提督の布団にもぐりこむ駆逐艦の話   作:しらこ0040

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執筆途中の物を上げてしまっていました。
お目汚し失礼いたしました。



【紫煙の行方】

 しばらくの間お互い無言で煙を吐き続けた。

 

 もくもくと吐き出された紫煙は、部屋の中央に渦となって視界を薄く曇らせている。

 灰色の世界の内側で不知火の灯した煙草の明かりだけが、まさに海面に浮かぶ不知火の火のようにゆらゆらと揺蕩っている。

 不知火の腕が窓にのびる。指先でたぐる様に窓の隙間を広げると、我先にと外に解き放たれる紫煙と入れ違いに、肌を撫でる夜の空気が部屋中に充満した。

 

「今日は無茶をしたな、不知火」

 

 一息ついて、そう切り出す。

 

「……」

 

 しかし不知火は返事をせずに、代わりに細く煙を吐き出した。

 

「これは私の煙草だ。どこから出した?」

 

 頑なに口を閉ざす彼女に対し、私は話題を変えた。

 不知火は視線の向きで、壁際のクローゼットを示した。

 

「吸っている所を見たことはありませんでしたが、灰皿があったので」

 

「これは私の妻が吸ってたものだ」

 

 私の言葉に不知火は面白いくらいに目を丸くした。あんぐりと開けた口から放たれる二の句は、簡単に想像がつく。

 

「お、奥様がいらっしゃったのですか?」

 

「うん」

 

 ぽかんとしている不知火を放置して、しばらく煙草の味をかみしめた。吸い込んだ煙が熱を持ち、喉の奥がイガイガする。昔は妻と部屋でくつろいでいる時にこの匂いをかいでいた。自分で吸うのは学生の頃以来だろうか。

 

「女職場だから指輪をされてないんですか。いやらしい人ですね」

 

 何気に酷い事を言われた気がするが、気にせず自分の左手を確認する。右手で煙草を抑えながら、本来束縛の証をきらめかせているはずの指を親指のはらで撫でた。

 

「奥様は陸にいらっしゃるのですか?」

 

「あー、うん。いや…」

 

 こういう時、良い上官なら「本土で元気にやってる」とか「よく手紙が来る」とか言うんだろうな…。

 そんな事をぼんやりと思いながらだったので、その言葉は存外そっけなく、まるで思い入れの無い響きとしてぽつりと吐き出された。

 

「死んだ」

 

「……」

 

 呆然とする不知火を視界の外側で認識する。

 我ながら最低な上官だな。改善はしないが。

 

「も、もうしわけありませんでした」

 

「気にする様な事じゃあない。もう、5年になるか」

 

 口に出しては、指を折って数えるポーズをした。これは「嘘をつくポーズ」でもある。忘れるはずもない、五年前の惨劇その只中の出来事だ。

 

 忘れるはずは、無い。

 

「妻は鎮守府(ここ)の工員だったんだ。私の部下だな」

 

「その人は、その…深海棲艦に?」

 

「ああ。本土への定期船を襲われたんだ」

 

「鎮守府と本土で船の行き来があったんですか!?」

 

 椅子に腰かけたままぐっと身を乗り出す不知火に対し、私は煙草の火を逃がす様に素早く身を引いた。

そこに食いつくのか。そうだな、確かに今では考えられない事だろう。私はベッドの座る位置を調整しながら、ゆっくりと頷いた。

 

「しかも頻繁にな。当時は鎮守府や艦娘に対してそこまで厳重な管理は求められてなかったんだ」

 

 当時の日本は深海棲艦狩りをまだお国の事業として手厚く支援していた。今のように鎮守府を腫物のように扱い、本土から隔離しようという動きも無かった。艦娘(こっち)も深海棲艦(あっち)もまだ未知数な事が多かった頃、鬼級なんかが初めて出てきた頃だ。

 

「当時としては考えられないような計画的な奇襲でな。全滅だった。護衛についていた艦娘も全て死んだ」

 

 定期便は「物資」を積んだ行きでは無く、「人間」を乗せた帰りに襲われた。その結果多くの「物資」を相手に提供するような形になってしまった。

 深く息を吐くと部屋の中の煙の濃度が一気に濃くなった気がした。

 

「おかげでお前にはさびしい夜を過ごさせてしまっているな」

 

 そう言って窓の外を眺める。

 気が付かなければ軽く流すつもりだったが、不知火は私の意図を読み取りぴたりと煙草を吸う手を止めた。

 

