リヴァルがジュンキ達に対して暴言を吐いたその日の夜、クレハは村唯一の青果店兼雑貨店を覗いていた。
最近のクレハは、狩りに出ない日に料理の練習をしているので青果店へよく顔を出すのだが、顔を出す度に商品の数が減っていた。
「あ、霜降りトマトがない…」
「ごめんね、クレハちゃん。とうとう在庫が切れてしまったんだよ」
「早く山道が開通するといいですね」
「そうじゃないと、村人全員干からびちゃうよ」
クレハは青果店側を担当しているおばさんと他愛のない会話を済ますと、村人達のことも考え、自分が必要な分だけ野菜を買ってから帰路へついた。
陽は既に沈み、ポッケ村は静寂に包まれている。この村は空気が冷たく澄んでいるからか、ドンドルマの街よりも星空が綺麗に見えて、クレハは好きだった。
5人で寝泊りしている家の玄関を開き、中に入る。
「ただいまー」
「お、おかえり」
冷たい石の床に座布団を敷いて暖炉の前に座っているユウキが、振り向いて言った。
ショウヘイは自分のベッドの上で太刀「鬼神斬破刀」を丁寧に拭いており、カズキはビール片手におつまみを食べている。
「…あれ?ジュンキは?」
「風呂だよ。ひとりにして欲しいってさ。…リヴァルの言葉、結構効いたらしい」
「ふ~ん…」
クレハは右手の人差指を顎に当てて青色の瞳をパチパチさせると、とりあえず買ってきた野菜をクレハ以外使わないキッチンルームの野菜籠に入れ、再び自分達5人が生活の場としている大部屋へ戻る。そして自分のベッドに腰掛け、機会を伺った。
ユウキがトイレに立ち、ショウヘイがアイテムボックスの整頓を始め、カズキがキッチンルームへおかわりを取りに行った瞬間を狙って、クレハはこっそり家を出た。
その頃、ジュンキはひとりで湯船に浸かっていた。
ポッケ村には温泉があり、村人達が自由に使える公衆浴場となっている。その公衆浴場に、ジュンキはひとりで入っていた。
湯船を囲んでいる岩のひとつにジュンキは両腕を乗せ、その上に顎を乗せて月を見上げている。今夜は満月で、申し訳程度しか明かりがない公衆浴場内を照らしてくれている。
「…チヅル」
ジュンキが誰にでもなく呟き、静かに目を閉じた。
その時、公衆浴場の木の扉が開く重い音がジュンキの右側から響いた。右側、ということは当然左側もある。ジュンキはこちら側から入ってきた。
そう、この公衆浴場は混浴なのだ。ただでさえ小さい湯船を分割することはできないと村長は考えているらしい。
当然入ってきた女性を見るわけにいかず、ジュンキはそのままの体勢を維持しようとした。これなら、入ってきた女性に背中を向けていることになるからだ。
ヒタヒタと冷たい石畳の上を歩く音が近づき、湯船に足を入れる音が静かに響く。湯船に入ってきた女性はゆっくりとジュンキの背後に迫り、真後ろで止まった。
「…?」
何故湯船に浸からず、自分の背後で立っているのだろうか。ジュンキが疑問に思っていると、背後の女性が声を掛けてきた。
「…ジュンキ」
突然名前を呼ばれて、ジュンキはその場で目を開いた。
まさか!そんな馬鹿な!とジュンキは耳を疑った。どうしてここに!?だがそんなはずはない!だって…あいつは女だぞ!とジュンキは混乱してしまい、誤って(?)振り返ってしまった。
そこにはもちろん、ひとりの女性が立っていた。バスタオルを胴に巻いていて全貌は分からないが、筋肉質ではないけど引き締まった腕と脚、そしてその表面にいくつも見える古傷が、彼女がハンターであることを証明している。背中の中程まで伸ばされた長い青色の髪は湯気を吸い、先端が少し広がっている。そして髪と同じ色の瞳を持つ顔は、恥ずかしそうにほんのりと朱色に染まっていた。他の誰でもない、クレハだ。クレハが風呂に入ってきた。
「クレハ…!?」
ジュンキが驚きの声を上げると、クレハは目を逸らせてから口を開いた。
「やっぱり恥ずかしいね…」
「な…っ!あ…っ!―――…っ!?」
ジュンキは目のやり場に困り視線を泳がせていたが、クレハのバスタオルの上から見て取れる胸のふたつのふくらみを見つけてしまい、慌ててクレハに背を向けた。
「…どうして背中を向けるの?」
「お、俺かって…男だ…!」
「…ちゃんとタオルを巻いているよ?」
「そういう問題じゃないんだ…!」
「ふふっ…」
クレハは微笑むと湯船に浸かり、ジュンキの背中に自身の背中を預けた。クレハの背中がジュンキの背中に触れた瞬間、ジュンキの身体が強張る。その反応を背中で感じて、クレハは再び微笑んだ。
しばらくの沈黙の後、ジュンキが先に口を開いた。
「どうして入ってきたんだ…?」
「ここは混浴だよ?」
「そうじゃなくてだな…!」
「…ねえ、ジュンキ。またチヅルちゃんのこと、考えてたでしょ」
クレハの言葉を聞いて、ジュンキは開きかけた口を閉じる。クレハがため息を吐いたことを、自分の背中で直に感じとる。
「確かに、リヴァル君に酷い事を言われたね…」
「…ああ」
「それでも、チヅルちゃんは落ち込んでいるジュンキのこと、好きじゃないと思うな…」
「…」
「元気出して?ね?」
「…ありがとう。少しだけど、元気出たよ」
「ならよかった…」
クレハの言葉を最後に、ふたりは沈黙した。会話は無く、時間だけが過ぎていく。ふたりの顔が赤いのは、温泉に浸かっているからだけではないだろう。やがて偶然にふたりの手が触れたその瞬間、クレハは湯船から立ち上がった。
「そろそろ上がるね…。また倒れたら大変だし…」
「あ、ああ…」
ジュンキは振り返る訳にもいかず、クレハに背中を向けたまま答えた。
クレハが言った「また」と言ったのは、以前ドンドルマの街を拠点に活動していた時に、クレハが自室の浴室でのぼせて倒れ、ジュンキに介抱された時のことを指すのだろう。
この公衆浴場から出るまでジュンキは身動きできず、クレハがいなくなってから、ようやく肩の力を抜いた。