ストライク・ザ・ブラッド 〜白銀の夜帝〜   作:ichizyo

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次回予告の半分もいけなかった……すみません。


聖者の右腕 II

 肌を刺すように激しい日差しから、身を隠すようにフードを目深に被り直す。

 もう夕方過ぎだというのに未だ弱まらない日差しを鬱陶しく思いながら、暁古城は帰路についていた。

 

「……ったく、浅葱の奴食い過ぎだろ」

 

 いつも身につけているパーカーのポケットから右手を出し、悪態をつく。外気に晒された右手を開いてみると、そこには百円玉一枚と十円玉二枚。これでは、ジュースを買って喉を潤すこともままならない。優騎がちゃっかり半分払っていてくれなければ、確実に足りなかった。

 どことなく苛立ちを滲ませるように古城は、右手を再びポケットに突っ込む。しかし、その苛立ちは日差しによるものでも、薄情な友人たちへのものでもない。

 

 一度立ち止まり、鞄の中から何かを取り出すフリをしながら、背後を確認。すると、ハッと驚いたように物陰に隠れる影がある。

 

「尾けられてる……んだよな?」

 

 古城から十五メートルほど離れた後方。

 ベースギターのギグケースを背負った少女がいた。その少女は古城が立ち止まる度に物陰に隠れて様子を伺うそぶりを見せ、歩き出すと何事もなかったように尾けてくる。それもファミレスを出てからずっと、だ。古城がさすがに滅入ってくるのも無理はない。

 

 そして、さらに気になるのは彼女が着ているのが、浅葱のものと同じ彩海(さいかい)学園の女子の制服だということだった。襟元がネクタイではなくリボンになっているので、中等部の生徒なのだろう。

 見覚えのない顔だった。綺麗な顔立ちをしているが、どこか人に馴れない野生のネコに似た雰囲気がある。短いスカートに慣れていないのか、ときたま動きが危なっかしい。

 立ち止まった時の反応から、尾行されているのはほぼ確実。さらに彼女は古城に気づかれていないと思っているらしい。あれだけ明らさまで、わかりやすいのに。

 

「……凪沙の知り合いか?」

 

 古城は考えうる可能性として、妹の凪沙の知り合いかと検討をつけた。しかし、それならば声をかけてこない理由がわからない。凪沙の知り合いなら、普通に声をかけてくるはずだ。古城のことが余程怖く見えない限り……もしそうであったら悲しすぎるが。

 ただもう一つ考えられる可能性が、あると言えばある。……が、こちらはあまり考えたくはなかった。

 

「こういう時は――」

 

 古城は少し前に友人の一人――というか、優騎に教わった対処法を思い出す。

 よし、と気合いを入れると同時に古城は駆け出し、曲がり角を曲がった。

 

「あっ!?」

 

 後ろから聞こえる驚いたような少女の声。

 そして、慌てて走ってくるような足音。

 そんな大声出したら、バレるだろと古城は思う。しかし、こんなので本当に大丈夫なのだろうか。

 古城はこの対処法を教えてくれた張本人を思い浮かべながら、言いようのない不安に駆られた。そんな中、目の前に少女の姿が現れる。それはそうだ。古城は曲がり角を曲がってすぐのところで待機していたのだから。

 

 視線が交差する。

 

「だ……第四真祖!」

 

 先に反応したのは、ギターケースの少女。

 動揺と驚愕が混じった声だった。

 しかし、古城は彼女の反応よりもその言葉の内容に反応を示す。まさかもう一つの可能性の方だったのか、と。そして、面倒くさいことになったとも。

 

 少女の方に視線を向けてみれば、重心を落とし身構えていた。それに古城は落胆の色が大きくなる。

 彼女が古城を尾行していた理由は、今のひと言でよくわかった。この中学生は、第四真祖と呼ばれる吸血鬼を探していたわけだ。なぜ探しているかは、今あったばかりの古城にはまるで見当もつかない。しかし、古城は今までの経験で分かっていた。

 ――第四真祖という名前で古城を呼ぶ連中にろくな人間がいるはずがない、と。

 

