アブソリュート・デュオ 覇道神に目を付けられた兄妹   作:ザトラツェニェ

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少し間が空きましたが投稿!
今回かなり長いです……



第五十一話

 

side 優月

 

 

「ーーーきちゃん、優月ちゃん」

 

「んん……むぅ……あ、安心院……さん……?」

 

とある日の翌朝、私は隣でいつも一緒に寝ている安心院さんの私を呼ぶ声で薄っすらと目が覚ましました。

 

「起きたかい?」

 

「……まだ起きる時間じゃないですよね……一体どうしたんですか……?」

 

枕元に置いてある目覚まし時計を見てみると、時計の針はいつも私や兄さんが起きている時間よりもまだ一時間程早いです。

そんな早くに安心院さんは何の用で私を起こしたのでしょうか?正直言って、もう少しだけ寝ていたいのですが……。

 

「あー、ごめんね?でもなんか影月君が酷くうなされてるみたいでさ……」

 

「兄さんが……?」

 

しかし安心院さんが兄さんの名前を言うと、眠かった私の意識が急速に覚醒していきます。

すると今までぼんやりとしていた五感も急速に本来の働きを取り戻していきーーー

 

「うぅ……うあぁ……!!」

 

先ほどまでおそらくぼんやりとしか聞こえていなかっただろう兄さんの苦しそうな声が、そこでようやくはっきりと私の耳に届きました。

 

「っ!?に、兄さん!?」

 

その声を認識した瞬間、私は二段ベッドの上から隣の安心院さんを飛び越えて床に降り立ち、二段ベッドの下に寝ている兄さんの元へと駆け寄りました。

 

「凄い汗……!一体……?」

 

「う……ゆ、優月……?」

 

すると暫くうなされていた兄さんが薄っすらと目を開け、私の顔を見て呟きました。

 

「どうしたんですか!?こんなに汗が出るまでうなされて……何かとても嫌な夢でも見てたんですか?」

 

「夢……ああ、そうか。あれは夢だよな……うん、夢だ夢……」

 

「……影月君、君は本当にどんな夢を見ていたんだい?」

 

私の隣から兄さんの顔を覗き込んでいた安心院さんがそう聞くと、兄さんは眉を顰めました。

 

「……二人には関係ない。所詮夢だから気にする事も無いと思うからな……汗かいたからちょっと風呂入ってくる」

 

兄さんは何かを払うように頭をぶんぶんと振った後、真っ青な顔のままベッドから出ようとしました。

それを見た私は逃がさないようにギュッと兄さんの体を抱きしめました。

 

「……優月、離してくれ」

 

「ダメです、教えてくれるまで離しません。前に私、言いましたよね?「またうなされるなら今度こそ聞かせてもらいますね」って……」

 

「…………」

 

「……兄さんは一人で抱え込み過ぎです。もちろん危険な事に出来るだけ巻き込みたくない気持ちは分かりますよ。でもそんな事気にせずに私たちに頼ってくださいよ。辛い事とか苦しい事があったら私や皆さんに吐き出してください。そんなに私や皆さんは信用出来ませんか……?」

 

「そんな事はない。透流たちや安心院、朔夜の事も信用してるよ。もちろん俺の妹の優月の事も……」

 

「なら……私たちにさっきうなされていた内容も話してください。一人で抱え込まないで……」

 

「…………分かったよ。とりあえず話すから一回離れてくれ」

 

観念したような声を上げた兄さんの言葉を聞いた私はゆっくりと兄さんから離れて、床に座って話を聞く姿勢になりました。

 

「……それで、どんな夢を見たんですか?」

 

私が問うと、兄さんは少し考えた後に言います。

 

「……最初はどこかの店の廊下を走ってるんだ。周りには優月と妹紅、安心院に橘も一緒だったな……」

 

「……それで?」

 

「そしてある扉の前に辿り着いて、その扉を優月が開けようとしたら……突然扉が爆発して……優月が……」

 

「……それって私が死んだって事なんですか?」

 

「分からない……いつも優月が吹き飛ばされたところで目が覚めるからな」

 

「影月君、その夢はどれくらい前から見ているんだい?」

 

「……つい数日くらい前からだな。同じような場面を何回も……それがどうにも夢って感じがしないくらい現実味があってな」

 

(予知夢っていう奴でしょうか?兄さんの能力を考えれば、あり得ない話ではないですけれど……でも兄さんは、かなり先の事は見れないと言っていた筈……となると結構近いうちに私は兄さんの予知夢通りの事になってしまうんでしょうか……?)

 

私は兄さんから聞いた話を頭の中で纏めて色々考えていました。最終的にはあまり考えたくないが、もしかしたらあり得るかもしれない未来が思い浮かんでしまいましたがーーー

 

「……なあ、二人とも。俺の見た夢は本当に起こらないよな?……何か嫌な予感がするんだ。もしかしたら本当に起こってしまうじゃないかって……」

 

そう言って、私たちを見つめる兄さんの目は自信がなさそうに、そして不安そうに揺れていました。

 

(……初めて見ましたね。兄さんのこんな目を……)

 

ーーー私が昔から知っている兄さんはいつも優しくて、安心出来て、頼れる、不安などで揺れる事の無い力強い目をしていました。

私が悲しくて泣いた時も、不安になってどうしようもなくなった時も、もう嫌になって逃げ出したいって気持ちになった時も、いつも兄さんはそんな目で私を見守り、励ましてくれました。私はそんな目をした兄さんから元気をもらったり、安心を感じたりしていました。

他の皆さんにとっては特に何も感じる事のない普通の目。でも、私にとってそれは、とても安心出来て頼れる大好きな兄の目なんです。

でも今の兄さんの目は弱々しく、いつものように自信満々といった感じではありませんでした。

なのでーーー

 

「大丈夫ですよ、兄さん。私は兄さんや皆さんを置いて先に死にませんから」

 

私は先ほどの暗い考えを頭の隅に追いやり、いつも通りの兄さんに戻ってほしいという思いと共に、兄さんの手を握って笑いかけました。

 

「優月……」

 

「死ぬ時は皆一緒ーーーとまでは言いませんけど、少なくとも私は兄さんより先に逝く気はありませんよ。私は一分一秒でも長く、兄さんたちと共に生きていたいですから……」

 

「優月ちゃん……」

 

「……それにもし、そんな未来がこの先本当に待ち受けているのなら、ぶっ壊してやりましょうよ!そんな未来、結末は認めない!って!」

 

「……ははっ、そうか……そうだな。そんな嫌な未来はぶち壊して、俺たちが望む未来を作ればいいんだ。俺の力があれば完全にとは言えなくてもそれが出来るんだしな」

 

そう言った兄さんは私の手を強く握り返してくれました。

そんな兄さんの目はいつもの、私の大好きな兄の目に戻っていました。

 

「……優月に安心院もごめんな?なんか俺らしくない弱音吐いてしまって」

 

「気にしていません。むしろ今まで私たちに弱音を吐いてくれなかった兄さんが、初めてそんな弱音を私たちに言ってくれたのが嬉しいです。なんか本当に頼られたみたいで……」

 

「僕も気にしてないよ。人間なら誰だって弱音は吐きたくなるものだし……影月君は滅多に吐かないけどね」

 

「まあ……さっき優月に見抜かれたけど、あまり心配させたくなかったからな。でも言ったら少し楽になったよ。二人とも、ありがとうな」

 

「はい!」

「どーいたしまして」

 

「じゃあ……俺は今度こそ風呂に入って来るよ。流石にこれ以上このままだと風邪引きそうだしな」

 

「あっ、はい!じゃあゆっくり入ってきてください!時間はまだありますからね」

 

「ああ」

 

そう言って兄さんは浴室へと消えていきました。

 

「……よかったね、優月ちゃん。やっとお兄さんから本当に頼られるようになったんじゃない?」

 

「……そうですね。本当によかったですーーーってその言い方……まるで兄さんが今まで私を頼っていなかったみたいに聞こえるんですけど?」

 

「えっ?気がついてなかったの?」

 

「えっ!?な、何がですか!?」

 

「そりゃあもちろん、影月君が優月ちゃんを頼ってない事ーーーって嘘だから、《焔牙(ブレイズ)》を出そうと構えながら浴室に突撃しようとするのをやめようか」

 

「……不安になるような嘘を言わないでください……」

 

