「ベッキー!だだいまー!」
久々のミナガルデの街に、クレハの心は弾んだ。一直線に酒場へ向かい、入って早々大きな声で帰還報告。そんな様子のクレハに、ベッキーは苦笑いしながら右手を振ったのだった。
「ベッキー、師匠を探してくれてありがとう。師匠、元気だったよ」
クレハはベッキーの前のカウンターに座ると、礼を述べてから報告を始めた。師匠の様子に、母親の墓参り。全てを話し終えるまで、ベッキーは真剣に話を聞いてくれていた。
「とても充実したひとり旅だったみたいね」
「うん!今度はジュンキと2人で行きたいなぁ…」
ジュンキ、という言葉にベッキーの眉がピクリと動いたのだが、クレハは別の場所を向いていて気付かない。
「…そうね。今度は2人で行けるといいわね」
ベッキーの言葉にクレハは「うん!」と笑顔で頷き、ベッキーが入れてくれた水を一気に飲み干した。
「ところで…ジュンキは帰ってきた?」
「…それがまだなのよ。もうそろそろ帰ってきてもいい頃なんだけど…」
「そう…なんだ…」
ベッキーの言葉を聞き、クレハは視線を手元のグラスに落とした。そしてしばらくの沈黙の後、クレハはベッキーに「荷物を置くから、部屋に戻るね」と言ってから酒場を後にした。
クレハは自分のゲストハウスに戻り部屋に入って扉を閉めると、扉に体重を預けた。
そのまま窓の外を見ると、太陽はまだ空の高い場所にあった。昼食は竜車の中で済ませてしまったので、ご飯を食べて時間を潰すこともできない。
「ジュンキ…遅いな…」
クレハは小さいため息を吐いてから身体を起こし、背中に装着されている2組の双剣―――自力で強化し、これまでの狩りで振るってきた「ゲキリュウノツガイ」と、師匠ジークから一人前の証として渡された「紅蓮双刃」―――を外し、自分の収納ボックスの横に置かれている小さなテーブルの上に置く。そして自分の収納ボックスを開くと、その中へ2組の双剣を丁寧に納めた。
「師匠から受け取った双剣、不用意には使えないなぁ」
クレハはクスッと笑ってから装備を解き始める。髪を束ねていた紐を解き、左腕のレイアSアームを外す。
「…あれ?」
ここでクレハはあることに気が付いた。クレハの収納ボックスが置かれている場所とは反対の場所に置かれている、ジュンキの収納ボックス。その近くの壁に立て掛けてあったはずの太刀「エクディシス」や大剣「ジークムント」が無い。
「…まさか」
次の瞬間に、クレハは駆け出していた。
そう、ジュンキは一度ミナガルデの街に帰ってきているのだ。そしてベッキーはそれを黙っている。つまり、クレハが戻ってくる間に何かあったのだ。
クレハは外してしまった左腕用のレイアSアームを放り投げると、部屋を飛び出した。解いてしまった長い青色の髪が風に乱れて邪魔だったが、今は気にしている場合ではない。
途中の廊下や階段、フロントで何回も人に当たりながらもゲストハウスを出る。しかしクレハは謝ることすら忘れ、酒場へと急行する。
そして酒場の中へ入ると全てを悟った顔をしているベッキーと目が合い、クレハは意識せずともベッキーを睨んでしまう。
クレハは駆け足になりそうなのを抑えつつ、ベッキーの前に立った。そして心を落ち着かせるように、ゆっくりと口を開く。
「ベッキー…」
「気付いたのね。ごめんなさい、黙っていて…」
「…説明してくれるよね?」
クレハの言葉にベッキーはどうしたものかと顔を少し俯かせて考えるものの、誤魔化しきれないと判断したみたいで、ため息を吐いてから顔を上げた。
「ジュンキは…シュレイド城へ行ったわ」
「シュレイド城に…?一度街に戻ってきて、武器を持って…。ってことは…!」
「…軍が動き出したの」
ベッキーの言葉を聞いた瞬間にクレハは反転し、酒場の出口へと駆け出す。
「ま、待ちなさいっ!」
