ゴジラ vs 大仏   作:外清内ダク

5 / 9
巻の五、反撃の烽火

 

 

 

“七番目の六国史”として知られる史書、「真日本紀」(西暦800年頃成立)には、その後について、こう記されている。

 

 天平17年/西暦745年4月11日。甲賀京の東山に火災が延焼、連日鎮火せず。このため、都の男女は競って逃げた。天皇もまた乗物に乗り、大丘野(大岡山とも。現在の滋賀県甲賀市水口町)に避難した。

 同、4月13日。夜に僅かに雨が降り、五日五晩に及ぶ大火災はようやく鎮火した。

 同、5月2日。生き残った官吏たちが、平城(なら)遷都を発案。

 同、5月4日。多くの僧に祈祷させた結果、平城(なら)可なり、と結論。

 同、5月5日。遷都開始。

 同、5月11日。甲賀京、完全に無人化。この後、甲賀一帯には空き巣狙いの盗賊がはびこり、急速に治安が悪化する――

 

 

 その間、ガヅラは沈黙を保ち続けていた。

 あの夜の恐るべき猛威が嘘のように鎮まり、冷たい岩の塊の如くなって、ただ静かに甲賀京の中心に立ち続けていた。

 何故かは分からない。

 死んでしまったのか? いや。ただ力を使い果たし、眠っているだけなのか。

 人々は、いつまた動き出すともしれぬ荒神を前に、畏れ平伏す以外の術を持たなかった。

 

 少なくとも、今は。

 

 

  *

 

 

 天平17年、6月。

 新たなる首都、平城京(ならのみやこ)、西宮にて。(現在の奈良県奈良市佐紀町)

 

 院(元正上皇)は、御座に膝を崩し、じっと目を伏せていた。

 

 先の帝たる元正上皇は、聖武天皇から見れば伯母にあたる人物だ。

「続日本紀」によれば、優しく寛容なこころを生まれ持ち、冷静でしとやかな女性であった、とされている。

 しかし実のところ、彼女は在位中に数々の画期的な改革を為し遂げた、まさに女傑と呼ぶべきひとであった。

 譲位した後も、聖武天皇の後見人として長く辣腕を振るったという。

 齢65を数えてなお、その眼は氷の冴えを喪わず、老いた身体はある種の毅然とした美を湛えているのであった。

 

 

 院、橘諸兄の報告を受けて、のたまわく、

「……そうか。あの子が死んだか」

 

 橘諸兄。

「ガヅラは、今こそ停止しておりますが、やがて再び京を襲うことは必定です。

 早急に政府機能を立て直し、対策を練り直す必要がございましょう」

 

「生ぬるいぞ、葛城」

 

 院の声に、肌が粟立つほどの凄味があった。

 葛城王(かつらぎのおおきみ)は、臣籍降下する以前、まだ橘諸兄が皇族であった頃の名前である。

 

 院。剣そのものの眼で橘諸兄を見据え、

「そなたが舵を取るのだよ。

 よもや(いや)とは云うまいな?」

 

 

  *

 

 

 平城京、二条大路沿い、旧長屋王邸にて。

 

 この広い屋敷の一角には、鈴鹿王が間借りして住んでいた。

 かつて聖武天皇が平城京から遷都した際、鈴鹿王もまた平城での住まいを引き払ってしまい、ここには住むところも残されていなかったのだ。

 

 離れで黙々と書類仕事に明け暮れる鈴鹿王のもとへ、橘諸兄が顔を見せた。

 

 橘諸兄、酒など喰らって、気分よく酔っ払って曰く、

「よう兄弟! 聞いたかい?

 武智麻呂(うだいじん)も藤原四兄弟も多治比縣守(ちゅうなごん)のとっつぁんもポックリさよなら!

 今や生き残った議政官は俺とお前のふたりきりだ。

 

 おかげで俺ァ大納言! お前は知太政官事だとよ。(それぞれ現在でいうところの首相代理、与党幹事長)

 とんだ出世コースもあったもんだな。ガヅラ様に感謝感謝だァ」

 

 

 鈴鹿王、筆を投げ棄て、橘諸兄に掴みかかった。

「だからどうした! 地位がなんだ!?