 どうしたもんかな、と一瞬だけ思考を巡らし、

 

「誰だ、お前?」

 

 そして先に彼女の正体を訊くことにした。

 訊いてからでも誤魔化せないことはないと考えたからだ。しかし、疑問も残る。それは何故彼女が自分の正体を知っているのか、ということ。

 古城が第四真祖の力を受け継いだのは、ほんの三ヶ月前のことだ。ひた隠しにしている努力が実って、その事実を知る者は多くない。

 少なくとも現在、この絃神市で"暁古城が第四真祖であること"を知っているのは、古城本人以外には二人しかいないはずだった。もちろん、担任教師と何かと世話になっている友人のことだが。

 

 警戒心をむき出しにして、睨む古城。

 しかし、少女はまるで怯まない。古城を生真面目そうな瞳で見返し、少し大人びた硬い声で質問に答えた。

 

「わたしは獅子王機関(ししおうきかん)剣巫(けんなぎ)です。獅子王機関三聖(さんせい)(めい)により、第四真祖であるあなたの監視のために派遣されてきました」

 

 は、と古城は、気の抜けた顔で少女の言葉を聞いた。

 生真面目を体現したような返答。しかし、内容はまるで理解できなかった。というかそもそも、知らない言葉の羅列だったのだ。

 獅子王機関。剣巫。三聖。……なんだそれ。

 初めて聞く言葉ばかりだ。

 ただ、最後に聞こえた『監視』という言葉に古城は言いようのない不安を感じる。具体的にいえば、厄介事の予感だ。

 どう対応すればいいのかわからない。結局、古城は聞かなかったことにして、もとい厄介事に巻き込まれないように返答した。

 

「あー……悪い。それ人違いだわ。ほか当たってくれ」

 

 我ながら無茶な誤魔化し方だと古城は思う。誤魔化しきれなくても逃げればいい。まあでも、こんな出任せ通じるわけが――

 

「え? 人違い? え、え……?」

 

 ――通じた。

 

 しかし好都合だ。彼女が素直な性格で助かった。

 困惑したように視線を彷徨わせる少女に、少し罪悪感が浮かぶが仕方ない。自分の身を守るためだ。決して厄介事に巻き込まれるのが面倒臭いわけではない。

 自分にそう言い聞かせ、古城は未だ慌てる少女に背を向けて歩き出す。しかし、さすがに無理があったのか、

 

「ま、待ってください! 本当は人違いなんかじゃないですよね!?」

 

 すぐに呼び止める声が聞こえた。

 

「いや、監視とか、そういうのはホント間に合ってるから。じゃあ、俺は急いでるんで」

 

 古城はヒラヒラと後ろ向きに手を振って、その場から早足で離れていく。ギターケースを背負った少女は混乱したような表情のまま、その場に立ち尽くしていた。なんとか誤魔化せたのか、どうやら尾行は諦めてくれたらしい。とはいえ、根本的な解決とはいえない。彼女の正体も謎のままだし、訊いたことのない単語についても謎だ。しかし、追試前日に面倒事に巻き込まれるよりは、マシだと思った。それで、追試不合格にでもなって、勉強教えてあげたのに、と浅葱から怒られるのは嫌だし。それに、そっち方面のことなら担任教師に訊けば、わかるかもしれない。

 

 自己完結した古城は、ショッピングモールの出口まで辿り着いたところで、もう一度少女がついてきていないことを確認しておこうと振り返る。そして、視界に入った光景にぎょっと目を剥いた。

 

 さっきのギターケース少女の行く手を遮るように、見知らぬ男二人が立っていた。年齢は二十歳前後だろうか。派手に染めた長髪に、あまり似合っていないホスト風の黒スーツ。わかりやすく軽薄そうな男たちである。

 

「――ねえねえ、そこの彼女。どうしたの? 逆ナン失敗?」

 

「退屈してるんなら、俺たちと遊ぼうぜ。俺ら、給料出たばっかで金持ってるから――」

 