安心院さんに止められた私はその後、気持ちを落ち着けてから学校へ向かう準備を始めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、ユリエさん。もう終わりですか?」

 

私は目の前で肩を上下させながら、こちらに《片手剣(セイバー)》の切っ先を向けている銀色の少女ーーーユリエさんに問い掛けます。

現在私とユリエさんは放課後の学園内廊下で《焔牙(ブレイズ)》の戦闘訓練をしていました。

ユリエさんたちがその身に永劫破壊(エイヴィヒカイト)を宿した日から、私たちはたまにこうしてお互いに戦闘の腕を高め合う為に個人訓練をしています。もちろん学園側の許可はもらっています。

 

「っ……まだです……!」

 

銀色の少女は息切れしながらも《双剣(ダブル)》を構えて廊下の床を蹴り、私へと向かってきました。

私は正面から来るユリエさんに向かって、手に持っていた自らの《(ブレード)》を横一閃に振り抜きましたが、ユリエさんはそれを姿勢を低くする形で避け、右手に持った《片手剣》を私の胴体へと振るいます。

それを確認した私は即座に振り抜いた《刀》を私の胴体と《片手剣》の間に滑り込ませて受け止めます。

自らの攻撃が防がれた事を確認したユリエさんは、その受け止められた反動を利用して大きく後ろへ下がります。しかしわざわざそうして黙って距離を取らせる必要もなくーーー私はそのままユリエさんを追撃します。

 

「はぁっ!」

 

「っく!」

 

私の袈裟斬りをユリエさんは《双剣》で防ぎましたが、威力を殺しきれずにユリエさんは少しバランスを崩しました。

私はその隙を逃さず、ユリエさんにとどめの一撃を放とうとしましたがーーー

 

「……三國先生、何かご用でしょうか?」

 

ユリエさんの肉体へ《刀》を突き立てる直前で止め、私は横に突然現れた朔夜さんの護衛の先生に視線を向けました。

 

「はい、優月さん。シグトゥーナさんもここまでです」

 

「……今日の訓練はここで終わりみたいだな」

 

「……そうみたいだな」

 

三國先生が静かに告げると、今まで私たちの打ち合いを黙って見ていた兄さんと透流さんがそう呟き、二人は自らの《焔牙(ブレイズ)》を消しました。それを見て私たちも手に持った《焔牙(ブレイズ)》を消します。

 

「で、用件は?」

 

「はい、理事長より貴方たちにご報告があると」

 

「……もしかして、《禍稟檎(アップル)》の件ですか?」

 

私が思い当たる理由を三國先生に聞くと、先生は一瞬驚いたような顔をした後に静かに笑みを浮かべました。

その三國先生の表情が意味する事を私と兄さんは察しました。

どうやら何かしらの動きがあったようです。

 

「……なるほど、なら行きましょうか」

 

「ええ、貴方たちも理事長がお呼びですよ。九重くんにシグトゥーナさん」

 

「えっ、俺たちもですか?」

 

その言葉に三國先生は頷いた後に理事長室に向かって歩き出し、それに私と兄さん、そして戸惑いながらも透流さんとユリエさんが後に着いていくのでした。

 

 

 

 

 

 

三國先生に連れられて理事長室へ向かうと、室内には朔夜さんや美亜さん以外にもリーリスさんや巴さんやトラさん、安心院さんや妹紅さんがいました。

 

「如月くんたちをお連れしました」

 

「ご苦労様、三國」

 

僅かに目を細めた朔夜さんを見つつ、私は朔夜さんの言葉を待ちます。

 

(それにしても……皆さんがいるという事は、それ程危険な報告ではないんでしょうか?)

 

内心で首を傾げながら、私は朔夜さんを見ます。

その朔夜さんは私たちの顔を見渡した後ーーー

 

「社会とはーーーその大小に(かか)わらず、必ずや閉鎖的な一面を持つものですわ」

 

と、まるであの街(皐月市)の裏側を指すような前置きを口にしーーー

 

「今回はそんな閉鎖的な一面を持つ街について、貴方たちにお話しましょう」

 

本題について話始めました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日が傾き始め、夜の帳がもうすぐ下りようとしてきた頃ーーー

私たち九人は私服(妹紅さんはいつもと変わらず)に着替え、電車に揺られていました。

無論、遊び目的の外出ではなく、任務先へ向かっての外出です。

 

「ーーーってあれ?」

 

「どーしたんだい?優月ちゃん」

 

「いや……なんだか少し前にも似たような地の文を兄さんが言っていたような気がしまして……」

 

「優月ちゃん、たまにメタい事言うよね。まあそのデジャヴには突っ込まないでおくよ。僕もそんな気がしてるし」

 

「ちょっと二人とも、何を話してるのよ?」

 

「気にしなくていいぞ……少なくともリーリスたちには分からなくても、画面の前の人たちならきっと分かってくれると思うから……」

 

「さらなるメタ発言が影月君から出たー!」

 

「……三人とも、ここは電車の中だから静かにしてくれないか……」

 

『あ、はい……』

 

巴さんがため息をつきつつ、私たちの事を咎めました。

 

「それにしても、いつ終わるか分からないっていうのは面倒な話よねぇ……」

 

「ふふっ、そう言うな。護陵衛士(エトナルク)の任務は多種多様だと理事長も言っていただろう」

 

言葉をそのまま態度に表して大きく息をはいたリーリスさんへ、巴さんが苦笑いしつつ言います。

 

「いいじゃないですか。今回の任務はある程度私たちが進めていたんですから……透流さんたちにとってはいくらか楽だと思いますよ?」

 

「ふんっ、貴様らは一月(ひとつき)以上前から皐月市に任務でたまに来ていたんだろう?」

 

「はい、今回の任務内容の物についてずっと調査していたんですよ」

 

「なぜそれを僕たちに言わなかった?」

 

「聞かれなかったからな。あまり話すような事でもないし」

 

トラさんの質問に飄々とした様子で答えた兄さんを見て、私は思わず苦笑いを浮かべました。

 

「にしても、妹紅は電車に乗るのは初めてか?」

 

「ああ。こんなに人が多く乗っていて、空を飛ぶのと同じくらい早いものなんて幻想郷には無いからな」

 

「そうか、確かに幻想郷は幻想になったものが実在する世界だって話だからな……今もこうして多くの人に利用されている電車が忘れ去られるなんて……何百年後だって話だしな」

 

そんな話をしている内に、電車は目的地の駅へと着きました。

 

「その話はまた今度な。行くぞ」

 

「行きましょう、トール」

 

ドアが開くと兄さんが、続いてユリエさんがホームへと降り立ち、私たちもその後に続きました。

改札を出ると、透流さんたちにとっては初めてのーーーそして私たちにとっては何度目かの皐月に到着しました。

 

 

 

 

 

「相変わらず人が多いな……」

 

「うわぁ……人里よりも多いなぁ……」

 

「もう私たちは見慣れた光景ですけどね……さて、アーケード街に行きましょうか」

 

私と兄さんは、皆さんの先頭に立って歩き始めました。

もう何度もここには来ているので、道に迷うなんて事はありません。

 

「それにしても、結構大きい街だなぁ……」

 

「ヤー、それにとても綺麗です」

 

クリスマスが近いという時期もあってか、高架通路(デッキ)には大きなツリーが配され、街もいたる所に華やかなイルミネーションが飾り付けられています。

 

「私の方の情報も集まるかねぇ……」

 

「元の世界に戻る情報だっけ?何か収穫があるといいな……」

 

私たちは学園の敷地内では決して味わえない雰囲気の中を歩いていき、ものの数分もしない内に本日最初の目的地になる皐月三番街アーケードへと到着しました。

 

「さて、まずは底なし穴(ボトムレススピット)にでも行くか?確か朔夜は司狼に話を通してあるとか言ってたが……」

 

「そうですね……まずは司狼さんたちと会ってから、色々と回りましょうか」

 

底なし穴(ボトムレススピット)?」

 

「ああ、俺たちがこの街の拠点として使っているクラブでな。ここからもうちょっと行った先にーーー」

 

と、兄さんが指をアーケード街の向こう側に指そうとしたその時ーーー

 

「ってーじゃんか!放せよテメー!!」

 

