ストライク・ザ・ブラッド 〜白銀の夜帝〜   作:ichizyo

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長くなりました。
これからもこのくらいになるかもしれない。

それではどうぞ。


聖者の右腕 Ⅲ

 太陽の光がより激しく照りつけ始める真っ昼間。

 彩海学園中等部の渡り廊下に、一つの人影があった。いかにも怠そうに、ぼんやりと校庭を眺めているのは古城だ。

 はぁ、と一つ息を漏らす。

 

「……どうしたもんかね」

 

 物憂げに呟く古城の右手には、シンプルな柄だが可愛げのある財布が握られていた。昨日のギターケース少女――姫柊雪菜が落としたものだ。悪いと思いながらも学生証を確認したので、ほぼ間違いはない。ならば何故、古城が中等部の渡り廊下で困り果てているのか。答えは簡単だった。

 

「せめて連絡先の一つくらいわかるものが入ってればな……」

 

 そう。拾ったはいいものの、どうやって返せばいいのかわからなかったから。連絡先はわからない。そもそも住所なんてわかるはずもない。運良く近所に住んでいてくれれば、近い内に顔をあわせるかもしれないが、それがいつになるかわからないので、希望は薄い。

 そんな感じで何も手がなく、困り果てる古城をしかし天は見放さなかったらしい。思わぬところから手がかりが舞い降りた。

 妹の凪沙だ。

 昨日の夕方、部活を終え帰宅した凪沙が興奮した様子で話してきたのだ。

 二学期に自分のクラスに転校生が来る、と。

 もしやと思い、特徴を聞いてみると、驚くことにその転校生は、財布を落とした張本人、姫柊雪菜だった。

 その後、ぐいぐいと何故知り合いなのか、凪沙に問い詰められたが、それはあまり思い出したくない。

 

 ならば、と。

 古城は次の日、つまり今日の追試後。中等部を訪れ、凪沙の担任教師――笹崎(さささき)(みさき)に渡そうと考えた。しかし、職員室に行ってみると、運の悪いことに笹崎先生は不在。どうやら残り少ない休暇を満喫中らしい。まあ、夏休み終了まであと二日。休暇を満喫するのもおかしくはない。むしろ、こんなギリギリに追試を受けている古城がおかしいのだ。

 

 面倒なことになった、と古城はため息を吐く。

 

 できれば、早く返したかった。でなければ、あの短気な中学生にあらぬ誤解を受けて、いきなり槍で突かれることにもなりかねない。それに、那月の言葉も気にかかる。

 "獅子王機関には近づくな"。

 それがいったいどういう意味なのかは、古城には見当もつかなかった。しかし、あのいつも偉そうにしている担任教師が珍しく忠告してきたのだ。素直に従わないと本当にまずい気もする。

 

 ふと、視線を前に戻すとグラウンドにちらほらと自主活動中の運動部員たちがいた。校舎の影の中ではチアリーダーたちがダンスの練習中。テニスコートでは部員同士の練習試合が行われているらしい。ひらひらと揺れる女子部員たちのスコートを見ていると、ついつい昨日の姫柊雪菜の事を思い出してしまう。

 魔族の男たち、それに吸血鬼の眷獣相手をものともせず、たった一本の槍で圧倒した少女。そして、スカートを押さえて顔を真っ赤に染める姿と、パステルカラーのパンツ。衝撃的すぎて、忘れようにも頭から離れない。何者か未だ謎だが、綺麗な子ではあったのだ。

 足も綺麗だったし――と何気なく考えて、古城は顔を顰める。

 軽いめまいに襲われると同時に、激しい喉の渇きを覚えたのだ。非常に良くない徴候だった。

 

 慌てて思考を切り替える。

 目に毒な運動部員たちから目を離し、次に視線を向けたのは拾った財布だ。連絡先が入ってないか、もう一度探そうと考えたのだ。

 高級品というわけではなさそうだが、汚れや劣化が見られないあたり大事に使われているのがわかる財布だった。

 かすかにいい匂いがする。

 財布本体はありふれた布製の既製品で、つまりこの匂いは持ち主の残り香なのだろう。柔らかく心地いい香りだった。まあ要するに、女の子の匂い――。

 

 そう思った途端、

 

「う……」

 

 まずい、と古城は慌てて口元を手で覆った。

 顔が青ざめ、その場に膝をつき、その唇からは鋭く尖った犬歯がのぞく。

 傍目には吐き気をこらえているように見えただろう。

 だが、古城はべつに体調を崩したわけではない。古城を苦しめているのは、単なる生理現象。ただし吸血鬼特有の忌まわしく厄介な症状だった。――吸血衝動、だ。

 

 血を吸いたいという抗いがたい欲望だけが、肉体を支配する。視界が真っ赤に染まったような錯覚も覚える。世間では誤解されることも多いが、吸血鬼だからと言って、血を飲まなければ生きていけないなんてことはない。普通に人間と同じ食事で十分なのだ。

 吸血鬼が吸血衝動に駆られる原因は飢えではなく、主に性的興奮。つまり性欲だ。

 強烈な焦燥感や息苦しさ、誰かのことを想っていても立ってもいられないような感覚。それが突然、前触れもなくやってくる。

 

「くっそ……勘弁してくれ」

 

 鼻の奥に鈍痛を感じながら、古城は絞り出すように呻いた。血の味が口内に広がる。

 吸血衝動は長くは続かない。驚き、恐怖などの些細な感情の変化で呆気なく消えてしまうようなものだ。

 古城の場合はそれが鼻血だった。

 つまり、誰かの血じゃなく、自分の血でも吸血衝動を抑えることができる、ということだ。

 興奮すると鼻血が出る。元々の体質かはわからないが、古城は今までそれに助けられてきた。

 

