10
「ガルフ8、ウェイポイント5を通過。全て異常なし」
ネオ・ジオン軍第十二装甲歩兵大隊所属のオドネル中尉は、アクシズ司令部に定期報告を終えて息をついた。
オドネルはいま哨戒任務についていて、運動場のトラックのような、巨大な楕円形のルートをぐるぐると飛行しながら、360度モニターの隅々まで目を光らせていた。乗機は重装甲で信頼できるモビルスーツ《ガルスJ》で、支援用モビルスーツ《ズサ》と二機一組でペアとなり、アクシズの周辺宙域で、エゥーゴの戦艦やモビルスーツを警戒しているのだ。
正直なところ退屈な任務だが、月やルナツーの基地には地球連邦軍やエゥーゴの艦隊が駐留しているから、奇襲を警戒するのは当然だった。なにしろ、つい数ヶ月前にはハマーン閣下がアクシズを離れた隙を突いて、エゥーゴの艦隊が攻めてきたのだ。警戒をし過ぎるということはない。
「了解。ガルフ8、次のウェイポイントに向かえ」
「ウェイポイント6周辺はミノフスキー粒子が濃いから、通信できない可能性がある」
「モビルスーツの残骸があるんだろう。核融合炉がごろごろしてる、誘爆させんようにな」
「大気圏に突入した方がましだな、そりゃ!」
まったくやっかいな場所だった。先の戦闘で、ネオ・ジオン軍はエゥーゴのモビルスーツをさんざんやっつけたのだが、その残骸がミノフスキー粒子と放射線を撒き散らしているのだ。そんなところには近づきたくなかったが、任務だから文句は言えない。
三十分ほどかけて飛行して、ウェイポイント6にようやくたどりつく。このあたりは隕石が多く、モビルスーツの身を隠すのには最適なので、偵察部隊が潜んでいる可能性もある。アクシズのデータを持ち帰らせる訳にはいかないので、もし敵機に遭遇した場合は、すぐに撃破する必要があった。
「ん? なんだ?」
オドネルは、岩塊の向こう側で、なにか素早く動くものを見た気がした。
バーニア光が見えたような気もする。録画されたモニターの映像を再生してみるが、解像度が低くてよくわからない。モビルスーツの成れの果てを目撃した可能性もあるが、いちおう確認してみることにした。ネオ・ジオン軍人たるもの、真面目に任務をこなさなくてはならない。
わずかにアポジモーターを吹かしてゆっくりと近づいていく。臆病にも見えるが、敵が隠れているかもしれない。マーフィーの法則によれば、最悪のことは必ず起こりうるが、それが今でないことを祈った。
「やはり残骸だな。ガンダリウム合金はやたらと硬いから、永遠に宇宙を跳ね回るんだ」
これで肝試しも終わりだ。
だが、何かが心に引っかかった。残骸にしては、どこか人為的な動きを感じたのだ。だから隕石の向こう側を、もう一度だけ確認してみた。
それは軍人としては正しい行動だったが、オドネルにとっては最悪の結果を招いてしまった。
「敵だ! モビルスーツが隠れてやがる!」
オドネルは僚機に向けて叫んだ。僚機のバレンティン少尉の《ズサ》は、オドネルの警告を聞いてあわててミサイルを発射しようとしたが、時すでに遅かった。次の瞬間、バレンティンの意識は消失していた。いつのまにか回り込んでいた可変モビルスーツが、ビーム・サーベルで《ズサ》のコクピットを蒸発させてしまったのだ。何とか反撃しようと試みたが、岩塊から素早く飛び出してきたモビルスーツ二機に、あっさりと捕らえられてしまった。敵の機体はエゥーゴの量産型モビルスーツMSA-003《ネモ》だ。
だが、そんなことは、もうどうでもよいことだった。なぜなら、自分はもう二度とアクシズに戻ることはないはずだからだ。
オドネルは、捕虜収容所に入るという運命に絶望したが、それでも死ぬよりはましだと思い、なんとか自分を慰めた。
※
「行け! ファンネル!」
姫がリニアシートから身を乗り出し、あたかも自らの意思を宇宙に飛ばすかのごとく叫ぶと、それに呼応して《キュベレイ》のファンネル・コンテナから四基のファンネルが射出された。
ファンネルは、姫が脳裏に描いた軌跡をトレースしながらターゲットに向けて飛翔し、たちどころに無人標的機を取り囲んだ。
