カチ、カチ、カチ、と時計の音のみが部屋に響く。
クレマンティーヌが夢中でスコーンを食べ終わった後、我に返った彼女は恥ずかしさから全く話そうとはせず、当然従者たるセバスもただ後ろで用を言われるまで立っているだけでただ刻々と時間だけが過ぎていた。
そんな沈黙の中、紅茶を飲みながらクレマンティーヌは先ほどの恐怖が抜けきってないのか、本人は気づいてないが少し上目遣いをしながら口を開いた。
「……で、ここはどこなの?」
「申し訳ありません。貴方様に教えることはできません」
「……はぁ」
クレマンティーヌはその予想しきってた回答に溜息をつきながら、空になったカップをソーサーの上へ雑に置く。それに対してセバスは少し渋い顔をしているが、そうした張本人は気づいてない。
「私、ここに来てからそれしか聞いてないんですけどー」
「申し訳ありません」
「あーもーはいはい、じゃあおかわりちょうだい」
「かしこまりました」
セバスは五度目になる紅茶のお代わりを、カップの中に注ぐ。クレマンティーヌは、それをまるでジョッキに入ったビールのようにグイッと煽り、半分以上飲み干す。
「……もう少し、慎みを持った方がよろしいかと」
「美味しいんだから仕方ないでしょー」
「むぅ……」
それを言われると敵わない、とでも言うようにセバスは口を閉じる。
「じゃあさ、せめて私がなんでここにいるかくらいは教えてくれない?」
「至高の御方々が創造した場所でございます」
「至高の御方々?」
「ええ」
セバスはその至高の御方々の下にいる。ということに一種の優越感を持っているのか、誇らしいと言った様子で答える。
「ふーん……じゃあさ、もひとつ」
クレマンティーヌは紅茶を飲み干し、セバスに尋ねる。
「――神人って、知ってる?」
♦︎
「デミウルゴス、パンドラズ・アクター、そしてアルベド。御身の前に」
「うむ、ご苦労」
三人はベッドの上に腰掛けているモモンガへ向けて跪くと、モモンガはそれに対し堂々とした態度で接する。
本人的にはまだまだな演技だが、客観的に見れば堂の入った文句のない演技とも言えるだろう。
「さて、三人を呼んだのは今の状況について、すこし相談したい事があってな」
「はっ!モモンガ様の叡智には遠く及ばぬ身ではありますが、何なりとお申し付けください」
アルベドはモモンガ様に私たちが及ぶことなどない。と言う前提で謙遜をするが、それを聞いている当の本人は内心かなりビクついていた。
(絶対俺よりもお前たちの方が頭いいだろ……)
だがそんな事は思っていても言うことは出来ない。
もし言ってしまえば、失望されるかもしれて叛逆をされる可能性だってあるし、何より――友達の息子、娘の前では格好の悪いところを見せたくなかった。
(よーし!パルパルさんは今警備の確認に行っちゃったし、頑張るぞ!!)
「じゃあ話をしよう。今一番悩んでいるのはあの娘……クレマンティーヌの事なんだが」
少しデミウルゴスには申し訳ない話だが、今は知恵者を一人でも抜かしたくない。
アルベドは今思い出したと言うような顔を、パンドラはよくわかんない。デミウルゴスは予想よりも、険しい顔をする事なく――申し訳なさそうな雰囲気は出しているが――飄々としていた。
気にしないで言ってくれ、ということだろうか?さすがナザリック一の知恵者だ。
「あの娘を使い、法国との融和もしくは認知を進めていきたいと思っているのだが……何か意見はあるか?」
正直、穴だらけにしか思えない策ではあるが殺さないことを考えるとなると、あいつを利用するのが一番だと思うのだが……。
俺の提案を聞いた三人は少し考えるそぶりを見せた後、パンドラが手をあげる。
「なんだ?」
「僭越ながら、どうしてあの娘を殺さないのでしょうか?証拠隠滅するなら消した方が良いですし、その国に行くのであれば、私がおります」
「ダメだ。まだ何もわかっていない場所にお前を送るのは許可できない」
「……わかりました」
パンドラが渋々、といった様子で引き下がるとほぼ同時のタイミングでデミウルゴスは大きく目を見開いた。