さっき通ったばかりのアーケード入り口方面から、女の子の怒鳴り声が聞こえてきました。

明らかにトラブルか何かだろうと察せられる内容に、透流さんは咄嗟に踵を返して走り出しました。

 

「お、おいっ、透流!?」

 

「早速トラブルに首を突っ込むかぁ……」

 

「そういうなじみも走り出そうとしたよな」

 

「そういう妹紅だって」

 

「そんな言い合いしてないで透流さんを追いかけますよ!」

 

そして私たちも透流さんを追って、アーケード入り口へと戻りました。

 

「あっ、さっきの声、あの子じゃないか?」

 

妹紅さんがそう指を指した先には、入り口近くにある少し暗めの横道で、私たちと同い年くらいの女の子が、長髪の男に腕を掴まれていました。

(そば)にはもう一人、男の仲間らしき巨漢が事の推移を見守るかのように立っていました。

 

「放せよ!金玉潰されてーのかよ!!」

 

「うるせーぞ、このバカ女!テメーらベラドンナがーーー」

 

「おい、やめろ!!」

 

長髪の男が声を荒げて拳を振り上げた瞬間、透流さんも声を荒げて駆け寄りました。

 

「「何だよ、テメーは!?」」

 

男女双方の声が、透流さんの姿を認めて重なります。

 

「ただの通りすがりだ」

 

「関係ねーやつはすっこんでろ!」

 

「いいや、こうやって割り込んだ以上は関係者ってものだろ」

 

透流さんはそう言いながら近付き、長髪の腕を掴みます。

私たちの横にいるトラさんが何やら頭を抱えていますが、透流さんは構わず言います。

 

「その子を放してやれ」

 

透流さんの言葉にびくりと長髪が体を震わせた途端ーーー女の子はその瞬間を逃さず、手を引いて男の手から逃れーーー

 

「よくもやりやがったな、このクソヤロー!!」

 

と叫ぶや否や、男の脛を蹴り飛ばしました。

 

「ぐぅっ!つぅ……このクソガキ……!」

 

『なっ……!?』

 

「ざまぁねーな!あはははっ!」

 

女の子が大きく声を上げて笑う様は想定外で、私たちは思わず目を丸くします。

 

「いい加減にしろ、女」

 

怒りを内包した低い声で言うと、巨漢がゆっくりと女の子に近付こうとしーーーその二人の間に透流さんが立ちます。

 

「まだ邪魔するつもりかよ!」

 

長髪の怒りが透流さんに向いている間に、女の子は中指を立てて「テメーらこそ消えちまえ!」と叫ぶと、アーケードの中へと駆けていきました。

 

「くそっ、テメーのせいで……!!」

 

 

 

「テメーのせいで……なんだって?」

 

するとそこに突然第三者の声が響き渡りました。

 

「まったく、人のシマでギャーギャー騒いでる上に女に手を上げようとする男とか……死んでいいだろ」

 

「司狼……」

 

兄さんが呟き、視線を向けている先には手にデザートイーグルを長髪の男に突き付け、ニヒルに笑う遊佐司狼さんが立っていました。

 

「お、おい……あいつ……」

「ああ、底なし穴(ボトムレススピット)のトップじゃねぇか……?」

「マジかよ……」

 

「おい影月、お前の連れに言っておけよ。こんな面倒事に毎度毎度首突っ込んでると早死するってよ」

 

「お前が言うのか、司狼」

 

周りがざわめく中、兄さんが半眼で呆れたように言うも、司狼さんはスルーして続けます。

 

「で……どうする?お二人さん。このままここでやりてぇって言うなら俺は付き合ってやっても構わねぇぜ?」

 

「……やめておこう」

「お、おいっ……!?」

 

「おーおー、賢い選択なこった。ほら、早く行った行った」

 

銃をしまって、しっしっと手を振る司狼さんを見て、巨漢は無言で、長髪の男は舌打ちをして踵を返して去っていきました。

 

「ふー……やっと来たか。ずっと待ってたんだぜ?」

 

「すまないな。色々準備とか連れの案内に手間取ってな……」

 

「如月、彼は……?」

 

すると今まで黙って成り行きを見ていた巴さんが兄さんに問いかけます。

 

「透流たちは初めて会うんだっけか……こいつは遊佐司狼。蓮たちの仲間でーーー」

 

「通りすがりのただのイケメンだよ」

 

そう言ってニッと笑う司狼さんを見て、透流さんたちは微妙な顔をします。

 

「なんだよ、ノリ悪りーな」

 

「いきなり自分の事をイケメンとか言う人相手にどう反応しろと……?」

 

「んな事俺が知るかよ。それよりもさっさと行こうぜ?例の《禍稟檎(リンゴ)》について、幾つか分かった事があるからな」

 

「ん、分かった」

 

そう言って踵を返した司狼さんに私と兄さんと安心院さんがついていくのを見て、透流さんたちは再び微妙な顔をしましたが、いつまでもぼーっと立っているのはまずいと思ったのか、仕方なさそうについてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーで、現在一番怪しいのはベラドンナのリーダーのリョウって奴なのか?」

 

それから三十分程経った頃ーーー私たちは底なし穴(ボトムレススピット)で司狼さんとエリーさん、そして今日は非番だと言う螢さんを交えて彼らが色々な手を使って得たという情報を聞いていました。

その情報の中で兄さんが一番反応したのはリョウという人物についての情報です。

ちなみに司狼さん、エリーさんと初対面の透流さんたちは先ほどまでかなり警戒していましたが、蓮さんの親友という関係と、私たちと交わす気軽な会話を聞いて警戒を解いています。

 

「ああ、大学の法学部に籍を置いている成績優秀な勤勉タイプで、交友関係も広いらしいぜ」

 

「そして資産家の出で、ある程度の素行不良も揉み消せるみたいよ。そして彼の親の所有するマンションに女と二人で住んでるとか」

 

「素行不良以外は聞く限り、怪しい所は無いみたいに聞こえるが……?」

 

巴さんがそう疑問を口にすると、司狼さんは咥えていたタバコから紫煙を燻らせながら答えます。

 

「ま、そこだけ聞けばそう思うだろうな。だがどうにも()()()()()

 

「お?司狼、あんた嗅覚も不能じゃなかったっけ?もしかして治った?」

 

「バーカ、ちげーよ。そういう一見何も無いような奴が一番怪しくて臭うって話だ。推理小説とかでよくあんだろ」

 

「なるほど……で、そのリョウって奴はどこにいる?」

 

兄さんは司狼さんに問いかけました。

すると今度は螢さんがその質問に答えました。

 

「この三番街から少し離れたとこにあるクラブ・エレフセリア。そこがベラドンナの溜まり場よ」

 

「ああ、螢ちゃんはベアトリスと交代でエレフセリアを監視してるんだっけ。ならエレフセリアの案内は頼んだわよ〜」

 

「貴女ね……」

 

そう言ったエリーさんに螢さんはため息をつきました。

 

「別にいいんじゃねぇの?お前、今日暇だろうし?お互いの情報交換も終わったからちょっと行ってこいよ」

 

「遊佐君まで……」

 

「まあまあ……お願い出来ますか?螢さん」

 

「……分かったわ。ついてきて」

 

そして私たちは司狼さんたちにお礼を言い、扉から出ていった螢さんについていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

情報を得るーーーと一言に言っても、まずは街を知る事から始まります。

構える店などの情報は事前に学園側から用意されていたり、先に調査に来ていた私たちが情報を持っていたりしていたものの、やはり現地に来て自分自身の目と足で確かめた方が咄嗟の行動の際に色々と役立ちます。

そうしてお店の場所、道の繋がり、人の集まる場所などを大まかに螢さんと確認して数日後ーーー私たちの任務は次のステップへと進んでいました。

それはーーー活動の拠点を改めて定める事です。

定めた拠点、もしくはその付近をテリトリーにしている人たちに、私たちという新参のグループを認識してもらうのが狙いです。お互いに顔を覚えていれば、いずれ言葉を交わす機会も出てくる。そうなれば《禍稟檎(アップル)》につながる情報もいずれは得られるだろうーーーというのが透流さんの出した提案でした。

ここで司狼さんたちの居る底なし穴(ボトムレススピット)を今まで通り拠点として使わないのか?という意見が聞こえてきそうですが、司狼さんたちとは元から知り合いという関係上、透流さんの出した提案の狙いが意味の無いものになってしまいます。

