真っ白い場所だった。最初は天国と呼ばれている場所かとも思ったが、すぐに違うと分かる。
全身がひどく痛み、とても幸せな世界とは思えないからだ。これは…つまり…。
「いき…てる…?」
酷い声だった。自分の声だとはとても思えない。
「目を覚ましたのね。よかった…」
隣から声が聞こえ、首を動かさずに目だけを動かしてそちらを見る。
「ベッ…キー…?」
そこにはミナガルデの酒場で見かける、いつもの制服姿のベッキーだった。ベッキーは頷き、座っていた椅子から立ち上がる。
「自分のこと、分かる?あなたの名前は?」
「…ジュンキ」
「正解」
ジュンキが呆れ半分に答えると、ベッキーはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ここは…?」
「ここ?ここはミナガルデの街の病院。その中でも重症患者専用の病棟よ」
ミナガルデの街と聞いてジュンキは驚いた。つい先程までシュレイド城にいたはずなのに、いつの間に戻って来たのだろうか。
「どれくらいの時間が経ってる…?」
「そうね…。あなたが死んでもおかしくない重傷を負ったあの日から、もう3日か4日くらい経つわ」
「4日…!?」
「ええ。あなたもクレハちゃんも、生死の境をさまよって…ね…」
「クレハは…大丈夫なのか…?」
「…ええ。無事よ」
「そうか…」
ジュンキはクレハの無事を聞いて安堵し、深いため息を吐いた。
「でも…隣じゃないんだな…」
ジュンキは目だけを動かして隣のベッドを見て、そう呟いた。
ベッドは使われた形跡がないのだ。
「クレハちゃんは別室なの。傷の治りが遅くて…」
「そう…か…」
「クレハちゃんが心配なのは分かるけど、今は自分の身体を治すことを最優先してね…」
ベッキーはそう言うと病室の出入り口まで歩き、振り向いて「私は酒場に戻るけど、何かあったら医師を呼ぶのよ」とだけ言い残して退室していった。
ジュンキはベッキーの足音が遠ざかるのを聞きながら、そっと目を閉じた。
翌日も、その翌日もベッキーはジュンキの見舞いに来てくれたが、ショウヘイやユウキリヴァルといったいつものメンバーが見舞いに来ることは無かった。不思議に思ってベッキーに聞いてみたが、どうやらこの病棟では基本的に面会謝絶らしい。そしてベッキーが病室を訪れる度にジュンキはクレハの事を聞いたが、ベッキーは詳しく教えてはくれなかった。
やがてジュンキは立って歩けるまでに回復し、その回復力の高さに担当医師は非常に驚いていた。ジュンキは竜人なので、当然といえば当然なのだが。
だがここでまたひとつの疑問が浮かぶ。ジュンキでもこれくらいの回復力がるのだから、クレハもそろそろ回復していていいはずだ。それなのに、ベッキーはまだ駄目だと言う。
何か隠しているのだろうか。
ジュンキはどうしても気になってしまい、ある日の夜にこっそりクレハのもとを訪ねてみることにしたのだった。
その日の夜遅く、ジュンキは目を覚まして静かにベッドから降りた。
病室の扉を開き、廊下に出る。廊下は消灯時間を過ぎているせいで蝋燭が消されて真っ暗だったが、月明かりが照らしてくれていた。
ジュンキは壁に打ち付けられている病棟の案内板を頼りに、クレハがいると思われる病室を目指す。
(ここか…)
やがてひとつの病室にたどり着いた。病室の名前欄に「クレハ」と書かれているから間違いないだろう。しかし―――。
(ここは手術室じゃないか…)
そう、ここは手術室だった。つまり、クレハは手術の真っ最中だというのだろうか。
だが今は深夜で、さすがに手術をしているとは思えない。部屋の中からは物音ひとつしないし、明かりもついていないのだから。
ジュンキは意を決して扉を開き、中へ足を踏み入れた。
部屋の中は真っ暗というわけではなかった。火の点いた蝋燭が数本、部屋の中に散らばっている。そのため部屋はほんのりと明るく、何かに躓いたりする心配は無さそうだった。
「…!」
誰かの呼吸音が聞こえる。恐らくクレハだろう。ジュンキははやる気持ちを抑え、部屋の中央に横たわる大型の手術ベッドに歩み寄る。
そこには荒い呼吸を繰り返し、汗に濡れるクレハの姿があった。
「クレハ…!?」
明らかにおかしい。こんなに呼吸を荒げて汗を流しているのは尋常ではない。病気には素人のジュンキでも、クレハの容体は良くないことも分かった。
「そんな…。どうして…。クレハも竜人だから、俺と同じくらいにまで回復しているはずじゃ…」
ジュンキはベッドから出ているクレハの右手をそっと握った。
「ジュンキ…。あなたに、話さなければならないことがあるの…」
突然背後から声を掛けられ、ジュンキは振り向く。そこにはベッキーが難しい顔をして立っていた。