「まさか…陽炎?」

 

「護衛隊の旗艦だった」

 

 鋭い小娘に向け煙混じりのため息をつく。

 陽炎型の一番艦。艦歴で言えば不知火の姉にあたる船だ。

 

「いい艦娘(ふね)だった。長い黒髪がいつも皆の目を引いていてね。口数は多くなかったが、常に誠実で任務に誇りを持っていた。思えば、お前と似ているかもな」

 

「不知火は、誠実などではありません」

 

 そう語る彼女の声は、どこか呆れたような哀愁に満ちている。乾いた笑いと共に不知火は指先で煙草の灰を落とした。

 ここ数日駆逐艦と向き合ってきて、不知火の持つ独特の雰囲気に私は何かを感じ始めている。霞ちゃんのような幼さ故のもどかしさとは別ベクトルの、人から評価されることをむしろ拒んでいるような、ひねくれ物で軟な精神(こころ)。

 

「クマから報告は受けている。先に言っておくが今日の件はお前が正しい。鳥海もそう言っている」

 

「鳥海さんも…ですか?」

 

 俺の話に不知火は素直に驚きを露わにした。

 鳥海とのひと悶着はもちろん私の耳にも入っている。昼の間に鳥海にも直接話を聞いていた。私の仕事は駆逐艦のメンタルケアだけじゃない。

 

「ただし、物事の正悪は事象の一方向から確認できる事が全てじゃない。生憎私と鳥海の結論は一致している。あの特攻は無謀だ。摩耶から報告を受けたが、あそこまで無茶をしなくても済んだはずだ」

 

「あの魚雷の裏には戦艦が控えていました。予定通り回避行動を取っていれば狙い撃ちされていた可能性があります」

 

「鳥海はそれを承知したうえでお前を殴った。私から見ればあいつは職務を全うしている。やや強引で、お淑やかとは言えない方法だがな」

 

 私のさらなる追求に不知火は軽く身を引くが、私から目を逸らす事無くぴんと背筋を伸ばして答えた。

 

「駆逐艦である不知火が盾になれば、被害は最小限に抑えられます。重巡の鳥海さんや、主力の球磨さんが轟沈(お)とされるよりは、ずっと…」

 

「お前は、仲間を見下しすぎる」

 

 堪えきれず言葉の間に割り込んだ。駆逐艦の自己犠牲など聞くに堪えない。

 

「お前がどれだけ立派な価値観を持っていようが知らんが、お前の様に駆逐艦一人の犠牲だと割り切れる者は多くない。格上の巡洋艦や戦艦であってもだ。隊の士気を下げるようなマネはよせ、お前の単独行動は自分は仲間など信用していないと宣言するようなものだ」

 

 私の言葉に不知火はきょとんと目を丸くした。

 まるで信じられない物でも突き付けられたかのように、肩を縮めて硬直している。訝しむというより素直な驚きと微かな呆れが、彼女の澄んだ瞳に微妙な動揺な色を映し出していた。

 不知火は表情を変えないまま、機械的に口を動かして主張を続けた。

 

「不知火は人間ではありません。「兵器」は「効率」によって運用されるべきです」

 

「なぜそこまで拘る」

 

「……」

 

 不知火は目を逸らさず、すがる様に私の瞳の奥を覗き続ける。透き通るようなその視線に、心の奥から言葉を引き出されそうになる。

 腹の中で小さく深呼吸すると、私は努めて自然に不知火から視線を離した。

 不知火は目を閉じた。そのまま、祈る様に膝の上で手を組んだ。

 

「かつて艦娘は哀れな兵器だと仰った人がいました」

 

 不知火の声はかすかに震えている。

 

「兵器は持ち主の指が引き金にかかれば、標的に同情して弾道を曲げる事は無い。何も考えず戦って死ねと、その人は私に言いました」

 

 小さな声が、かすれた様に囁く。

 

「ですか不知火はもう、耐えられません…」

 

 今度は私が目を丸くする番であった。不知火の様子は一変していた。

 先ほどまでの気丈な彼女の姿はどこにもない。自らを抑え込む様に握られた手、葛藤に震える苦悶の表情、マリンブルーの瞳がわずかに涙に揺れていた。

 

「殺すのも殺されるのも、姉の影を追うのも、人の命を背負うのも、繋いだ手を放すのも、断末魔の波の音を聞くのも、何もかも、もうたくさんっ!」

 

 ガタンと椅子を鳴らして、不知火が部屋を飛び出した。

 


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