その日は珍しく、グラウンドには一人を除いて、いつもは居るであろう大勢の生徒たちがそこには見えなかった。では陸上部などのグラウンドを使う競技の部に所属している生徒たちはどこへ行ったのかといえば、各々の部室の窓から隠れるようにグラウンドを見ていた。彼らの視線の先にはグラウンドの真ん中で赤黒い色の何かにまみれて寝ている一人の人物だった。制服を見る限りでは箱庭学園の生徒であるが、それでも彼らは『あんな奴いたか?』『あれ誰?』と誰一人として知っている様子はなく、誰もその人物を助けようとはしなかった。しばらくするとその人物はむくりと起き上がり辺りを見回すと、とぼとぼと歩き始め、グラウンドから出るとシャワー室へと入り、服を着たままシャワーを浴びはじめた。
「固まったせいで全然取れねえ。くそ、前なら一瞬で綺麗にできたのに」
熱いシャワーを浴びながらガシガシと頭や体、着ていた制服までも洗うその人物の周りには、赤く染まったお湯が溜まり、鉄臭いにおいが充満している。どんどんと体から落ちていく赤くなったお湯はだんだんと色が薄くなり、ついには全く色がついていないお湯が落ちていくようになった。
「色は落ちた。ただ、びしょびしょなまま着るのもちょっと気が進まねえがこれ着ないと帰れないから我慢するか」
濡れたまま外に出てそのまま歩き出す。すれ違う人々は、何か変なものを見るような目でチラチラと様子を伺いながら、少し距離をあけて歩いた。
「…………ああそうか、スキルねえから見えるし認識されるのか」
「…………比企谷?あんた何してんの?」
彼の目の前に立っているのは、同じクラスの女子生徒である川崎だった。今までの人同様に変なものを見るような目で彼を見ているが、時折見せる心配そうな表情は彼女の優しさを物語っている。
「川……何とかさんか。どうかしたか?」
「どうしたじゃないでしょ。晴れてるのにそんなびしょ濡れで歩いてたら誰だって変だって思うもんじゃないの?」
だからと言って声をかけてくるのはお前ぐらいのもんだ、と思いながらもさっさと彼はその場を去りたいが故に何も言わず、彼女の横を通り過ぎようとしたところで肩を掴まれた。
「あんたどこ行く気?」
「どこ行くも何も家に行くんだよ。濡れたままだと気持ち悪いだろ」
「家来なよ」
「は?」
「だから、家来なって」
「何で「いいから」……はい」
彼はスキルさえあればとまたしても思った。しかし、偽安心院の裏切りにより死にかけた彼はスキルを減らすことで何とか踏みとどまったものの、あれだけあったスキルはたったの6つだけになり、当然出来る事は一気に減ったため彼は異様なまでに不便さを感じていた。この状況を打破できるスキルが今の彼にはない。彼はおとなしく彼女の後を少し空けてついて行くことにした。
「はい、これ」
渡されたタオルを軽い会釈をして受け取り、頭を拭く。だが歩いている最中に天気が良く、更には暑かったお陰かそれなりに髪や体は乾いており、タオルで水気を拭く必要は全くなかった。しかしながら好意を無下には出来ないため、ある程度拭くそぶりを見せる。
「拭き終わったそこにかけておいて」
指定された場所へとタオルをかけると、テーブルに座るように促された彼は最初は渋っていたものの、最後は観念したかの様に席に着き、出されたコーヒーを飲んだ。ブラックコーヒーだったため、一瞬眉が動いたが流石に出されたものにケチをつけるような無粋な真似はしないようにと彼は一気に飲みきり、静かにカップを置いた。
「……苦いの平気なんだ」
「どういうことだよそれ」
「あんたっていっつも甘ったるいコーヒー飲んでるから甘くしようと思ったんだけど、ちょっとしたいたずら心が」
彼女は彼が甘いコーヒーしか飲まないことを知っていながらも、苦いブラックコーヒーを出したというなんとも反応のしにくい悪戯に、彼は苦笑を浮かべた。少しの沈黙が過ぎ、埒があかないと感じた彼は自ら口を開いた。
「で、なんか用か?」
彼とて馬鹿ではない。せいぜい授業くらいしか接点のない彼女が、いきなり彼と接点を持とうとしている。明らかに違和感を覚えるここまでの一連の流れで、彼はあらかた見当がついていた。
「依頼か?或いは雪ノ下か由比ヶ浜にでも用があるのか?」
「…………聞きたいことがあって」
「……なんだ?」
彼女が口を開こうとした瞬間、彼は彼女を抱きかかえてキッチンへと身を隠した。彼らがキッチンに入った瞬間、けたたましい爆音が轟き、爆風と衝撃で家の中はぐちゃぐちゃになった。
「……大丈夫か?川崎」
「何が起きたの!?」
「比企谷!!遊びに来たぜ!!」
即席の入り口から入ってきたであろう複数の足音と聞こえる嫌な笑い声は彼がよく知っている人物の特徴と全く同じだった。壊れた机などを荒々しくどかし、さながら借金の取り立てのように怒号を飛ばしながら何かを探すその様子に川崎は怯え、体を小刻みに震わせている。
「おいくそ女」
彼は柄にもなく悪態をつきながら、キッチンから勢いよく飛び出し、忙しなく動く救世に背面から思い切り蹴りを食らわした。従えていた兵士たちも全て捜索に夢中だったために防御できず、もろに蹴りを食らった彼女はそのまま壁を突き抜けて隣の部屋へと転がっていった。
「比企谷!!死ね!!」
「相変わらずの語彙力の低さだ。ちょうどいい、お前相手に使ってみるわ」
「ざけてんのか腐り目!!」
穴から顔だけを出し、一体の兵士に目を向けると、顔のない兵士は一瞬歪な動きをした後、四つん這いになって勢いよく彼に飛びかかった。彼はと言えば何もせずにただただ立ったままだった。兵士はその歪な手足を彼の体にしっかりと巻きつけ、ギチギチと彼の体を締め上げるが、肝心の彼は涼しい顔をしたまま真っ直ぐに救世の顔を見ていた。
「なんだその顔。見てて腹たつな、死ね」
「さっきから死ね死ねうるせえよ。死ねしか言えねえのかお前」
彼女がニヒルな笑みを浮かべると同時に、巻きついた兵士は光り始め爆発した。耳をつんざくような爆発音と爆風で、川崎家はめちゃくちゃになり、辺りを炎が覆うというものが救世の想像していた光景だった。しかし彼女の目に移ったのは、彼女たちが入ってきた時よりも、より綺麗になった部屋と傷ひとつない比企谷だった。
「何が…………どうなってんだよ」
「現状維持のスキル、
ありがとうございました。