なので司狼さんたちと話し合い、私たちは裏では情報を交換し合う協力関係を続けつつ、表側では全く関わりが無いように偽るという形になりました。

 

 

駅と繋がる高架通路、若い世代向けの店が集まったビル、ボーリング場、ビリヤード場、ファーストフード店やファミレス、中心地から少し離れた所にある公園と様々な拠点の候補が上がりましたが、私たちがその中で選んだのはーーー

 

「兄さん!見てください!取れましたよ!」

 

「…………なんだろう。似たような言葉を前聞いた気がする……」

 

三番街付近に位置し、以前司狼さんと共に遊んだゲームセンターです。

やはりこの街に存在する五つの派閥と、無所属の人たちが多く出入りするこのゲームセンターは今回の任務を考えれば適切な場と言えるでしょう。

私は以前とは違う種類のぬいぐるみを抱きしめながら、兄さんの元に行くと、兄さんは何やら頭を抱えながらぼそりとそんな事を呟きました。

 

「前みたいに楽しんでるな……任務中なのに」

 

そう言って兄さんが視線を向けた先にはーーー

 

「ふふっ、完璧(パーフェクト)ね♪」

 

パチンと指を鳴らし、喜びを露わにしているリーリスさん。

彼女はファンファーレを響かせるプライズキャッチャーから景品、ぬいぐるみを取り出して嬉しそうにぎゅっと抱きかかえました。

 

「……にしても、あのぬいぐるみのデザインは何なんだろうな……」

 

リリースさんが抱きしめているのは世界的人気のホラーテーマパークDNL(デスニューランド)のマスコットキャラ・ロジャース。

ハート形をしたリーゼントのたてがみを持つ馬で、後頭部からは脳みそが見えるというデザインです。

リーリスさん曰く、キモカワイイとの事ですが、私としては「まあ、そういったキャラもいいんじゃないですかね?」といった感じの印象です。

そして兄さんと遠目にリーリスさんを見ている透流さんはそのキモカワイイがまったく分からないようです。

 

「でもって、安心院と妹紅は音ゲーにべったりだし……」

 

次に兄さんが視線を向けた先にはーーー

 

「よし!「Einsatz」フルコン達成!」

 

「こっちはなんとか「月まで届け、不死の煙」をクリア出来たよ。いやー、この音ゲーって奴は面白いねぇ」

 

安心院さんと妹紅さんがハイタッチをして楽しそうに話しています。

 

「妹紅は妹紅で幻想郷に戻る情報収集するって言ってたのに、音ゲーに思いっきりハマってるし……」

 

ちなみにトラさんはメダルゲーム、巴さんは将棋ゲーム、ユリエさんは先ほどから一つのプライズキャッチャーにずっと張り付いています。

 

「そういう兄さんは遊ばないんですか?」

 

「うーん……特にプライズキャッチャーで取りたい物も無いし……」

 

「なら、私と遊びましょうよ!あっちにマ○オカートありましたからそれで!」

 

「ほう、それは○リカーがものすごく得意な俺に対しての挑戦か?」

 

「当然です!今日こそ絶対に勝ちます!!」

 

「ははっ、やれるものならやってみろ!!」

 

そうして私と兄さんは周りが若干引くくらいの気迫を放ちながら、目的のゲームへと足を進め始めました。

 

 

 

 

()()があったのはそれから程なくしての事でした。

マリ○カートで激闘を繰り広げた私たちは、そろそろ透流さんたちと合流しようとプライズキャッチャーのあるコーナーまで戻る事にしました。

○リオカートがあったコーナーを後にし、写真シール機プリントフラッシュ(通称プリフラ)コーナーを横切っていこうとした時ーーー

 

「おっと……!」

 

「うわっ!!」

 

私はプリフラコーナーから突然、前を見ずに出て来た女子高生二人とぶつかりそうになりました。

 

「どこ見てんだよ、テメー!」

 

直後、ウェーブヘアの女の子が怒鳴ってきました。

向こうの不注意なのに怒鳴られるのは理不尽だとは思いますが、わざわざそれに突っかかって余計な騒ぎを起こすような私と兄さんではありません。

 

「すみませんでした!」

 

「悪かったな」

 

と私たちがすぐに謝るとーーー

 

「ん?テメーらどこかでーーー」

 

こちらの言葉を遮って眉間にしわを寄せ、こめかみに指先を当てた女子高生は何かを考え始めました。

 

(あれ?確かこの子、前にもどこかで見た気がーーー)

 

一方の私もブリーチで茶髪にしたゆるい短めのウェーブヘアの女子高生を見て、どこかで見た事がある気が……?という考えが頭に浮かび上がりました。

 

「誰よ?」

「待った。あとちょっとで思い出せそうだからーーー」

 

怪訝そうな顔で話し掛ける友人を、茶髪の子が手で制した直後ーーー

 

「影月、優月?どうした?」

 

私たちの声を聞きつけたのか、透流さんが近付いてきました。

そんな透流さんの顔を見た茶髪の子はーーー

 

「あーーーーっ!!お前、この前《沈黙の夜(サイレス)》に絡まれた時の奴じゃん!!」

 

彼女は透流さんの顔を見ながら叫びます。

 

「ちょっ、こいつ《沈黙の夜(サイレス)》の奴かよ!?」

 

「違う違う!なんか知んねーけど《沈黙の夜(サイレス)》の邪魔をしたんだって!」

 

「はあ?つまりどういうことよ?」

 

(《沈黙の夜(サイレス)》……確かベラドンナと不仲のグループでしたね……)

 

沈黙の夜(サイレス)》、邪魔をしたーーーその二つの単語から思い当たる事はーーー

 

「君、先日三番街の入り口で絡まれてた子だろ?」

 

どうやら私と同じ事を思った兄さんは、ウェーブの子にそう問いました。

 

「そうそう!それあたしあたし!人が楽しく遊ぼーって時に《沈黙の夜(サイレス)》の奴らに邪魔されてさー。けど、あんたのおかげで助かったわけよ♪」

 

「あー、あの時の話ね。把握したわー」

 

バンバンと透流さんの肩を叩きながら笑顔を見せるウェーブの子に、もう一人の女子高生も話を理解したようです。

 

「で、君はそっちの二人にも見覚えがあるのか?」

 

「それが考えてるんだけど、思い出せなくてさー。なんかこいつらもどっかで見た事あんだけど……」

 

そう言って再びこめかみに指先を当てて考える女子高生に兄さんはーーー

 

「確か数ヶ月前、君は底なし穴(ボトムレススピット)の前で言い合いをしてたよな?確か邪魔をするから文句言いに来たとか言って」

 

「……あーーーーっ!!思い出した!!あのかっこいいイケメンと一緒にいた奴らか!!」

 

「ああ、多分それであってる」

 

「あー、そっちも把握したわー」

 

ちなみにイケメンとは十中八九、戒さんの事だと思われます。

 

「先日は助かったからよかったけど、最後に蹴りを入れるのはどうかと思うぜ。あれじゃ相手の精神を逆なでーーー」

 

「説教うぜー」

 

「うっ……」

 

透流さんの指摘に彼女は余計なお世話だとばかりに睨み、透流さんは言葉に詰まります。

そこへーーー

 

「透流、影月、優月、その子たちは?」

 

ひょこりと筐体の陰から顔を出したリーリスさんが、私たちと二人の女子高生を見て不思議そうな顔をします。

 

「ああ、この子たちはーーー」

 

「リアル外国人っ!マジ金髪じゃん!!」

「胸でかっ!!ぼーんっ!!」

 

「えっと……?三人とも、一体なんなのよ、この子たち?」

 

透流さんが説明しようとした矢先に二人が騒ぎ出し、さすがのリーリスさんも動揺します。

そこへさらにーーー

 

「どうしましたか、トール?」

 

「なんかあったのかい?かなり大きな叫び声が向こうでも聞こえたが」

 

「リアル外国人パート2と3!二人とも銀髪じゃん!!」

「顔ちっさ!!きゅーとっ!!」

 

「……私は外国人じゃない。れっきとした日本人だ」

 

そんな妹紅さんのツッコミすらも無視して騒ぐ二人組。

その二人が騒いでる間に透流さんと私たちは、騒ぎを聞いて集まって来ていた皆さんへ手早く説明を済ませました。

 