ベッキーはクレハがこれまで聞いたことのない大きな声で叫ぶと、パンパンッと2回、手を叩いた。
すると酒場の奥から武器を携えたギルドの職員―――ギルドナイトが20人程現れ、クレハを取り囲む。酒場の出入り口もギルドナイトによって封鎖され、多くのハンター達と共にクレハは酒場の中に閉じ込められてしまった。
巻き込まれてしまったハンター達は悲鳴を上げたり怯えたりしている中で、クレハだけは静かにベッキーを振り返る。
「…ベッキー、どういうこと?」
「…あなたをシュレイド城へ向かわせるわけにはいかないわ」
「ジュンキが来ないように言ったのかもしれないけど、それだけじゃないよね?」
クレハの言葉に、ベッキーは答えない。
「ベッキー、私はジュンキを助けたい。ただそれだけ。だから邪魔しないで」
クレハはそう言うと、酒場の出口に向かって歩き出す。すると20人程のギルドナイトが同時に剣を抜いたので、クレハは歩みを止めた。
「クレハちゃんがジュンキを助けに行く事に関して、ギルドがとやかく言うつもりは無いわ。…でも今回は場所が悪いの。いくら人命救助という大義名分を掲げても、シュレイド城に入ってしまえば、ギルドとして擁護できない。だから―――」
「それなら大丈夫だよ、ベッキー」
ベッキーの言葉を遮り、クレハは口を開いた。
「ギルドが私をハンターとして守ってくれるのは嬉しいけど、それでジュンキを助けに行けないんじゃ、意味が無いよね。だから私、ギルドを抜けるよ。だから…道を開けて」
クレハはそう言い、再び歩みを進める。
「ベッキー殿のご命令です。止まってください。さもなければ…」
酒場の出入り口を塞いでいるギルドナイトが忠告してきたが、クレハはそれを無視して進む。
「…御免」
クレハの目の前にいる、酒場の出入り口を塞ぐギルドナイト。彼が一言呟くと同時に、尋常ではない速さで突きを放つ。
それは真っ直ぐクレハの中心を狙っていたが、刃先がクレハに触れる直前でギルドナイトの剣が弾かれる。
「ベッキー…いいの…?」
クレハも、目にも留まらぬ速さで腰の剥ぎ取りナイフを抜き、ギルドナイトの剣を弾いた。そのまま刃先をギルドナイトの喉元に当てる。
剥ぎ取りナイフと言っても、刃渡りはクレハのひじから手首ほどの長さはある、非常に鋭利な刃物だ。ギルドナイトは「ひっ…」と短い悲鳴を上げ、身動きが取れなくなってしまう。
「これだけの人数で…今の私を止められるかな…?」
「…!」
振り向いたクレハの竜の瞳に睨まれ、ベッキーは言葉を詰まらせてしまった。
「貴様っ…!」
ベッキーが返事を返せないでいると、剣を弾かれたギルドナイトの隣が剣をクレハに突き出す。
「…っ!ま、待って!」
ベッキーがようやく声を出し、クレハの剥ぎ取りナイフは再びギルドナイトの首筋で止まる。
「…分かったわ。分かったから、ナイフを下ろして、クレハちゃん…」
クレハはベッキーを見つめたまま、静かに剥ぎ取りナイフを下ろす。するとギルドナイトは尻餅をついてしまった。
よく見みれば、クレハが構えた剥ぎ取りナイフは刃側ではなく峰側を向けられていたが、それでも竜人が扱えば危険だっただろう。
「ジュンキも同じようなことを言ってたわね…。あなたたち夫婦だけは敵に回したくないわ…」
ベッキーは再び手を2回叩き、ギルドナイトを下がらせた。
「ベッキー、ジュンキが出発したのっていつ?」
「今日の午前よ。今ならまだ途中で追いつけるかもしれないわね…」
ベッキーの言葉に、クレハは何も言わず駆け出す。しかし酒場から出る直前にベッキーに呼び止められ、クレハは振り向いた。
「必ず2人揃って帰ってくるのよ。私達ギルドも、すぐ追い駆けるから」
「…行ってきます」
クレハは出来る限りの笑顔を作って返事をすると、ゲストハウスに向かって駆け出したのだった。