「これから毎晩来るから…」
「…はい?」
私は思わず初雪に向かい合って、ぐいと顔を突き出した。
「来るて、毎晩!?晩ってお前…。これから毎日私の寝床にもぐりこむつもりか!」
初雪はゆっくりと首を振った。
「来るのは私じゃない。駆逐艦のみんな…」
その言葉に軽く眩暈を覚える。
初雪は気にした様子も無く、寝転がったまま私の方に体を向けて話し出した。
「これから毎晩代わる代わる駆逐艦が提督の部屋に来て、好き勝手話してそのまま寝る…」
私は思わず頭を抱えた。
「は、初雪さん。意見具申は秘書艦を通して…」
「頑張ってね、提督」
初雪が楽しそうに微笑む。その声色は表情とは裏腹、私の言葉は一切受け入れてくださらないような、有無を言わせぬ力強さがある。
大きなため息をつきながら、私は部屋の電気を消した。急に明日が早い事を思い出した。
寝ている初雪の隣に肘をたてて、手枕で彼女の横に寝転がる。左手で彼女の髪をすくいながら、指先で弄んだ。
「初雪は私の采配はどう思う?」
初雪は寝っころがりながら、指先でとんとんと私の胸を叩いた。
「もっとかまって」
「そうは言ってもな…」
「もっと
「わかった、わかったよ。前向きに検討しよう」
私は初雪の頭に手を添えて、子供をあやすようにゆっくりとなでてやる。長い黒髪はとても手触りがよく、調子に乗って髪の中に手を差し入れて、柔らかく張った頬を指先でなでてやった。初雪は嫌がる事も無く、されるがままになっている。時頼とろとろとまぶたが落ちかけては、意識を取り戻すのを繰り返している。
「もう眠ろうか」
「いやぁ、まだ話す…」
「でも君はとても眠そうだ」
私は最後にぽんぽんと軽く頭を叩いて、浅くかけていた毛布を深くかぶり直した。
「じゃあ『提督ぶとん』やって寝る…」
寝落ちしそうな意識の中で、初雪が絞り出すようにそう言った。私はその言葉を聞き、懐かしさを覚えると共に、少し気恥ずかしい気持ちになった。
「あれは禁止になったはずだろう」
「解禁する…」
初雪は頑として譲らない。
『提督ぶとん』とはかつてうちが駆逐艦祭りだった頃に流行った遊びの一つだ。例の如く始まりは初雪で、毎朝定時に起きられない彼女を起こす為の儀式のようなものだった。ただ、今の秘書艦である「日向」がその様を見た際に「あまりに危険な行為なので活動を縮小する」と言う名目で結果廃止となったのだ。
「わかったよ。ほら、こっち来い」
私は自分の横にスペースを作り、中に入ってこれるように毛布を広げて空間を作った。初雪はその隙間にもぞもぞと移動してきて、ぴったりと私にくっついて腕の中に丸くなって納まった。
「そういえば、お前セーラー服」
「めいどいからこのまま寝る…」
私は軽くため息をつきながら初雪を毛布でくるみ、毛布の先を反対側の手でつかむ。毛布でつくられた丸いスペースの中に私と初雪が押し込まれた形だ。
「きつくないか」
「大丈夫…」
初雪は私の体に密着し、服の袖を軽く握っている。私は彼女を抱きしめ、よりお互いが密着するようにその頭を抱え込んだ。『提督ぶとん』は普段は体を起こして行う行為のため、寝たままだと結果的に私が彼女に腕枕するような形になる。抱きしめる腕に力を込めると、私の腕の中で初雪が苦しそうにもがいた。きつすぎたかと思ったが、すぐにおとなしくなる。どうやら本格的に寝るために体の位置を調整したらしい。
彼女の頭を抱き、淡く香る少女の匂いを嗅いだ。彼女が「少女の形をした兵器」だという事を再認識し、ややどぎまぎしていると、初雪がずっと私のシャツをつかんだままだという事に気が付いた。彼女は私の体にぎゅっとしがみついたまま、薄く息を吐いている。
「……」
愛らしい、と思うのは正しい反応なのだろうか。彼女たちが本当に普通の女の子であったのなら、自分の感情に疑問を持つこともないのだろうか。