ミノフスキー粒子が空間に散布されると、その特性から電磁波のほとんどが阻害されてしまうので、レーダーや誘導兵器の類は一切使用できなくなる。だが、ニュータイプ能力を持つ人間が発する感応波は、逆にミノフスキー粒子を利用して伝播するために、その感応波を利用してコントロールされるファンネルは正確に誘導されるのだ。
「ファンネル、攻撃だ!」
姫の命令と一秒とずれることなく、ファンネルは無人標的機に向けてビームを一斉に発射した。ジェネレーターにビームの直撃を受けた《ジム》は、内部から機体が膨れ上がり大爆発を起こした。
「三つ!」
「お見事です! 姫様」
勢いにのる姫は、《キュベレイ》を縦横無尽に飛行させながら、ファンネルを駆使して《ジム》を次々と撃破していく。無人標的機として使用されている地球連邦軍製の量産型モビルスーツRGM-79《ジム》は、民間に安く払い下げられた機体をダミー会社を通して購入、改造したもので、古く安物なのでいくら破壊しても惜しくはない。
それにしても、やはり姫様は機体の操縦にかなり慣れてきている。まだ手足のように動かすとまではいかないが、操作は初日より格段にスムーズになっているのだ。
姫はバイオリンが得意だったが、意外に楽器の演奏とモビルスーツの操縦は似ているところがあるのかもしれない。彼女が愛用しているバイオリンは、旧世紀からの名器と言われるストラディバリウスの縮小コピーで、そうした楽器を繊細に扱うテクニックは、操縦桿の操作にも役立つのではないだろうか。
「よし、ファンネル戻ってくるのだ」
攻撃を終えたファンネルは、マスターの命令通りに母機に帰還し、燃料とバッテリーをチャージするためにファンネル・コンテナにはまった。
「ふぅっ……」
ファンネルがようやく停止すると、プルフォウは一息つくために、ヘッドセットを外し息を吐き出した。
「ん? ファンネルに慣れていない私が心配だったのか?」
「あ、いえ」
「ふふふ、心配は無用だ。ファンネルとは意外に簡単なものだな? 頭で思い描いた通りに動いてくれる。あるいは私の才能かもしれぬが」
「そうですね……」
プルフォウは言いよどんでしまう。操縦訓練は滞りなく進んでいるが、ファンネルについては姫を騙しているようで心苦しかった。そう、実際にファンネルをコントロールしているのは自分なのだ。
「どうしたのだ? 少し顔色が悪いようだが、また酔ってしまったのか? 前より操縦はスムーズになったと思っているのだが」
確かに顔色は悪いだろうと思う。困ったことに、また頭痛がかなり酷くなってきている。
「いえ、酔ってはいないのです。姫様の操縦は本当に上達されました」
「それにしては辛そうだ……」
姫はヘルメットを脱いで顔を近づけてくる。
「も、申し訳ありません。サイコミュのせいなのです」
それは事実で、サイコミュによって脳にかかる負担は大きいのだ。
姫に気付かれぬようにファンネルを操っている仕組みは、だいたい次のようなものだ。
まずターゲットの位置や速度、それを認識した姫の視線、操縦桿の操作などのデータをリアルタイムで収集し、それを特別なアルゴリズムで加工する。そして、その結果をサイコミュに入力し、連動させたヘッドセットに出力。最終的に出力されたデータ通りに、ファンネルをコントロールするのである。
要は姫様の考えを予測して、いかにも彼女自身がサイコミュで操っているかのように、自分がファンネルを動かしているというわけだ。本当はニュータイプ能力がなくても使える疑似サイコミュ兵器『インコム』を流用して、ファンネルを自動的に動かすところまで作り込みたかったのだが、それにはかなりの時間が必要なので断念したのだ。
この仕掛けの問題点は、入力データにノイズが多く含まれるため、フィルターをかけてもサイコミュからのフィードバックで操作者の脳に負荷がかかるということだった。姫様は連続してファンネルを“使って”いるから、本当に疲れてしまう。
