かつて英雄と呼ばれた魔王 作:ナイツ
――さっきまでの勢いはどうしたのぉ?
闇に染み渡る様に響く声と共に、脇腹に生じた痛みにアッシュは顔を歪めた。
「くそっ!」
地下に落ちてから、ずっとこの調子だ。向こうも完全に遊んでいるらしく、軽傷のダメージしか刻んでこない。
真っ暗。
目の前に手のひらを翳しても何も見えない空間に、アッシュは本気で焦り出した。感知スキルはまだ全然な彼では、エリザと比べてこの状況に劣勢でしかない。
――次は右足ね
響く声に咄嗟に右足を庇うも、側頭部を襲った衝撃と共にアッシュは吹っ飛んだ。騙された上に、なぶられているのを感じて舌打ちをつく。
このままじゃ死ぬ。
ふらつく頭を支えながら、アッシュはそう感じていた。それと同時に、吸血鬼の対策を思い出し、プランを組み立てながら、スキルを発動させる。
“明鏡止水”
ピタリと。まるで置物の様に静止したアッシュに、エリザは眉をしかめた。
無力な小動物の様に、痛みでのたうち回って死ぬのを眺めるのが好きな彼女からすれば、今のアッシュの行動は少し気にくわない。
少し激痛を与えましょうか。
そう考え、ならば四肢の一つでも切り落とすかと狙いを定める。そこで、アッシュがナイフを握っている右手に目が向き、自身の爪を切り落とされたことを思い出した。
あれだ、あのナイフで止めを刺してやろう。
意趣返しを含めた復讐を考えて、エリザの頬がニタリとつり上がる、ならば行くかと、暗闇を音もなく進みアッシュの背後に接近し、腕を振り上げた。
――次こそ右足よ
そう囁き、一撃で腕をもぎ取る勢いを込めた攻撃を、アッシュへと叩き込んだ。
◆
「ふむ、もう一人居るのか」
「はい。エリザという吸血鬼です」
月明かり照らす通路を、モモンガとインベルンは歩いていた。
先程の奴隷服とは違い、モモンガから冒険者用の初期装備を譲り受けたインベルンは慣れないのか装備品である茶色のマントを弄りながら歩く。
オーバーロードの姿から元の人間の姿に戻ったモモンガは、顎に手を当て考える。
聞けば、ここを仕切っているのはそのエリザという吸血鬼だということ。非常にプライドが高く残虐な事を好むらしい。
だが、異形種となったモモンガからすれば、カルマ値が極悪に近いため、その様な行動を取るのだろうと推測できる。
――実際俺も、特に何も感じなかったしな。
兵士達の死体を見たことを思い出しながら口には出さず、そう頭で思っていると、インベルンが言う。
「だから、もしかするとそのもう一人のお仲間様は危ないかも……」
「いや、別に仲間って訳じゃな――」
瞬間。
目の前の壁が吹き飛び、黒い大型の何かが、モモンガ達の前に躍り出た。
四足獣の形をした巨大なそれは、全身に黒いミミズのようにのたうつ生き物を無数に纏いながら、紅く発光する眼で此方を見ている。
「エリザの“合成獣”か、また厄介な奴が……っ!」
「あぁ、さっき感知に反応したのはコイツか」
悪態吐いて身構えるインベルンとは対称的に、おー、と呑気な声を上げるモモンガ。
そんなモモンガの様子にポカンと口を開けるが、すぐさま言う。
「気を付けてください。コイツらは吸血鬼の特性を兼ね備えた存在、不死性もあり、さらに群れで行動します!」
インベルンの言葉を肯定するように、壁に空いた穴から、うぞうぞと無数の合成獣が姿を現す。
先程の者とは違う姿をしているのもあり、種類も多いようだ。
全身が粟立つような甲高い鳴き声を上げて、最初に出た合成獣がモモンガ目掛けて高速で突進する。狭い通路に巨体の合成獣の突進は、最悪と言ってもいい組み合わせだ。
このままでは当たった衝撃で内臓ごとぐちゃぐちゃにされるか、引き倒され、踏みつけられて挽き肉にされるだろう。
「モモンガさ――」
必死に助けようと手を伸ばすも、合成獣の方が早く間に合わない。
激突の衝撃音が鳴り響き、その影響で通路の窓ガラスが粉々に割れ散った。
尻餅ついて転んだインベルンが、モモンガを探して顔を上げたところで――その異様さに気付いた。
「――どうした、こんなものか?」
片手。
片手一本だけで、合成獣の突進を受け止めていたのだ。足元を見るに、少しも後ろに下がった様子もない。
合成獣も異変に気付いたのか、焦った様子が見られる。脚を踏ん張ってモモンガを押すが、脚が滑るだけで少しもモモンガに効く様子がない。
「私を押すのだろう――そらっ」
ぐっ、と。一足踏み込んで、次はモモンガが合成獣を押し込んだ。
ズリズリと音を立てて、合成獣が数メートル力づくで後退する。
強引に押され、少し体制を崩した合成獣がモモンガを睨むと、目の前に迫るものがあった。
足だ。人間の足。
普段なら骨ごと噛み砕いて飲み下すだけのそれが、眼前に迫っている。
今までも人間に蹴られたことはあるが、非力な威力でしかないそれは、対した脅威ではない。
そう、【普通】の人間であれば。
――首もとの何かがへしゃげる音を聞いて、合成獣は静かに意識を手放した。
「ふむ、体術はこんなものか。予想とは違ったな」
ブクブクと首もとから何かの体液を溢れさせて倒れている合成獣を眺めて、モモンガは足をプラプラと振る。
サッカーボールキックの要領で少し強めに蹴り飛ばしたのだが、思っていたより威力は高かった。
「(本職の戦士はまだ速いだろうな……、奴で少し研究するのも悪くはない)」
