ストライク・ザ・ブラッド 〜白銀の夜帝〜 作:ichizyo
ご了承ください。
燃え盛る炎。響く爆音。巻き上がる黒煙――。
倉庫街は、火の海と化していた。
あちこちで起こる大規模な火災。それは街灯の消えた街を、爛々と彩り、赤く紅く照らしている。火災が起きた際、すぐに作動するはずの自動消火装置も動いてはいるが、燃え盛る炎の勢いを衰えさせるには至っていない。
幸いだったのは、絃神島が人口の少ない島であることだ。人口が少ない故に管理する人が少数で、管理する人が少数であるが故に避難も迅速に行うことができたらしい。すでにそこに人の姿はなく、避難を終えているようだった。
そんな光景を見ながら、少年は走る。
「――間に合え……!」
険しい表情を浮かべ、発された呟きからは僅かな焦りが感じられた。感じられる魔力は明らかに強大で、通常の吸血鬼の魔力を遥かに凌ぐほどの迫力を持っている。ほぼ間違いなく、戦闘をしているのは"旧き世代"だと考えていい。……ただそれほどの被害を出しているにも関わらず、戦闘が今もなお続いているのは気掛かりだ。
"旧き世代"とは、長大な寿命を持つ吸血鬼の中でも、特に長く生きて強力な魔力を手に入れた者のことで、正確な定義はないが、一般的に二百年以上生きているか、それと同等以上の魔力を持つ個体を指す。そんな強大な吸血鬼と戦闘しているはずなのに、未だそれが続いているのだ。それが意味するのはすなわち――今、"旧き世代"と戦っている相手が彼らと同等以上の実力者だということ。
現在、優騎が走っているのは倉庫と倉庫の間なので、戦っている人物達を認識することができない。だから、戦っているのが本当に『あの少女』なのかどうかもわからない。確かに魔族狩りのようなことをしていたが、あの少女に"旧き世代"と渡り合えるような戦闘力があるとは思えなかった。……懸念があるとすれば、それは。あの少女が紛れもなく――眷獣を、使役しているということ。
優騎は不意に頬を流れてきた汗を拭った。
彼の焦りは、被害者が増えることへのものでもあるが、同時に加害者側――あの少女が再び魔族を手に掛けてしまうことへのものでもある。
――――!!
突如、鳥の鳴き声のような咆哮が鳴り響く。しかしそれは鳥の鳴き声というにはあまりにも大きすぎるものだった。発せられた轟音に伴うように、
ハッとしたように、走りながら顔を上に向けてみれば、そこに……いた。身体全身で感じられるほどに強大な魔力の塊――眷獣。それは巨大な鳥の姿を象り、黒く妖しげに揺らめきながら、空中を縦横無尽に飛び回る。
おそらくあの眷獣がこの火災の元凶だろう。そう予想を立てながら、なおも並みの吸血鬼を遥かに凌ぐほどの、優れた身体能力を活かし、現場へと走る優騎。現場まではもうすぐだ。そして加速しようとした彼は、見た。
――空中に迸るそれを。
「あれは……」
驚愕を含んだ声は、直後鳴り響いた苦悶の咆哮にかき消される。
――腕。
それは巨大な腕だった。半透明で虹のような色に輝くそれは、数メートル近い長さをもち、空中を縦横無尽に飛び回る漆黒の妖鳥を捉えていた。そして体勢を崩した妖鳥の巨体を、虹色の腕が貪るように引き裂いていく。やがて実体化を保てなくなった妖鳥が、単なる魔力の塊へと姿を変え、地上に落ち――――しかし、そこで追撃が止むことはなかった。屍肉を漁るように、虹色の腕が破壊された眷獣の身体を蹂躙する。
既視感のある腕だった。それもごく最近視たもの。……そう。今日の昼、学校でハッキングした監視カメラの映像に映っていたものだ。
「……くっ!」
僅かな焦りが確かな焦りへと変わった。
これ以上時間がかかってはいけないと、多少の無理を覚悟し、地面を全力で踏み込む。
直後――跳躍。
弾丸の如く跳んだ優騎は倉庫の屋根を越え、空中へと身を投げ出した。跳躍の瞬間、踏み込んだ足からミシリと嫌な音が聞こえたが、それほど深い傷ではなかったらしい。空中で治ったのを感じ、現場へと視線を向ける。
視線の先にいたのは、血溜まりの上に横たわる吸血鬼と、巨大な戦斧を振り上げ、今にもその"旧き世代"にトドメを刺そうとしている巨躯の男、そしてその数歩後ろに無言で佇む藍色の髪の少女の三人。いずれも未だ優騎には気づいていない。
好都合だ、と優騎は空中でいつも着ている青色のパーカーをはためかせながら、右腕を横に広げて何もない空間に手を翳す。――すると、まるで先日突然優騎の家に那月が現れた時のように、空間に波紋が広がった。そこに手を突っ込み、直後に引き抜く。そしてそのまま流れるような動作で、引き抜いた
「――!?」
しかし
「チッ」
行き場を失ったそれが、地面に突き刺さる。纏う鎧の重さを感じさせない程の身のこなしで回避した巨躯は、地面に刺さったそれと、その後で着地した優騎へと視線を這わせ、顎に手を当て呟いた。
「――ふむ。剣、ですか。ただの目撃者ではないようですね」
それ程慌てた様子のないその男は藍色の髪の少女のすぐ横に着地し、同時に目の前の少年を警戒する。服装から顔つき。何処からどう見ても、学生である目の前の少年は一体何者なのか。そして、何処から現れたのか。間違いなく空中から降ってきたが、
(……気配を感じなかった?)