「ファンネルの連続使用で、サイコミュに負荷がかかっています。私は強化人間ですから、脳に影響をうけるのです……」
ばれないように少しの嘘を交えて説明する。
「つまりファンネルを使い過ぎない方がよいということか?」
「申し上げ難いのですが」
「わかった。お前のために少し控えるとしよう」
「ありがとうございます」
プルフォウは姫に頭を下げた。
「そういえばハマーンは、また私に《キュベレイ》で出撃させるのか、と怒っていた。ハマーンも辛かったのだろうか?」
「そう思います。サイコミュは、長時間使用すると身体に過大なストレスがかかります。優れたニュータイプ能力者であるハマーン閣下といえども、それは同じことなのです」
「なるほど……。しかし、私はまったく頭が痛くないのだがな?」
「あっ、そ、それは!」
プルフォウは姫に矛盾を突かれて、どう説明したものやら困ってしまった。
「お、おそらく姫様とキュベレイのサイコミュとの相性がとても良いのでしょう。サイコミュには個性がありますから」
「なるほど。ということは、私はプルツーと似ているということか?」
「えっ?」
「この機体のサイコミュは、プルツーの機体に搭載されていた物のコピーなのだろう? 私が扱いやすいならば、そういうことになるのではないか?」
「あ、はい!」
確かにその通りだ。
サイコミュに個性があるのは嘘ではない。サイコミュが、使用者の脳のシナプスパターンを写しとってシステムのニューロ回路を組みかえるのか、まれに意識のようなものを感じることもある。姫様とプルツーお姉さまは少し尊大なところが似ているから、理論的にサイコミュのパターンが似ることはあり得るだろう。
と、そこまで考えて、プルフォウは気付いてしまった。その理屈でいえば、頭痛を起こした自分とプルツーお姉さまとでは相性が悪いことになってしまうのだ。
そんな。
心の奥底では、プルツー姉さんに苦手意識があるのだろうか?
いつも気にかけてくれている姉に申し訳なく、プルフォウはすぐにでも謝りたい気持ちになってしまった。だが、それはともかく、姫様の質問に対しては何とか誤魔化して答えなければならない。
「おっしゃる通り、モビルスーツの操縦にセンスがおありになるところは姫様と姉はとても似ていらっしゃいます。姫様の才能は素晴らしいものです」
「そうか。嬉しく思う!」
プルフォウは何とか話を上手くまとめられたことに安堵する。このまま悟られぬように話題を変えなくては。
「それでは次の訓練に移ります。ビーム・サーベルの使用方法です」
「ビーム・サーベル……。プラズマ化したミノフスキー粒子による光の剣、だな?」
「はい。とても強力な接近戦用の武器です。モビルスーツは白兵戦が主な任務ですが、まさにモビルスーツは、そのために人型をしているのです」
「うむ。ファンネルを使うだけなら、人型をしていなくても良いからな。確か昔のモビルアーマー《エルメス》はそうであったか」
「よくご存知でいらっしゃいますね。《エルメス》は、初期のサイコミュが小型化できなかったせいで機体が大きすぎましたし、宇宙船のような形をしたモビルアーマーなので白兵戦がほとんど不可能でした。そのために地球連邦軍の忌まわしき《ガンダム》にビーム・サーベルで撃破されてしまったのです」
「知っている。その戦闘でシャアは彼の部下、いや恋人のララァ・スンを失ったのだ……」
プルフォウは、姫の顔が微かに陰ったことを見逃さなかった。姫様はシャア・アズナブル大佐とかなり親密だったらしい。シャア大佐が年下の女性を好んだのは、良く知られた事実である。
とはいえ、さすがに親子ほども差がある姫様と付き合うシャア大佐はいかがなものかと、プルフォウは眉をひそめた。しかもザビ家といえば、過去にダイクン家を追放し、入れ替わりにジオンの支配者にのし上がったという因縁があるのだ。シャア・アズナブル大佐、本名キャスバル・レム・ダイクンとしては、間違いなくザビ家に恨みがあるはずだ。それなのに姫様と親密だというのは……いったい、どういうことなのか? シャア大佐と姫様との関係はプラトニックなものなのか、あるいは……。
