私が書類の束をまとめ終えたのと同時に、深夜を知らせる時鐘があたりに響き渡った。鎮守府全体を包み込む鐘の音とともに、窓の外に見えていたわずかな部屋の明かりも、ぽつぽつとその数を減らしていく。
「今日は早く寝よう…」
私は積み上がった書類の束を机の端に寄せると、あたりに散らばっているハンコやペンを乱雑に引き出しの中にしまいこんだ。長椅子から立ち上がって大きく伸びをする。
本日の演習も無事終了し、明日からはまた海域攻略へ乗り出さなければならない。直接海域に打って出る身ではないとはいえ、軍人という体が資本の仕事であることには変わりはない。明日に備え早めに床につくことにした。
未対応のわずかな書類を机の上に残して、窓際へ移動する。窓に鍵がかかっている事を確かめ、カーテンを引いた。そういえば昨日は空いた窓から入られたんだった。
私は急いで私室に入って明かりをつけた。クローゼットに丸テーブル、ベッドの上は日向によって完璧にベッドメイクがされている。
(よし…)
室内に誰も潜んでいない事を確かめると、私室の窓に近寄って鍵をかけた。もう一度部屋の中を見回し、私室を出る。
これで私の寝床にもぐりこむには司令室の扉を経由しなければならなくなった。私は司令机の引き出しから大きなカギを取り出して扉に歩み寄る。それを鍵穴にさし込み、ふと考えた。
もし私の寝室を完全な密室にしてしまったら、本当に夜に誰も入ってこれない事になる。もちろん誰かを寝床に誘う予定などないが、漣に「次揉め事があった場合クビ!」と宣言した手前、最低限「もめ事を起こせる」最低条件が残っていないとフェアじゃない。
もちろん揉め事が起きないに越した事は無い。が、もし漣があそこまで言っても反省しない愚か者だった場合、扉に鍵がかかっていては騒ぐ気があっても大して騒げない。そして、私はそれに気づかず漣が改心したと勘違いして嚮導を続けさせることになる。これでは意味が無い。
私はあえて司令室の扉には鍵をかけないことにした。もちろん私室に鍵をかける事も無いまま、明かりを消してベッドに倒れこんだ。
静寂に包まれた闇の中、自分の呼吸の音だけが聞こえる。目をつむり深く息を吸うと、どこからか淡い少女の香りが鼻をくすぐった。それが昨晩さんざんかいだ匂いだと気付くと、一人で眠る今夜がやけにさびしく感じられた。 今朝私が演習に出てからも初雪はしばらくここで眠り続けたのだろう。彼女の残り香に包まれ、私はゆっくりと目を閉じた。
その後、司令室の扉が開かれる音を聞くまで私はベッドの上で眠り続けていた。この私室はもともと倉庫だったものを改装して作ったため、壁が非常に薄い。隣接した司令室の話し声などはほとんど筒抜けだ。私がベッドから起き上がると同時に、司令室の扉がパタンと閉じた。隣の部屋を歩く足音は間違いなく駆逐艦のそれだ。
私はベッドから上半身だけ起こし、部屋の明かりをつけた。
「入れ」
扉の前に立つ「誰か」に向かってそう声をかけた。
扉の反対側でビクリと空気が震え、そしておそるおそる扉が開かれる。
部屋に入ってきた漣はいつものセーラー服ではなく、丈の長いパジャマ姿だった。漣のパジャマは裾の長いチュニックで、薄桃色の生地に兎の模様がちりばめられている。
「お疲れ様です。ご主人様」
漣は自らの所業に悪びれもせず、そういいながら後ろ手に扉を閉めた。