【賭けの続き】
少女が作戦棟に足を踏み入れた時、建物の外で高い水柱があがった。水柱は轟音と共に立ち上り、たちまち小さな粒となって霧散する。
綾波型駆逐艦「漣」は、廊下の窓から海面を滑る少女達の姿を遠く眺めた。演習を続ける艦娘達の姿。その見慣れない艤装から、彼女達が他所から来た艦娘だということはすぐにわかった。
とめどなく立ち上る水柱を横目に、漣は作戦棟の階段に足をかける。目指すは三階、俗に「司令階」と呼ばれる階層だ。そこには提督のいる司令室があり、彼の私室と秘書艦専用の事務室がある。
漣は今朝早くに司令室に呼び出しを受けていた。
理由は大方察しが付く、昨夜の初雪の件だ。初雪が「七つ星」を飛び出した後、漣は代表として駆逐艦寮の見回りをしていたが、初雪と同室の磯波はまだ初雪は戻って来ていないと言うではないか。動きがあったのはやはり昨夜だ。初雪が『賭け』に勝ったかはわからないが、こう着状態にあった駆逐艦を動かし、正面を切り開いた。
むしろ賭けの勝ち負けは自分にかかっているのかもしれない。
これは、あの夜の賭けの続きなのだ。
漣は大きな両開きの扉の前で立ち止まり、服についた潮気を手で払った。スカートのすそを伸ばして、結わいたおさげの形を両手で整える。首元のリボンの位置を調整しながら、扉を軽くノックした。
「駆逐艦「漣」です」
「入れ」
漣は提督の返事を待って、ドアノブに手をかけた。
「失礼します」
司令室の中には提督が一人、部屋の入口に背を向けて立っていた。窓の外では先ほどの演習組が、陣形を組んで航行しているのが見える。表のドンパチが、わずかにだが部屋の中にまで聞こえてきていた。
漣はかかとを揃え、背中を向けたままの提督に対して鋭く敬礼した。
「第三遠征隊「漣」、召集に対し参上いたしました」
「固くならなくていい。どっちにしろ叱るために呼んだんだ」
「うげろ…(;´ρ`) 」
漣は敬礼を崩し、舌を出しながら嗚咽を漏らした。
提督はその様子を背中で感じ取ったのか、厳しい口調で話を切り出した。
「初雪に何を吹き込んだ?」
提督が窓の外へ目を向けながら、背後に向かって問う。表情こそ見えないが、その声に怒りの色をのせている事は誰にでも判断がついた。
漣はあっけからんとして答える。
「特別な事は何も。ただ駆逐艦内で発散しきれぬ鬱憤が積み重なっているのは事実です。そんな中に押し込められ
言葉づかいこそ固さを残したが、漣の返答はむしろ提督への批判の色を含んでいる。
「それで初雪をけしかけたのか」
「滅相も無い、駆逐艦の現状を憂いているのは漣だけではない。要するにそういう事です」
非を認めようとしない漣の言い分に、提督は肩を落としため息をついた。首だけ漣へ振り返ると、今度は怒りのこもった視線で彼女を威圧した。
「やり方があるだろう、あいつは昨夜私の寝床に潜り込んできたんだぞ」
なるほど、と漣は内心感心していた。
提督への夜の直談判、初雪は昨夜宣言した事を見事にやってのけたのか。これには漣も舌を巻いた。素直に関心の声が漏れる。
「お盛んなこって」
「ヤってねぇ。ただ、好き勝手言われた上、気持ちよく添い寝してしまった」
漣の軽口に、提督は唇を尖らせた。
「何の問題ですか?」
わざとらしく微笑んでみせる漣に、提督は再び深くため息をついた。
「お前なぁ…。あいつはあろうことか、これから毎晩駆逐艦が私の布団に潜り込んでくると言ったんだぞ」
「そいつは羨ましいことで」
一貫してスまして通そうとする漣の様子を見て、提督は急に顔を引き締めた。漣に対し完全に背を向けて、窓に向かって立つとカツンと靴のかかとが音を立てた。
「今回の件について、お前を嚮導から下ろすことも考えてる」
「あれま、それは困りました」
漣は軽い口調を崩さず、口の前に手を当ててわざとらしく驚いて見せた。その様を提督は窓の反射を通して、冷ややかな視線で見つめた。
「駆逐艦の暴走を未然に抑制するのがお前の仕事だろう。職務を全うしろ嚮導艦」
提督の口調はますます厳しいもの、漣を責め立てる鋭いものへと変わっていく。
「漣は駆逐艦の待遇改善については彼女達に全面同意なのですがね。何より駆逐艦に意見要望を吐き出す場は無いのが一番の問題かと ┐(´ー`)┌ 」
「かと言って今回のような異例を認める訳にはいかない。ましてや駆逐艦だけなんて」
「では、全艦種をベッドに誘っては?」
「却下だ」
「キャー提督サーン!色男!ヽ(`∀´)ノ」
「漣!」
提督は漣を一括すると、静かに声のトーンを落とした。
「次は無い。今回の件でいざこざが続けば、お前の嚮導の任を解く。次の嚮導は軽巡洋艦に任せる」
「……」
「以上だ。反論はあるか?」
漣はこれまでの軽口が嘘のように、神妙に口をつぐんでいる。
「何も…」
目をつむって首を横に振った。
「よし、行ってよし」
「失礼致します」
部屋に入ってきた時の様に敬礼し、漣は身をひるがえした。
司令室の扉が音を立てて閉じられた時、提督は今日何度目かともつかないため息をついた。