巨躯の男は得体の知れない少年を見て、さらに警戒を強める。
「――お前か」
明らかに身構えた巨躯の男を見て優騎は、言った。
その声自体は静かなものだ。ただそこに含まれているのは燃え盛るほどの激情。一人の少女、それもあんなにも助ける求める少女を道具のように扱い、魔族狩りをさせた張本人だ。少女が男の命令を受け入れたということもあるが、今の優騎にそんなことは関係ない。
助ける、と決めた。たとえそれが自己満足でも。もちろん、優騎はこの行動が身勝手だということを自覚している。その上で、自分の信念のもとに行動をしたのだ。
『自分が決めたことなら、それを貫き通しなさい』
誰から言われたか。どんな状況で言われたか。何故かはわからないが、まるで覚えていない。しかしその言葉は、優騎の記憶に根強く残り、根幹となっている。そして、それが優騎の行動原理。
優騎は男の横に無表情で立っている、監視カメラで見た容姿と全く同じ容姿の少女へ一瞬だけ視線を送り、再度巨躯の男を睨みつけた。
「何を言っているのかはわかりませんが……まあいいでしょう。それにしても――若いですね。この国の攻魔師ですか。見たところ魔族の仲間ではないようですが……何故その男を庇うのですか?」
値踏みするような表情で淡々と言う。
男の身体から滲み出る殺気を感じて、優騎は目の前の地面に刺さる愛剣を引き抜き、その切っ先を男へと向け、構えた。
「何を勘違いしてるのか知らないけど、俺は攻魔師じゃなくて、ただの高校生だ。それと、庇ってるわけじゃない……ただ、これ以上仕事を増やされると、うちの先生が本気でイライラし出すから、さっさと犯人捕まえたいだけ。――――お前だろ? ここ二ヶ月くらい魔族狩り繰り返してるの」
「ほう。調べはついている、と言うことですか……しかし、そのただの高校生一人では、捕らえるというには些か無理があるのでは?」
馬鹿にしたような言葉だが、冷静な分析だ。
格闘術、剣術、魔術、などの戦闘技能。
そのいずれにおいても、学び、体に覚えさせることでその技術を向上させることはできる。が、戦闘面における判断力、直感などにおいては、経験がものを言う。そしてその経験の差は、年齢に依存することもある。全てがそうとは言えないが。
目の前の相手は間違いなく、優騎より年上だ。
「その割には、さっきから構え解かないよな。相手はただの高校生、と思っている対応じゃないと思うけど。……それに」
優騎は少女へと視線を向ける。
――早く解放してあげないと。
まあもちろん、彼女がそう望んでいるかどうかはわからないけど、と心の中で付け足し、優騎は重心を低くした。
「――どうせ戦いは避けられないんだろ?」
捕らえるにしても相手は抵抗してくる。捕らえるということは戦闘を避けることはできない、ということでもあるのだ。
巨躯の男は自嘲するように笑う。戦場に立っている時点で、相手も覚悟の上。そんな相手にはすでに言葉など無意味だ。男はその手に持つ巨大な戦斧を静かに構える。
「……いいでしょう。貴方が何者なのか、見定めさせて頂きます。――このロタリンギアの殲教師、ルードルフ・オイスタッハが相手になりましょう。そこの魔族、見事救って見せなさい!」
「ロタリンギア……? 何で西欧教会の祓魔師が――いや、いいか。捕まえたら那月ちゃんが尋問なり何なりするだろうし」
「これ以上の言葉は不要ッ!」
オイスタッハはそう吐き捨て、右手の
「――ッ!?」
オイスタッハの目が驚愕に染まり、見開かれた。
全力とは言わないものの、強化鎧にアシストされた一撃は、その重さに加え、速さも兼ね備えている。そんな回避困難な攻撃を目の前の少年は危なげもなく回避し、さらにはオイスタッハの懐へと潜り込んだからだ。
重い一撃の後には、必ず大きな隙ができる。
優騎が無防備に腹部をさらした男に向けて突き出したのは、いつの間にか左手に持ち替えていた剣ではなく、何も持っていない方の右手。
『動きを最小限に、かつ、最大威力で』。
優騎は体術を教えてくれた師匠の言葉に倣うように、
「――
拳をオイスタッハのガラ空きの腹部へと突き出した。
最大威力の打撃を受けたオイスタッハの身体がブレ、直後くの字に曲がる。
「カハッ……!」
まるで身体全体が振動しているような、そんな感覚。
その威力は先ほどのオイスタッハの攻撃には劣るものの、人間の身体に害を及ぼすには十分すぎるものだ。しかし、それほどの威力を持っていながら、直撃を受けたオイスタッハの身体が砲弾のように後方へと飛んでいくことは、ない。まるで外部ではなく内部に威力を集中させたような――。
(な、何ですか、この威力は――!)