「成る程……流石はモモンガ様。この短期間でそこまでの長期間のプランを練ってらっしゃったのですね」
「う、うむ。だが、この程度は誰でもできる事だと思うが」
他の二人も、意図をわかってくれたのか、大きく目を開いていた。
(別にそんなすごい考えじゃないと思うけどなぁ)
でも肯定的な意見を貰えるだけのいい提案だったと言うことには変わりない。ボロが出る前に終わらせたかったのも本音だったから、ここで切り上げよう。
「反対は無いようだな……ならよし。仔細はそちらに任せてもいいか?」
「お任せください。私たちで完璧に仕上げてみせます」
「うむ。ならよろしく頼む。下がっていいぞ」
「はっ!」
三人は再び頭を下げた後、静かに退室して行く。その様子を一人、ベッドの上でただじっと見つめていた。
そして足音が離れていったのをしっかりと聞き遂げた後、部屋に居たメイドには外にいるパルパルへ、今のことを《メッセージ/伝言》で伝えるよう言って外に出した後に、勢いよくベッドに飛び込み、シミのない真っ白なシーツに顔を押し付けながら叫んだ。
「……もぉやだ!」
♦︎
「――大丈夫そうですね」
「はい!」
俺はアウラの屈託のない笑顔での返事を聞いた後、今いる大墳墓の入り口部分から離れるように移動し始める。
「そちらの指揮はあなたに任せます。ある程度は独断で動かしても構いません」
「わかりました……パルパル様はどちらに行かれるのでしょうか?」
「少し、この辺りを散歩しようかと」
「なら、私もついていきます!」
「あなたには指揮を任せたはずですが?」
「……ならマーレを呼んできます」
「大丈夫ですよ」
俺は不安げにしているアウラに視線を合わせるため、足を縮めることで頭の位置を下げる。
「私の召喚スキルで盾くらい呼び出せるので、問題ありませんよ」
「……わかりました」
アウラはしぶしぶと言った様子でついて来ることはない、と言う意思表示のためか一歩下がった後、深く頭を下げて持ち場に戻っていく。
俺はそれを見届けた後、警備の薄いところに向かって歩きだす。
その途中で護衛をしているエイトエッジアサシンの気配に気づいたが、声の聞こえる範囲まで近づいて来るなと言明したので特に問題はない。
大墳墓から数百メートル離れた場所にあるはらっぱに腰掛ける。
少し汚れが気になるが、場所によっては座ったら体が溶ける現実に比べれば、その程度可愛いものなので気にしない。
俺は部屋から持ってきた手鏡を自分に向ける。
そこには当然の事ながら、ある意味では見慣れた人外な自分の顔が映っていた。
「何度見てもやっぱこの顔だよなぁ」
何度見ても変わらない。現実の顔面偏差値の低めな顔ではなく、異形種としてのおぞましい顔になっている。
……こんなのどう見ても人じゃないだろ。
「くそっ……!」
手鏡を感情のままに投げ入れる。そして、体を地面に投げ捨てるように倒れこむ。そして、感情的に叫びそうになった瞬間――精神が沈下する。
それまで何もなかったかのように。
「はぁ」
ため息が出る。だが出たところで変わらない。
現実ではなく、知らない何処かに来てしまったことや自分の体が変わってしまったことは何一つとして変わらない。
少し落ち着いた今なら、この体は自分のものだとはっきりわかる。
まるでこれが普通なんだと言うかのように、何気ない動作が違和感なく行うことができる。いや、できてしまう。
ユグドラシルではどうしてもあったゲームとしての壁が、完全に消え去っていた。
触手には感覚があるし、タコのような口にはしっかりと味覚がある。法律で禁止されている五感の完全な共有ができてしまっているのだ。
これを現実と言わなければなんだと言う。
「クソ……クソ……!!」
自然と口から悪態が出る。
それは誰かに向けたものではない。ただの八つ当たりだ。そんな事は自分が一番よくわかっている。防ぎようのない事故だったのだ。
誰が犯人なんて言うつもりはない。だが、それだけで納得できるほど、心は強くなかった。
「なにが……なにが俺たちは人間なんだよ……!!」
精神が無理やり沈下する。だが、それでも心の叫びが落ち着くことはなかった。