私は手のひらで初雪の頬に触れた。親指をすべらせて頬を撫でると、初雪はその頬をふくらませて私をにらみつけた。
「なんで触るの…」
「嫌かい?」
少し意地悪してそう聞き返した。初雪はその返しに少し驚いたのか、小さく頬を染めて言いよどんだ。
「べ、別に…」
指先で頬をつついて空気を抜いてやると、初雪は恥ずかしそうに目を伏せて私の胸に顔をうずめた。その間も私の服の裾は握りしめたままだ。
彼女の柔らかい手に触れる。私はこの手の意味を知りたかったが、指先に触れると彼女はますます強く私の服をつかんだ。どうやら手を振り払われると思ったらしい。私は再び彼女の頬に触れ、自分の方へ抱き寄せた。柔らかい少女の感触が、実に心地よかった。
「さっきから顔ばっかり…」
初雪が不満そうに漏らす。
「他の所もさわっていいのかい?」
「だーめ、我慢して…」
そう言って、初雪の体がいっそう深くベッドに沈む。鼻先を私の胸にこすりつけて、呼吸の音が徐々に深く長くなってゆく。
「初雪、お前私のこと…」
「好きか?」と続けようとして不意に言葉を止めた。
「スー、スー」
初雪の寝息が聞こえて、私は深く言及するのをやめた。そもそも艦娘と人間で「好きか・嫌いか」なんて決して褒められたもんじゃない。
艦娘は兵器だ。それ以上でもそれ以下でもなく、彼女達から向けれるの感情に対して私は興味も喜びも欲望も有りはしなかった。
彼女たちが少女の姿なのは、『製作者』である妖精達が女だけ(正確には性別が無い訳だが)だからだ。彼女達に【心】があるのは彼女たちが自立し、人間に従わせる為。彼女達の全てには「兵器」としての理由があり、それは人に愛されるためではなく、ましては誰かに恋をするためでもない。
しかし、彼女達の愛らしいしぐさを見ていると、艦娘が兵器であると自分に言い聞かせるのが実に馬鹿馬鹿しく感じられるのも確かだ。とある鎮守府では提督と艦娘が親密すぎる関係を築いた結果、軍を追放された者もいたと聞く。中には艦娘と駆け落ちして指名手配されたという噂だってある。どこまでが真実なのかはわからないが、私はきっとそんな彼らを責める事などできないだろう。男の勝手な言い分ではあるが、護国の誇りより大切のものなど今の世の中には腐るほどあるのだ。ましてや国からも見捨てられ、孤立無援な戦いを続ける提督(われわれ)など…。
初雪の髪をなでながら、ゆっくりと目を閉じた。
花の様な柔らかい匂いがする。
彼女たちが可愛いらしく、愛おしい事。己の境遇に嘆き、ささやかな喜びに笑みをこぼし、戦って死ぬ事。それを兵器だと割り切って目をつむる事。全て私が鎮守府(ここ)でやってきた事。彼女たちを愛しむ事、そんな権利。ましてや愛される権利などもうどこにも無い。
私はゆっくりと目を開けて、初雪が目を覚まさないように、そっと上半身を起こした。とても眠る事などできなかった。窓から差し込む朝日を忌々し気に見つめた。
「……」
え、朝日?
日の光は私をあざ笑うかのようにどんどんその明るさを増していく。
なんだこれは。
え、寝てた…?どのタイミングで?
そもそもあれは本当に朝日か?今何時だ!
「起きろ、初雪っ!」
「今日は非番・・・」
「私は仕事だ!!」
ベッドから飛び出して、部屋着のまま司令室に飛び込む。そこに立っていた男性は私の姿を見ると、目を通していた作業途中の書類を机の上において、にっこりと私に向き直った。鎮守府に男性はいない。提督を除いては。
「おはよう、中佐殿」
「お、おは…ようございます。大佐」
今日は暑い。私は猛烈に汗をかいている。昨夜の海の時化はすっかりおさまり、元気に飛び回る海鳥の声が気が遠くなるほど遥か彼方に聞こえる。
今日は、絶好の演習日和だった。
次回「漣編」