朦朧とする意識の中で、ジュンキは隣に並んで運ばれているクレハの姿を見た。
全身に矢を受け、真っ赤な血液を大地へ落としながら運ばれるクレハ。意識はどうにかあるようで、目は開いているものの、焦点が合っていない。
「ザラム…レッド…」
「今は喋るな。いくらお前でも、今度ばかりは死ぬぞ」
ザラムレッドの声にはいつもの落ち着きが無く、焦っているようだった。
こんなザラムレッドは始めてだなと、今にも死にそうながら笑ってしまう。
「降ろして…くれ…」
「なに…?」
「俺は…もう、助からない…。今度ばかりは…」
「…馬鹿者!お前には世界の行く末を見守る義務があるのだぞ!」
ザラムレッドの叱責。そういえばザラムレッドに怒られるのもこれが初めてかもしれない。
「お願いだ…。最期は…クレハの…隣にいたい…」
ジュンキの言葉を聞いて、ザラムレッドは隣を見る。
セイフレムに運ばれているクレハもジュンキと同じくぐったりしていて、ジュンキと同様、もう長くは持たないだろう。
「…分かった」
ザラムレッドはそれだけ言うと進路を変える。セイフレムもその意図が分かっているようで、何も言わずに付いて来てくれた。
この頃街道では、シュレイド城へ急ぐ部隊の姿があった。ベッキー率いるハンターズギルドの精鋭である。
ハンターズギルドが所有する最高の馬を飛ばし、ベッキー達は寝ずに走破してきた。
(もうそろそろで、シュレイド城が見えてくるはず…)
一切休眠せず馬を操ってきたベッキーは、何度も落馬しそうになりながらもどうにかここまでやってきた。
(苦しいのは、私だけじゃない…。ジュンキ君や、クレハちゃんも同じ…)
ハンターズギルドのために…。いや、世界の竜のために単身でシュレイド城に乗り込んだジュンキとクレハのことを思えば、これくらいどうということはない。
「あれは…!」
「ベッキー殿、リオレウスとリオレイアです」
背後からギルドナイト達に声を掛けられ、ベッキーは空を見上げた。
青空の相当高い場所を、リオレウスとリオレイアが飛んで行く。こんな急ぎの時に襲われでもしたら面倒である。
しかし、リオレウスとリオレイアはベッキー達には関心が無いようで、ベッキー達の上空を通過して行ってしまう。
「通過したようです」
「そうみたいね…」
ベッキーはそう言って視線を前に戻す。だが何かが頭に引っかかり、再度空を見上げた―――次の瞬間。
「っ!」
顔に何かが付着した。冷たい。雨だろうか。空に雲が無いわけではないが、ベッキー達の上空は晴れている。それに水滴がやたら大きい。
ベッキーは右手の甲で頬を拭い、そして目を見開いて驚いた。
「血…!?」
そう、それは何かの血液だった。そしてその血を見た瞬間、ベッキーの頭の中で全てが繋がる。
「…あのリオレウスとリオレイアを追うわよ!」
ベッキーは手綱を操り、街道から外れる。ベッキーの直感が、ジュンキとクレハの居場所を告げていた。
ザレムレッドはシュレイド城とシュレイドの街が遠くに見える小高い丘の上を選び、そこへジュンキを静かに降ろした。
セイフレムもザラムレッドに続き、クレハをそっと、ジュンキと向かい合うように降ろす。そしてザラムレッドとセイフレムは数歩下がり、静かに見守ることにした。
ジュンキは力が入らない腕や脚を少しずつ動かし、クレハとの距離を縮める。クレハも同じようにして、少しでもジュンキの負担を減らそうとする。
そしてお互いがこれ以上近づけない距離―――お互いの胸や腹に刺さった矢を刺激しないぎりぎりの距離まで近寄り、静かに見つめ合う。
「ごめんな…クレハ…」
「…どうして謝るの?」
ジュンキがかすれた声でそう言うと、クレハはほんの少しだけ首を傾げて答えた。
「俺は…チヅルだけでなく…クレハも…守れなかった…」
ジュンキの言葉に、クレハは目を閉じて首を横に振る。
「そんなことない…。私は今…幸せだよ…」
「それでも、俺は…!」
「私は…最期の瞬間まで…こうしてジュンキの隣にいれて…嬉しいよ…」
クレハの言葉に、ジュンキの瞳から涙が流れ落ちた。それを見て、クレハは笑みを浮かべる。
