キャッチャー・イン・ザ・タンク   作:景浦泰明

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『キャッチャー・イン・ザ・タンク 前編』

 二十一歳になった。

 

「ローズヒップさん、君がほしい! ぼくと一緒に来てほしい!」

 

「……はぁ」

 

 二十一歳になったぼくは女子高生にプロポーズをしていた。

 

 

 

 ニ十歳になった時、これから先はもう感慨深く年齢を数えることなんてないと思ったが、それを副所長に伝えたところ「ばかやろう。そっから先はあっという間だからな。おれなんて十年毎が怖くて怖くてしかたねえんだ」と怒られたことを思い出す。だとしたら次のメモリアルイヤーは三十歳。あれから一年経ち、三十歳になったときのぼくはいったいどうしているだろうと思う。

 

 初夏の陽ざしの中でプラスチックの容器に入った麦酒を飲み、どうしているんだろうねえと考える。眼下では女子高生たちが戦車を走らせ、敵のフラッグ車を血眼になって倒そうとしていた。

 

 戦車道。千九百二十年代からある伝統的な武道のひとつで、華道や茶道と並んで淑女を育成する習い事とされている。当初は事故なども多く、他のふたつと比べれば危険な習い事とされていたが、つい十年ほど前にとんでもない技術革新があって以来事故の報告はぐっと減った。いわゆる、特殊なカーボンによるコーティングである。

 

 軽く、強靭で、展延性に富み、人類の夢をかなえた新素材。特殊なカーボンは実生活のありとあらゆる場所で応用され、そして人々の生活を一変させた。

 

 それはもちろんぼくも例外ではない。

 

 十六歳の夏にぼくは自由研究としてこの特殊なカーボンを取扱い、そしてあるマイナーな不活性ガスを満たした環境で加熱したところ、それが共有結合物質にあるまじき展延性を獲得することを発見した。それまでのカーボンは高弾性を持った繊維状の塊としてしか使用できなかったため、この発見は世界中で取り上げられることになる。

 

 ぼくの夏休みの研究は突然高校一年生を丸々潰して取り組むべき研究となり、いつの間にか天才高校生としてテレビ出演を繰り返し、そしてついには飛び級して大学の研究員になっていた。人生何が起こるかわからない、とはやっとの思いで付き合った彼女に三日で振られた友人の言葉だが、ぼくもそう思う。人生何が起こるかわからない。

 

 ぼくの現状もそうだと思い、なんだか苛立ちを覚えて麦酒をごくごくと口に含んだ。先日研究室の学生がぼくの陰口を言っていたのを思い出す。

 

「天才少年とか言われていたけどここ数年はなんの実績もないし、まぐれあたりの一発屋だよな」

 

 元々馬が合わない学生だったから、姿が見えた瞬間にコーヒーメーカーの隅に隠れていたが、そんなことせず堂々と休憩室から出ていけばよかったと後悔した。ぼくは小さい頃から他人の話を全く聞かない子供で、こういった話題からは常に逃げ続けてきた。ここに来てからもひたすら研究を続けてきたし、話す相手と言えば暇そうな副所長ぐらいだ。そんなわけでまさか自分がこんな話のネタにされているとは思わず、ぼくはそのあと掃除のおばちゃんに発見されるまでたっぷり三時間コーヒーメーカーに挟まって落ち込み続けた。

 

 それからは週末まで研究が全く手につかず、そして考えれば考えるほど彼の言った言葉が間違っていないことを確信する。

 

 特殊なカーボンの展延性は身に余る偉業だったと思う。あの発見によって特殊なカーボンはありとあらゆる場所にコーティングされるようになり、街中を走る車はいまやアレなしでは審査基準を通らない。ぼくは夢の新物質の育ての親(産みの親ではない。きぃい!)として崇められ、分不相応なほどの賛辞を受けた。だが、中身は単に世間知らずの十六歳だ。社会はともかくぼくは何も進歩していない。

 

 そんなわけで研究が一切手につかなくなり、ぼくは久々の休みを利用して戦車道の試合を観に来ていた。最初は高校野球にしようかとも思ったのだが、あれは油断しているとOBと間違われて異常な声だしを要求される場合もあると言われたのでやめておく。かといって屋内競技ではなんとなく汗水流すという感じがしないので、ぼくの選択肢は消去法的に戦車道に導かれていった。