 途切れ途切れだが、男たちと少女の声が聞こえてくる。どうやら男二人はギターケース少女をナンパしようとしているらしい。

 それに対し、少女は冷ややかな態度で男たちを追い払おうとしたが、そのせいか、少し険悪な雰囲気になっていた。男一人の荒っぽい声が聞こえてくる。

 

「……いい歳こいて、中学生ナンパしてんじゃねぇよ……オッサンたち」

 

 古城の顔に焦りの色が浮く。

 ほっとくべきかと思ったが、彼女は第四真祖の正体が古城だと知っていた。それを無闇矢鱈に話されたりしては色々とまずい。

 しかし、古城が焦る理由はそれだけではなかった。

 男たちが手首に嵌めている、金属製の腕輪の存在だ。生体センサや魔力感知装置、発信器などを内蔵した魔族登録証。それを持っている彼らは普通の人間ではなく、魔族特区の特別登録市民。すなわち、魔族だ。

 もし、彼らが人間に危害を加えるようなことがあれば、その腕輪が反応し、即座に特区警備隊(アイランド・ガード)攻魔官(こうまかん)たちが大挙して押し寄せてくることになる。だから、今すぐ少女が危険ということはない。

 しかし、彼女が第四真祖のことを話してしまえば、古城の今の平穏な生活は終わりを告げることになる。

 それだけは何としても避けなければいけない。

 

 古城が面倒くさそうに溜息を吐き、ギターケース少女の方に駆け戻ろうとした。

 

 直後。ヒラリ――と。

 

 彼女の制服のスカートがめくれ上がった。

 お高くとまってんじゃねぇ、という暴言を吐いて、どちらかの男が少女のスカートをめくったのだ。パステルカラーのチェックの布切れを古城はその視界に収めて、硬直する。

 

若雷(わかいかずち)っ――!」

 

 少女の声が聞こえた。

 眉を逆立てて呪文を叫び、次の瞬間には、彼女のスカートに手をかけていた男の身体が、トラックに撥ねられたような勢いで吹っ飛んでいた。

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 鳴り響く轟音。

 その音源には、不自然に曲がった街灯と吹き飛ばされたであろう獣人の姿があった。相当の衝撃があったのか、獣人の男は気を失っている。しかし、吹き飛ばされた男は獣人なのだ。狼男や、その仲間である獣人。それほど強力な個体というわけではないが、それでも彼らの筋力や打たれ強さは人間の比ではない。それなのに、その獣人はたった一人の華奢な中学生、しかも少女に一撃喰らって、動けないでいる。

 

「このガキ、攻魔師か――!?」

 

 呆気にとられていたナンパ男の片割れが、ようやく再起する。

 攻魔師は、魔術師や霊能力者などの魔術に対抗する技術(スキル)を身につけた人間の総称だ。身分は様々で、使用する技術体系も千差万別。魔族を狩ることを生業としていて、殺し屋のような攻魔師もいる。所謂、魔族の天敵、という奴だ。

 獣人を一撃で吹き飛ばした少女をそんな攻魔師だと捉えても不思議ではなかった。

 

 ギターケース少女に怒りと恐怖によって歪んだ表情を向け、ナンパ男の瞳が真紅に染まる。それに続いて、むき出す牙。

 

「D種――!」

 

 それを見て、次に表情を変えたのはギターケース少女の方だった。

 D種とは、様々な血族に分かれた吸血鬼の中でも、特に欧州に見られる"忘却の戦王(ロストウォーロード)"を真祖とする者たちを指す。人々が一般的にイメージする吸血鬼に最も近い血族である。

 

 どうする、と古城が考え始めるのも束の間。

 

 ナンパ男の左足から鮮血のような、どす黒い炎が噴き出す――。

 

「――灼蹄(シャクテイ)! その女をやっちまえ!」

 

 その黒い炎は猛々しく燃え上りながら、やがて歪な馬のような形をとって現れた。甲高い咆哮のような声が大気を震わせ、日で焼けたアスファルトを塗り替えるように、その炎が焼き焦がす。

 

「こんな街中で眷獣を使うなんて――!」

 