 流れる鼻血を拭きながら、古城はようやく立ち上がる。

 しかし、それにも問題はあった。とにかく見た目が格好悪いこと。

 そして――

 

「女の子のお財布の匂いを嗅いで興奮するなんて、あなたはやはり危険な人ですね」

 

 ――このように誤解されてしまうことが多いことだ。

 聞き覚えのある声に古城が驚きの声を上げた。

 

「姫柊……雪菜?」

 

 古城の目の前に立っていたのは、紛れもなく昨日の騒動の時のギターケース少女だったのだ。少し大人びた顔立ちの少女は、蔑むような目で古城を見据えている。そして、冷ややかに、

 

「はい。何ですか?」

 

 無表情のまま返事をした。

 驚きのせいだろう。吸血衝動もいつの間にか消え、鼻血も止まっている。古城は伸びた犬歯が元に戻ったのを確認し、口元を覆っていた手を離した。

 

「どうしてここに?」

 

「それはこちらの台詞だと思いますが、暁先輩(・・)? ここ、中等部の校舎ですよね?」

 

「う……」

 

 何も言い返せなくなる古城に雪菜は呆れたように、はあ、と息を吐いて、そして古城の手にあるものに気づいた。

 

「それって、私のお財布ですね」

 

「あ、ああ。これを届けに来たんだった。友人の一人がが拾って、俺が預かったんだが、今日笹崎先生は休みだって言われてさ」

 

 雪菜が差し出してきたポケットティッシュをありがたく受け取り、鼻血を拭きながら古城は頷いた。雪菜は、古城の説明の真偽を伺うように沈黙していたが、

 

「それなら、そのご友人さんにお礼を言わないといけませんね。それ、返してください。そのつもりでここに来たんですよね?」

 

 鼻血の件は疑わしいが、とりあえず信じることにしたのか、雪菜は手を差し出し、財布を指差す。しかし、古城は要求に応じない。財布を高く掲げ立ち上がり、雪菜の手が届かないようにする。

 

「その前に話を聞かせてもらいたいな。お前いったい何者だ? 何で俺のこと調べてた?」

 

「……わかりました。それは力ずくでお財布を取り返せという意味でいいんですね?」

 

 雪菜は足を開き、古城を睨みつけながら、ギターケースを前に持ってくる。

 やはりこうなるのか、と自分がそうしたにもかかわらず古城は小さく呟いた。そして、姿勢を低くし構える。前までやっていたバスケのディフェンスの要領だ。

 それを見て、雪菜の瞳に警戒の色が浮かぶ。

 

 少しの間をおき、雪菜が初撃への第一歩を踏み出そうとした時。

 

「待った」

 

 ――全く予想だにしていなかった第三者の声が響いた。

 古城にとっては聞き慣れた声、しかし雪菜にとっては初めて聞く声だ。肩の力を抜く古城とは打って変わって、雪菜はさらに警戒のを強める。

 

「優騎、追試終わったのか?」

 

「ああ。ところで、何で睨みあってるんだ?」

 

 先ほどのやや強張った声から変わり、少し緩んだような声で優騎は古城に訊く。雪菜は未だ警戒したままだ。まあ色々な、と誤魔化す古城に優騎は、はぁ、息を吐いた。

 

「まあいいけど。ところで、君が姫柊さん?」

 

「……どうして私のことを?」

 

「昨日の騒動のこと、古城に訊いたんだよ」

 

 それを聞いて、またしても雪菜は警戒を強める。古城が獅子王機関のことや監視のことを話したと思ったからだろう。

 

 短い沈黙が流れる。

 

 すると突然、グウゥゥ、と低い音が鳴り響いた。

 途端に雪菜の顔がトマト並みに真っ赤に。

 

「もしかして、姫柊……腹減ってる?」

 

「っ!?」

 

 指摘されたことでさらに恥ずかしさが増したのか、さらに赤みが増した。しかし、腹が減ってしまうのもおかしくはない。財布は一晩の間古城の手元にあったのだ。今まで何も食べてなくてもおかしくはないだろう。何だ、可愛い子じゃないかと優騎は思う。

 

「昨日から何も食べてないとか? あ、財布がなかったからか……ってことは姫柊、一人暮らしだったりするのか?」

 

「だ、だったら何だって言うんですか!?」

 

 声を荒げる雪菜を見て、我が友ながら鬼畜だと優騎は笑った。ただでさえ、お腹が鳴って恥ずかしいのに、それをさらに追求するとは。確かに的を射ているような質問ではあるが、もしかしなくても古城にはデリカシーが足りないらしかった。

 

 苦笑いを浮かべる優騎を尻目に、古城はそんな彼女に何を思ったのか、困ったような顔で雪菜の前まで行き、先ほどまでまるで返す気がなかったはずの財布を差し出す。

 

「昼飯、おごってくれ。財布の拾い主には、それくらいの謝礼を要求する権利があるだろ」

 

 古城がまるで緊張感のない声で言った。

 雪菜は突然返された財布と古城の言葉の真意に、表情を歪ませる。しかし、そこに先程までの警戒心は全くと言っていいほど無くなっていた。

 

「拾ったの一応、俺なんだけどな」

 

「……あ」

 

 いや忘れんなよ、と優騎はため息を吐く。

 状況についていけていないのだろう。雪菜は未だぽかんと口を開け、どう反応すればいいのかわかっていない様子だった。しかし、お腹が空いているのは事実とばかりに、優騎へ視線を向け、