 

 噂に違わず、戦車道の試合は居心地がいい。まだ季節も初夏であるということで気温もそこまで高くないし、観客の雰囲気にも「おっ、やってるやってる」的な気安さがある。ぼくは久々の陽気に気持ちが弾み、飲み慣れない麦酒なんて買って試合を観戦していた。

 

 観客席の前に据えられた大スクリーンには『聖グロリアーナ女学院対マジノ女学院』とある。両方とも高校戦車道の世界ではかなりの有名校であり、特に聖グロの方はぼくの研究所がある横浜に学園艦が寄港していることもあって何度か試合を目にしたことがあった。この試合会場の気安さも地元チームの安心感があるのかもしれない。

 

 試合会場を一糸乱れぬ隊列で進む聖グロの戦車は美しい。ぼくはあんな視界の悪い乗り物でよく歩調を乱さずに進んでいけるなあと呟く。カーボンの断熱効果でかなりましとはいえ、この真夏にあんな鉄の塊に乗り込むのも大したものだ。ぼくが高校生だった頃も同級生たちはそうして汗水を流し、その間ぼくはひたすらデータとにらめっこしていた。そのくせしていまやこうして現実逃避である。

 

 一度思考の沼に入り込むといつまでも自分のなかだ。ぼくは枝豆をむさぼって麦酒をあおり、再び戦車の試合に目を向ける。そこではいつのまにか両校の戦車が会敵し、戦闘が始まっていた。おいしいところを見逃しちゃったなあとため息をつき、ここからは見逃さないぞと居住まいを正す。マジノ女学院はどうやら堅く守りを固めて聖グロを迎え撃つ様子だが、それに対して聖グロはひたすらに動き回って相手をかく乱し、敵戦車を確実に葬っていく。

 

 だがその中に数両、いや正しくは一両だけおかしな動きをしている戦車がある。

 

 はじめは何かの作戦行動かと思ったのだが、それにしては明らかに無駄な動きが多すぎる。あれは確か巡航戦車クルセイダーといったか。聖グロの戦車の中では結構足が速い部類のものだとは聞いていたが、それにしたってというぐらい試合会場をかっ飛ばしていた。ぼくはその様子を見ながらそわそわと落ち着かなくなってくる。

 

 思い出すのは昨年の夏、全国大会の決勝での出来事だ。雨でぬかるむ会場のなか、試合中の不慮の事故により一台の戦車が川に落ち、選手たちが救出されるという事故があった。ぼくはその試合をテレビで観ながらその戦車に乗っていた選手たちのことを思い、未だ多くの危険が残る戦車道というスポーツのことを思う時間が増えた。

 

 そうだ、いくら特殊なカーボンでコーティングされているとはいえ、加速した戦車がぶつかればもちろん車内は撹拌される。すり傷や打撲は珍しいことではないし、眼鏡が割れてしまったという報告を聞くこともある。ぼくは全国大会の決勝が終わった後で戦車道の年間事故数を調べ、そして当然のようにその件数の高さに激しく心を痛めた。自分が作り出した技術が完全なものではないという失望が胸に広がり、焼けつくような焦燥感が生まれた。

 

 ぼくは息抜きに来た戦車道の試合で再びそんな気持ちと向き合うことになり、そして無茶な動きを繰り返すクルセイダーに対して「安全第一でやってくれ!」と必死に祈る。だが結局思いはかなわず、ついにクルセイダーは敵機の砲撃を受けてスリップし、付近にあった岩にぶつかって沈黙してしまう。白旗こそ出ていないが、車内はきっとしっちゃかめっちゃかだろう。ぼくは大きくため息をつき、頭を抱える。

 

 しかし次の瞬間、先ほどのことなどなかったかのように再びクルセイダーが動き始め、ぼくは自分の目を疑った。いや、それどころか先ほどよりもスピードが速い。

 

 クルセイダーは再び高速で動き回って敵をかく乱し、先ほど砲撃を受けた敵に肉薄すると、お返しと言わんばかりに相手に砲撃を撃ちこんだ。その砲撃によって敵戦車に白旗が上がる。だがそれにも興味はないと言わんばかりに再び戦場を縦横無尽に駆け巡り、何度も何度も砲撃を受け、そこらじゅうにぶつかり続けた。