警戒はしていたのだ。しかし正直なところ、オイスタッハは言葉を交わしている間、優騎のことを侮っていなかったと言えば嘘になる。気配を消すのが上手いとはいえ、まだ高校生。若いにもほどがある、と。しかし現実は、侮った相手に一撃で、行動不能にまで追い込まれてしまっている。己の愚行に激しく叱咤したかった。見た目で判断し、油断までしてしまったのだ。しかし、そんな時間はない。未だ戦闘の最中だから。
痛みにより動けないオイスタッハに優騎が攻撃をやめる――なんてことはない。相手を拘束するのに容赦はしないとばかりに追撃へと移る。
次にオイスタッハの目が捉えたのは、横から薙ぐように左手で振られた純白の剣。間近に迫る斬撃に身体を動かすことができないオイスタッハが唯一できるのは――
「……ア、ス……タルテ……ッ!!」
後衛に控えていた少女に命令を下すことだった。
それを見て優騎の眉がピクリと動く。藍色の髪の少女が両者の間に滑り込むように割り込んだ。
「――
少女の身を包むケープコートを突き破り、現れたのは巨大な腕。それは虹色の輝きを放ちながら、優騎を襲う。監視カメラの映像で見たのを含めれば、すでに見るのが三度目になるとはいえ、優騎はその腕のことを何も知らない。よって、取った行動は後ろに跳んで回避する、だった。
「……」
着地した優騎は無言で、割り込んできた少女を見つめる。
相手の少女もまた、無言で優騎のことを見つめていた。その目に宿る感情を理解しようとするように。
「……よくやりました、アスタルテ。先程の一撃、不覚です。見誤りました、まさかこれほどとは。……しかし、あれは――仙術、ですか」
何とか動けるようになったオイスタッハが考察するようにそう呟く。未だ打撃を受けた腹部に手を当てているのは、完全に痛みが消えたわけではないからだろう。
「よくわかったな」
それに対する優騎の答えは肯定だった。
仙術の中でも、己の身体に気を纏う気功術。
優騎はそれを纏わず、拳に集中させ、インパクトと同時に炸裂させた。それにより起こるのは、気の波による武装無視の衝撃。外部への放出ではなく、内部での炸裂だ。爆発的に身体の内部で発生した気の波はオイスタッハを一時的に行動不能へと陥らせた。
気の波で揺らし、相手の行動を止める。それが優騎独自の掌底の派生系――『揺凪』。
オイスタッハの表情が少しだけ険しげに歪んだ。
「……貴方は思った以上に脅威となり得るようです。――アスタルテ、我々の目的を果たすために、彼に慈悲を」
下されたのは、排除。
「……――
答えは、肯定。
しかし、そこに少しの間があったのを優騎は見逃さなかった。
迷い、だったのだろう。きっとこれまでもそうして迷って、しかし命令は絶対で。そしてこれからもそれが続いていく。でも、そんなの――理不尽すぎる。
少女は無機質な瞳で優騎を見つめる。
――助けて
そう言ってるように見えた。そう見えただけかもしれない。しかし、もしそれが道具として扱われている彼女の本心なのだとしたら。それが身勝手だってことが分かっていたとしても。
「ああ、俺が相手になる」
相手になろう。そして、その身勝手を貫き通す。
読んでいただきありがとうございました!
久しぶりの投稿です。遅くなり申し訳ございません。
これからまた頑張っていきますので、応援よろしくお願いします!