そしてセイフレムの方へとゆっくり振り向き、その姿を目に焼き付けてから口を開いた。
「セイフレムも…ありがとう…。あなたのお陰で…最期にジュンキと会えた…」
「そんな…!」
セイフレムはそれだけ言い残し、顔を背けてしまう。
ジュンキもザラムレッドの方を振り向き、できる限りの笑みを浮かべた。
「ザラムレッド…世話を掛けたよな…。結局…俺はお前に勝てなかったよ…」
「…ヌシは本当に馬鹿な竜人だ」
ザラムレッドはそう言って睨んでくるが、ジュンキは力の無い笑みを浮かべる。
そしてジュンキは再びクレハの方を振り向いた。
「クレハ…」
ジュンキに呼ばれて、クレハは笑みを浮かべたまま振り向く。
「そんな悲しい顔をしないで…ね…?向こうで…チヅルちゃんに…自慢するんでしょ…?」
「結婚したよ…ってか…。チヅル…悔しがるのかな…?」
「うん…きっと…。今度は…3人で…暮らそう…ね…」
「そう…だな…」
ジュンキとクレハは互いに笑みを浮かべる。目を閉じて顔を近づけ、そして唇を重ねた。
長い長い接吻の後にどちらともなく離れ、そして2人は動かなくなる。
「…」
「…っ」
見ていられなくなり、目を逸らすセイフレム。それを見たザラムレッドは翼を広げ、セイフレムの顔を包み込む。
涙が翼を伝うのが感じられた。
「…!」
ザラムレッドは背後から迫る足音に気付き、顔を上げた。セイフレムもすぐに気が付き、ザラムレッドの翼の下から顔を上げる。
そこに現れたのは、以前ミナガルデの街で見かけたことのある人間達だった。
「…!」
目の前のリオレウスとリオレイアが顔を上げたので、ベッキーは慌ててその場に止まった。後ろから続くギルドナイト達も馬を止める。
「…ベッキー殿。どうされるのですか?」
背後から声を掛けてきたギルドナイトを無視し、ベッキーは馬から降りた。着地の衝撃によろけてしまったのは、長時間眠っていないせいか、はたまた疲れか。
ベッキーは重い脚を必死に動かし、目の前のリオレウスとリオレイアを目指す。
「ベッキー殿!」
「危ないですよ!」
「…いいからそこで待ちなさい!」
ベッキーは首だけ回し、ギルドナイト達を一喝。ギルドナイト達はそれぞれの武器こそ構えているものの、その場に踏み止まった。
ベッキーはため息をひとつ、自分を落ち着かせるように吐いてから再び歩き出す。そしてリオレウスとリオレイアの前に立った。この2匹がベッキーを食べようとすれば一瞬で食べ尽くすことのできる距離である。
だがベッキーは動じない。何故ならリオレウスとリオレイアの向こう側に、向かい合ったまま倒れて動かないジュンキとクレハの姿が見えるからだ。
沈黙が辺りを包む。風が吹き、ベッキーの髪を揺らす。
じっと見つめてくる、リオレウスとリオレイアの瞳。その瞳がベッキーから外れると、リオレウスとリオレイアは道を譲ってくれた。
「…あなた達!ジュンキ君とクレハちゃんの救護を!」
ベッキーの一声でギルドナイト達はそれぞれの武器を捨て、ジュンキとクレハのもとへ駆け寄る。
「非常に微弱ですが、まだ息をしています!」
「大量失血による失神だと思われます。急いで輸血しないと…!」
ギルドナイトの報告に、ベッキーは眉間に皺を寄せた。
「街まで運んでいる余裕は無いわね…。近くのハンターズギルド出張所まで、持ってくれればいいんだけど…」
ベッキーは苦虫を噛み潰したような顔をしてそう言うと、ギルドナイト達にジュンキとクレハを運ばせた。
そしてベッキーもこの場を去ろうとしたが一度止まり、見守り続けるリオレウスとリオレイアを振り返る。
もうベッキーには分かっていた。リオレイアの方は初めて見るが、リオレウスの方はユーリから聞いている。
彼女によれば、あのリオレウスはジュンキの友達ということらしい。昔、ジュンキを迎えにドンドルマの街中まで入ってきたことがあるというから驚きだ。
そんな2匹に、ベッキーは頭を下げた。すると、リオレウスとリオレイアも頭を下げる。
ベッキーは「ジュンキとクレハをお願いします」という意図だと思い、しっかりと頷いたのだった。