 少女が怒りの表情で叫んだ。

 男が左手に嵌めた魔族登録証が、攻撃的な魔力を感知して、けたたましい警報音を鳴らす。ショッピングモールに、来場者の避難を促すサイレンが鳴り響いた。

 眷獣。それは、吸血鬼が自らの血の中に従える獣のことだ。

 魔力の塊であり、吸血鬼の力の象徴。それが攻魔師たちが吸血鬼を恐れる所以でもあった。力の弱い眷獣でさえ、最新鋭の戦車や攻撃ヘリの戦闘力を凌駕し、"旧き世代"の従える眷獣であれば、小さな村を丸ごと消し飛ばす程度の力を持っている。

 ナンパ男の眷獣もそれほどの力はないが、このショッピングモールをモールを壊滅させるくらいの力は持っているだろう。

 それがたった一人の華奢な少女に向けられて放たれたのだ。

 

 しかし、少女の顔に恐怖や怯えの表情は浮かんでいなかった。それどころか、立ち向かわんとばかりに眷獣を睨みつけ、ギターケースに手を掛けている。獣人を吹き飛ばしたことといい、その度胸といい、やはり彼女は只者ではないと古城は思った。

 

雪霞狼(せっかろう)――!」

 

 ギターケースから出てきたのは楽器などではなく、太陽の光を反射して煌めく銀色の槍。

 彼女が構えると同時に槍の柄が一瞬でスライドして長く伸び、同時に格納されていた主刃が穂先から突き出した。続いて、その穂先の左右にも副刃が広がる。

 だが、古城はその槍一つで眷獣をどうにかできるなんて到底思えなかった。たかが、槍だ。魔力の塊である眷獣相手に振り回しても、その炎で溶かされ、自分が深手を負うだけ。

 古城の頭に悲惨な光景が浮かぶ。

 

 しかし、そんな古城を尻目に勇ましく槍を構える少女はとび出した。己の手にある槍を自由自在に操りながら、魔力の塊に突進する。明らかに悪手だった。それを理解しているのか、ナンパ男が笑う。しかしそれは勝利を確信したものではなく、安堵によるものだった。彼は恐れていただけだったのだ。突然、仲間を吹き飛ばした得体の知れない少女のことを――。

 

 だが、次の光景にナンパ男も古城も目を見開く。

 

「な……!?」

 

 短く発されたのは誰の声だっただろう。

 

 ナンパ男の眷獣が一本の槍によって止められていた。そのまま槍は横に一閃される。少女は無言だった。何事もなかったように、ただも黙々とナンパ男を睨むのみ。

 まるで、ロウソクの火が消されたような呆気なさだった。魔力の塊であるはずの眷獣が、だ。明らかに異様な光景。

 先ほどまで燃え盛っていた黒炎は消え去り、後にはアスファルトの焦げた跡が残るだけだ。

 

「う……嘘だろ!? 俺の眷獣を一撃で消しとばしただと!?」

 

 ナンパ男の怯えた声が響く。

 しかし、少女は止まらない。槍を真っ直ぐに、刺突の構えのまま、硬直して動けないナンパ男に突進する。

 そんな中で、いち早く動き出したのは他でもない古城だった。

 

「ちょっと待ったァ!」

 

 叫びながら、槍の穂先を素手で(・・・)跳ね上げ、強引に軌道をずらす。

 

「えっ!?」

 

 今度は驚きに満ちた少女の声が響いた。

 しかし、すぐに冷静に戻ったのか、雪霞狼を素手で、と呟きながらも新たに現れた脅威から距離を取り、ワゴン車の上に跳び乗る。

 

「おい、あんた。仲間を連れて逃げろ」

 

 古城はそんな少女の事をとりあえず置いておき、ナンパ男に声をかける。しかし、決してナンパ男たちの味方ではないとばかりに、

 

「これに懲りたら中学生をナンパするのはもうやめろよ。街中で眷獣を使うのもな!」

 

 怒鳴りつけ、忠告した。

 

「あ、ああ……すまん、恩にきるぜ」

 

 青ざめた顔のまま、気絶している獣人の男を担ぎ上げ、そそくさとその場を立ち去る。少女はそんな彼らの後ろ姿を冷ややかに見つめ、その姿が消えると、その視線を古城に向けた。