戦士職であろうアッシュのことを思い出して、次に周りを見渡す。
唸りながらも此方を見るだけでいる合成獣達と、信じられない物を見るような目をしているインベルンに気付いて、数瞬で理解した。
唖然とする視線から、次第にキラキラと憧れを含めた視線に変わったのを見て、モモンガの中で警鐘が鳴る。
――ヤバイ、面倒なことになりそうだ。
ならば急げと、モモンガは合成獣達に向き直る。
化け物染みた強さのモモンガに合成獣は怯むが、主人であるエリザの命令を思い出して自らを鼓舞するように次々に咆哮を上げる。
先程やられた一体も、少しは回復したのか、ふらつきながらもゆっくりとだが立ち上がった。
こうなったら人海戦術とばかりに合成獣達は一斉に、前から、横から、上からモモンガに襲いかかる。
「主人の命令に忠実で結構なことだ。ならば、私の“ペット”を紹介しよう」
――出てこい、ケルベロス
獲物へと接近する数秒の間で、モモンガが懐から出した一枚の羊皮紙が蒼く燃え上がったのを見た後、合成獣の視界が暗転した。
残されたのは、身体中から響いた、何かが砕ける音だけ。
◆
眼前に広がる星空と、その中で輝いている満月を見て、エリザは呆けていた。
自分がなぜ月を見ているのか、そしてなぜ外に居るのか、その疑問に追従するように生じた顔面の激痛に、思わず手を当てる。
ヌルリとした、ドロドロに溶けたその液体をそれを理解した時、エリザは現状を理解した。
「いつつ……、これで対等だな。吸血鬼」
自身の住みかである建物の壁に開いた穴から、脇腹を抑えながら出てきたのはアッシュだった。
アッシュは此方を見ると、悪戯が成功した子供のようにニヤリと笑う。
「やっぱり“ポーション”での攻撃は食らうんだな。勉強になったよ」
その言葉の後に、カチャリと音を立ててアッシュの手からポロポロとガラス片が落ちた。
以前見たことがある、人間が使う回復薬だと、エリザは思い出した。
「何で……」
「ん、あー。攻撃の理由か?それはだな」
これだ。と見せつけられたそれは、一番最初の接触の際に弾かれた首飾りだった。
それを見て、自身に何かの付与がされたことを思い出した。
「あの時の首飾り……?!」
「そう。コイツの能力は、簡単に言えば“戦闘時のマーキング”なんだ」
ユグドラシルでの戦闘は、何も一対一の決闘染みた物だけではなかった。
不可視、感知不可等のスキルや魔法を何重にも掛けプレイヤーへと接近し、PKや、アイテムや装備を窃盗する。などというプレイングも多々あった。
モモンガ等の高レベルプレイヤーならば、そういった物は効かず、直ぐ様看破されていたが、アッシュ等の低レベルや発展途上のプレイヤーは、そういった対策は無いに等しかった。
そこで出たのが、この“マーキング”性能の付いた首飾りだったのだ。
課金アイテムであったが、少なくとも暗殺や窃盗などの被害よりマシだと、多くのプレイヤーが購入した代物である。
「お前が何処に居るかは、ぶっちゃけこれで分かっては居たんだ」
「なら、何で早く反撃しなかった?!」
「それがバレて遠距離攻撃に入られたら厄介だからな、だから、決定打を入れてくるまで待ったんだよ」
油断するのを待っていた。
そう言われたも同然なエリザは、反射的に地を蹴っていた。
踏み込みによって足跡が波打つのを見ながら、アッシュは不敵に笑った。
――“明鏡止水”
首が吹き飛ぶかの様な衝撃を受けて、エリザは再び地面に転がった。
さっきも受けた不可解な攻撃に、ふらつきながらもゆっくりと立ち上がる。
アッシュの浮かべた笑みが、此方が一方的に攻撃されている今の状況が、気にくわない。
「殺す、ぶっ殺してやらぁッ‼」
霧状化、影状化は、マーキングされている以上また“ポーション”での攻撃が来るから却下。
ならばと、エリザは異常なまでにブクブクと膨れた腕を振り上げ、地面へと突き刺した。
――あの謎の攻撃は、近付きさえしなければ怖くはない。
畳返しのように、地面が音を立てて剥がれ、土の塊がアッシュ目掛けて投げ付けられる。
アッシュがそれを回避するのを見て、エリザはニヤリと口の端を吊り上げた。
――やはり、アレは接近戦のみだ。
その少女の体躯に合わない巨腕で、土を力一杯握り締める。僅かな水分と共に握ったそれは、ソフトボール大の岩の様であった。
一撃当たれば四肢がもげ、身体であれば貫通する威力で、次々にアッシュへと投げ付けていく。
「ぉらぁッ‼」
弾幕の中で、気合いと共にアッシュが地面を蹴り払った。目潰しの様に此方へと土煙が上がり、アッシュの姿を見失う。
だが、そんなもの関係ない。
蹴り払った時の動きを考えて、次の動きへは時間が掛かる筈だ。とエリザは両手の石礫を握り締める。
ソフトボール大から、バスケットボール程まで大きくしたそれを、今だアッシュが居るであろうそこへと投げ付けた。
土煙の幕を貫通させ、その先にアッシュの姿が見え、エリザは歓喜する。
――が。
アッシュを避けるようにして二つに別れた石礫を見ると同時に、眼前に迫ったそれをエリザは見た。
ナイフ。
アッシュのナイフだ。
吸血鬼であるエリザの爪を容易く切り落とした、憎たらしいアッシュの武器。
「――あ」
額へとナイフが突き刺さるのを感じて、エリザは今度こそ崩れ落ちた。