プロローグ
その話は、何の前触れも無く一方的に告げられた。
「えっ…?リオレウス…?リオレウスってあの…?」
予想もしない竜の名前に戸惑いの表情を隠せない。
頭の整理も追いつかず、竜の名前をそのまま言い返してしまう。
「そうじゃ…。あのリオレウスじゃ…」
目の前の村長は普段からは想像できない程に覇気がなく、ただただうなだれている。
「リオレウスを…?」
もう一度、竜の名前を口にする。村長は頷くだけだ。
「俺ひとりで…?」
村長は決して単独で挑めとは言っていない。
しかし、ショウヘイとユウキはタイミングが悪く狩りに出ているのだ。今は頼ることができない。
「狩るの…?」
「…すまぬ。火急の依頼なんじゃ」
村長はそう言い、顔を歪めたまま頭を下げる。
「儂が無理を言っている事くらい分かっておる。じゃが今頼めるのはおヌシだけなのじゃ…」
村長の言葉に思わず周りを見渡す。
陽が天頂へと向かう午前。
この村に籍を置く腕の立つハンターは数人知っているが、誰もが出払っているのか村人しか見当たらない。
「他のハンターは皆出ておるのじゃ…」
半人前のハンターがひとりでリオレウスを狩る。それが非常に難しい事だと分かった上で、村長は俺に頭を下げている。
リオレウスが現れた場所は、この村の裏山に程近い森林地帯と丘陵地帯の狩り場と聞く。いつ村を襲うか分からない以上、村長も早急な対応を求められいるのだろう。
今すぐ打てる手は、俺が狩りに出ることなのだ。
「…分かったよ」
自信は無い。正直怖い。
だが、やるしかない。
了解の意を伝えると、村長は頭を上げた。
「すまんな…」
「…はい、契約金」
緊急とはいえ、村長からの正式な依頼だ。契約金を手渡し、狩り場となる村の裏山、ハンター達の間では通称「森と丘」と呼ばれる場所へ向かった。
「よいしょっと…」
狩場のベースキャンプに着くと、背中の大剣「バスターブレイド」を背中から外し、赤色の納品ボックスへ立て掛ける。
そして村長が手配した支給品を確認する為、今度は青色の支給品ボックスの前に立ち両手で蓋を開いた。
「え…?」
中身を見て驚いた。応急薬や携帯食料といった品々が、ボックスの限界まで敷き詰められていたのだ。
「村長…」
あまりに危険な依頼の為、村長が特例で用意してくれたのだろうか。心の中で感謝しつつ、持ち運べる限界を腰のアイテムポーチへ入れた。
「さて…」
続けて装備を確認する。今身に着けているのはランポスと呼ばれる小型肉食竜の皮や鱗、そして鉄から製造されたランポスシリーズと呼ばれる防具で、特に異常は見受けられない。
「…よし、行くか」
バスターブレイドを背負い直し、ベースキャンプを後にする。
「…?」
ベースキャンプを出て、すぐ異変に気が付いた。普段は若草を食んでいるアプトノスの群れが、今は1匹も居ない。
「どうしたんだろう…」
歩みを止めて、耳を澄ませてみる。
川の流れる音、風の通る音は普段と変わらない。しかし鳥や動物、小型モンスターの鳴き声が聞こえてこない。
「…嫌に静かだな」
今日の森は静かだ。普段と違う森の様子に、リオレウスへの不安と恐怖が押し寄せる。
だがこのまま立ち止まり続ける訳にはいかない。リオレウスを探すべく奥へと進む。
小さな坂を上ると、小高い丘に出る。
ここには普段、小型竜のランポスが2~3匹程度まとまっているのだが、今日はそのランポスでさえ1匹も居ない。
「リオレウスは、それほどまでに恐ろしいのか…」
自分以外、動く物が居ない。世界から自分以外が消えてしまったのではないかと錯覚してしまいそうだ。
「…そんな訳無いじゃないか」と頭を振って邪念を飛ばす。
ここに留まり続けても何も始まらない。周囲の警戒を怠らず、隣の丘陵地帯へ続く小道へ入った。ランポス1匹すら通れないこの道を抜けると、急に視界が開ける。
「…!」
視界の中央に、紅い巨体が現れた。
2本の太く逞しい脚。1対の翼。鋭い蒼眼。生え揃う牙。
「これが…空の王者…リオレウス…」
初めて見るその姿に驚き、立ち尽くす。
イャンクックとは比べ物にならない程に大きいと村のハンターから以前聞いたが、まさかここまでとは思わなかった。
そのリオレウスは今、こちらに右翼を向けた状態で空を見上げている。
(…?)