「ふむ、先日の者だったか……。ところで今の話で一つ気になったのだが、《沈黙の夜(サイレス)》とは?よければ聞かせてもらえないだろうか?」

 

事情を聞き終えた巴さんはさりげなく会話へ混ざりつつ、情報収集を始めます。

 

「あいつら知んねーの?」

 

「すみません。私たちは今まで松里(まつざと)に立ち寄るぐらいだったので……。皐月(この街)へ来たのはつい先日なんです」

 

私は皐月市に隣接した街の名前を出してここに詳しくない事を言うと、二人の女子高生は何の疑いもなく話始めました。

 

「うちらはさー、自由に楽しくってのがアピールポイントのベラドンナってグループなわけよ。いろんなガッコのやつや、ぶらぶら暇してるやつが集まって遊んでるっしょ」

 

(やっぱり彼女たちはベラドンナに属していましたか……)

 

「なるほどな。って事は、この前揉めていた彼らはもしかしてその《沈黙の夜(サイレス)》って所の奴らか?」

 

そこへ兄さんがさらに質問します。

 

「そうそう、あいつらはいろんなガッコのドロップアウト組が集まってるグループで、街を仕切るとかチョーシこいてるやつら」

 

美咲さんと名乗った(お互いに自己紹介しました)ウェーブヘアの彼女からの話は大方私たちが聞いた今回の任務のブリーフィング内容とあまり大差ありませんでした。

皐月市の繁華街には五つの派閥と無所属の人たちがいるという事。

また、五つの派閥がよく集まっている場所というのも私たちが以前から集めていた情報とあまり大差ありませんでした。

 

(ほぼ資料と情報通りですね。目新しい情報は無し……成果はこちらの情報の確実性が増した位でしょうか)

 

「《沈黙の夜(サイレス)》のやつらマジうぜーから、ナイツには行かない方がいいっしょ」

 

「ご忠告ありがとうございます」

 

とはいえ、《沈黙の夜(サイレス)》の溜まり場はナイツというバーなので、安心院さんと妹紅さん以外の私たちは入る事は出来ないのですが。

そちらの方は司狼さんたち率いる底なし穴(ボトムレススピット)の人や、ドーン機関の要員を派遣してもらうのが妥当でしょう。

 

「で、透流たちはこれからも皐月に顔を出すんだよな?」

 

美咲さんに問われ、私たちは一様に頷きます。

 

「だったらさ。ベラドンナ(うちらのとこ)来ればいーじゃん。みーんなバカでいいやつっしょ♪」

 

「えっと……」

 

「ふむ……」

 

ナイスアイデアとばかりに手を打ち合わせる美咲さんに、私たちはどう答えるべきか逡巡(しゅんじゅん)します。

潜り込んで情報収集するというのはこちらにとってはかなりの収穫が期待出来ますが、いきなり深入りするという事でもあるのでそれなりのリスクがあります。

透流さんや巴さん、トラさんや兄さんも私と同じような事を考えているようですがーーー

 

「まっ、いいからついて来なって。みんなに紹介するっしょ♪」

 

どうしたものかと私たちが答えを出すよりも早く、美咲さんは相方のココさんという子と共に歩いて行きます。

 

「……とりあえずここで会ったのも何かの縁だ。ついていこうか」

 

「そうだな……それにもしかしたらベラドンナのトップに会えるかもしれないしな」

 

そう言った妹紅さんと兄さんは、先を歩く美咲さんについていきます。

それを見て私たちもとりあえずついていこうという意見となり、私たちはゲーセンを後にしました。

 

 

 

 

 

 

三番街から少し離れ、洒落た外観の店が建ち並ぶ細道に入った所にその店はありました。

クラブ・エレフセリアーーー美咲さんたちの属するグループ・ベラドンナの溜まり場で、ベアトリスさんと螢さんが監視している場所です。

扉をくぐった先にはエントランスがあり、その先に進むと壁際にバーカウンター、対面にはテーブル席、さらに奥は大きく開けており、五十人くらいのお客さんで賑わうダンスフロアと、何色ものレーザーで派手に照らされたステージが目に入ります。

 

底なし穴(ボトムレススピット)と似たような間取りですね……一回り小さいですけど)

 

「随分と人が多いんだな」

 

「えー、今日は少ないっしょ。週末はこの倍は集まるしー」

 

美咲さんは知り合いらしき人たちと軽く声を掛け合いつつ、店の奥へと歩いて行きます。

奥には個室があるようで、扉を開けると室内は暗めのブルーライトで照らされたまるで海の底のようなVIPルームがありました。

 

「リョウ、ちょいいーかな?」

 

『っ!?』

 

美咲さんは部屋の中央に設置されたテーブルを囲むように置いてあるソファに座る数人の男女の中で、その中央に座す黒縁眼鏡を掛けた男性に話し掛けました。

私たちは美咲さんが私たちにとって聞いた事のある人物の名前を出した事で息を呑みました。

 

「なんだい、美咲」

 

年齢は二十歳くらいで、髪の先を白っぽく染めたツートーンのヘアカラーをした端整な顔立ちの男性は美咲さんに視線を向けました。

 

(この人が司狼さんが怪しいと言っていたリョウって人ですか……)

 

「実はさ。このーーー」

 

と美咲さんが私たちを紹介しようとした時、リョウにしなだれかかっていた女性が、私たちの姿を見て甘ったるい声を出しました。

 

「だれぇ、その子たちぃ?もしかしてぇ、ナンパでもして来たのぉ?」

 

かなり明るめの茶髪にピンクと緑のヘアチョークをした派手な外見の女性ーーーそんな彼女の唇に指を当てると、リョウは笑顔で言いました。

 

「スミレ。今は僕と美咲が話しているんだから、ちょっと待っていてくれるかな」

 

「はぁーい。いい子にしてるからぁ、はやくしてね、リョウちゃん♡」

 

リョウは勿論さと返しつつ、躊躇うことなくキスをしました。

 

「っっ!?」

 

すると背後から誰かが息を呑む声が聞こえました。

おそらく巴さんだと思いますが、ひとまずその考えは隅に置いておきます。

 

「さて、紹介が遅れたね。僕の事はリョウと呼んでくれ。ベラドンナの相談役をさせてもらっている」

 

「相談役?リーダーじゃないんですか?」

 

透流さんが聞くと、彼は笑って手を左右に振ります。

 

「年上だからって畏る必要はないよ。普段通りに喋ってくれればいいさ」

 

「えーっとーーーじゃあそうさせてもらうかな」

 

透流さんは逡巡した後、言葉遣いを普段通りに戻しました。

 

「さて、僕がリーダーじゃないのかという質問だったね。ベラドンナのモットーは自由ーーーだからリーダーと言えるような者は誰もいないよ。僕は皆が困った時にアドバイスをしていたら、相談役なんてあつかいになってしまったんだけどね」

 

彼はそう答えるものの、実質的にはトップなのは間違いないと思われます。

 

「ええっと……キミたちも今日からベラドンナの仲間入りって事でいいのかい?」

 

「そそっ♪この前《沈黙の夜(サイレス)》に絡まれたって話したっしょ。そんときに透流が助けてくれたんだよねー」

 

「ああ、キミが……そういう話なら歓迎するよ」

 

「……悪い。ここまでついて来てこう言うのもどうかと思うけど、俺たちは仲間入りをさせてほしいってわけじゃないんだ」

 

「えーーーっ!?どーゆーこと、透流!?」

 

「あー、ゴメンな。なんか言い出しづらい流れだったんで……」

 

そして私たちはここに来るまでの経緯を真実と虚構を織り交ぜながら話しました。

 

「つまり、美咲が先走ったというわけだね?」

 

「ま、簡単に言うとそんな所だ」

 

「ははは……」

「う……」

「キャハハハハ!美咲だっせー!」

 

経緯を把握したリョウにはっきりと告げた兄さん。それに透流さんは苦笑い、美咲さんは自分が先走った事を理解して言葉に詰まり、外野は笑い出しました。

 

「じゃ、じゃあどうしてついて来たわけ!?」

 

「普段、君がどんな所で遊んでるのか気になったんだよ」

 

「む〜……」

 

頬を膨らませて少し怒っているような美咲さんを見て、兄さんは苦笑いします。

 

「まあ、仲間入りするかは後々決めるさ。まだここに来て日も浅いから色々見て回りたいしな」

 