 

「すごい……」

 

 ぼくの口から感嘆の声が漏れる。あのクルセイダーはまるで恐れを知らない獅子のように走り続け、不屈の精神で敵と戦い続けていた。聖グロの戦車道において尊ばれる“優雅”とは程遠いように感じるが、ぼくはその姿をみて激しい高揚感に襲われていた。もはや試合の大勢も見ることは敵わず、結局クルセイダーから白旗があがるまでその一両ばかりを眺めつづける。動きを停めたその戦車が回収車に運ばれていく様子を見て、いつのまにかぼくは試合会場から離れ、回収先へと向かっていた。

 

 自分でも何をしたいのかよくわからない。麦酒も枝豆も放り出して戦車の搬送先に進んでいくと、ちょうど先ほどのクルセイダーが格納され、そのハッチが開く瞬間だった。やがて車内から車長が這い出し、その燃えるような赤毛が目に映る。

 

 この瞬間のことをぼくは永遠に忘れないだろう。赤毛の少女は全身に大小様々な傷を作り、タンクジャケットのそこかしこに紅茶のシミが浮かんでいた。戦車内を舞った煤で頬は黒く汚れ、しかし胸を反らした堂々たる姿で戦車の上に立つ。

 

 その姿にこれまでの人生で一度として感じたことがないほど胸が高鳴る。心の底からの叫びが喉からこぼれそうになり、慌ててそれを飲み込んだ。ここで注目を集めてしまっては彼女に近づく前に警備員によって取り押さえられてしまうかもしれない。

 

 ぼくは出来る限り早足に、しかし焦っている風には見えないように客席を降り、彼女に近づいていく。戦車から降りて仲間たちと語らい、紅茶を口に含む彼女が見える。ぼくは一直線にそちらへ近寄り声をかけた。

 

「あ、あの!」

 

「はい? なんですの?」

 

 彼女の顔にいぶかしげな表情が浮かぶ、知らない男から突然話しかけられたのだから当然の反応だろう。ぼくはズボンのポケットから財布を取り出すと中にしまっておいた名刺を取り出し、頭を下げてそれを差し出した。

 

「……カーボン化学研究所、准教授、加賀護(かがまもる)様。研究職の方?」

 

 肩書と所属が判明し、彼女のそばに立っていたチームメイトたちの警戒が少し和らぐ。カーボンの研究に携わっていると聞けば戦車道の試合を見に来るのも納得してもらえるだろうし、不審者として通報されることもないだろうと思ったが、正解だった。

 

「先ほどの試合を拝見して、非常に感動しました! 衝突を恐れぬ勇気、敵に砲撃を受けても挫けない勇敢さ。本当に素晴らしい戦いを見せてもらえ、感謝の念に堪えないです! 現状まだ完璧とは言い難いカーボンコーティングでは車内で打撲や擦り傷を負ってしまうこともしばしばですが、それを恐れずに突貫していった姿に……」

 

「ちょ! 早い! 早いですわ!」

 

 目の前の少女があっけにとられたような顔で言葉を遮る。ぼくはまた悪い癖が出てしまったとぼさぼさの頭をかき、それから何度か呼吸を整えた。

 

「失礼しました。あの、名刺に書かれていた通り、ぼくは加賀護といいます。あなたは」

 

「聖グロではローズヒップと呼ばれていますわ!」

 

 ローズヒップ、というとローズヒップティーだろうか。そういえば聖グロリアーナ女学院では優れた技能を持つ生徒を幹部として遇し、それぞれ紅茶に関連した名を与えると聞いたことがある。ぼくは口の中で何度か「ローズヒップさん、ローズヒップさん」と呟き、それから彼女のことをまっすぐに見つめて堂々たる声を発した。

 

「ローズヒップさん、君がほしい! ぼくと一緒に来てほしい!」

 

「……はぁ」

 

 そんなわけで冒頭につながる。

 

 

 