 私はどこに在ろうとも、私の為すべきを為すだけだ!

 取り乱しているんじゃあないぞ、諸兄ッ!!」

 

 しかし、いかに襟を捻り上げようとも、非力な鈴鹿王では、橘諸兄を吊し上げることはできなかった。

 

 橘諸兄、静かに鈴鹿王を見つめ返して曰く、

「ひとのことが言えるかよ」

 

 

 鈴鹿王は、少しの間そのまま固まっていたが、やがて手を放し、筆を拾って、仕事に戻った。

 橘諸兄、柱にそっと背中を預け、

「ほんと。情けねえよな、俺たちは……」

 

 

  *

 

 

 平城宮、西宮のとなり、大きなる園池にて。

 

 高野姫は、ひとり、池のほとりに腰を下ろし、かかとで水面を叩き遊んでいた。

 魚が寄り集まって、足の裏に口づけして、くすぐった。

 姫は一声、嬌声を上げたが、今ではそれを悦ぶ者もおらぬ、と気づいて、やめた。

 

 そこへ院のかたが現れ、声をかけた。

「かような所に居ったのか」

 

 高野姫、無言。

 

 院。

「即位の儀式を進めねばならぬ。

 内裏へお戻り」

 

「わらわが? 帝に?」

 

「他に誰やあろう?」

 

「大伯母さま。

 わらわは父上の娘でした。

 父上は、幼く無邪気な娘を好んだものです。

 故にわらわは、父の望む高野であろうと。

 ずっと、ずっとそのようにふるまって参りました」

 

 院、真っ直ぐに高野姫を見てのたまわく、

「ええ。観ておりましたよ」

 

 高野姫。

「父はお隠れ遊ばされました。

 今や、わらわは、ひとり。

 

 このうえ、この小娘に何をせよというのでしょう?」

 

 

 一羽の(つばくろ)が、声もなく、ふたりの間に弧を描いた。

 

 

 そのとき、遠くから慌てた足音が迫ってきて、転ぶかのようにひざまずいて申すよう、

「院のかたに申し上げます!

 御使者が……唐国の御使者が拝謁を願い出ております」

 

 院、小馬鹿にして鼻息を吹き、

「ようやく参ったかや。

 大極殿に通すが良い」

 

 

  *

 

 

 平城宮、大極殿(だいぎょくでん)

 

 大極とは太極、すなわち道教に言う陰陽両儀の根源を意味する。

 天地万民を治める天皇の正殿として、これ以上の名は考えられぬものであった。

 

 今、その高御座には、院が鎮座していた。

 正面に平伏せずに立つは、他あろう、楊貴妃その人であった。

 

 院。

「なぜ平伏せぬ?」

 

 楊貴妃。

「大国の使者は小国の君主に(ぬか)ずかぬが習わしなれば」

 

「長生きはしてみるものよな。

 女狐を使者に寄越す大国があろうとは、思いもよらなんだわ。

 して、どのような無理難題を持って参ったのか?」

 

 楊貴妃は、むすり、と顔をしかめて、手にした書物を侍従へ手渡した。

 侍従が院のもとへそれを運ぶ。

 院は中を開いてみるや、ほう、と溜息をついた。

 それは、阿倍仲麻呂の手記であった。

 

 最後の頁には、乱雑な走り書きでこう記してある。

 

 

“だから、私も好きにした”と。

 

 

「阿倍仲麻呂か……

 なるほど、好きなようにしてくれたものよ。

 さぞや根の国で気味良く思うておろう」

 

 楊貴妃。

「その資料は、先の帝にお見せしたのと同じものです。

 実は我が大唐国は、それの記述を詳細に分析し、すでに呉爾羅(ガージュラヴァナ)に対抗する手段を発見しております」

 

 ざわり、と場の百官みなざわめいた。

 大納言橘諸兄、知太政官事鈴鹿王とて例外ではなかった。

 対抗する手段、そのようなものがあるなら、なぜ甲賀京で言わなかったのか。

 

 その疑問と憤りに応えるかの如く、楊貴妃は顔を曇らせた。

「これは文字通り最後の手段です。

 まずは……そうね。

 玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)、という名をご存知?」

 