 

「ん? ……あ、そうか。それなら俺もついて行っていいか? 一応この第四真祖の関係者だから」

 

 第四真祖の部分だけ小声で発する優騎。

 雪菜はそんな彼の言葉に、少し迷いながらも最後は頷いた。未だ顔は羞恥で赤く染まってはいたが。

 ともあれ、優騎を加えた三人は移動を開始する。

 再び、雪菜のお腹から空腹を知らせる音が鳴り響いた――。

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 暑さが最高潮に達する午後。

 優騎はクーラーの涼しい風を受けながら、ドリンクを飲む。隣には、同じくドリンクを飲む古城。そして、正面には、

 

「ふふ」

 

 美味しそうにテリヤキバーガーを頬張る姫柊雪菜の姿があった。昨日から何も食べてなかったというのもあるだろうが、それにしても幸せそうに食べている。口元にソースがついてることにも気づかないくらい、それに夢中になっているらしい。

 しかしこうやって見ると、やはり美少女だ。昨日騒動の話を聞いた時、珍しく古城が『綺麗な顔した中学生』と言っていたが、これを見ては否定できない。

 

「あ、あの……何ですか? お二人揃ってそんなにジロジロと」

 

 どうやら見過ぎてしまっていたようだ。

 雪菜はジト目で優騎と古城を睨む。だが、その手にハンバーガーとドリンクを持っている時点で、全然怖くない。むしろ可愛げがあるように見えた。

 

「ああ、ごめんごめん。そんなに深い意味はないんだが、美味しそうに食べるなーと思って」

 

 優騎がそう言うと、雪菜はビクッと肩を震わせて、顔を赤くしながら残ったハンバーガーを一気に口に放り込んだ。そして、ドリンクも飲み干す。

 

「姫柊」

 

 ふぅ、と息を吐いて落ち着く雪菜に今度は古城が話しかけた。理由はもちろん口元のソース。しかし、流行り未だに気づいていないのか、雪菜は首を傾げるばかりだ。

 はぁ、と隣からため息が一つ。古城は自分の口元を指差しながら、未使用のおしぼりを渡した。それにまたしてもビクッと雪菜の肩が震え、顔が赤く染まる。

 

「す、すみません」

 

 ようやく雪菜の口元からソースが消え、綺麗になった。

 

 今、三人がいるのは彩海学園から徒歩五分、絃神島南地区(アイランド・サウス)にある大手チェーンのハンバーグショップだ。なぜそこを選んだかと聞かれれば、近かったからと答えるだろう。それほどまでに高校生二人はこの暑さの中、外に居たくなかったのだ。理由はもちろん、吸血鬼だからではあるが。

 

 コホン、と。

 雪菜が咳払いをした。

 

「では、まず自己紹介をしますね。――私は獅子王機関"三聖"の命により、第四真祖の監視役として派遣されました。獅子王機関の剣巫、姫柊雪菜です」

 

 丁寧な口調で自己紹介をする彼女からは、生真面目な雰囲気が溢れ出ている。やはり彼女は獅子王機関の剣巫らしい。ほぼ確信に近い予想はしていたが、本人から聞かされて確実なものに変わった。おそらく横に置いてあるギターケースの中身が七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)だろう。

 

 雪菜は続けて、

 

「二学期から彩海学園中等部に転入することになりました」

 

 よろしくお願いします、と最後に付け足し彼女は口を止めた。

 優騎が視線を古城に送る。

 

「じゃあ、俺か。俺は――」

 

「第四真祖、暁古城……ですよね?」

 

 自己紹介くらいさせろよ、と古城がため息を吐いて呟く。

 

「監視役として派遣されるのに、監視対象のことを知らないはずがないじゃないですか」

 

 いや、そういうことじゃないんだけどな、と優騎は苦笑い。すると、次に雪菜の瞳が優騎を見た。まるで次はお前だと言わんばかりに。

 

「俺は、明夜優騎だ。古城とは中学からの付き合いで、正体を知る一人でもある」

 

 簡潔に、かつ第四真祖――古城との関係性がわかるように。そして、少なくとも、古城の正体を知る一人だと付け足して。最後に、自分のことをうまく濁すように、優騎は答える。

 獅子王機関は危険。ついさっき学校で担任教師に念押しされたばかりのことだ。もしそれが本当なら、簡単に情報を流すわけにはいかない。下手すれば、自分にも監視役が送られるかもしれないからだ。優騎にも自覚はあるのだ。自分が真祖ほどとは言わないまでも、普通の吸血鬼とは少し違うことに。

 

 そうですか、と警戒心を弱くして頷く雪菜をよそに、

 

「ところで、獅子王機関って何なんだ?」

 

 古城が不思議そうに聞いた。

 それに雪菜が訝しそうに視線を送る。

 

「……暁……先輩、ご存知ないんですか?」

 

「おう」

 

 雪菜は困ったように表情を歪め、助けを求めるように、

 

「え? 明夜……先輩は?」

 

「ああ、確か国家公安委員会に設置されてる特務機関……だよな? 大規模な魔導災害とか魔導テロを阻止するために、情報収集とかをする機関……だったか」

 

 そうホッ、と明らさまに胸を撫で下されると優騎はすこし申し訳ない気持ちに駆られた。昨日の騒動の後に少しでも古城に教えとくべきだったか。

 

「それであってますよ。付け加えるとすれば、もともと平安時代に宮中を怨霊や妖から護っていた滝口武者が源流(ルーツ)なので、今の日本政府よりも古い機関、ということですね」