プルフォウは良からぬ妄想を頭から追い出した。
「姫様、シャア大佐の部下であったララァ・スン少尉は、相当の能力を持ったニュータイプだったようです。アクシズのニュータイプ研究所にもデータが残っていますが、サイコミュの雛形を作ったのは彼女です。その基礎データは私たち『プルシリーズ』にも活かされているのです」
「プルフォウ、そのような言い方はやめて欲しい」
「えっ?」
「自らを機械や物のように表現するのはどうなのか? それは哀しいことだぞ……」
「し、失礼致しました姫様! お気遣いありがとうございます」
「人は存在を軽く扱われるのは嫌なものだ。皆、自分を大事に思って欲しいのだ」
「姫様……」
姫様は自らの境遇に重ね合わせていらっしゃる。傀儡としての自分を。プルフォウは姫の心情の吐露を、そう解釈した。
寂しそうな眼。
プルフォウはきゅっと心が痛むのを感じた。こんな可愛らしい方を悲しませるなど、本当に罪深いことだ。
だから少し失礼だと思ったのだが、思い切って姫の手を握り、
「姫様は私たちジオンの民にとってはかけがえのない方です。わたしたちはみな、貴女のお役に立ちたいのです」
と、精いっぱいの笑みを作って言った。
「プ、プルフォウ……?」
姫は少し驚いた様子で、わずかに頬を染めている。それが分かるくらいにサイドシートから乗り出しているから、姫の顔に触れそうなくらいに近づいてしまっている。
なんて美しいお顔。
プルフォウは姫に見惚れた。
「そ、それは嬉しいことだ。貴公のような忠義者が、ネオ・ジオンには……あっ!?」
プルフォウは姫の頬が柔らかそうだと感じたが、次の瞬間にはそこにキスをしてしまっていた。それは、プルフォウ自身にも理解できない行動だった。
プルフォウは我に帰り、慌てて顔を引っ込める。なんと破廉恥なことを!
「し、失礼致しました姫様! ど、どうか、ご無礼をお許し下さい!」
「……」
無理もないことだが、姫はショックを受けていた。恥ずかしそうに俯くその顔は、眼が少し潤んでいる。
気まずい空気がコクピットを満たし始める。
なぜ、こんな行動を自分がとったのか、まったくもって理解できなかった。いや、確かに心の奥底では、姫様と触れ合いたいという欲求があったことは否定できない。しかし、だからといって、自分はこんな大胆な行動をとれる性格では断じてない。姫様に馴れ馴れしく触れ、あまつさえキスをするなどと!
まさか!?
プルフォウはある可能性に思い至った。サイコミュに飲まれたのだ。
サイコミュは、長時間使いすぎると使用者の精神を掘り返し、奥底に潜んだトラウマを引き出す副作用があるという。だから強力なサイコミュに囚われた強化人間は、精神崩壊を起こしてしまうのだ。仮にサイコミュ自身が低レベルの意識をもっているとするならば、この《キュベレイ》はプルツーお姉さまの意識をコピーしていることになる。
このハレンチな行為はプルツーお姉さまの影響を? いや、あのストイックなプルツーお姉さまに限ってあり得ない。違う、この衝動は、サイコミュの奥底に隠れたもう一人の姉の影響だ。
「申し訳ございません! サ、サイコミュの悪影響で……」
「……」
姫は顔をそらしたままだ。
プルフォウは恥ずかしさときまり悪さから、コクピットから飛び出してゆきたい衝動に駆られたが、それをなんとか理性で抑えこんだ。
ここは冷静にならなくては。落ち着いて訓練を続けるのだ。
「そ、それでは、ビーム、ビーム・サーベルの振りつけ、いえ! 使い方の説明を始め、たいと……」
プルフォウはなんとか説明を試みるが、しどろもどろになってしまった。
「……わかった。進めて欲しい」
姫の顔はこわばっていて、目も合わせてくれない。いったいどうすれば。あとでプルツーお姉さまに、このことも報告しなければならないだろうか。
宇宙空間の音のない世界が、気まずい雰囲気を一層引き立てていた。