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厳しい任務のあとのお風呂は格別なのだ。親衛隊は、基地の浴場で一日の汗を流すのが日課である。泡風呂にゆったりと浸かってくつろぐ時間は幸せそのもので、この幸せがあるからこそ、辛い訓練や任務も耐えられる。プルフォウは、丸くてふわふわとして肌に心地よい泡の感触が大好きだった。
「ナインは、またお留守番? つまんないの」
九女のプルナインが、湯船でお湯をバシャバシャと跳ね上げながら、不満そうに言った。
「ごめんねナイン。任務が忙しくて……ひとりでモビルスーツの練習しててね」
「もう飽きたよ」
「今度、みんなで街に遊びにいこっか?」
「だったらコンサートにいきたい」
「コンサート?」
「うん、はにゃーんの」
「えっ?! なにそれ? はまーん? ハマーン様のこと?」
「違うよ、『はにゃーん』。バーチャルアイドルだよ。お姉ちゃん知らないの?」
「知らない……。イレブンは知ってる?」
プルフォウは、国家の宰相に似た名前のアイドルが想像できず、困惑気味に尋ねた。
「はい、知ってます。人工知能シンセサイザー『モビルロイド』のキャラクターですね」
「人工知能……って、そんなハードウェアを家庭におけるの?」
「クラウドサーバーにアクセスしていると思いますよ。アクシズ内ならミノフスキー粒子の影響も少ないですから」
「あ、なるほどね」
「モビルロイドは、その名前からも分かるように、モビルスーツの制御プログラムからスピンオフしたソフトウェアなんです。キャラクターの性格や声の出し方、会話内容をユーザーが学習させることでパラメーターをカスタマイズできるので、様々な個性の仮想キャラクターが産まれるというわけです。『はにゃーん』というキャラクターは、ソフトウェアのアイコンですね。商品を展開するマーケティングとしても優れています」
イレブンはモビルロイドの成り立ちを分かりやすく説明してくれた。
「可愛いんだよ。紫色の、イレブンみたいな髪型した女の子、フォウお姉ちゃん見たことない?」
「そういえば……あるかも」
「あ、あった。これだよ」
ナインは、風呂に浮かべたたくさんのオモチャの中から『はにゃーん人形』を手にとった。
「あら、可愛いじゃない」
手に取ってみると、それはディフォルメされたキャラクターで、紫色の髪をツインテールにしてノースリーブのタイトなワンピースを身につけ、手にはファンネルを持っていた。ハマーン閣下をもじったような名前に違和感を覚え、はたして怒られないのか心配にもなるが、髪型からするとオリジナル・キャラクターのようだし、たとえオマージュでも子供の遊びだから容認されているのだと理解した。戦いばかりでなく、娯楽が民衆には必要だということは良くわかる。ナインのように、遊んでばかりでは困るけれど。
「それにしてもナイン姉さん、少し玩具を持ち込み過ぎなのでは? これでは、まるで幼児の遊び場です」
イレブンが、水面に浮いているたくさんの人形を見て、呆れながら言った。
「イレブンも遊んでいいよ? 好きなのを貸してあげる」
「そういう問題ではありません。ちゃんと片付けてくださいね」
「いつも片付けてるよ~」
「投げないでください!」
ナインがイレブンに玩具を放り投げようとしたとき、突然ガラス戸が音を立てて勢いよく開いた。三人がびっくりして首を回すと、五女のプルファイブが中に飛び込んできた。
「ヘへっ! 訓練の後の風呂は最高だぜ!」
ファイブはドカッと乱暴に椅子に座ると、いきなりボディブラシでごしごしと体を磨き始めた。
「今日はテンを三十回もブン投げてやったから、疲れちまった」
ファイブが言っているのは格闘技の訓練のことだ。パイロットといえども、肉体の鍛錬や護身用に習得が義務付けられているのだ。
「ファイブ姉さん。明日はハマーン閣下の護衛だそうですね?」
ナインのいたずらを回避したイレブンが、浴槽の端に移動してきて言った。
「ん? よく知ってんなイレブン」
「聞くところによると、サイド6でコロニー銀行との話し合いがあるとか?」
「なんかの調査なんだってよ。よく知らねェけど。でも緊張するよな。ハマーン様って怖そうだし、失敗しないようにしねーとさ」
ファイブはまったく心配していない顔で応えた。それにしてもタオルで隠さないから身体の大事なところが丸見えだ。
「ファイブ姉さんは、ハマーン閣下とあまり喋らない方がいいかもしれません。確実に、私たち親衛隊の評判が落ちてしまいますから」
「おいイレブン。どういう意味だよ、それ!?」
バシャッと頭からお湯をかけて石鹸を洗い流すと、ファイブはざぶんと湯船に飛び込んだ。
「お姉さま! 飛び込まないで下さい!」
「いやだね! 風呂くらい楽しませてくれって!」
ファイブは湯船の中で、脚をバタバタと泳ぐように動かしてくつろいでいる。彼女の髪型は超ショートで、身体も筋肉質で日焼けしている。姉妹の中でもアクティブで奔放な性格なのだ。それゆえのイレブンの心配なのである。
「よっ、ナイン。相変わらず楽しそうじゃねェか」
「楽しいよ。はにゃーんもいるよ」