「……まー、それなら仕方無いっかぁ……」

 

それを聞いた美咲さんの頬が元に戻りました。

 

「そう肩を落とす事は無いよ、美咲。彼らが仲間入りを希望するまで待とうじゃないか。まあーーー」

 

私たちの顔をぐるりと見回し、リョウは続きを述べます。

 

「キミたちのようなユニークなメンバーが加わってくれるなら、僕も大歓迎だよ」

 

「俺っちも歓迎するぜーい♪特にそっちの金髪ちゃんをダイカンゲーイッ!ってなわけで今夜オレと付き合わなーい?」

 

「オレもそっちの白髪の子をカンゲイするぜー!で、そっちもオレと今夜付き合おうぜー?」

 

「あっ、抜け駆けすんなよ!俺はそっちの黒髪ちゃんと共にしてぇ!」

 

リョウの隣に座っていたドレッドヘアを後ろで結んだ軽薄そうな男性と二人の軽薄そうな男性が、リーリスさんと妹紅さんと私にいわゆるナンパというやつをして来ました。

 

「残念ながら、あたしの予約(リザーブ)はもう済んでいるの。……ね、透流♪」

 

「私は君たちには興味が無いな。色々な意味で強い奴じゃないと……な?」

 

「私も結構です。毎日兄さんと一緒に夜付き合ってますからね〜♪」

 

「ちょっ、リーリス!?」

 

「おい、優月!?」

 

そんな私たちの発言に場が大きく湧き、兄さんと透流さんは慌ててリョウたちへ弁解を始めるのでした。

 

 

 

 

 

 

時刻は二十二時を回り、私たちは所定の場所で迎えに来ていたサラさんと合流して学園へと車で戻っていました。

彼女が運転するのはブリストル家の高級外車ともあり、護陵衛士(エトナルク)の高気動車とは比べものにならない位、快適な座り心地のシートです。とまあ、そんな車の感想は置いといてーーー

 

「さて、それじゃあ今日の報告会といこうか。今日は五大派閥の一つ、ベラドンナに接触したわけだが、彼らに対して抱いた感想をそれぞれ言ってくれ」

 

車が走り出して少しすると、兄さんが今日の出来事について皆さんに聞きました。

 

「じゃあ私から……今日一日見た限りでは特に怪しい所はありませんでしたね。皆さん本当に好き勝手に遊んでいるみたいですし……」

 

ステージで踊ったり歌ったり、それを見て騒いだり、テーブルで談笑していた人たちもいれば、カウンターで静かに過ごしていた人もいました。そういう点を見たなら特に怪しい所は今の所、見当たりません。

 

「ふんっ。統率が取れていないからこそ、中で誰かが好き勝手やっていてもおかしくないと思うがな。特に件のリョウという男を中心に、数名が動いている可能性も捨てきれん」

 

トラさんの否定気味の発言に、兄さんやリーリスさんが頷きます。

 

「あたしもリョウに関しては同意見ね。他は気のいい連中って感じがしたけど」

 

「俺も同じだ。ステージで踊ってたりしてた奴らは本当に何も知らずに楽しんでるみたいだし……やっぱり怪しいとしたらリョウ辺りだな」

 

「気のいい連中だと?僕としては非常に不愉快な女が一人いたがな」

 

「あ〜……分かるぜ、その気持ち」

 

怒ったように吐き捨てるトラさんに安心院さんが同調します。

リョウの彼女ーーー派手なヘアチョークの女性の事です。

 

「う〜ん……」

 

「妹紅さん?どうしました?」

 

そこで私は妹紅さんが腕を組んで何かを考えているのに気がつきました。

 

「いや、その人の事で気になる事があってな……まあ、気のせいだと思うけど」

 

「……私には、あの人が悪い人とは思いませんが」

 

そう言うユリエさんに私たちは眉をひそめます。

 

「オレンジジュースを奢ってもらったからって、それでフィルタを掛けたらダメだぞ、ユリエ」

 

「ああ、そうやって懐柔した所でガッとしてくるような奴もいるからな。ああいう人は疑った方がいい。今は任務で潜入してるわけだしな」

 

ユリエさんはそういう意味では色々と甘いので、そのうち悪い人に騙されそうで心配です。

 

「それから不愉快って程じゃないけど、あたしもちょっと勘弁願いたい相手がいたわね」

 

「最初に声を掛けられたあのドレッドヘアの人ですか?」

 

私が聞くと、リーリスさんは頷きます。

 

「気持ちよく踊ってる所に、あたしのお尻を何回か触ろうとしてきたのよ、あいつ」

 

その瞬間、ビキッと何かにヒビが入るような音が聞こえました。

 

「……なんですか、今の不吉な音?」

 

「……多分サラじゃないか?よく見たらハンドルにヒビ入ってるし」

 

『えっ?』

 

兄さんの言葉に私たちは声を上げて、運転席に座るサラさんを見ます。そこにはーーー

 

「お嬢様、そのドレッドの男はいつ東京湾へ沈めればいいのですか?」

 

「何さらっと恐ろしい事を言ってるんだよ……」

 

「は?当然の事でしょう?お嬢様に手を出そうとしていたんですから」

 

『………………』

 

そう言って何処か背筋が凍るような笑顔を浮かべて振り返ったサラさんを見て、私たちは言葉を失いました。

しかしその中で唯一、言葉を失わなかった人(妹紅さん)がケラケラと笑いながら言います。

 

「まあまあ、落ち着くんだサラさんや。あれくらいの歳の男だと彼女みたいな可愛い子に声を掛けたくなるんだろうさ。若気の至りって奴だよ」

 

「……ならばそのような万死に値するような行動も無視しろと言うんですか?貴女は」

 

「そうは言ってない。まあでも……もし彼がリーリスに手を出したら、私が代わりにその男を消し炭にしておくからさ。それで勘弁しといてくれよ」

 

「なら、その消し炭の後処理は私に任せてもらえませんか?それなら許容致しますので」

 

「そういうことならいいだろう」

 

「いいだろうじゃねぇよ!!殺人はダメだからな!?……まあ、相手の行動次第では止むを得ないかもしれないが」

 

「影月、そこは最後までダメって言うべきじゃないのか!?」

 

そうした車内の騒ぎは昊陵学園につくまで続きました。

 

 

 

 

 

 

結局、ベラドンナに関しては今後様子見をしていき、下心満載で近づいてくる輩に至っては、場合によって滅尽滅相するという結論を出した所で、私たちは昊陵学園へ戻ってきました。

石造りの巨大な門を潜り、寮へと向かうその途中ーーー

 

「あれ?」

 

「ん〜?」

 

「どうかしましたか、トールになじみ?」

 

「こんな時間だってのに、妙に人の姿が多いなと……」

 

「今は二十三時だぜ?こんな時間に誰だろうね?」

 

言われて敷地内を見てみると、人影がちらほらと見えていました。

夏以来、警備が強化されたとはいえ、流石に数が多い気がします。かといって門限はとうに過ぎているので、生徒の可能性はーーー

 

「あ、透流くん。それにみんなもお帰りなさい」

 

「おろ?みやびちゃん?」

 

と考えていると、人影から聞き慣れた声が聞こえてきて、私たちはちょっと驚きました。

私たちに声を掛けたのは間違いなくみやびさんで、側には吉備津さんと月見先生(バニーメイド冬服仕様)の姿もあります。

 

「おつかれさまー、九重くん、影月くんたちもー」

 

「くはっ。夜遊びにお疲れも何もねぇーーーいや、夜遊びだからこそお疲れってか?」

 

「ただいま、みやび、吉備津。こんな時間に外で何をしてるんだ?」

 

月見先生は発言ごとスルーした透流さんが問います。

 

「今日はふたご座流星群の日だよ。昨日から少し話題になってたの覚えてないかな?」

 

「ああ、そういえば……」

 

そういえば昨晩からテレビでそのような事が言われていたのを思い出しました。

 

「理事長がたまには息抜きするのも大事だからって、今日は門限を一時までにしてくれたんだよー」

 

「そうか……朔夜が……中々粋な事をするな」

 

吉備津さんから事の経緯を聞くと、兄さんは薄っすらと笑みを浮かべました。

 

「透流くんたちも任務で疲れただろうし、一緒に息抜きをしないかな?」

 

「ついでに息だけじゃなくて別のものも抜いてもらうってのはどうよ?」

 