モモンガさんの言った何気ない一言が、今までずっと心に刺さっていた。
確かに、パルパルやモモンガさんは今は人間ではないが、それでも今日この日まではずっと人間として生きてきた。たとえ劣悪の環境で生ゴミ同然の様なものを啜っていたとしても、俺は生きていた。あの人――モモンガさんも生きていた。
でも今は違う。
今の俺は――どうしようもなく、化け物だった。
もし、あくまで見た目が変わっただけ。心は同じ。そう言えたらどれだけ良かっただろうか。
だが、心を壊されたクレマンティーヌを見たときに感じた。感じてしまった。
――虫が死んだのかな?と。
その時は何にも感じてはいなかったが、後々になって考えてみれば明らかにおかしいことに気づく。目の前で人が壊れているのに、俺は何一つ感情が動かなかった。
体が、心が、「これはどうでもいい事だ」そう言っているのが聞こえてしまったのだ。
それはもう、俺が化け物になったと言う証明と言わざる得ないものだった。
「――っ!!」
俺は癇癪同然に第10階位の魔法を放つ。
そうすると当然の結果だが、目の前の光景が全て焼け野原とでも言える様な光景に変わる。その様になれば、当然のことながらそこらへんに生息している生物などにも被害が加わる。
それは化け物になったこの目がきちんと見ていた。
トロールがミンチに変わるのも、ゴブリンが血霧に変わるのも、全部、全部見えていた。
しかし、心は動かない。ミンチになった死体を見ても、血痕しか残ってない地面を見ても、それは心が「どうでもいい事だ」そう言い切っている。
「……はぁ」
精神沈下が効いてきたのか、ようやく心が落ち着いて来る。
それと同時に来た、モモンガさんにぶん投げていたデミウルゴス達への相談を終えたとの言葉を聞き、感謝を言いながらナザリックの中に向かい歩いていく。
その足取りは――とても軽やかなものだった。
♦︎
――一瞬、死を覚悟した。
比喩でもなんでもなく、ここにいる全員は今この瞬間、何が起こったかは分からなくとも、あっさりと生を放り投げた。
家族を惜しむ様に叫ぶ者もいれば、ひざまづいて神に祈りを掲げる者もいた。
それだけ強大な力だった。それだけ恐ろしい力だった。
(なんだ!何が起こっている!?)
ニグンは半狂乱状態の奴らに《ライオンズ・ハート/獅子ごとき心》を掛けながら、周囲を一心不乱に見回していた。
だが、特に何が見つかるわけでもない。当然の話だ。ここからナザリックまでの距離は馬で半日以上かけていく場所。今いる場所から見るなんて、それこそ漆黒聖典の奴にしか無理だ。
だが、ニグンがそんなことを知るわけがない。
ニグンは持ち前の精神力と人望でなんとか全員を回復させることができた。だが、全員散々な様子である。
股を湿らせている者も入れば、恐怖のあまりに意識を手放した者もいた。一番精神力のあるニグンですら蒼ざめ、足を止め、死を覚悟したのだ。ある意味当然の結果とも言えるだろう。
そしてまた当然のことながら、任務続行は不可能である。
魔水晶に封じられし天使を使えばいい?
(無理だ。大天使様のお力を借りたとしても、これは無理だ)
ニグンの死ぬ直前まで追いやられたと誤認した直感は察知していたのだ。――この衝撃の主には絶対に勝てないと。
「即時撤退準備!馬がいないものは他のものと一緒に乗れ!」
その号令を聞くとともに、隊員達は大慌てで準備をしていく。
その様子を見届けているニグンに、一人の隊員が話しかける。
「隊長!囮役の先行部隊は!?」
「――彼らは事故にあった。私たちは捜索をしたが、それでも見つからなかった」
「で、ですが!」
「ならお前はいけるのか!あの気配の中心へ!?」
ニグンに怒鳴られると、隊員は顔を真っ青にしながら自分の馬の準備をしに行った。
「よし!終わったな!撤退!!」
全員の準備が完了したのを見届けると、ニグンはいの一番に馬を走らせる。片手には手綱。片手には懐にしまってある魔水晶を持って。
「どうかスルシャーナ様。ご加護を」
二期決定しましたね。変な声が出ました。