最初はその姿に驚き、次に「このリオレウスと戦う」という恐怖を感じたが、最後は好奇心を感じた。
それは「空の王者」とも称されるモンスターならば、リオレウスはすぐにこちらの気配を察知し襲い掛かって来るのではと考えた。しかし、目の前のリオレウスは予想を裏切り、どうしてか穏やかな姿を見せている。
(…!)
リオレウスの頭が動いた。反射的に右腕が動き、背中の大剣の柄を握る。
リオレウスはランポスを丸呑みに出来そうな口を開き、空を仰いだ。
欠伸だ。
(…ふふっ)
思わず笑ってしまい、気合を入れ直す。
戦う覚悟を決めて、力強くバスターブレイドの柄を握った。狩りの時間だ。
(勝てるのか…?)
穏やかな姿を見たからか、不思議と恐怖は感じない。ただ一度、リオレウスと戦いたいという好奇心が勝っている。
そう思った時には、既に身体が動いていた。姿勢を低くし、ゆっくり歩み寄る。そして。
「…はああああっ!」
リオレウスに気付かれる前に、途中から一気に駆け出した。狙うは攻撃を当てやすい右脚。
(よしっ!)
リオレウスはまだ気付いていない。このままバスターブレイドはリオレウスの右脚を傷つけるはずだ。
しかし、バスターブレイドは鈍い音を出しただけで弾かれた。リオレウスの右脚は無傷。
「なっ!?」
こちらの存在を感知したリオレウスの巨体が動く。ハンマーのような巨大で凶悪な尻尾が、大剣を弾かれた衝撃で隙だらけの腹に打ち込まれる。
「あぐっ…!」
衝撃が脇腹から背中へ突き抜ける。身体が「く」の字に折れ曲がって吹き飛ぶが、大剣だけは手放さない。無理に止まろうとせず、地面を二転三転してから立ち上がった。
すぐにリオレウスの位置を確認すると、ゆっくりとこちらに歩み寄るところだった。鈍く重い痛みが腹部に残るが、バスターブレイドを構えて走り出す。
「やああああっ!」
真正面から迫る俺に対し、リオレウスは凶悪な牙が生え揃った口を開く。頭から噛み付かれる恐怖を押し殺し、リオレウスの長い首の下へ入り込んだ。そして首元から腹の下、尻尾の付け根まで一気に斬り裂く。強固な鱗や甲殻に守られた外殻と異なり、腹部は容易く刃が通った。
「よしっ!」
リオレウスの下から出てすぐに確認し、戦闘中にもかかわらずガッツポーズをしてしまう。
しかし、リオレウスは慌てること無くゆっくりとこちらを振り向いた。目と目が合い、緊張に息を呑む。
そして両翼が開いたため攻撃が来ると身構えたが、リオレウスはそのまま飛び上がり、何も攻撃せずにそのまま飛び去っていく。
「えっ…?ええっ!?」
声を出して驚いてしまった。話に聞いていた恐ろしく凶暴なリオレウスとは異なり、反撃してこないとは…。
「…意外と臆病なのかな」
リオレウスの血糊を振り払ってからバスターブレイドを背中に戻すとリオレウスを追う為に一歩を踏み出し、重大なミスに気付いてその場に固まってしまった。
「…ペイントボールを投げていない」
リオレウスという大型モンスターの狩猟という緊張から、狩りの基本を忘れてしまっていた。
「歩いて探すしかないか」
ペイントボールの効果が期待出来ない場合に使う「千里眼の薬」という便利な道具が村で売っていたが、俺は持っていない。この道具は高価な為、まだ購入したことすら無かった。
この場でリオレウスが戻って来る時を待つという手もあるが、それは性に合わない。その為リオレウスが飛び去った方向を思い出しつつ、その方向に向けて歩き出した。
突然右側の草が、ガサッと音を立てて動いた。リオレウスの待ち伏せかと身構えるが、出てきたのは豚だった。
「ブヒィ…」
「…モスか。脅かさないでくれ」
モスと呼ばれる小型の豚が出てきただけだ。
気を取り直して進むと、やがて少し開けた場所に出た。隅には小さな池があり、その近くには大きな足跡がある。