ナインは、はにゃーん人形を頭の上に掲げてみせる。
「そのキャラ、絶対にハマーン様だよな。いいのかよ? 任務に持ってって本人に見せてみるか?」
「そんなことを考えるから、喋らない方がいいと言っているのです」
イレブンは呆れたように肩をすくめた。
「イレブンの言う通り。あんたは迂闊なとこがあるから、ハマーン様の前では、ちゃんと考えてから物をいいなさい」
プルフォウは、まるで子供に注意するように言った。うるさがられるかもしれないが、自分は妹たちの親代わりでもあるのだ。
「わかってんよ! フォウ姉こそ姫様の操縦訓練なんだろ? 《キュベレイ》の改造は間に合うのかよ」
「改造じゃなくて改修ね。大丈夫、ちゃんと間に合わせるよ。イレブンにも手伝ってもらってるからね。それよりハマーン様には秘密の任務なんだから、うっかり口を滑らせないでよ」
「平気だって! ほんとフォウ姉は心配性だよな」
「あんたが楽観的すぎるのよ」
「そんな細かい性格じゃあさ、彼氏もできねえよ?」
「なっ、なに言ってるの! そんなこと興味ないから! 軟弱なことばかり考えてないで任務に集中しなさい!」
「はははっ。じゃあな! ちょっくら活躍してくるぜ!」
ファイブは、ざばっと湯船からあがって浴場を飛び出していった。
「ファイブお姉ちゃん、あがるの早いね。ああいうの『カラスの行水』って言うんでしょ? ほら、カラスいるよ」
ナインが両手を合わせてカラスの形にして笑った。
「しょうがないね、ファイブは!」
「ファイブ姉さんはストレート過ぎるのです。何事にも」
「ほんとに単純なんだよね」
確かに悩みがなさそうなのは、心配性だと自覚する自分には羨ましくはある。あの能天気さは、クローニングの過程でいったいどんな遺伝子が発現したのだろうか。
……それにしても彼氏ができないなどと失礼な。恋愛など親衛隊である私たちには不要なことだ。任務のためには私生活も律しなければならない。にもかかわらず、ファイブはメカニックの男子と付き合ったりしている。妹たちは我慢することを知らないが、姉としては見本を示さなければならないので、たいてい損をするのはスリー姉さんか自分なのである。
なんだか、ずるい。アヒルのオモチャをいじっていると、だんだんと腹が立ってきた。
自分だって男の子と遊んでみたい気持ちはあるが、知っている男子といえばパイロット候補生の同期くらいだし、しかも彼らは口を開けばモビルスーツの話ばかり。がっかりするほど幼稚で、ただモビルスーツに乗りたいだけ。でも、彼らも今は実戦部隊に着任しているらしい。どんな様子なのか、少し会って話をしてみても悪くはないかも。
「でもプルフォウ姉さん。どうするのですか?」
「えっ?! どうするって? いきなり会いには行かないよ!」
プルフォウはイレブンに心を読まれたと思って狼狽した。
「?? 何の話ですか? 姫様の操縦訓練の話です」
「あ、ああ、姫様の……」
「お姉さまは心配ではないのですか?」
「何が心配?」
「だって、プルツー姉さんが人を指導するだなんて。まして姫さまにです。何か無礼があったらと思うと」
「私たちには良く教えてくれてるじゃない。ちょっと怖いけど」
「それです。最初はよくても、プルツーお姉さまは、だんだんと我慢できなくなってくるのではないですか?」
確かにプルツー姉さんは根は優しいのだが、気性が激しくて怒りっぽいのだ。操縦を妹たちに教えているときでも、同じミスを繰り返したり、考えが足りなかったりすると、すぐに不機嫌になって容赦なく叱責してくる。
「そのあたりはプルツー姉さんだってわきまえてる。でも心配なら、お前がカバーしてさしあげなよ」
「えっ? 私も姫様の操縦訓練に参加するのですか?」
「あたりまえでしょ?」
(余計なことを言わなければ良かった……)
という妹の心の声をプルフォウは聞いた気がした。
「何か考えた?」
「ま、まさか。考えてません」
「そんな嘘を言うとこうだぞ!」
「あんっ! お姉さま、やめてください!」
胸をくすぐると、イレブンは幼さに似合わぬ艶やかな声をあげて抗議した。
でも、たまには姉妹のスキンシップは必要なのだ。それにはお風呂で触れ合うのが一番よい。姉として妹の成長を見守る責任もあるのだから。それが、プルフォウがいつもお風呂でイレブンにいたずらする理由である。
「……」
それにしても、妹の胸に触れていると、ほとんど存在しない膨らみがどうしても気になってしまう。なにしろぺったんこなのだ。自分が大きいほうだとは自覚しているが、はたして本当に遺伝子は同じなのだろうか?
「お姉さま、なに私の胸をじっと見てるんですか? 考えていること、わかります」
「えっ! な、なにも思ってないから」
「強化人間は心が読めるんですよ? ひとの胸を眺めて貧相だなんて、良識を疑います」
「ぜんぜん読めてないじゃない! ちょっと、ぺったんこだなって思っただけだから!」
「失礼な! これからですよ、わたしの成長は」
「わたしもイレブンの胸さわりたい!」
ナインがイレブンに抱きつこうとする。
「もう、二人とも馬鹿なことはやめてください!」
イレブンは拗ねて湯船に潜ってしまった。