提督の布団にもぐりこむ駆逐艦の話   作:しらこ0040

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【提督という男】

 机に向かってもうどれくらいになるだろうか。処理を終えた書類を整理しながら、ふと顔をあげて壁に掛けてある時計に目を向けた。

 

 深夜2時。つい先刻まで夜戦演習の声が聞こえていたと思ったが、窓の外を見やると、すっかりと夜が更けている。闇色の海面が唸るような水音を響かせ、ごうごうと渦巻いている。明日の演習は大丈夫だろうか、ふとそんな事が頭をよぎる。

 

 明日は朝から演習の予定が入っている。相手方の提督は私の上官であり、艦娘達に任せていたとしても私自身が寝坊する事など許されるはずもない。

 

 私は書類仕事を切り上げて、長椅子の上で大きくのびをした。

 

 こんな時間になると指令室には私一人だ。秘書艦の日向は遅くまで書類と向き合っている様な生真面目な性格では無いし、騒がしい巡洋艦も消灯時間が迫れば皆そそくさと寮に帰っていく。

 戦艦や空母は長門の店にこぞって顔を出すし、駆逐艦はそもそもこの建物には寄り付かない。妖精達が興味を持ちそうな工具や戦闘機もここにはない。まれに箪笥の上の大和の模型を興味深そうに眺める妖精がいるが…。

 

 艦娘がいなければ私は鎮守府(ここ)で一人きりだ。誰に気を使うわけでもなく、静かに過ごせるのはじつにいい。普段の喧騒の中では考えられない静寂の中で、響く海の音だけがここが海域の最前線だと私に訴えかけていた。

 

 

 今鎮守府にいる「人間」は提督ただ一人だ。残るは人型兵器である「艦娘」、そして「妖精」と呼ばれる各分野のエキスパート達で賄われている。以前は少なからず工員の出入りがあったが、今は書類整理も艤装整備も専門の艦娘達が分担して担当している。

 繰り返すが艦娘は人間ではない。全身に特殊細胞を移植し、対「深海棲艦」用に運用されている小型軍艦だ。しかし兵器であるとはいえ機械では無く、皆年相応の感性や価値観を持つ少女達である。そして私は一人で彼女たちの相手をさせられるという訳だ。

 しかもこの鎮守府は近年深海棲艦の猛襲を受け続け、着々と軍備の増強が進み始めている。それに伴い数多くの艦娘が、今この時も工廠で新たな目覚めを迎えつつあった。鎮守府内の艦娘は今や100を超え、近々母港の拡大が検討されている。

 

 正直全ての艦娘を管理し、運用するのは困難を極めている。特に数の多い「駆逐艦娘」の中には、私の采配に不満を持つものも少なくないという。

 

「そうは言ってもな…いかん、もう寝よう」

 

 時計の針は深夜2:30を迎えようとしている。私は長椅子から立ち上がって、机の後ろの自室の扉に手をかけた。指令室と私の自室は隣接している。

 自室には廊下とをつなぐ出入り口が無く、司令室を経由しないと行き来ができない。これはもともと物置きとして使っていた部屋を、当時私の秘書艦だった初雪が改造して作った部屋であるが故だ。

 

 扉を開けると、狭い部屋の中にはベッドとクローゼット、そして小さな丸テーブルとイスが1脚。私は窓際のテーブルに寄ると、書類の一部をその上に置いた。

 手を伸ばしてカーテンを閉めると、月明かりの遮断された部屋はとたんに闇に包まれた。私は暗闇の中で上着を脱ぎ、椅子の背にひっかけた。

 

 息をつきながらベッドに手をついて腰を下ろす。私一人が眠るのには大きすぎるベッドだ。ただでさえ狭い部屋なのに、この大きなベッドがあるせいで生活スペースと呼べるものは殆ど無いと言っても過言ではなかった。

 このアンバランスさは案の定初雪がどこからか持ち出してきた家具を詰め込んだ結果であり、私も処分できないまま、なあなあになって今に至る。

 

「初雪…か」

 

 その名を口にするのは実に久しぶりの事に感じる。かつては私の秘書官を務めていた駆逐艦だが、職務の多忙化に伴い秘書仕事は戦艦の「日向」に任せ、今は遠征組の引率を任せている。それ以降出撃の際にごく稀に顔を合わせるくらいで、大して言葉を交わす事も無い。仲間内でうまくやれているだろうか…。

 

「初雪…」

 

 懐かしむようにもう一度、口の中でその名を反芻した。

 

「なーに?」

 

 返事が返ってくるとは思わずに…。

 

「うわぁ!!」

 

 私は暗中からのささやきに、驚愕して腰を浮かせた。


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