ベッキーはクレハに歩み寄ると、手に持っていたタオルでクレハの汗を拭う。
そしてゆっくりと口を開いた。
「あなた達を救うために…輸血をしたの」
「輸血…!?」
ベッキーの言葉を聞いて、ジュンキは声を上げずにはいられなかった。輸血ということは、他人の血液を流し込んだということなのだろうか。
しかしそれは相性の良い人間でなければならず、失敗した場合、輸血された側は死んでしまう。現在の医療行為の中では最後の手段のはずだ。
その最終手段に頼らなければならないほどに、ジュンキとクレハは自分の血液を失っていたのだろう。
「でも、人間の血では危険すぎる。だから…竜の血を…輸血したの…」
「なっ…!?」
ジュンキは言葉を失った。しかしベッキーは話を続ける。
「あなた達は竜人…。もしかしたら、竜の血でも大丈夫かもしれない。だからジュンキ…あなたには先日捕獲されたリオレウスの血を投与したのよ」
「リオレウスの…血液を…」
ジュンキは自分の右腕を見る。何の変哲もない、包帯を巻かれた自分の右腕。しかし、その中を流れる血はリオレウスのものだという。
「でもね、リオレイアの血液を入手することはできなかったの。だから…」
ベッキーが何を言いたいのか、ジュンキは分かってしまった。
だけど信じたくない。お願いだから違って欲しい。ジュンキが心の中で念じる中、ベッキーが重い口を開いた。
「だから…クレハちゃんにも、リオレウスの血液を投与したの」
クレハの身体に、リオレウスの血液を流し込んだ。
ベッキーの言葉を聞いたジュンキはクレハの右手を放し、ベッキーの両肩を掴んだ。
「どうして…!どうしてそんなことをしたんだ…!クレハは…リオレイアの血を引く竜人なんだぞ…!そんなことをしたら…クレハは…!」
涙声になりながら、ジュンキはベッキーに当たる。
「ごめんなさい。でも、こうするしかなかったのよ。こうしなければ…クレハちゃんはミナガルデの街へ着く前に死んでいたわ」
ベッキーの言っていることは正しいのだろう。もしベッキーが輸血を決断してくれなければ、ジュンキは息をしているクレハに再会することなどできなかったはずだ。
ジュンキが涙を流し、ベッキーが静かに受け止める。そんな時だった。
「…ジュ…ンキ」
消え入りそうな、しかし聞き漏らすはずがない声。
顔を上げてベッドで横になるクレハに目を向けると、そこではクレハが虚ろな視線を向けつつ、手を伸ばしていた。
ジュンキはベッキーの両肩から手を離し、クレハの手を優しく包み込む。
「…ショウヘイ君達にお願いして、リオレイアの血液を取りに行って貰っているの。もうすぐ戻る予定だけど…」
「…」
今の自分にできることは、クレハの隣でショイヘイ達の帰りを待つことだけだ。ジュンキは頭の中を整理させると顔を上げる。
そこには弱々しくも生きようとするクレハの瞳があり、目と目が合うとクレハは微笑みを返してくれた。
「私…負けないよ…。また…ジュンキと一緒に…生きるんだ…!」
クレハの言葉に、ジュンキは涙を流してしまう。
彼女は苦しみながらも生きることに必死なのだ。自分が弱くなってどうする。
「クレハ…!」
「ジュンキ…!」
お互いが握った手を固く結ぶ。
それと同時に、クレハの口から真っ赤な血液が溢れ出した。
「うぐっ…!げほ…っ!」
「クレハ!?」
ベッドの白いシーツを真っ赤に染めつつ、クレハは血を吐き続ける。
「クレハ!しっかりしろ!」
「医者を呼んでくるわ!」
ジュンキがクレハを支え、ベッキーが手術室を飛び出そうとしたその時、廊下を駆ける複数の足音がベッキーの耳へと届いた。
「まさか―――」
ベッキーが言葉を発すると同時に、病室の扉は開かれた。
「ベッキー!リオレイアの血を手に入れてきたぞー!」
「ショウヘイとリヴァルがセイフレムと交渉して、血を分けてもらったんだ!」
カズキとユウキが病室に飛び込んできた。
しかし、真剣な顔のベッキーと血を吐くクレハを見て、2人は硬直する。
「…あれ?」
「…もしかして、間に合わなかった?」
「いいえ…!」
ユウキとカズキを安心させるために、ベッキーはできる限りの笑顔で頷いてみせた。
「まだ間に合うわ!担当の医者を呼んでくるから、クレハちゃんから目を離さないでね!」
クレハの輸血手術は日が昇り切るまでかかった。
その間、ジュンキ、ユウキ、カズキはもちろん、後から合流したショウヘイ、リヴァル、リサ、フェンス、ベッキーも一緒になって手術室の前で待つ。
「…輸血は無事終了しました」
担当医師の言葉を聞いて、ジュンキ達に久しぶりの笑顔が満ち溢れる。
「意識も取り戻しました。もの凄い回復力ですよ」とは担当医師の言葉。
ジュンキを先頭に手術室の中に入ると、そこでは笑顔のクレハが出迎えてくれたのだった。