 試合が終わった後でもう一度来てほしいと言われ、ぼくは試合が終わるまでそわそわと落ち着かないまま会場中を動き回り、試合のアナウンスが流れるとすぐに聖グロ陣営にまで走っていく。焦りを隠さずに試合の片づけをしていた生徒のひとりに話しかけるとすぐ「あぁ、あなたが……」と眺められ、それから隊長のもとへと案内された。

 

 陣営の奥に白いラウンドテーブルが置かれ、それを囲むようにして三人の生徒が座っている。ぼくはその中に先ほどとは違う聖グロの制服を着たローズヒップさんの姿を見つけ、それからすぐに聖グロの隊長らしい女の子に声をかけられた。ぼくはあらかじめ用意しておいた名刺を胸ポケットから取り出し、聖グロの隊長さん――ダージリンさんというらしいに差し出す。

 

 自己紹介が済むとすぐ席に着くように勧められ、ぼくはローズヒップさんの左隣に座った。逆側に座っている大きなリボンの女性がこちらを訝しげに見つめているのが気にかかるが、おそらく女子校育ちで男に慣れていないのだろう。できるだけ気にしないようにしつつ、ダージリンさんから促されるままに事の次第を伝え始めた。

 

「つまり、戦車内の新しい安全機構のテストのためにローズヒップに協力してほしいと、そういうことですわね?」

 

「そうです! あの勇猛果敢な運転、衝突を恐れない心。この役目はローズヒップさんにこそふさわしいんです!」

 

 力強く返答したところ、ローズヒップさんが肩を躍らせながら爛々と目を輝かせ、それとは対照的にダージリンさんと大きなリボンののひとが脱力したように椅子に座り込んだ。どういうことだかわからないが、ぼくは気が付かないまま彼女たちにひどく緊張を強いていたらしい。ダージリンさんが億劫そうに姿勢をただし、それから落ち着き払った様子で再びこちらに向き直る。

 

「アッサム」

 

 彼女がそう呟くと、リボンの女の子がこちらを見詰めてくる。アッサム、アッサム地方で作られる紅茶の種類だっただろうか。つまり彼女も聖グロの幹部クラスであり、説得しなければならない相手ということだ。

 

「話はわかりました。ですが我々もとして、隊員に危険があるような実験にはおいそれと返事を出せませんね。夏の大会も近づいていますから、万一があった場合のことを考えればNOと言わざるを得ません」

 

「それに関しては心配ありません。実験では常に研究所から医療スタッフを帯同するつもりですし、実験に使用する戦車に関しても実際の試合で使われる安全基準を下回るような真似はしません。まず自動運転で車内に伝わる衝撃を計測し、それからローズヒップさんに衝突実験を行ってもらうつもりです。もちろん、お望みでしたらみなさんが実験の場に立ちあっていただいて、危険だと判断されたらすぐに中止していただいて結構です」

 

 アッサムさんとぼくとの間で交わされる言葉を聞き、ローズヒップさんの表情が一喜一憂する。表情をみたところ彼女としては是非にでもやりたいようだが、あとはこのダージリンさんの判断次第ということらしい。応答が終わったのを確認し、ぼくは目の前で静かに紅茶を飲むダージリンさんをまっすぐに見つめる。

 

「ローズヒップ、いかが?」

 

「私は是非にでもやってやりたいですわー!」

 

 よしっ。と心の中でガッツポーズをとる。右隣でアッサムさんが呆れたように額を抑えるのが見えたが、ローズヒップさんは完全に乗り気のようだ。ここで彼女たちに了承してもらえれば、あとは彼女のご家族から了解をいただくだけで全ての準備が整う。

 

 結局、ダージリンさんとアッサムさんから実験の参加を認めてもらい、ぼくは改めてローズヒップさんと向かい合う。

 

「突然こんなことをお願いして申し訳ありません。ですがあなたのような勇敢な走りをできるひとにこそ、この実験に携わってほしいとぼくは考えています。できる限りのことをします。よろしくお願いします!」

 

 そう言って頭を下げると、すぐに両手をひっぱられ、痛いほどの力で手をぶんぶんと振り回される。

 

「おもいっきり走っちゃって構わないんですわね!?」

 

 その言葉になんて頼もしいんだと胸が震え、ぼくは大きな声で「はい!」と答える。すぐそばでダージリンさんとアッサムさんが複雑そうな表情を浮かべていたが、それがなぜなのかはよくわからなかった。

