提督の布団にもぐりこむ駆逐艦の話   作:しらこ0040

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【激情に背を押され】

 ばしゃばしゃと足の下で水滴が跳ねる。

 大きな水たまりを飛び越えた所で、北上は一旦周囲を見回した。走ってきた軽巡寮を背にして、右手側は高い防波堤が続いていて、左手は寮棟の最端となる空母寮が見える。ここを超えれば提督のいる作戦棟まで雨宿りできそうな建物はない。北上は肩で息をしながら一度引き返すべきか思案した。この豪雨の中、演習場を超えて行ったとは考えにくい。

 見失ったか…いや。

 

 北上が滝のような豪雨の中に見つけたのは、屋根のついた木造のバス停であった。

バス停は四方の一辺を除いて木の壁で囲まれており、海に面したその一辺に小さなベンチが置いてあるのが見える。北上はそこにバス停の柱の影になって座る、小さな人影に目を向けた。

 

「あんたか…」

 

「…雷蛇?」

 

 ベンチで項垂れていた不知火はこの豪雨の中、肩で息をしている北上の姿を見て、心底意外そうに首をかしげた。

 

「どうしたのです?」

 

「そりゃ、こっちのセリフ」

 

 北上は不知火の隣に腰を下ろして、傘についた雨粒を落とした。不思議そうに見つめる不知火の視線を感じながら、傘から視線を離さずに口を開いた。

 

「この濡れ鼠」

 

 そう言って、睨みつけるように不知火の顔を見据えた。彼女の髪は先端から水が滴っており、その顔の表面に所々水滴が流れている。

 

「あなたには関係ありません」

 

 ツンと突き放してくる不知火の態度を受けて、北上は何故彼女がこんな雨の中感傷に浸っているのか分かった気がした。

 

「またヘマしたんだ」

 

「……っ!」

 

 舌打ちと共に、キッと鋭い視線が北上に向けられた。それを無視してさらに言葉を重ねる。

 

「ぬいぬいポンコツだもんね」

 

「殺しますよ、雷蛇」

 

「やってみなよガラクタ」

 

 北上は急に声のトーンを落として、不知火の方にまっすぐ体を向けた。咄嗟に身構えようとする不知火の手を取って、バス停の壁に押し付けた。絡み合った指を強引にねじ上げると、不知火の顔が苦痛にゆがんだ。

 つかんだ指の先が不自然にぶるぶると震えている。北上はそれを見て新しい玩具でも見つけたかのように、楽しそうに口の端を吊り上げた。

 

「若造は傷の治りが早くていいねぇ。それともギンバイした高速修復剤(バケツ)のおかげかな?」

 

 ぐっ、と指の付け根に指を押し当てる。未だ違和感のあるその指のつなぎ目に、ぐりぐりとえぐるように爪を突き立てた。

 

「いぎっ!」

 

 傷口を無理やりこじ開けられる不快感と、焼けるような痛みが左手から肘のあたりを駆け抜けた。体をねじるようにして激しく身じろぎするが、もがけばもがくほど北上の指は深く執拗に傷口にめり込んだ。

 

「ぐっ、ぎ…あああああああっ!」

 

「どうしてこう馬鹿かね。あたし自分より馬鹿ってレアだから、見てて楽しいよ」

 

 雨の音が強くなる。それはまるで二人を外界から遮断するかのごとく。狭いバス停の内側で、不知火の絶叫は完全に封じ込まれていた。

 悲鳴を超え、そこに嗚咽や啜り泣きが混じり始めるころに、北上はやっとつかんだ腕を開放した。不知火はずるずると滑り落ち、ベンチの端にへたり込んだ。つないだばかりの指はぱんぱんに腫れ、やわなつなぎ目は赤黒く変色していた。

 

「あんま背伸びするもんじゃないぜ、駆逐艦。無能こじらせると早死にするよ」

 

 今朝の不知火の単艦特攻はもちろん報告を受けている。あいにく北上はそんな危険行為に腹を立てるような性分ではなかったが、駆逐艦の無謀な轟沈が続くと嚮導艦の監督不足とみなされる場合があるので100%無関係ではいられなかった。嚮導の任を外されるのは願ったりであったが、他艦種より「無能」の印を押されるのはまた別問題だ。

 

 不知火は座り込んだまま、ぎゅっとスカートの裾を握り込んだ。掴んだ拳がぶるぶると震える。

 

「不知火は、死ぬのは怖くありません…」

 

「うん?」

 

「不知火は何も怖くない。死ぬのも、壊れるのも…」

 

「頑固だねぇ、気持ちはわからんでもないけど…がっ!」

 

 北上は前方にもんどりうって、雨に濡れた地面の上に膝をついた。不知火の伸ばした足が、北上の脇腹に突き刺さっていた。

 

「やりやがったな…テメェ」

 

 北上は赤く腫れた脇腹を押さえるよりも先に、向けられた足に手を伸ばしていた。ぐっと指に力を込め、自分の方へ引き寄せる。

 対する不知火は目の周りを真っ赤に腫らしながらも、歯茎をむき出しにして笑っていた。伸ばした足をさらに突き出して、北上の顎の先を強く蹴り飛ばした。

 ばしゃんと水がはね、北上が仰向けに倒れ込む。ベンチを蹴飛ばして起き上がった不知火も、ぬかるんだ地面に足を取られて、北上の横に両手をついて転倒した。降りしきる雨に打たれながら、二人の視線が交差する。互いの胸倉をつかんで、すれ違う拳が互いの頬を突き刺した。両者とも後方に吹き飛び、大きな音を立てて倒れ込む。

 真正面から雨に打たれながら、二人ともしばらく荒い呼吸を繰り返していた。

 

「やるわね、雷蛇」

 

「舐めるなよ、糞駆逐艦!」

 

 二人の雄たけびは、誰にも気づかれる事無く、降りしきる雨の中にゆっくりと溶けていった。

 


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