「そうだな、せっかくだから俺たちも息抜きって事で流星群を見ようか」

 

兄さんは先ほどからろくでもない発言をしている月見先生を捕まえてチョークスリーパーを掛けながら、私たちに提案しました。

 

「ちょ……《異常(アニュージュアル)》……ギ、ギブ……息が……」

 

「いい加減にそのいかがわしい発言をやめやがれ!!」

 

苦しそうにしながらギブアップの意思を示す月見先生とそんな月見先生に怒鳴る兄さんを見て、私たちは揃って苦笑いしたのでした。

 

 

 

 

 

「で、今日この時間を作ってくれた朔夜はどこにいる?それに美亜や香の姿も見えないんだが……」

 

暫くして、月見先生を解放した兄さんはみやびさんに朔夜さんたちの居場所を聞きました。

 

「理事長たちならさっき、この先にあるガゼボでお茶してたのを見たけど……」

 

「そうか。ならちょっと行ってーーー」

 

と兄さんが言おうとした瞬間。

 

『ーーーーーー』

 

何処からか、私たちの聞き覚えのある人の歌声が耳に届いてきました。

 

「この声は……」

 

「朔夜……さんですかね?」

 

「ふむ……理事長の声だな。ちょっと行ってみないか?」

 

巴さんの提案に私たちは頷き、そのまま朔夜さんの歌声が聞こえる方向へと足を進め始めました。まるで彼女の歌声に呼び寄せられているような感覚を感じながらーーー

 

 

side out…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は月と星が綺麗ね……私たちの世界や都会じゃあ、こんなに綺麗に見れないからなぁ。あ、また流れた」

 

流星群という普段あまり見る機会がない現象をゆっくりと鑑賞し、前の世界では飲む機会の無かったローズティーを飲みながら呟いたのは、腰まで伸ばした金髪のツインテールをしたゴシックドレスの少女だった。

 

「ええ、この学園は都市部から離れた場所に立地していますから周囲にはネオンのような星の光をかき消すような灯りも無く、空気も比較的澄んでいますから、天気が良ければ毎日このような綺麗な星空を見れますわ」

 

それに答えたのは黒髪のツインテールをした漆黒の衣装(ゴシックドレス)を纏った少女。

彼女もまた、自らの好きな飲み物であるローズティーを飲みながら、笑みを浮かべて答える。

 

「私の時代だって負けてませんよ!夜、城の天守に出てみれば本当に満天の星空でしたから!」

 

そこに元気よく割り込んできたのは、昔の日本にあったような着物を着た少女。

彼女は飲み終えたローズティーのカップをテーブルに置きながら、目の前に座る二人の少女に言う。

 

「確かに戦国時代ならば、今のような派手な灯りは全くなかったでしょうね。……そんな時代の星空も見てみたいものですわ」

 

「私も見てみたいなぁ……あ、また……」

 

金髪の少女は雲一つ無い夜空に光の軌跡が流れると、それが流れた方向を指を指しながら言う。

 

「そういえば流れ星が消えるまでに願い事を三回言うと叶うって妹紅さんから聞いた事がありますけど……朔夜さんと美亜さんは何か願い事がありますか?」

 

「願い事……ですか……」

 

突然着物の少女からの問いに、二人のゴシックドレスを纏った少女はそれぞれ考え始める。

そして少しした後に、漆黒の少女が口を開く。

 

「私は望んだものがほとんど揃っているので、特にありませんわ。しかし、強いて言うならーーー今の状態がずっと続いてほしいですわね」

 

「今の状態?」

 

漆黒の少女の答えに着物の少女は首を傾げて、続きを促した。

 

「ええ。こうして平和に茶を嗜みながら貴女たちという大切な友人たちと語り合ったり、影月や優月たちといったかけがえのない大切な人たちと楽しく過ごしたりする日常ーーーそれがいつまでも続く事を願いますわ。それがほんの一瞬の刹那だったとしても……」

 

漆黒の少女の脳裏には、様々な人たちの顔が浮かんできていた。

自らが依頼した任務を今もしっかりとこなしてくれている《異能(イレギュラー)》の少年を始めとした数人の親しい少年少女たちーーー

いつも自分を心配してくれて、気遣ってくれる優しい二人の少女ーーー

そしてこれからも自分をずっと愛してくれると言ってくれた恋人の少年の顔がーーー

 

「つまり現状維持を望むって事だね。……まあ、私も同じようなものかな。前の世界で私が思ってた事が今こうして実現してるし……それを失いたくないしね」

 

そう言った金髪の少女の脳裏には、以前彼女がいた世界の記憶が呼び起こされていた。

毎日とも言える過激な拷問の中で彼女が変わらず狂おしい程望んだのは、そんな辛い日常(拷問)が無い平和な世界と、そんな平和な世界で共に笑って一緒に生きていける友人がほしいという願いだった。

そんな願いは今、どういう巡り合いがあったかは分からないが叶った。彼女はそんなせっかく叶った願いが失われるのを恐れている。故に彼女もまた、今の刹那が失われないようにと願っている。

 

「そうですか……皆さん同じなんですね。私も似たようなものですけど……」

 

そして着物の少女もまた思う。一度は死んでしまった自分だったが、何のきっかけがあったのか今こうして生きている。

そして生き返った世界では、彼女が昔親友として親しくしていた白髪の少女と新たな仲間たちに出会えた。

彼女自身生き返った事に関して疑問は未だ持っているが、今このような奇跡的な出会いを考えると、きっとこの世界の神様が偶然にも巡り合わせてくれた嬉しい奇跡なんじゃないかと思っている。この出会いが偶然でも、着物の少女はそんな神様に感謝しているのだ。

 

「……私の知り合いが以前こんな事を言っていましたわ。『この楽しい刹那を引き伸ばして、永遠に味わっていたいーーーそれが俺の望む渇望(願い)だ』ーーーと」

 

「……刹那の永遠を望む……という事ですね」

 

漆黒の少女は何よりも刹那を愛し、大切にしている男の言葉を一言一言噛み締めながら言った。

この刹那を永遠に味わっていたいーーーそれは誰もが一度は思った事のあるだろう平凡で、陳腐な願い。

だがそんな誰もが思うありふれた願いであるからこそ、他のどんな願いよりも強固であると漆黒の少女は思う。

故にそれに倣って、彼女は学園の生徒たちに厳しい訓練だけではなく、このような平和な日常を過ごさせているのだ。

非日常の戦闘や任務といったものの合間にこのような楽しく、何度でも味わいたいと思わせる日常を過ごさせる事で、非日常時の際に生きて帰るという意志をより強固にさせるーーーそれが彼女がこの学園にいる者たちに求めている事なのだ。

そしてそのような事を気付かせてくれたきっかけと、楽しい日常、そして大切な友人たちを与えてくれた自身の恋人の顔を思い浮かべた漆黒の少女は、おもむろに立ち上がって歩き出す。

 

「朔夜さん?どうしました?」

 

そんな背後からの声を黙殺して、立ち止まった漆黒の少女は銀色に輝く月を見上げて声高らかに歌いだした。

 

「Silberner Mond du am

Himmelszelt.

天に輝く銀の月よ

strahlst aut uns nieder voll Liebe.その光は愛に満ちて世界の総てを静かに照らし

still schwebst du über Wald und Feld,

地に行きかう人達を

blickst auf der Menschheit Getriebe.

いつも優しく見下ろしている」

 

ドヴォルザークの歌劇『ルサルカ』の白銀の月ーーー目を閉じて優雅に歌いだした漆黒の少女の姿は、まるで童話に出てくる美しい姫君を思わせた。

そして静かな学園に響き渡る澄んだ高音域のソプラノ。それは外で流星群を見ていた他の者たちの耳にも届き、視線を集めるには十分なものだった。

 

「Oh Mond, verweile, bleibe, sage mir doch,

ああ月よ そんなに急がないで

教えてほしい

wo mein Schatz weile.