 

「要するに公安警察みたいなものか」

 

 古城がなんとなくだが、納得する。

 警察内に、組織犯罪やテロ対策を専門に扱う公安という部署が存在するように、通常の攻魔官とは別に、魔導災害や魔導テロに対処する政府機関があっても不思議ではない。

 特務機関などという曖昧な組織形態をとっているのは、魔族が相手だからだろう。霊能者や魔術師などの攻魔技能者には、政府と直接関わることを嫌うものも多い。

 

  (あ、だから獅子王機関の名前が出た時、那月ちゃん不機嫌になったのか)

 

 優騎は先日の担任教師の期限の変化にやっと納得がいった。いわば、獅子王機関と那月たちのような攻魔官は商売敵のようなものだからだ。

 

「私は獅子王機関の養成所から来たので、仮採用(みならい)ですけど」

 

 なるほど、と古城が横で呟く。なにしろ彼女はまだ中学生だ。経験を積んだ攻魔師には、まだ敵わないだろう。しかし、それなら疑問も残る。何故彼女を古城の監視役にしたのか、ということだ。獅子王機関は余程人材不足なのだろうか。彼女はまだ見習いと言っている。それなのに、第四真祖という最強の吸血鬼の監視役に任命されたのだ。それに、ただ監視するだけなら、接触する必要はない。たとえ監視を気づかれたとしても、誤魔化しようはいくらでもあるからだ。というか、プロなら素人の古城にバレることはないだろう。ならば何故――。

 

 考えれば考えるほど、謎が深まっていく感覚に優騎は眉間に皺を寄せた。それに疑問を覚えたのか、

 

「あの……大丈夫ですか? 明夜先輩」

 

 雪菜が心配そうに優騎の顔を覗き込んだ。

 

「あ、ああ、大丈夫だ。……で、どこまで話したっけ?」

 

「暁先輩がどうして妹さんに、自分が吸血鬼であることを隠しているのか、という話ですよ」

 

 どうやら考えているうちに次の話に進んでいたらしい。古城が凪沙に正体を話さない理由。もちろん優騎もそれを知っている。

 

「家族にも正体を隠して魔族特区に潜伏しているのは、何か目的があるんじゃないですか? たとえば、絃神島を陰から支配して、登録魔族たちを自分の軍勢に加えようとしているとか。あるいは自分の快楽のために彼らを虐殺しようとしてるとか……なんて恐ろしい!」

 

 どこか思い詰めたような、あるいは妄想しているような口調で雪菜が呟く。しかし、それは本当に想像や妄想だと優騎は思う。なにしろ古城は――

 

「待ってくれ。姫柊は何か誤解してないか?」

 

「誤解?」

 

「潜伏するもなにも、俺は吸血鬼になる前からこの街に住んでたわけなんだが」

 

「……吸血鬼になる前……からですか?」

 

「ああ。記録でもなんでも好きに調べてくれ。俺がこういう体質になったのは今年の春からだし、この島に引っ越してきたのは中学のときだから、もう四年近く前の話だぞ」

 

 古城が苦々しげな口調で説明する。

 そう。暁古城は生まれついての吸血鬼ではない。ほんの三ヶ月前まで、古城は魔族とは無関係な普通の人間だった。だが、今年の春、ある事件に巻き込まれたことで古城の運命は変わった。古城はそこで第四真祖と名乗る人物に出会い、その能力と命を奪ったのだ。

 

 それを那月と古城本人から聞いた時、優騎はなら自分は……と考えた。自分が吸血鬼になったのは、古城と同じ頃だと記憶している。しかし、それも曖昧なものだ。おそらくは古城と同じ事件に巻き込まれたのだろうが、思い出そうとしてもまるではっきりと思い出せない。自分が吸血鬼になった所以も、誰から受け継いだのかも――。

 

 信じられない、という風に雪菜は首を振る。

 

「そんなはずはありえません。第四真祖が人間だったなんて」

 

「え? いや、そんなこと言われても実際そうなんだし」

 

「普通の人間が、途中で吸血鬼に変わることなどあり得ません。たとえ吸血鬼に血を吸われて感染したとしても、それは単なる"血の従者"――疑似吸血鬼です」

 

「ああ。そうらしいな」

 

「だったら、どうしてそんなすぐバレる嘘をつくんですか?」

 

「別に嘘ついてるわけじゃねーよ」

 

 言い合いをしている二人をよそに、優騎はふと思った。

 自分はもしかして、血の従者なのだろうか、と。でも、体質や能力は古城のものと比べても、遜色ない。しかし、自分は真祖ではない、と那月が言っていた。それならば自分は何なのか。ますます自分の正体がわからなくなってくる。

 

「おい、優騎からも言ってやってくれ。俺、こういう真面目なタイプ説得するの苦手なんだ」

 

 疲れたように息を吐き、小声で言ってくる古城を見て、優騎はひとまずその考えを止めた。

 確かに、人間が吸血鬼――それも真祖になる方法はほぼ存在しない。あるとすれば、『失われた神々の秘呪で自ら不死者になる』か、または――融合捕食。つまり『真祖喰い』だ。

 

 雪菜もその考えに至ったのだろう、その綺麗な顔は青ざめ、先ほどまでの表情の柔らかさが消えていた。

 自ら真祖になることはできなくても、真祖の力を手に入れる方法が一つだけ存在する。それは真祖の存在を喰らって、その能力と呪いを自らの内部に取り込むことだ。だが、魔力が劣るものがそんなことをすれば、逆にその存在を吸い尽くされて消滅するだけだ。