「ここにも来ているのか…」
辺りを見回してみるが、リオレウスの姿はない。小さなため息を吐くと、来た道を戻る。
先の草原とは別の丘に出ると、そこにはリオレウスがいた。今回も尻尾をこちらに向けて立っており、今度は忘れまいとペイントボールをアイテムポーチから取り出し、勢い良く投げた。
それと同時に素早く背中のバスターブレイドに手を伸ばし、リオレウスに気付かれる可能性を考えられないまま駆け出す。
「やああああっ!」
無防備に揺れる尻尾に向かって斬りかかる。上段から振り下ろした大剣の刃が尻尾を斬り裂くはずだったが、直前で尻尾は右へと逃げた。
同時に投げていたペイントボールも外れ、地面に当たり弾けてしまう。リオレウスは最初からこちらの存在に気付いていたのだ。
「あ…っ!」
その上悪いことに、バスターブレイドの先端が地面に深々と突き刺さってしまった。勢いが強過ぎたのだ。
その隙を逃さず、リオレウスは自身を回した勢いでそのまま一回転し、小さなハンターの脇腹へ尻尾を当てる。
「あぐッ…!」
大剣をその場に残し、何度も地面を転がる。慌てて身体を起こすが、胃から昇ってくる液体を抑えきれず、その場に膝を付いてしまった。
「うえぇッ!」
酸の強い液体を吐き下し、糸が切れた人形のように倒れる。
視界が暗くなっていく。
近付く足音と振動。
リオレウスが自分を覗き込んでいる。
真っ暗で、何も感じなくなった。
「ん…?」
気が付くと、目の前には見慣れたベースキャンプのテントの天井が広がっていた。
「大丈夫かニャ?」
そこへ突然、視界に現れる猫の顔。
「うわっ!」
「フギャッ!」
驚いて身体を起こすと、腹の上に座っていたアイルーは転げ落ちてしまった。
「傷付くニャ…。せっかく運んであげたのに…」
顔を上げ、頭を掻き、アイルーは悲しそうに呟く。
「あ…ごめん…」
「…ま、いいけどニャ」
苦笑いしながら謝ると、アイルーは何とも思っていなさそうに答えた。
「ともかく、おミャーさんは倒れたのニャ。だから運んでやったのニャ」
その言葉を聞いて、少し気が滅入ってしまう。ハンターの決まり事のひとつに、ハンターは一度の依頼で3回倒れ運ばれると契約が解除されてしまう、というものがあるからだ。
「ま、テキトーにがんばるニャ!」
アイルーはそう言い残すと地面に穴をバリバリと掘り、そのまま地面の中へと消えてしまった。
「…ふう」
思わずため息を吐く。そう、自分はいとも簡単に負けたのだ。
しかし疑問がひとつ残り、思わず腕を胸の前で組んだ。それは、リオレウスが倒れた俺に対して何もしていないようだったからだ。
敵は徹底的に排除するものではないのだろうか…。
「…考えていても仕方ないか」
ふと自分の身体を見下ろすと、包帯が所々巻かれていた。
防具は脱がされ、テントの隅に固められて置いてある。
ベッドから立ち上がり、狩りが継続出来ることを確認すると防具を身に着けたが、そこで異変に気が付いた。
「うわっ…」
ランポスメイルの、鉄鉱石で作られた胴甲が凹んでいるのだ。リオレウスの尻尾による攻撃が、いかに強烈なものかを物語っている。
「…帰ったら直さないとな」
装備を整えると、バスターブレイドに砥石を当てた。
「どこにいるかな…リオレウス…」
使い終わった砥石を投げ捨て、バスターブレイドを担ぐ。
「巣に行ってみようかな…」
そう独り言を漏らし、ベースキャンプを出発した。
小高い山の中腹に横穴がひとつ、ポッカリと空いている。この山の中は大きな洞窟になっていて、様々な竜達の巣になっているのだ。
誰もいない静かな丘を横切り、この横穴を静かに覗く。
「こんにちは…」
風が通り抜ける不気味な音に、小さく呼吸する音が混じっている。
「いるみたいだな…」