 やれやれ、と古城は疲れたように息を吐く。

 

「どうして邪魔をするんですか?」

 

「どうしてってお前……」

 

「公共の場での魔族化、しかも市街地で眷獣を使うなんて明白な聖域条約違反です。彼は殺されても文句を言えなかったはずですが」

 

 有無を言わさぬ正論を述べる少女。

 だが、一部始終を見ていた古城には指摘できることがある。

 

「それを言うなら、あいつらに先に手を出したのはお前の方だろ?」

 

「そんなことは――」

 

 少女は冷静に反論しようとして、何か心当たりがあるのか、言い淀んだ。男たちと言い争いになった経緯を思い出したらしい。ほらな、と古城は強気な表情で少女を睨み、

 

「お前が何者かは知らないけど、ちょっとパンツ見られたくらいで、そんなもの振り回して殺そうとするのはあんまりだろ。いくら相手が魔族だからって――」

 

 そこまで言って、古城は気付く。

 余計なことを言ってしまった、と。

 案の定というか、予想通りというか、少女は冷ややかに古城を睨みつけ、その手に持った槍を再度構えた。

 

「もしかして、見たんですか?」

 

「い、いや……見たっていうか、不可抗力だ。で、でも気にすることでもないだろ? 中学生の下着になんか俺も興味ないし、なかなか可愛い柄だったし、見られて困るものでもないんじゃないか……」

 

 言いながら、自分は何を言っているんだと古城は思う。証拠に後半は声がどんどん小さくなっていた。あたふたと言い訳を続ける古城。それに少女も諦めたのか、はぁとため息を一つ吐き、ギターケースを探すために視線を彷徨わせ――。

 

 瞬間、まるでタイミングを見計らったかのように強風がショッピングモールを駆け抜ける。

 

 再度ふわり、と無防備に浮き上がったスカート。

 少女が立っていたのは、ワゴン車の上だ。先程古城が介入した時に警戒して、乗ったままだった。

 結果、古城の視界に先ほど見たものと同じ柄の布切れが映り、再び硬直する。

 ……息苦しいほどの静寂が訪れる。

 

「何でまた見てるんですか?」

 

「いや待て! 今のは完全に不可抗力だ。それに第一、お前がそんなところに立っているから――」

 

「……もういいです」

 

 うろたえる古城を冷ややかに見下ろし、少女は醒めた声でそう言った。彼女が構えを解くと、彼女の動きに合わせるように槍の刃が収納され、再びギターケースに入るほどのサイズに戻った。

 ギターケースに槍を収納した少女は、それを肩に担ぎ、音もなくワゴン車から地上に舞い降りる。

 

「あ、ちょっと……」

 

 無言で立ち去ろうとした少女に、古城は何となく声をかけてしまい、

 

「いやらしい」

 

 少女は古城を一瞥してそう言い捨てると、今度こそ古城に背中を向けて走り去って行った。

 

 ぽつん、と一人その場に残された古城は、行き場を失った手をポケットに突っ込み、近くの壁にもたれて息を吐く。

 そんな時だった。

 

「古城! 何があった?」

 

 聞き慣れた声が古城の耳に届いたのは。

 走り寄ってくる友人に、古城は何となく安堵したように息を吐く。そして、手を軽く上げて返答の意を示し、気づいた。

 その友人の手に何かが握られていることに。

 それは、白地に赤い縁取りのシンプルな財布だった。

 

「優騎、なんだそれ」

 

「ん、これか? そこで拾ったんだけど……っておい」

 

 友人からそれを受け取り、すまんと心の中で謝りながら、中身を確認する。

 二つ折りで、中が小銭入れと札入れに分かれている、その配布には、自分の所持金の約百倍の金が入っていた。しかし、古城が確認したいのはいくら入っているかではない。

 続いてカードホルダーを見てみると、そこに差し込まれていたのはクレジットカード一枚と学生証。

 そのうちクレジットカードではなく、学生証を手に取る。

 そこに写っていたのは、ぎこちなく笑う、先程までいた少女の写真と、姫柊雪菜――という名前だった。

 