 つまり、ただの人間が、吸血鬼を喰らうことなど実質不可能なのだ。

 

「姫柊さん、古城は喰って(・・・)ない」

 

「で、でもそれ以外に考えられません……!」

 

 怯えたように呟く雪菜に優騎は付け足す。

 

「まあ、それはそうなんだけど……古城の場合は別だよ。押し付けられた、が正しいか?」

 

「ああ。そうだ、俺はあの馬鹿にこの力を押し付けられたんだ」

 

「……あの馬鹿、というのは?」

 

「第四真祖だよ。先代の」

 

 雪菜が愕然とした表情で息を呑む。

 

「ま、まさか、本物の"焰光の夜伯(カレイドブラッド)"のことですか!? 先輩は、あの方の能力を受け継いだ後でも? どうして第四真祖が先輩を後継者に選ぶんですか? そもそもなぜあの"焰光の夜伯(カレイドブラッド)"なんかに遭遇したりしたんですか?」

 

「いや、それは……」

 

 古城が突然表情を歪め、痛みに抑えるように頭を押さえ出した。

 飲みかけのコーヒーが倒れて、溶けた氷で薄まった水っぽい中身がこぼれ出す。

 

「姫柊さん、その話はやめてくれ。古城には――その時の記憶がないんだ」

 

 優騎は古城に「それ以上はやめとけ」と言って、倒れたコップを元の状態に戻した。

 

 失われた記憶は、古城の全身を呪いのように苛んでいる。無理に思い出そうとすると、全身が痛みが走ると古城本人が言っていた。優騎も何度か見たことがある。

 

「無理に思い出そうとすると、このザマだ」

 

 古城は少し痛みが和らいだのか、少し頭を起こして雪菜にそう言った。しかし、いまだ激しく疼いているのか、心臓を押さえて、苦しげに息を吐いている。

 

「そう……なんですか。わかりました……それじゃあ、仕方がないですね」

 

「信じてくれるのか?」

 

「はい。先輩が嘘をついてるかそうでないかくらいは、だいたいわかりますから」

 

 雪菜が当然のようにそう言った。古城は複雑な表情を浮かべる。優騎は雪菜もなかなかにひどいな、と思い笑った。しかし、彼女が浮かべるのは優しげな表情だ。さっきまでの怯えや畏怖はすでに抜け落ち、柔らかな表情が戻ってきている。

 

 優騎は紙ナプキンでテーブルにこぼれたコーヒーを吹き始めた。それを見て雪菜は立ち上がり、古城の隣に屈み込むと、

 

「こっち向いてください。ズボン、拭きますから」

 

「あ、いや。いいよ、そこは」

 

「染みになっちゃいますよ。ほら」

 

 まるで母親と子供だな、と優騎は思う。まあ、自分には母親なんていなかったけど、と付け足して。

 

 しかし、チラリとそちらを見てみると、すごい状態だなと思った。女子中学生が男子高校生の股の間に座り込んで、ズボンを拭いている。これ、知り合いじゃなくとも誰かに見られたら、とんでもない状況だ。そう思った優騎はさりげなく立ち上がり、窓越しに古城と雪菜見えないように椅子に腰掛けた。店の中の人はみても説明すれば、どうと言うことはないからだ。

 

(これ、浅葱が見たら絶対誤解するよな……)

 

 優騎はこの状態を外から見られないように、死守することに決めた。この状態を同級生に見られても終わりである。何としても死守せねば。しかし、そんな苦労をしている友人のことなど気にも留めず、二人は会話をする。全く薄情な友人と後輩だ、と優騎は思った。

 

「わたし、獅子王機関から暁先輩のこと監視するように命令されてたんですけど……それから、先輩がもし危険な存在なら抹殺するようにとも」

 

「ま……抹殺?」

 

 平然と告げられた不穏な言葉に、古城の全身は硬直する。しかし、雪菜は穏やかな口調で、

 

「その理由がわかったような気がします。先輩は少し自覚が足りません。とても危うい感じがします」

 

「いや、姫柊もそうとう危なっかしいと思うが」

 

 財布も落とすし、思わず余計なことをつぶやいて、古城は雪菜に睨まれる。

 

「とにかく、今日から先輩のことはわたしが監視しますから、くれぐれも変なことはしないでくださいね。まだ先輩のことを全面的に信用したわけではないですから」

 

「監視……ね」

 

 まあいいか、と古城は肩の力を抜く。

 今は、二人が変なことをしてるように見えるけどな、と優騎は思うが口には出さない。最低限の配慮だ。たとえ、すでに苦労をかけられているとしても、それを言うのは野暮というものだろう。

 

「そうだ、姫柊。凪沙のことなんだけど」

 

「わかってます。先輩が吸血鬼だってことは内緒にしておきます。ですから、私のことも」

 

「ああ。普通の転校生ってことにしとけばいいんだろ」

 

 それに関しては大丈夫だろう、と古城は考える。こんな中学生のことを特務機関の監視員だと思う奴はいないだろうと思ったからだ。

 

「ありがとうございます。明夜先輩もですよ。……まあ、明夜先輩の場合は言わなくてもわかっていただけると思いますけど」

 

 屈んだ状態のまま、首だけを向けてそう言う雪菜に優騎は、少し微笑むと、

 

「ああ、わかってるよ」

 

「何でこの短時間しか絡んでないのに、そんなに扱いが違うんだよ……」

 

