じゃないの、指向性を持たされてるのよ」
「アハ!
使えます、コレ!
がづらだけ、がづら!」
楊貴妃、口を挟んで、
「でもどうやって奴にコレを叩き込むの?
大人しくお説教を聞いちゃくれないでしょ」
吉備真備、やおら、飛び上がり、
「大仏―――――っ!!」
大伴家持。
「いいわねェ!」
楊貴妃。
「その手があったか!」
鈴鹿王、皆の顔をきょろきょろと見回して、頷いて曰く、
「なんだか分からんが、行けるようだな。
姫天皇陛下。
現時刻を以て大盧舎那仏再建計画を始動いたしたく思います。
一切の政務は私が。
諸国との連携、人選は橘諸兄が担当します。
どうか、ご裁可を!」
姫天皇、檜扇を堂々振りかざし、
「任す! よきにはからえ!!」
*
かくして、大仏建立計画は、再び動き出した。
大仏弐号の建立地点は、平城京二条大路東端、東大寺と決定。
吉備真備を中心に、玄昉僧正、良弁、行基、さらには菩提僊那、仏哲、鑑真ら名だたる高僧が、猛烈な勢いで大仏を構築していった。
さらに、鈴鹿王、橘諸兄ら議政官は、不慣れな姫天皇をよく補佐して国を動かし、また要所要所には院のかたの手助けもあって、ガヅラ討伐の準備を推し進めた。
最終的に、数ある戦術案の中から平城京の北を流れる泉川(現在の京都府南部、木津川)を絶対防衛ラインとする“ガ號作戦”を採用。
万全とは言えぬまでも、できうる限りの力を尽くして、ガヅラの襲来に備えたのである。
*
そして。
運命の日。
甲賀京、紫香楽宮跡地にて。
夕日の、西山に没する頃――
永い永い眠りの果てに。
つづく。