提督の布団にもぐりこむ駆逐艦の話   作:しらこ0040

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【人の淀み】

 

 周囲が真っ白に塗られた廊下を、かつかつと踵を鳴らす音が響く。

 駆逐艦『霞』はお茶の乗ったお盆をしっかりとつかんで、大股で歩を進めていた。少々苛立った様子が、全身の所作から見てとれる。

 

 せっかく秘書艦職を手伝うようになったのに、初仕事がまさかのお茶汲みだなんて…。

 

 だけど、これが『ただのお茶汲みでは無い』事はわかっている。もちろん運んでいるのはただの緑茶だ。給湯室の提督しか開けられない棚に入っている、とっても高い茶葉である。青臭さを感じさせない、濃厚な香りがする。

 ただ事ではないのは、霞のいるこの場所の事である。

 

 ここは通称『管理棟』と呼ばれている建物で、司令室のある作戦棟以上に駆逐艦が寄り付かない場所だ。海難事件の詳細記録や、過去の戦争の資料、中には深海棲艦の実験資料なども保管されている機密の書庫である。建物内は管理艦娘か、提督に直々に許可された一部の者しか入ることが許されていない、いわば立ち入り禁止地域と呼ばれる場所に該当する。

 

 ここには応接間と呼ばれる部屋があり、大本営からの使者などをもてなす部屋があるのだ。このお茶は提督が『お偉いさん』にしか開けない特注品である。つまりはそういう事だ。

 

「失礼します」

 

 霞はお盆を片手に持ち直すと、空いた手で応接間の扉を2度、ノックした。中からおっとりとした女性の声が響く。

 

「入ってください」

 

 開いた扉の奥、テーブルを挟んだ奥のソファーに女性が腰かけていた。年齢は重巡洋艦ほどであろうか、美しい黒髪に小奇麗に整った顔、かけた大きな眼鏡が近寄りがたいほどの美貌に愛嬌と呼べるものを演出していた。

 女性はソファーの真ん中にちょこんと座って、柔和な笑みを浮かべた。

 

「あら、可愛らしい秘書艦さんね」

 

 霞はテーブルの上にお茶を置き、お盆をわきに抱えて女性に向かい合った。

 

「秘書艦『補佐』の霞です」

 

 小さな胸を張って敬礼する。

 女性は霞の様子に一つ頷くと、ソファーから立ち上がって霞に向かい合った。手慣れた様子で、小さく敬礼する。

 

「海軍監察艦の「大淀」と申します」

 

 霞は驚いた。帝国海軍、大淀と言えば、連合艦隊旗艦を務めたこともある武勲艦だ。その名を冠する少女、彼女は…。

 

「艦娘?」 

 

「ええ、貴女と同じ。兵器として生まれた女です」

 

 大淀は物騒な言葉選びとは裏腹に、柔らかく微笑んだ。

 軍人とは思えぬ柔らかい雰囲気に霞が感心していると、彼女の発した言葉にふと疑念を向けた。

 

「監察艦…殿?」

 

「ええ」

 

 霞はごくりと唾を飲み込む。

 

「ウチの司令が何かやらかしました?」

 

「ああ、いえ。そうですね、定期報告のようなものです」

 

 霞はほっと胸を撫で下ろした。

 鎮守府への監査。まさかとは思うが【もぐりこみ】の事かと疑ったからだ。安堵の息をつく霞の様子に大淀は口元を押さえて、クスクスと笑った。

 

「あらあら、中佐に何かやましい所でもあるのかしら?」

 

「えっ!あ、いえ、特にそういう訳では…」

 

 霞の慌てた様子に、大淀はますます笑みを深めた。頬を染めてうつむく霞を見て、楽しそうに上着のポケットに手を差し込む。取り出した小さな紙包みを手のひらに載せて霞に差し出した。

 

「たべる?」

 