 

 そうと決まれば善は急げで、ぼくはそれから大急ぎで研究所に戻る。聖グロのひとたちには何かあればすぐに名刺に記載された連絡先に連絡してくれと言い、後日改めて学校を通じて連絡させてもらうことを伝えた。事前の準備はどれだけ入念にしておいても足りるということは無い。

 

 ここ数年感じていなかった胸の熱を感じ、ぼくは自分のデスクいっぱいに戦車道におけるカーボンコーティングの資料を広げた。かつて自分で作り上げたものが現在でもほぼ同じように使われているが、ローズヒップさんの力を借りてこれに更なる改良を加える。それはとりもなおさず過去の自分を越えることに他ならず、停滞していた自分自身を前に進めていく取組であると感じた。

 

 ぼくはそれから朝までにいくつもの案を出し、最終的には三つの案に絞って床に倒れるようにして眠りこむ。次に目が覚めた時には掃除のおばちゃんによって顔にモップを押し付けられていた。

 

 

 

 副所長に今後の方針について相談すると「今更そんなことを……」と呆れられたが、特に反対はされなかった。ぼくは特殊なカーボンの加工技術でいくつかの特許を取っていたし、そのいくらかはこの研究所にも納められているため、研究内容について横槍を入れられることはほぼない。今更そんなことを、と言われたのはおそらくみんなが夢中になっているアレのことだろうが、残念ながらぼくにとっては過去の自分を越えることのほうが大切だった。

 

 聖グロリアーナ女学院との打ち合わせも事無く進み、ローズヒップさんのご家族への了承も取れた。彼女の家に直接お伺いしたところものすごい大家族で驚いたが、その家を束ねているだけあってご両親は豪放磊落を絵にかいたような人であり、彼女の実験への参加を笑顔で受けてくれる。

 

 ここまでは至極順調に進んでいった。月並みだが順調すぎて怖いと思っておくべきだったのだ。

 

 肝心の実験は全くと言っていいほどうまくいかなかった。

 

 実験は、ローズヒップさんが全開で運転するクルセイダーを厚さ百センチの鉄板にぶつけることで行う。

 

 今回の実験に際してぼくが用意したプランは三点。現行のコーティングをさらに厚くしたプラン。車内でよく打撲が起こる場所に対してスポット的にコーティングを増やすプラン。そしてエアバッグのように乗組員を受け止めるプランだ。

 

 全て事前に二度テストを行い、一度目は自動運転で衝撃を計算し、二度目には人体ダミーを乗せてその損耗状態をしっかりと検査した。これを一週間ごとに分けて行う。

 

 事前試験では人体に与える影響は全くないとわかったが、それは当然のことである。戦車道で使用される砲弾はすでにコンピューター制御されており、発射後の軌道予測で人体に衝突する可能性がニ十パーセント以上になると分解されるようになっていた。確実な安全性が保障されていないのは戦車の内部だけ。ぼくが求めているのは乗る人すべてが絶対に安全だと確信でき、一切の恐怖なく戦車に乗ることが出来る世界だった。

 

 だが。

 

「ローズヒップさん、どうですか!?」

 

「うーん、遅くなってますわ! ダメ!」

 

 最初の試験ではコーティングを厚くしすぎたせいか戦車の速度が落ち、実際の試合では選手から不評が出るということで失敗。ぼくはすぐに研究所に戻って第二のプランに取り掛かった。研究を行っていくうえで失敗など当然のこと、このときはそう考えていた。

 

 そして迎えた翌週。

 

「ローズヒップさん、どうですか?」

 

「普通にしっちゃかめっちゃかでしたわー!」

 

 一週間後はスポット的にコーティングを厚くしての試験だったが、そんなことをしたところでローズヒップさん並の運転をするひとではどこにどう身体が動くかは予測不能。というわけでふたつめも失敗。

 

 ぼくは落胆しつつも改めてローズヒップさんの運転の規格外さに驚き、試験を終えて満足そうな表情の彼女にスポーツドリンクを手渡す。それを受け取ってごくごくと飲み干す彼女を見つめ、その健康的な赤みの差した喉がゆっくりと上下に動く様子を眺めていた。

 