この先にリオレウスがいる。怖いが気を引き締め、静かに洞窟の中へ入った。
「お邪魔します…」
明るい丘地帯から急に暗い洞窟に入ったので、まばたきを繰り返して目を慣らす。すると次第に洞窟の中の様子が分かってきた。
辺り一面、様々な動物の骨で埋め尽くされているのはいつものことだ。その中央で、リオレウスはいびきをかいて眠っている。
「…」
リオレウスの予想外の姿に驚き、そして怒りが沸き起こってきた。
前回も少し戦っただけで逃げられてしまい、いざ追ってみれば寝ている。これが空の王者の余裕なのだろうか。
「…俺じゃ相手にならないってか」
足音を立てないように、そっとリオレウスに近づく。
一面を埋め尽くすモンスターの骨は意外に頑丈で、踏み進んでも折れはしなかった。
しかし、中には風化が進んでいる骨もあり、踏み抜いた瞬間に骨が砕けた。
乾いた音が洞窟に反響する。
「っ…!」
目の前でリオレウスの蒼い瞳が開き、巨体が立ち上がる。ゆっくりと首を回し、目と目が合う。至近距離で睨まれ、頭の中が真っ白になった。
「ご、ごめんなさい…」
無意識に漏れ出た言葉がリオレウスに通じる訳がなく、返事の代わりに咆哮を送られた。
「ぐっ…!」
爆音に等しい咆哮に思わず両耳を塞ぎ、その場に立ちすくんでしまう。そして突然強風が吹いたと思うと、目の前からリオレウスが消えた。
「なっ…!」
顔を上げると、リオレウスは天井近くまで飛び上っていた。この高さでは大剣でも届かない。
どうしたら良いのか何もわからず呆然と立ち尽くしていると、リオレウスが両足を前に突き出し、引っ掻くようにして急降下してきた。降下速度が予想以上に速く、経験も知識も乏しいが故に反応が遅れ、リオレウスの巨大で鋭利な足の爪でランポスメイルごと胸部を左肩の付け根から右脇腹までを斜めに裂かれた。
「ぐあああああッ!!!」
裂かれた胸から鮮血が噴き出す。リオレウスの爪の前では、ランポスの鱗や鉄鉱石などは紙きれ同然だった。
「ぐっ…ああっ…!」
想像を絶する激痛に姿勢を崩すも、何とか膝を付かずに立ち止まる。
だが突然、めまいや吐き気、寒気が襲ってきた。リオレウスの爪にあると聞かされてきた毒の影響だ。
歯を食い縛りながら、滞空を続けるリオレウスを見上げる。すると、リオレウスは炎のブレスを吐いてきた。
避けようとはしたが、身体が言うことを聞かない。炎のブレスは直撃こそしなかったものの、目の前に落ちて爆発する。
「ぐう…ッ!」
顔を腕で覆うのが精一杯だ。爆風が胸部の裂かれた肉を焼き、爆風で身体が吹き飛ぶ。
背中から洞窟の岩壁に激突した。そのまま抵抗なく、地面へ落下する。
「がは…ッ!」
喉が焼けるように熱くなってきたと思った瞬間、真っ赤な血液が唾液とともに口から飛び出した。同時に視界も霞む。
リオレウスは大きな翼をはばたかせて着地すると、ゆっくり近寄ってくる。
(ここまで…なのか…?)
頭に死がよぎる。ショウヘイとユウキの顔が浮かぶ。
力を振り絞ってゆっくり顔を持ち上げると、目の前までやって来ていたリオレウスの蒼い瞳と目が合った。出来る限り憎しみを込めた目で見返す。
(喰われるなら…喰われるまで…睨み返してやる…!)
どれくらいの時間、睨み合っていただろうか。リオレウスはクンクンと臭いだけ嗅ぐと反対の方を向き、遠ざかり始めた。
「なっ…!」
自分はあのリオレウスに生かされた。それがたまらなく、悔しかった。
「覚えていろよ!次に会った時こそ…お前を…!殺してやるからな…ッ!」
その言葉に反応してか、リオレウスは立ち止まり振り返ったが、すぐに飛び上がり、天井にポッカリ空いている穴から飛び去って行った。
「覚え…ていろ…よ…」
視界が真っ黒になったかと思うとそのまま意識を失い、自分の血の池に崩れた。