 古城がさらに疲れたように、そして吐き捨てるように呟いた。

 雪菜はようやく吹き終えたのか、立ち上がり自分の席に戻る。それに合わせて、優騎も自分の席に。途中「どうして、明夜先輩はこっちに座ってたんですか?」と聞かれたが、本当のことを言っても仕方がないので、「そっちで寛いでただけだよ」と答えておいた。

 

「ところで」

 

 少し間をおいて、そのテーブルに響いたのは雪菜の声だ。

 

「先輩方は"白銀の夜帝(グレイスフロウ)"って知ってますか?」

 

 唐突に放たれた内容。しかし、それに高校生二人はそれぞれ異なった反応を見せた。

 古城はチラリと優騎は見て黙り込み、優騎は何かを考えるように俯く。そんな対照的な二人を雪菜は不思議そうに見ていた。

 

「……知らないけど。何か俺たちに関係が?」

 

 最初に口を開いたのは、優騎だった。

 何か引っかかる。聞いたことがない名前のはずなのに、聞いたことがあるような不思議な感覚だった。

 優騎の隣では、古城がいまだに黙り込んでいる。

 

「いえ、先輩方に関係があるかどうかはわかりませんが」

 

 雪菜はふぅ、と一つ息を吐き、

 

「ここ――日本で消息を絶った、真祖にも及ぶ力を持つ吸血鬼です」

 

「聞いたこともないな」

 

「そうですか……暁先輩は?」

 

「し、知らんな」

 

 怪しい。さっきから、古城が挙動不審だ。優騎は古城は見ながらそう思う。彼は会ったことがあるのだろうか。いやそれよりも先にその名前を聞いたことがあるのだろうか。優騎はそんな女性のことなんて見たこともないし、聞いたこともない。……ん?

 

 ――どうして俺は今その吸血鬼のことを女性(・・)だと思ったんだ……?

 

 わからない。何かがおかしい。

 優騎はそのことに少し違和感を覚えた。

 

(白銀の夜帝(グレイスフロウ)……か)

 

 何か俺に関係があるのだろうか。優騎は初めて聞いたその名前に覚えた疑問を那月に聞いてみようと考える。そしたら、この違和感の謎も――。

 

「そうですか……わかりました。ありがとうございます」

 

 雪菜は納得したように頷いた。ギリギリまで古城のことを睨んではいたが。

 

「じゃあ、そろそろ解散にするか?」

 

「ああ、そうだな。優騎は帰るんだよな?」

 

「おう」

 

「暁先輩はどうするんですか?」

 

 雪菜はギターケースを持って立ち上がりながら、古城に訊く。

 

「俺か? 俺はこれから図書館にでも言って、試験勉強しようと思ってるんだが――って、まさか姫柊。ついて来る気か?」

 

「はい、もちろんです。いけませんか?」

 

「いや、そんなことはないが……まさか、これからずっと?」

 

 雪菜は真面目な表情から、その顔に笑顔を咲かせて、

 

「はい。監視役ですから」

 

 そう言った。

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 夜の絃神島。

 家のリビングから見えるその島は、繁華街などの明かりに照らされ、昼間とは違った印象与える。

 街灯の光、店の明かり、人々の使う電子機器の光。

 様々な光によって照らされた絃神島は、どこか幻想的な雰囲気を帯びていた。

 

『で? この前のショッピングモールでの騒動は獅子王機関の剣巫と吸血鬼(コウモリ)獣人(イヌ)の痴話喧嘩だったと?』

 

「どう考えても痴話喧嘩ではないと思うけど、まあそんな感じだよ」

 

 夜の十時。

 もう深夜に差し掛かった時間帯。

 優騎は担任教師、南宮那月と電話していた。

 

『で? その騒動の中心人物である剣巫が第四真祖の監視役として派遣されたと?』

 

「ああ」

 

 聞こえてくるのはどこか不機嫌そうな声。

 夜風が涼しいリビングで、静かな空間にそれだけが響く。

 

『で? おまえもその剣巫と接触して、あれやこれやとやりまくったと?』

 

「その言い方だと何か卑猥に聞こえるからやめてください、人聞きが悪いんで。ただ会話しただけだよ」

 

 完全な言いがかりだと優騎は思う。

 古城を介して話しただけだし、そんなに悪そうな娘じゃなかった。断じて、あれやこれやなんてやってない。

 

『で? おまえは私の忠告を無視して、獅子王機関と関わりを持ったと?』

 

「いや、無視してないって。たまたま――」

 

『で? 私からの『頼み』を初めて断ったと?』

 

「いやだから、断ってないってば」

 

 明らかに不機嫌になってきている那月。もはや、それを隠そうともしていない。たぶん今顔を合わせたら、確実に死ぬ。優騎はこの会話を携帯電話を介してできることにとてつもなく感謝した。昼の自分の行動、そして那月の忙しさにも。

 しかし、優騎は知ることになる。

 

『で? おまえは今までそれを私に黙っていたわけだ』

 

「ショッピングモール騒動のことはともかくとしても、姫柊さんと話したのは、今日の昼が初めてだから仕方ないだろ?」

 

『よし、決めた。今からおまえの家に行く。今すぐ紅茶を用意しろ。淹れたてだからな』

 

「……は?」

 

 ――彼女が何の魔術を得意としているかを。

 

 瞬間、部屋の中に薄っすらと波紋が広がる。

 そして、フワリと虚空から現れたのはレースアップされた黒のワンピースだ。襟元や袖口からはフリルがのぞいて、腰回りは編み上げのコルセットで飾り立てられ、ゴスロリと呼ぶには少々上品なもの。それから幼い顔つき。さらに黒レースの扇子。

 最初に感じたのは、本当に来たのかという衝撃。

 