「ご協力ありがとうございます。危険が伴う実験なのに、こんなに献身的に」

 

「構いませんわ! 私は楽しんでいますの」

 

 その言葉に気後れしたところや怯えは一切なく、ぼくは彼女の精神力に改めて敬服する。戦車道は怪我をするスポーツだ。それは逃れようもなく、間違いない。華道や茶道、その他の球技などに比べれば間違いなく危険があるし、それ故に少々時代遅れとなってしまった感は否めない。それなのに彼女はただひたすらに前だけを見据えている。

 

「ローズヒップさんは何故そこまで迷いなく走れるんですか」

 

 そんな風に尋ねてしまったぼくに彼女は少し悩んだような表情を見せ、それから満面に笑顔を浮かべる。

 

「私にできることだからですわ。できることをやる。ダージリン様が私に教えてくれたことですの!」

 

 そう言ってどこかへ駆け出す彼女を見送り、ぼくはしばらくその場に立ちつくしていた。できることをやる。ぼくは今まで自分のできることを出来ていただろうか。思えば闇雲な実験ばかりを繰り返し、運よく再び何かが落ちてくるのを待ち続けていただけだったのかもしれない。

 

 ぼくはすぐに研究所に戻り次の実験に向けて準備を開始する。既に最初に用意したプランのうちふたつは失敗し、残るプランはひとつのみ。この最後のひとつも失敗するとみて次のことを考えておいた方がいいだろう。ぼくは夜を徹して作業に打ち込み、副所長や掃除のおばちゃんから受けた差し入れで食いつなぐ。

 

動き出した歯車を止めてはいけないとそれだけ考えつづけ、そして再び一週間が巡る。

 

「ローズヒップさん、どうですか……」

 

「すぐ動けない! いちばんダメですわ!」

 

 エアバッグは白旗判定の出ない衝突でも反応してしまい、そのたびに戦車が動けなくなるため失敗。ローズヒップさんとしては息苦しいし過保護だということで一番評判が悪かった。

 

 結果、実験の第一プランから第三プランまでは全て失敗。これを踏まえた上でのプランの練り直し、再実験ということになる。半ばわかっていたこととはいえ、かなりへこむ。天才少年とか言われてもてはやされていたことも確かだし、この調子では一発屋も間違ってはいない。

 

 ぼくは回収されていくクルセイダーを見ながら大きくため息をつく。

 

 失敗は勉強であり、発見である。そう言ったのは偉大なるトーマス・エジソンだ。だがこれはきっと彼の人生訓であるとともに、自分自身を慰める意味も含まれていただろうとぼくは思う。今回のアプローチは全て失敗。自分自身が戦車に乗らないことも原因のひとつだ。ぼくは選手が何を求めているのかわからず、結果的に操縦性を落とすような真似ばかりしてしまっていた。

 

 目の前で「今回も楽しかったですわ!」と笑うローズヒップさんを見て少しだけ救われた気持ちになる。だがそんな彼女をなだめる聖グロのメンバーの表情は相変わらず複雑そうだ。自分のチームの選手があんな風に何度も衝突をくりかえすのを見て、心配にならないわけはないだろう。ぼくは以前もあったダージリンさんとアッサムさんに近づき謝罪の言葉を口にする。

 

「貴重なお時間をいただいてこのような結果となってしまい、申し訳ありません」

 

「……失敗は成功のもと、と言いますわ」

 

 自分で考えていたのと全く同じ慰めをダージリンさんから受け、声もあげずに肩を落とす。折角貴重な練習時間を削ってきてもらっているのに申し訳ないばかりだった。

 

「これでローズヒップの突撃癖が抜けなくなってしまったらどうしましょう」

 

「問題はそこね。あの子ったら本当に楽しんでいるから……」

 

 アッサムさんとダージリンさんが何事かを呟いたが、その言葉はぼくの耳には届かなかった。ぼくは肩を落としたままで実験場をぐるぐると歩き回り、しきりに衝突用の鉄板をさすり、それからクルセイダーの装甲をなでた。

 

 かつては戦争の道具として使われていた戦車を競技の道具として利用するまで人類は進歩した。現在この世界において戦争や紛争はほぼ起こっていない。ここ十年でめまぐるしい技術革新が矢継ぎ早に起こり、これから先外交問題による武力衝突は激減していくだろうと言われている。