私の愛しい人は何処にいるの」

 

美しく輝く月を頭上に従えた彼女は愛しき者に贈る愛の歌を歌っている。

その光景を見た金髪の少女や着物の少女、そしてその他の周囲の者たちは皆恍惚と目を細め、その歌に秘められた想いを感じる。

やはりこの少女と例の少年は愛し合っているのだと。彼女は自らが愛する少年の帰りをずっと待ち続けているのだと。

 

「Sage ihm, Wandrer im Himmelsraum,

天空の流離い人よ

伝えてほしい

ich würde seiner gedenken: mög' er,

私はいつもあの人を思っていると」

 

そうして歌っている少女の頬にふと、一筋の透き通った綺麗な雫が伝っていった。

それを見た者たちはその涙の意味を感じ取り、そして願った。

彼女と、その彼女に愛を向けられている少年に幸せが訪れますようにと。

どんなに残酷で辛い世界であっても、彼女と彼を永遠に引き離すような事がありませんようにとーーー

 

「leucht ihm hell, sag ihm, dass ich inn liebe.

ああ 伝えてほしい

私があの人を愛していると」

 

頭上の銀色に輝く月を従えた少女は高らかに告白する。

 

「Sieht der Mensch mich im Traumgesicht,

愛しい人が

夢の中に私を見るなら

waeh' er auf, meiner gedenkend.

その幻と共に目覚めてちょうだい」

 

月に向かってゆっくりと顔を上げた少女の顔には、先ほど流した涙を感じさせないような美しい、しかしそれでいてどこか寂しそうな笑みが浮かべられていた。それはまるで絵に描いたのような笑みでーーー

 

「O Mond, entfliehe nicht, entfliehe nicht!

ああ 月よ 行かないで

Der Mond verlischt

そんなに早く逃げないで」

 

そんな笑みを浮かべながら月に願う彼女の姿を見た者たちは皆、その目に涙を浮かべながら呟いた。

 

「綺麗……」

「ああ……理事長のあんな顔、初めて見た……」

「普段の理事長なら、あんな顔見せないよね……」

「……なんかあれを見てると影月くんが羨ましいよね。あんなに綺麗な涙流すくらい愛されてるなんてさ……」

「影月くんも優月ちゃんに負けないくらい優しいからね……そんな優しさに触れたら、誰だってああなるよ……」

「そんなに愛されるなんて……本当にあいつらには勝てねぇよな……授業も訓練も、そういう事に関しても……」

 

周りにいた者たちは口々にそう言った。

そして彼にはもう一人、漆黒の少女に負けないくらいの愛を向けている者もいるのだが、今ここでそれは言うのは愚問というものだろう。

 

「verzaubert vom Morgentraum,

あの人をその光で照らしてほしい

seine Gedanken mir schenken,

その輝きであの人が何処にいても分かるように」

 

その時、そんな漆黒の少女に近付く一つの人影があった。

その人影は迷う事無く、漆黒の少女の元へと近付いていく。

 

「O Mond, entfliehe nicht, entfliehe nicht!

ああ 月よ 行かないで

Der Mond verlischt

そんなに早く逃げないで」

 

そんな近付く人影に気付いていない少女は未だ、想い人を想いながら歌い続ける。

 

「Oh Mond, verweile, bleibe, sage mir doch,

ああ月よ そんなに急がないで

wo mein Schatz weile.

私の愛しい人は何処にいるの」

 

そして歌い終わった少女は、ふと後ろに気配を感じて振り返った。

そこにはーーー

 

 

 

「ただいま、朔夜」

 

「影月……!!」

 

にっこりと優しい笑みを浮かべながら立っていた彼女の愛しい人ーーー如月影月の姿があり、それを見た漆黒の少女ーーー九十九朔夜は嬉しそうに彼の名を呼んだ後、彼の胸へと飛び込んだ。

 

「おっと……いきなりだな。そんなに寂しかったのか?」

 

「はい、ほんの少しですけれど……」

 

そう言って頬を少し赤く染めた朔夜は顔を上げて、影月の顔をじっと見つめた。

 

「ん……どうした?」

 

そう言って首を傾げる彼。そんな仕草をした彼に対して朔夜はーーー

 

(ああ……やっぱり未だに慣れませんわね……こうして彼の顔を見ているだけでこちらの顔が熱くなってきますわ……)

 

「いえ……相変わらず女性のような顔立ちだと思っただけですわ」

 

「なっ……帰ってきて早々抱きつかれて言うのがそれかよ……俺だって蓮程じゃないけど、気にしているんだからな!?」

 

「ふふっ、分かってますわ」

 

本音を心の内に呟くだけにして、楽しそうに彼の顔について弄った朔夜は少し名残惜しそうに、彼から離れた。

 

「さーくやさん!ただいまです!」

 

すると今度は影月の妹である優月が朔夜に抱きついた。それに驚いた朔夜は再び顔を真っ赤にする。

 

「ゆ、優月!?い、いきなり抱きついてくるのはびっくりしますわ!」

 

「さっき影月君に自分から抱きついた人がなーに言ってんだか……」

 

ニヤニヤとしながらそう指摘する安心院の言葉に、朔夜の顔はさらに真っ赤になる。

 

「あ、あれは……その……忘れてほしいですわ……」

 

「そうは言ってもねぇ……中々ロマンチックな光景だったから、僕には忘れる自信は無いなぁ……皆はどう?」

 

「……理事長、俺も安心院と同じく忘れられる自信がありません」

「ヤー、私もです」

「わ、私は忘れるように努力します!」

「巴ちゃん……あれは覚えててもいいと思うけど……」

「みやびに同感だな。僕もあれは覚えててもいいと思う」

「みやび、トラ、それはどういう意味よ……」

「おそらくお嬢様が思ってる通りかと」

「私もあんな風にせんせーとやってみたいなー」

「……モモ、それは勘弁してくれ……」

「本当、若いっていいねぇ」

「本当ですね」

「妹紅さんと香はなんか年寄り臭い感想だね……」

 

そう口々に言ういつものメンバーたちと、その他周りの生徒たちの盛り上がっているような反応に、朔夜は恥ずかしいのか俯いて黙ってしまった。

 

「まあ、忘れられないならそれはそれでいいじゃないか。それもまた、大事な思い出なんだから……な?」

 

「はい!そんな思い出があっても、私はいいと思いますけどね〜?」

 

最後に影月と優月が俯いた朔夜に向かってそう言うと、朔夜はようやく羞恥から抜け出したのかーーー顔を上げて言った。

 

「……分かりました。ならば覚えててもらって結構ですわ。しかし私の前で再び先ほどの事を言ったら……」

 

「……言ったら?」

 

「超高難易度VR訓練の実験に一日中付き合っていただきますわ。そうですわね……射撃訓練で命中率100%でクリアするまで食事無しとか、RAYを素手で三分以内に倒すとかいかがでしょうか?」

 

『すみませんでしたっ!!』

 

その言葉に多くの生徒たちが勢いよく頭を下げる。

 

「うわぁ……RAYを素手でとか無理ゲー過ぎる……しかもVR空間なら僕の能力とかも使えないしぁ……」

 

「くすくす……冗談ですわ。まあ、しつこく言うようでしたら先ほどの提案も考えますけれど……」

 

「だとさ。まあしつこく言わなければいいんだ。分かったか?」

 

影月の苦笑い気味の言葉に、皆頷く。

 

「分かっていただけたのなら結構ですわ。ーーーさあ、天体観測へと戻りましょう。門限も残り僅かですから皆さん、しっかりと楽しんでくださいな」

 

朔夜がそう言うと周りに集まっていた人たちは皆、笑顔を浮かべながら天体観測へと戻っていく。

それを見送った朔夜は、その場に残ったいつもの面々に振り向いた。

 

「さてーーー皆さんも向こうでゆっくりお茶でも飲みながら、流れる星を眺めましょうか?」

 

そう言う彼女の顔には、先ほど一人で歌っていた時に浮かべていたようなどこか寂しそうな笑みでは無く、心の底からこの状況を嬉しく思っているような明るい笑みが浮かべられていた。

それを見た者たちも揃って明るく笑い、彼女の申し出に頷いた。

それから彼らは門限いっぱいまでのんびりと星を眺めながら楽しい時を過ごしたのだったーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっと藤原妹紅の気配を感じる世界を見つけたわ……さあ、どこにいるのかしらね?」

 

そして物語は更に未知の結末を見る(Acta est fabula)為に加速していくーーー

 




どうでしたでしょうか?ちなみに今話の字数は約2万5千文字位です!多いな……と書いた後に思いました(苦笑)

誤字脱字・感想意見等、よろしくお願いします!いや本当に……(苦笑)

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