“七番目の六国史”として知られる史書、「真日本紀」(西暦800年頃成立)には、その後について、こう記されている。
天平17年/西暦745年4月11日。甲賀京の東山に火災が延焼、連日鎮火せず。このため、都の男女は競って逃げた。天皇もまた乗物に乗り、大丘野(大岡山とも。現在の滋賀県甲賀市水口町)に避難した。
同、4月13日。夜に僅かに雨が降り、五日五晩に及ぶ大火災はようやく鎮火した。
同、5月2日。生き残った官吏たちが、
同、5月4日。多くの僧に祈祷させた結果、
同、5月5日。遷都開始。
同、5月11日。甲賀京、完全に無人化。この後、甲賀一帯には空き巣狙いの盗賊がはびこり、急速に治安が悪化する――
その間、ガヅラは沈黙を保ち続けていた。
あの夜の恐るべき猛威が嘘のように鎮まり、冷たい岩の塊の如くなって、ただ静かに甲賀京の中心に立ち続けていた。
何故かは分からない。
死んでしまったのか? いや。ただ力を使い果たし、眠っているだけなのか。
人々は、いつまた動き出すともしれぬ荒神を前に、畏れ平伏す以外の術を持たなかった。
少なくとも、今は。
*
天平17年、6月。
新たなる首都、
院(元正上皇)は、御座に膝を崩し、じっと目を伏せていた。
先の帝たる元正上皇は、聖武天皇から見れば伯母にあたる人物だ。
「続日本紀」によれば、優しく寛容なこころを生まれ持ち、冷静でしとやかな女性であった、とされている。
しかし実のところ、彼女は在位中に数々の画期的な改革を為し遂げた、まさに女傑と呼ぶべきひとであった。
譲位した後も、聖武天皇の後見人として長く辣腕を振るったという。
齢65を数えてなお、その眼は氷の冴えを喪わず、老いた身体はある種の毅然とした美を湛えているのであった。
院、橘諸兄の報告を受けて、のたまわく、
「……そうか。あの子が死んだか」
橘諸兄。
「ガヅラは、今こそ停止しておりますが、やがて再び京を襲うことは必定です。
早急に政府機能を立て直し、対策を練り直す必要がございましょう」
「生ぬるいぞ、葛城」
院の声に、肌が粟立つほどの凄味があった。
院。剣そのものの眼で橘諸兄を見据え、
「そなたが舵を取るのだよ。
よもや
*
平城京、二条大路沿い、旧長屋王邸にて。
この広い屋敷の一角には、鈴鹿王が間借りして住んでいた。
かつて聖武天皇が平城京から遷都した際、鈴鹿王もまた平城での住まいを引き払ってしまい、ここには住むところも残されていなかったのだ。
離れで黙々と書類仕事に明け暮れる鈴鹿王のもとへ、橘諸兄が顔を見せた。
橘諸兄、酒など喰らって、気分よく酔っ払って曰く、
「よう兄弟! 聞いたかい?
今や生き残った議政官は俺とお前のふたりきりだ。
おかげで俺ァ大納言! お前は知太政官事だとよ。(それぞれ現在でいうところの首相代理、与党幹事長)
とんだ出世コースもあったもんだな。ガヅラ様に感謝感謝だァ」
鈴鹿王、筆を投げ棄て、橘諸兄に掴みかかった。
「だからどうした! 地位がなんだ!?
私はどこに在ろうとも、私の為すべきを為すだけだ!
取り乱しているんじゃあないぞ、諸兄ッ!!」
しかし、いかに襟を捻り上げようとも、非力な鈴鹿王では、橘諸兄を吊し上げることはできなかった。
橘諸兄、静かに鈴鹿王を見つめ返して曰く、
「ひとのことが言えるかよ」
鈴鹿王は、少しの間そのまま固まっていたが、やがて手を放し、筆を拾って、仕事に戻った。
橘諸兄、柱にそっと背中を預け、
「ほんと。情けねえよな、俺たちは……」
*
平城宮、西宮のとなり、大きなる園池にて。
高野姫は、ひとり、池のほとりに腰を下ろし、かかとで水面を叩き遊んでいた。
魚が寄り集まって、足の裏に口づけして、くすぐった。
姫は一声、嬌声を上げたが、今ではそれを悦ぶ者もおらぬ、と気づいて、やめた。
そこへ院のかたが現れ、声をかけた。
「かような所に居ったのか」
高野姫、無言。
院。
「即位の儀式を進めねばならぬ。
内裏へお戻り」
「わらわが? 帝に?」
「他に誰やあろう?」
「大伯母さま。
わらわは父上の娘でした。
父上は、幼く無邪気な娘を好んだものです。
故にわらわは、父の望む高野であろうと。
ずっと、ずっとそのようにふるまって参りました」
院、真っ直ぐに高野姫を見てのたまわく、
「ええ。観ておりましたよ」
高野姫。
「父はお隠れ遊ばされました。
今や、わらわは、ひとり。
このうえ、この小娘に何をせよというのでしょう?」
一羽の
そのとき、遠くから慌てた足音が迫ってきて、転ぶかのようにひざまずいて申すよう、
「院のかたに申し上げます!