 そして、次に来たのは――

 

「馬鹿者!」

 

 頭への物理的な衝撃だった。

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

「空間転移までしてくるとは……。流石、空間制御魔術の使い手"空隙(くうげき)の魔女"ですね」

 

「うむ。もっと褒めるがいい」

 

 くっ、と悔しそうに優騎は歯噛みする。

 精一杯の皮肉を込めて言ったのに、この担任教師はまるで気にしていない。くっ、これが年季の差か。

 

「今、失礼なことを考えなかったか? 教師に対していい度胸だな」

 

「はい、ごめんなさい」

 

 なんだ張り合いのない、と嘲笑する那月。

 しかし、その手に持っているのはさっき優騎が淹れた紅茶だった。他人に淹れてもらったのに、この態度とはどういうことだろうか。ただ、その仕草は優雅すぎてもはや言葉が出ないくらいに様になっている。

 優騎は人知れず戦慄した。

 

「まあいい。ところで優騎」

 

「何ですか?」

 

 若干ジト目になってしまうのは許していただきたいと思う。

 優騎は自分のコップに入ったコーヒーを飲みながら、那月に続きを促した。

 

「おまえ、私の家に住まないか?」

 

 ブフッ、と見事にコーヒーが宙を舞う。

 な、何言ってんだこの人!? と心の中で吐き捨てる。

 

「行儀が悪いぞ。私の服にかかったらどうしてくれる」

 

「いや! 那月ちゃんがいきなりとんでもないこと言うからだろ!」

 

 那月は、ああ、悪い悪いと全く悪びれもせず、再び紅茶を一口。

 この教師はもはや何がしたいのかわからない。電話してたと思ったら突然家に現れ、現れたと思ったら扇子で殴打、話し始めたと思ったら真面目な顔でからかってくる。優騎は完全にお手上げだった。

 

「最近従順な(しもべ)――メイドが欲しくなったんだ。だが、そう簡単にはメイドなんか見つからんだろう?」

 

 金もかかるしな、と付け足す那月の顔には、面白がるような笑みが浮かんでいる。

 

「そこで私は考えたんだ。『あー、そういえば近くにそれらしいのがいるな』とな? だから一緒に住まわせて、奴隷――執事として扱ってやろうと思ったんだ。悪くないだろう?」

 

「……意図はわかった。ただ、(しもべ)とか奴隷とか聞こえてきた気がするんだけど」

 

「気のせいだ」

 

「いやいやいやいや」

 

 なんだ文句があるのか、と言われると何も言い返せない。

 これが身分の差か。

 

「今すぐにとは言わん。考えておけ」

 

「ええ、まさかの本気……」

 

 再び紅茶を一口。

 すると、那月はコップを優騎に差し出した。うん、これは確実におかわりの合図だろう。優騎はそう考え紅茶を淹れる。

 

「さて、本題だ」

 

 どうやら正解だったらしい。

 相も変わらず「すまんな」とも「ありがとう」ともなしに、もらった瞬間、コップに口をつけて紅茶を一口。もはや(しもべ)と言われても間違ってはいないと優騎は密かに諦めた。

 

「まずはこれを見ろ」

 

 那月の真剣な表情を見て、自然と優騎の顔も真剣になる。

 那月の扇子の先。テーブルの上には、先ほどの転移で持ってきたであろう分厚い資料の束が置かれていた。

 

「これは?」

 

「ここ二ヶ月ばかりの間にこの島で起きている事件の資料だ。まずは目を通せ」

 

 優騎は言われるがまま、分厚い資料に目を通す。

 そこにあったのは、吸血鬼の資料だった。おそらくは五件分。そこには、街の監視カメラの映像を拡大した、目の粗い写真がいくつも貼り付けれている。

 

「今までに襲われた魔族のリストだ。こいつらは今も入院中だ。意識が戻っていないらしい。不老不死の吸血鬼相手にどうやったらこんなことができるのかは知らないが」

 

「……」

 

「今日お前の家に押しかけたのは、それが理由だ」

 

「これが?」

 

 うむ、と言って紅茶を飲む。

 

「なにが目的かは知らんが、この無差別の魔族狩りをしている犯人は、今も捕まっていない。つまり、優騎、お前が襲われる可能性もあり得るということだ」

 

「なるほど。それで心配して忠告を? やっぱり那月ちゃんは優しいな」

 

 知らん、と。

 再び紅茶を一口。しかし、今度は耳が少し赤に染まっている。照れている証拠だ。顔には全く出ていないが。

 

「今度は忠告を無視するなよ?」

 

「だから、前のも無視してないって」

 

 俺もいつの間にかコップが空になっていたようだ。

 立ち上がり、追加のコーヒーを淹れに行く。

 

「優騎」

 

「どうかしたか?」

 

 優騎がコーヒーを淹れ終え戻ると、那月はなにやら考え事をしているようだった。そして、優騎が座ると同時に声をかける。

 

「この事件の調査、付き合え」

 

「それは『頼み事』ですか?」

 

 少し顔を俯かせてそう言う那月。

 優騎にはだいたい言いたいことがわかっていた。本来ならば、那月一人でも解決できるだろうが、今回は少し嫌な予感がするのかもしれない。そして、先ほどまで考えていたのはそのことだろう。もしくは優騎に危険が及ぶかもしれないから、迷っていたのか。どちらにしても優騎は既に決めている。自分に出来る限りのことならば、最大限那月を手伝うと。

 

「うむ」

 

「わかったよ」

 

「相変わらずの即答だな」

 

「まあ、那月ちゃんの役に立てるならいいよ」

 