 霞は驚いてとっさに手を振って断るが、大淀が紙包みを開いたのを見て、大きく目を見開いた。

 

「な、生キャラメルっ!」

 

 くわっと両の眼を押し開き、眉間のしわを深める。

 

「甘いもの苦手?」

 

「いえっ!い、いただきます!」 

 

 霞はスカートのお尻で手を拭いて、両手のふちをそろえて大淀に差し出した。その真ん中にちょこんと小さな紙包みが乗せられる。

 

「どうぞ座って」

 

 大淀はソファーの端に移動し、自分の隣のスペースをぽんぽんと手の平で叩いた。霞は躊躇無くそこに腰を下ろす。手のひらの上でキャラメルの包み紙を丁寧に剥がし、現れた茶色い塊をまるで宝石を見るかのような視線でうっとりと眺めた。

 

「美しすぎる…」

 

 キラキラと目を輝かせじっくりと堪能した後、舌の上にキャラメルを乗せた。目を閉じてゆっくりと味を楽しむ。

 

(甘さが口の中で溶ける。濃厚すぎる風味と、鼻を抜けるミルクの匂い)

 

「あたし的には…完璧です」

 

「そうやってると、とても管理課の艦娘()には見えないわね」

 

 大淀が顎に手を当てながらぽつりと呟いた。霞は口の中の余韻を楽しむのも忘れ、視線を滑らせて横に座る大淀をじっと見つめた。

 

 吸い寄せられるように目が合い。縁の無い眼鏡を通して瞳の内側を覗き込まれる。

 

「どこまで知ってるの?」

 

 背筋にひやりとした緊張が走った。

 

「それは、深海棲艦の事ですか?それとも艦娘の事?」

 

「どっちもよ」

 

 大淀は笑みを崩さないが、その瞳の奥に無言の圧力を感じる。なるほど、これが『監察艦』か。

 霞はその瞳を直視しないようにして唾を飲み込んだ。舌の上の甘い余韻に少し冷静になりつつ、言葉を探した。

 

「全ての艦娘が回収した人型深海棲艦のボディを素体にして作られている事は司令から伺っています」

 

「では【erorr】の事は?」

 

「『各』鎮守府に配属されている特殊任務を負った潜水艦隊。主な任務は、海域攻略を補助しながら『Eランク』と呼ばれる特別危険海域を特定する事。深海棲艦の暗号解読、敵泊地の破壊工作」

 

 彼女相手に、嘘はつけない。喉がカラカラに乾いていた。

 

「はい、よくできました。偉いわね。じゃあ…」

 

 大淀は一度言葉を区切って、人差し指一本で眼鏡の高さを調整した。

 

「深海棲艦の『建造』については?」

 

 霞は思わずゴクリと唾を飲み下した。

 大淀は困惑する霞の様子を見て、柔らかな笑みをほんのわずかに強張らせた。

 

「そこまで」

 

 突如応接間の扉が開かれ、提督が部屋に入ってきた。テーブルを挟んで向かい合うソファに腰を下ろし、霞を鋭く睨みつけた。

 

「霞、演習組待たせてんだろ。油売ってるんじゃない、行け」

 

 突然の事に一瞬何の事かわからなかったが、提督の目を見ると霞は急いで立ち上がった。大淀に一礼して部屋を出る。

 

 閉めた扉の前でほっと方を撫で下ろした。本当は演習の予定など本当は入っていなかった。

 背後の扉にそっと耳を寄せる。二人とも声をひそめているのか、それとも特殊な防音仕様なのか、風の音が反響するだけで話し声は聞こえてこない。

 霞は応接室を後にしながら、大淀が言っていたことを思い出していた。深海棲艦から艦娘が生まれ、元となる深海棲艦はどこかで『建造』されている。彼女達は人工物なのか、私はまだその事を知らない。私には、まだ知らされていないことがある。

 

 日向なら知っているだろうか。ふとそう思い、霞は早足で管理棟を後にした。


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