 

 玄奘三蔵、洛陽の人。

 孫悟空、沙悟浄、猪八戒の三神仙を引き連れて天竺を訪れ、幾多の経典を持ち帰ったことはあまりにも有名である。

 

 

「彼女は帰国後、持ち帰った経典の翻訳に打ち込み、すばらしい経典群を書き上げました。

 

 ……が。

 その過程で多くの文面が削除されていたのです。

 あまりにも危険であるという理由でね」

 

 鈴鹿王。

「危険、だと? 経文が?」

 

「ええ、そうよ。

 これはただのお経じゃない。

 

 ひとたび唱えれば、半径150里(約80km)以内のあらゆる衆生を強制的に解脱させ、涅槃へと至らしめる。

 玄奘三蔵が封印した最後の手段。

 まさに仏の最終兵器――

 

 シン・般若波羅蜜多経。

 またの名を――“般若シン経”。

 

 抵抗は不可能よ。

 たとえガヅラであってもね」

 

 

 鈴鹿王。

「馬鹿な!!

 そんなものを使えば、この国はどうなる!?」

 

「畿内は全滅。

 ま、そうなる前に避難しておくことね」

 

「ふざけるな!

 そんなことをさせてなるものか!」

 

「じゃあどうするっていうの?

 このままやつを野放しにしておく?

 定期的に襲われて、都を灰にされるのを、指くわえて見てるっていうの?

 頼みの綱の大仏だって、てんで力じゃ敵わなかったんでしょ?

 ねえ、日本(やまと)の知太政官事さん」

 

 

 鈴鹿王は、言葉を失った。

 

 ややあって、院、重々しく口を開いたことには、

「受け入れねばなるまいな。

 

 白村江の敗戦以来、日本(やまと)唐国(からくに)の属国だ」

 

 

 誰もが。

 誰もが、答えを知っていた。

 院の言葉は、その場の者たちの総意を肩代わりしたに過ぎぬ。

 知らぬものはなかったのだ。

 

 もはや、尋常の手段でガヅラに勝つことは、できないのだと。

 

 

 ただひとりを除いて。

 

 

「ちょっと待てェ―――――いッ!!」

 

 

 畏れ多くも大極殿の扉を蹴り開け、殴り込みをしかけるは、年端も行かぬひとりの少女。

 

 その少女は、御髪をほどきて、男髷に巻きて、

 御鬘(みかづら)にも左右の御手にも、

 おのおの八尺(やさか)勾玉(まがたま)五百玉環珠(いほつみすまる)を巻き持ちて、

 背には千入(ちのり)矢筒(ゆぎ)を負い、

 脇には五百入(いほのり)矢筒(ゆぎ)を付け、

 獣皮の肘当て身に着けて、

 長弓振り立て堅床御足に踏み締めて、

 砂を淡雪の如く蹴散らして、

 威勢(いつ)の雄叫び上げたまいて曰く、

 

「認めぬぞ。

 他の何人が認めようと、

 

 他ならぬわらわが認めぬぞ!!」

 

 

 完全武装で現れた少女は、あっけにとられた者どもの間をつっきり、楊貴妃の脇を堂々と過ぎて、高御座の前に向き合った。

 

 楊貴妃、くすりと微笑んで曰く、

「あら。一体なんの権利があって?」

 

 

 少女、問うて曰く、

「諸兄」

 

「はっ」

 

「わらわは(たれ)ぞ?」

 

 ぞくり、と橘諸兄の背が震えた。

 いつのまにか、この小さな女ひとりに、圧倒されているのだった。

 

「それは……高野姫殿下……

 

 否。

 日本(やまと)の第四十六代、天皇陛下にあらせられます!」

 

 

「然り。朕は高野の姫天皇。すなわち日本(やまと)の体現者なり!!

 

 者ども、諦めるな。

 我が前に集え!

 打つべき手は残されておる!

 

 父が愛したこの国を、汝らの住まう故里を、好きにさせてなるものか。

 

 いざ、反撃の烽火を上げよ!

 呉爾羅(がづら)に打ち勝つのじゃ。この、我らの手で!!」

 

 

 

 

 

つづく。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。