 それを聞いて、那月は立ち上がる。扇子も資料も持っていることから、もう帰るつもりなのだろう。

 

「ほう。そうか、それなら私からの『頼み』だ。ありがたく思え」

 

 面白がるような笑みを浮かべる那月。

 それにつられて優騎も微笑み、

 

「はいよ。ありがとう」

 

 ふん、と。

 那月が少し拗ねたように鼻を鳴らした。すこし耳が赤く染まっているのは気のせいだろうか。いや、気のせいではないだろうと優騎は思う。

 

「そろそろ帰るか。またな、遅刻するなよ」

 

「ああ。また学校で」

 

 空間に波紋が広がる。

 そのすぐ後に、那月の身体が虚空に消えた。

 

「全く那月ちゃんはブレないな」

 

 優騎の声が自室に響く。

 そのまま歩いて、向かう先はリビング。

 そこに出ると外気に晒され、夜風が気持ちいい。絃神島の夜景はまるで変わらず、今もなお幻想的な色が褪せない。

 優騎の好きな景色の一つだ。

 

 そんな景色の中でふと。

 

(あれ? さっきの事件の話するなら、明日にでも学校に呼び出せばよかったのに……)

 

 そんなことに今更気づく優騎であった。

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 絃神島を構成する四基の人工島(ギガフロート)のひとつ、アイランド・ウエストは眠らない街だ。飲食店や商業施設が集まるこの地区では、多くの店が夜明けまで営業を続けている。

 魔族の多くは夜を好む。それゆえに魔族の住民が飛び抜けて多いこの街では、彼らのためのサービスも充実していた。ある意味、この眩いネオンの夜景こそが、人類と魔族が平和に共存する絃神市という街の象徴なのかもしれなかった。

 だが、どれほど明るく照らし出そうとも、夜の街から闇が完全に消えることはない。

 

「今宵の実験は終わりです、アスタルテ」

 

「はい、殲教師様」

 

 その声を発したのは藍色の髪の小柄な少女。

 ケープコートをはだけながら、彼女は抑揚のない人工的な声で告げる。

 

命令受諾(アクセプト)執行せよ(エクスキュート)、"薔薇の指先(ロドダクテュロス)"」

 

 その声が終わると同時に、彼女のコートの隙間から何かが迸った。

 それは仄白く輝く透き通った腕だった。少女の細い身体よりも巨大な腕だ。彼女の下腹部を突き破るようにして伸びたその腕が、生きた蛇のようにしなって、目の前の吸血鬼の眷獣を貫いた。

 

「――灼蹄!? なんだ!?」

 

 男――茶髪にホスト風の黒いスーツを着た吸血鬼は驚愕の声を上げる。

 胴体を貫かれた炎の眷獣が、苦悶するように吼えた。透明の腕の攻撃はそれでもやまない。まるで炎の眷獣を喰らうかのように、幾度となく繰り返し薙ぎ払う。

 

「てめェら、いったい何をした……!?」

 

 実態を保てなくなった炎の眷獣が消滅し、吸血鬼の男がその場に崩れ落ちる。大量の魔力を失って動けない男の唇は恐怖で震えていた。吸血鬼の男の視線の先には、先程やられた仲間の獣人の姿。

 

 ――自分も同じ目にあうのか。

 

 男はさらに震え上がる。

 その様子に先程少女に命令した男――金髪を軍人のように短く刈り、左目に眼帯のような金属製の片眼鏡(モノクル)を嵌めている外国人は、手に持つ金属製の半月斧(バルディッシュ)を肩に担ぎながら、淡々と告げた。

 

「眷獣は、より強力な眷獣をぶつければ倒せる。簡単なことです」

 

「馬鹿な……それが眷獣だと……!?」

 

 少女の身体から伸びる巨大な腕を眺めて、吸血鬼の男が呻く。

 

「殺す価値もない者たちですが、放っておいてもいずれこの島とともに滅びる身。ロドダクテュロスの腹の足しくらいにはなるでしょう。アスタルテ、彼らに慈悲を」

 

 藍色の髪の少女は無表情に告げる。

 

 ――死への宣告を。

 

「よ、よせ……やめろ……!」

 

 少女が、淡い水色の瞳で男を見た。物憂げに、そして淡々と。そして、唇を震わせる。

 

命令受諾(アクセプト)

 

 仄白く輝く巨大な腕が、悪意を持つ獣のように蠢いた。

 

 絶叫。

 

 動かなくなったそれを見ながら、少女から伸びる巨大な腕は音もなく、陰と同化するように消える。

 

「行きますよ、アスタルテ」

 

 大柄な男は、まるで何事もなかったかのようにその場から立ち去る。少女はその男の後ろをついていきながら、チラリと振り返った。

 

 その薄水色の瞳に映るは、重傷を負った二人の男。

 

 ――あれは自分がやった。

 

 一瞬だけ。

 ほんの一瞬だけ、機械のように表情のない少女の顔が歪む。

 

「――命令受諾(アクセプト)

 

 物憂げに、淡々と。そして、悲しげに。無慈悲な言葉を紡ぐ。

 

 ――助けて。

 

 決して少女がそう言ったわけではない。

 しかし本心ではそう思っているかのように。

 

 少女の言葉は悲しげな、そして助けを求めるような色を帯びていた――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




どうだったでしょうか?
今回は説明回でした。正直これがないと、この先で困るので書きました。原作沿いですね。

最後のは独自解釈入ってます。
苦手な方はすみません……。

読んでいただきありがとうございました。
感想、評価待ってます。
それでは、また次回。

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