 

 ぼくは戦車を見詰め、胸元から古びた携帯音楽プレーヤーを取り出し、イヤホンを耳に詰める。ややあってから音楽が流れだし、二十一世紀の初めごろに日本で流行したロックバンドの音楽が流れ始めた。印象的なギターのアルペジオとそこに絡むドラム。無力感を抱えつつも前に進んでいくことを歌った歌詞。ぼくはいつも打ちのめされた気分になるたびにこの曲を聞いてきた。

 

 音楽プレーヤーをぎゅっと握りこむと、いつのまにか頬を汗が伝っていた。おそらくワイシャツは汗みずくになってしまっただろう。都市から離れているとはいえ夏の熱気はすさまじい。ぼくは目に入りそうになった汗をぬぐい、いつのまにか視界の端にスポーツドリンクが差し出されていたことに気がついた。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 どもりながら受け取ると、それを差し出していたローズヒップさんが「どういたしましてですの」と笑う。どうやらこのあいだのお返しということらしい。ぼくはさしたる力も入れずにスポーツドリンクを開封するとごくごくとそれを飲んだ。

 

「こわーい顔していたからおすそわけですの!」

 

 そう言って彼女は再びぼくの手からスポーツドリンクを取り返し、残りを飲み干してしまう。それを咎めることもできずにただ眺めていると、彼女が「もうありませんの」と笑った。そういう意味ではないんだがと言おうとして言葉に詰まる。

 

 ぼくの乏しい人生経験と青春系知識によるとあれは確か間接キスというやつだったような気がするが、今の子からしてみるとどうやらその程度のことは大したことではないらしい。いったいどうしたのかとこちらを訝しむ様子をみてぼくは顔が赤くなっていないかと恥ずかしくなり、やはり高校はしっかり通っておくべきだったと考える。

 

 学園艦制度が生まれて以降世界における子供の独り立ちは低年齢化の一途をたどったが、やはり能力があるからといって安易に飛び級させたりするのはよくないような気がする。同世代とともに過ごすことで発達する情緒というものもあるはずだ。ぼくは彼女よりも五歳近く年上なのに情けなく胸打つ心臓をなだめつつ、現行の体制の批判を行う。考えてみるとかなり情けない。

 

 しばらくそうやって眉間に皺を寄せたり顔を赤らめたりしていると、やがて彼女も突然それに気が付いたのかペットボトルをわたわたと取り落とし、頬を抑えてくねくねと動き始めた。どうやら何も考えていなかったようで「どうしましょう、殿方とこのような」とか「きっとダージリン様では的確なアドバイスをいただけませんわ」とかちょっと向こうに聞こえたらやばそうな言葉が聞こえてくる。

 

 ぼくは大変な居心地の悪さを感じ、すぐに話題を変えようと実験の話をはじめる。

 

「これで実験の第一段階が終了です。大きな成果は上げられませんでしたが、次は必ず成功に向けて前進していきたいと思います。その……」

 

 言葉を区切り、ローズヒップさんのことを見詰める。頬が赤く染まり、すこし釣り目がちの瞳がまん丸く見開かれている。

 

「そのときはまた協力していただけますか?」

 

「……もちろんですの」

 

 笑顔とともに返された言葉にぼくは大きくため息を吐き、それからふたりで実験場を後にする。これからは戦車道の試合の予定が入ってくるらしく、今までのように定期的に実験に参加してもらうことは難しいと言われたが、それでもかまわない。いつのまにかぼくは実験のパートナーは彼女しかいないと心の奥で感じ始めていた。

 

 ぼくは近いうちにここまで実験を手伝ってくれたことについてのお礼をさせてもらうことを約束し、入道雲の下に消えていく彼女たちのことを見送った。できればこの夏がはじまり、戦車道の全国大会が始まる前に新機構を形に持っていきたかったが、いまではそれも難しい。空にはすっかり夏の雲がかかり、遠くでセミの声が響いていた。

 

 

 




あらすじにも書きましたが全三話程度の中編です。
三万字ぐらいかと。
既にほとんど書き終えてるので今週末には全て投稿できるんじゃないかと思います。
楽しんでいただければ幸いです。

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