「古城、お前……そういう趣味か」

 

「違うわ!」

 

 呆れたように言う友人に、少し声を強めて言い返す。しかし、古城も冗談とわかっているので、深くはつっこまず、再度学生証を確認する。

 

「とりあえず、移動しよう。状況説明は頼んだ」

 

「ああ。実は――」

 

 そして、古城はその場を後にしながら、事の成り行きを友人に話し始めた――。

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

「点数は大体予想がつくが、一応採点する。少し待て」

 

 優騎は見慣れた黒のフリル付きワンピース姿の担任教師を見て、ふぅと息を吐く。暑くないのだろうか、という疑問は浮かぶが、いつもその格好なので優騎はもう慣れていた。

 教壇の中央。

 何処からか勝手に運んできたビロード張りの豪華な椅子に座り、熱い紅茶を飲みながら、那月は追試の採点を始める。無論、その椅子を運んだのは、優騎だ。少し早く学校に来て追試の勉強をしようと意気込んだまでは良かったのだが、そこで同じく早くに現れた那月に捕まり、何故か学園長室より上にある那月の部屋から椅子を運ばされた。災難以外の何物でもない。

 

 ショッピングモール騒動の次の日。

 もう昼に差し掛かっている時間帯に優騎は、ようやく追試を終えた。監督の理不尽な『頼み』を何度か聞きながらも無事追試を終わらせ、今は採点の最中だ。ちなみに今担任教師が飲んでいる紅茶を淹れたのも優騎。見事にいいように使われているのであった。

 

「ふん。何で追試で満点なんだ。折角、範囲を広くしてやったというのに、おまえというやつは全く……つまらんな」

 

「ひどい!? 担任教師が辛辣すぎるのはどうかと思いますよ、那月先生。というか、満点なんだから喜ぶのが普通ですよね?」

 

 知らん、と素っ気なく返し、紅茶を一口飲む担任教師に優騎はため息を吐きたい気持ちに駆られる。

 担任教師。名前は南宮(みなみや)那月(なつき)

 年齢は自称二十六歳だが、実際はそれよりもかなり若く見える。美人というよりも美少女、あるいは幼女という言葉が似合うほどだ。顔の輪郭も体つきもとにかく小柄で、まるで人形のようでもある。しかし、そのような扱いをすると機嫌が悪くなる。それはもうすこぶる悪く。具体的には、扇子で殴られたり本が飛んできたり、だが。

 

「だが、何処かのバカ真祖のように教師を"ちゃん"付けで呼ばないところだけは評価してやる。ありがたく思え」

 

「いや、普通にテストの成績を評価してくださいよ。それにプライベートでは呼んでるんだし、いいじゃないですか」

 

「……公私混同はいかんと小学校で習わなかったか、明夜(あけや)

 

「普通、小学校で公私混同なんて習いませんよ。早くて中学校くらいですかね」

 

 またも知らん、と。

 那月は空になったカップを優騎に差し出しながら、少し拗ねたように鼻を鳴らした。

 彼女は英語教師だ。

 だから、先程まで古城の英語の追試を持っていたのはわかる。しかし、今はどうだ。優騎の数学の追試を監督しているのだ。不思議に思って、追試開始前に聞いてみると、

 

『他の教師だと、おまえを褒めちぎるからな』

 

 と、理不尽すぎる答えが返ってきた。

 どれだけ優騎のことを虐めたいのだろうか。そもそも、担任教師の学校での優騎への扱いはおかしい。昼休みは必ず学園長室より上にある自室に呼び出し、紅茶を淹れさせ、何か仕事があると最初に優騎にやらせる。何だこれは。新手の生徒いじめではないかと何度か優騎が思ったことか。しかし、それをやらせる張本人はといえば、澄ました顔で淹れてもらった紅茶を飲み、仕事を終えても労いの言葉もなし。ますます泣きたくなってくる。

 

「あっ、そういえば聞きたいことがあったんだった。いい? 那月ちゃん(・・・)

 

「なんだ? 優騎(・・)

 