御使者が……唐国の御使者が拝謁を願い出ております」
院、小馬鹿にして鼻息を吹き、
「ようやく参ったかや。
大極殿に通すが良い」
*
平城宮、
大極とは太極、すなわち道教に言う陰陽両儀の根源を意味する。
天地万民を治める天皇の正殿として、これ以上の名は考えられぬものであった。
今、その高御座には、院が鎮座していた。
正面に平伏せずに立つは、他あろう、楊貴妃その人であった。
院。
「なぜ平伏せぬ?」
楊貴妃。
「大国の使者は小国の君主に
「長生きはしてみるものよな。
女狐を使者に寄越す大国があろうとは、思いもよらなんだわ。
して、どのような無理難題を持って参ったのか?」
楊貴妃は、むすり、と顔をしかめて、手にした書物を侍従へ手渡した。
侍従が院のもとへそれを運ぶ。
院は中を開いてみるや、ほう、と溜息をついた。
それは、阿倍仲麻呂の手記であった。
最後の頁には、乱雑な走り書きでこう記してある。
“だから、私も好きにした”と。
「阿倍仲麻呂か……
なるほど、好きなようにしてくれたものよ。
さぞや根の国で気味良く思うておろう」
楊貴妃。
「その資料は、先の帝にお見せしたのと同じものです。
実は我が大唐国は、それの記述を詳細に分析し、すでに
ざわり、と場の百官みなざわめいた。
大納言橘諸兄、知太政官事鈴鹿王とて例外ではなかった。
対抗する手段、そのようなものがあるなら、なぜ甲賀京で言わなかったのか。
その疑問と憤りに応えるかの如く、楊貴妃は顔を曇らせた。
「これは文字通り最後の手段です。
まずは……そうね。
玄奘三蔵、洛陽の人。
孫悟空、沙悟浄、猪八戒の三神仙を引き連れて天竺を訪れ、幾多の経典を持ち帰ったことはあまりにも有名である。
「彼女は帰国後、持ち帰った経典の翻訳に打ち込み、すばらしい経典群を書き上げました。
……が。
その過程で多くの文面が削除されていたのです。
あまりにも危険であるという理由でね」
鈴鹿王。
「危険、だと? 経文が?」
「ええ、そうよ。
これはただのお経じゃない。
ひとたび唱えれば、半径150里(約80km)以内のあらゆる衆生を強制的に解脱させ、涅槃へと至らしめる。
玄奘三蔵が封印した最後の手段。
まさに仏の最終兵器――
シン・般若波羅蜜多経。
またの名を――“般若シン経”。
抵抗は不可能よ。
たとえガヅラであってもね」
鈴鹿王。
「馬鹿な!!
そんなものを使えば、この国はどうなる!?」
「畿内は全滅。
ま、そうなる前に避難しておくことね」
「ふざけるな!
そんなことをさせてなるものか!」
「じゃあどうするっていうの?
このままやつを野放しにしておく?
定期的に襲われて、都を灰にされるのを、指くわえて見てるっていうの?
頼みの綱の大仏だって、てんで力じゃ敵わなかったんでしょ?
ねえ、
鈴鹿王は、言葉を失った。
ややあって、院、重々しく口を開いたことには、
「受け入れねばなるまいな。
白村江の敗戦以来、
誰もが。
誰もが、答えを知っていた。
院の言葉は、その場の者たちの総意を肩代わりしたに過ぎぬ。
知らぬものはなかったのだ。
もはや、尋常の手段でガヅラに勝つことは、できないのだと。
ただひとりを除いて。
「ちょっと待てェ―――――いッ!!」
畏れ多くも大極殿の扉を蹴り開け、殴り込みをしかけるは、年端も行かぬひとりの少女。
その少女は、御髪をほどきて、男髷に巻きて、
おのおの
背には
脇には
獣皮の肘当て身に着けて、
長弓振り立て堅床御足に踏み締めて、
砂を淡雪の如く蹴散らして、
「認めぬぞ。
他の何人が認めようと、
他ならぬわらわが認めぬぞ!!」
完全武装で現れた少女は、あっけにとられた者どもの間をつっきり、楊貴妃の脇を堂々と過ぎて、高御座の前に向き合った。
楊貴妃、くすりと微笑んで曰く、
「あら。一体なんの権利があって?」
少女、問うて曰く、
「諸兄」
「はっ」
「わらわは
ぞくり、と橘諸兄の背が震えた。
いつのまにか、この小さな女ひとりに、圧倒されているのだった。
「それは……高野姫殿下……
否。
「然り。朕は高野の姫天皇。すなわち
者ども、諦めるな。
我が前に集え!
打つべき手は残されておる!
父が愛したこの国を、汝らの住まう故里を、好きにさせてなるものか。
いざ、反撃の烽火を上げよ!
つづく。