 優騎の少し真剣な表情、そしてプライベートでの呼び方に何かを感じたのだろう。那月も同じように呼び方を変え、やや真剣な表情で聞き返す。

 

「確か獅子王機関の武器で七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)ってあったよな?」

 

 それを聞いてか、はぁ、と那月は不機嫌そうに息を吐いた。

 

「……え? なに? 俺まずいこと聞いた?」

 

「……いや、いい。で、それがどうかしたか?」

 

 優騎は昨日のショッピングモール騒動について、古城に聞いたことを思い出す。

 昨日の騒動。

 その渦中には、獅子王機関"三聖"の命で第四真祖の監視役になったという剣巫がいたらしい。というか、その少女が騒動を起こした張本人の中の一人だったようだ。

 感じた魔力はその少女をナンパしようとした吸血鬼のもので、眷獣も使用したと聞いた。それを槍を持った少女が一撃で消し去った、とも。

 そんな芸当ができるもの。それも獅子王機関の剣巫が使用するもの。優騎の頭に最初に思い浮かんだのは、七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)だった。だから、優騎は那月に聞いたのだ。しかし、不機嫌そうに眉を歪める那月に訊くのを迷ってしまう。

 

「なんだ? 何かやましいことでもあるのか?」

 

「いや、それはないけど。……込み入った話になりそうだから、今日の夜空いてる? 電話しようと思うんだけど――」

 

「私も忙しい。しかし、そうだな……十時ならいいか。おまえのことだ、昨日のアイランド・ウエストのショッピングモールでの騒動についても何か知ってるんだろう?」

 

 それを聞いて、優騎は席を立つ。

 忙しいという那月に迷惑をかけないように。

 

「ああ、それについても話すよ。じゃあ、十時に」

 

「うむ。――そうだ、優騎」

 

 那月は変わらぬ呼び方でドアに手をかけた優騎に声をかける。

 優騎が振り向くと、そこには担任教師としての顔はなく、家族を見るような顔があった。それに優騎の表情も少し緩む。

 

「獅子王機関の連中は、おまえの天敵だ。たとえ真祖並みの力があっても、やつらは本気で殺しに来るぞ。連中はそのために造られたんだからな。だから、獅子王機関の関係者に近づくな。……これは私からの『頼み』でもある。肝に銘じておけ」

 

「ああ、心配してくれてありがとう。でも、俺は那月ちゃんに鍛えられたんだ。そんなにやわじゃないよ。だから、安心してくれ。それじゃ、また夜に」

 

 ドアが閉められ、足音が遠くなっていく。

 

「誰が、心配なんかしてやるか。おまえに何かあったら、あいつに会わせる顔がなくなるだけだ。……でもまあ、忠告はしたからな」

 

 那月以外誰もいない教室。

 彼女は、去っていった生徒に反論する。相手に聞こえるはずもないのに。いや、聞こえたらまずいというのもあるが。

 

 一方で心配するのも当たり前だ、とも那月は思う。

 彼女の頭に今はいない銀髪が浮かんだ。翡翠色の目をもつ女性だ。側にいるのは、黒髪に彼女とよく似た色の目をもつ少年。

 

 那月は、残った紅茶を一口飲む。

 しかし、気になることもある。先程まで追試を受けていた古城も獅子王機関のことを聞いてきたことだ。暁といい、優騎といい、どうして同じ日に同じようなことを聞いてくるのか。考えられる可能性はそう多くない。ただの偶然か、それとも――。

 

 那月は再び紅茶を飲む。

 それはまるでこれから起こることへの得体の知れない不安を紛らわすようでもあった。

 

 

 

 

 

 

 




次回予告をしたな!
あそこまでいくというのは嘘だ!

今回は長くなったにもかかわらず、次回予告の半分もいけなかったという、とても申し訳ない感じになりました。
次で次回予告の分は終わらせようと思いますが、できなかったらすみません。

『聖者の右腕 II』どうだったでしょうか?
ほぼ原作通りでした。アドバイスや意見があれば、どんどんお願いします。

読んでいただきありがとうございました。
感想、評価待ってます!
それでは、また次回。

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