提督の布団にもぐりこむ駆逐艦の話   作:しらこ0040

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【エースの憂鬱】

 

「はいこれ、サインだけちょうだい」

 

「は、はい」

 

 私は差し出された書類の最後に、使い古した万年筆で素早くサインをした。それを確認すると私が書類の中身に目を通す前に、霞ちゃんは手の中から書類をひったくった。

 

「何やってんのよこのグズ!あとは私がやっとくから」 

 

「は、はい、わかりました」

 

 このやり取りを今日何度繰り返したことだろうか。霞ちゃんは私が逐一書類を確認する前に、どんどん積み上がった仕事をこなしてしまう。要領がいいと言うのか、何にしてもテキパキと仕事が早く、動きに無駄が無い。

 

 時間は午後10時。私は指定されたサインをすべて書き終えると、自分の隣で書き上がった書類に目を通している霞ちゃんに、かねてよりの疑問を投げかけることにした。

 

「霞ちゃんは、なんで今日私の仕事を手伝ってくれてるんだ?」

 

「わざわざあんたが寝るのを待つ必要もないと思ったのよ」

 

 「寝るのを待つ」とはどういう事か。私が寝るのを待って、その後何をしようと言うのか。私は考えながら、無言で彼女の横顔を眺めていた。テキパキと仕事をこなすその真剣な表情は、無邪気にイタズラを企む駆逐艦の表情(かお)とは思えない。しかし…。

 

「【もぐりこみ】は禁止になったんだ、私が禁止にしたんだ。わかるか?」

 

 私は先手を打って彼女に釘を刺した。こんな遅い時間に駆逐艦が私の部屋にいること自体異様な事なのに、ここ数日の駆逐艦達の行動を鑑みるに、霞ちゃんが私の寝床にもぐりこむ為にここにいる事は容易に想像できた。

 

「はぁ!?私があんたと寝るわけないでしょ、司令官と顔合わせできるって聞いたから、こうやって時間裂いてあげてんの」

 

 「私と顔を合わせる」。確かに数の多い駆逐艦の意見を聞ける場所を設けるという事で、前嚮導の漣とは話をつけている。しかし以前駆逐艦達が行っていた「夜中に提督の布団にもぐりこんできて、一方的に言いたいこと言って寝る」通称【もぐりこみ】は、活動自体を禁止する旨を通達していた。現在駆逐艦への対応は嚮導艦である北上に一任してある。

 

「北上の許可はとったのか?」

 

「もちろん」

 

 雷巡洋艦である彼女がこんな勝手を許すとは思えないが、もしこの【もぐりこみ】が北上の思惑の中にある事だとすれば。彼女がこんなことをした理由は数えるほどしかないはずだ。

 

「北上め…」

 

 彼女を嚮導艦に指名したのは、ある意味間違っていなかったのだろう。やや強引だが彼女なりのやり方で、駆逐艦達は動き始めている。

 私は【もぐりこみ】に関しては半ば諦めながら、今日提出された報告書に目を向けた。椅子に深く腰掛け、昼の大井の様子を思い出す。

 

「大井は君が手綱を引くには優しすぎるきらいがあったようだね」

 

 先ほど霞ちゃんが持ってきた報告書は全文大井の字で書かれており、細く丁寧な文字でびっしりと作戦の詳細について綴られている。その最後に、雑な殴り書きでかろうじで「霞」とサインしてあるのが読めた。

 

「命令無視して、魚雷を撃ち尽くした甲標的を庇って被弾か。甲標的の乗員は技術妖精だけだから、見捨ててくれてもよかったんだが…」

 

 妖精たちは生命を持たない「技術により生まれた超自然的存在」である。矛盾した言い回しだが他に言いようがないから仕方ない。彼女達(便宜上私は妖精を「女性」として扱っている)は長い間人類が培ってきた「技術」の中から自然発生した存在であり、人間以上に人間の生み出した「技術」に精通している。己の技術の進化のみを活動目的とし、固定化した生命を持たず、一定量以上数が増える事も無ければ減る事も無い。

 鎮守府で働く妖精たちは艦娘や深海棲艦との「戦争」に興味を持った者達であり、現状人間とは協力関係にあるといえる。

 

 俺は報告書にハンコを押して、霞ちゃんに押し付けた。霞ちゃんは面白くなさそうにそれをひったくると、荒っぽくファイルに挟み込んだ。

 

「私だって、交戦後に甲標的を回収するプランを伝えていたのに、それを無視してあんな無茶をするんだもの」

 

「直感で無理だと感じたんだろう。そして君がそれを聞き入れてくれない事も直感、いや長年の付き合いで感じ取ってたんだろうね」

 

 私の達観したような物言いに、霞ちゃんは不機嫌そうに口を尖らせた。処理を終えた書類の束を机の上に立てて、大きな音を立てて書類の高さを揃える。積み上がった書類の山にそれを重ねると、戦艦の形をした文鎮を山のてっぺんに置いた。

 

「私だって言ってくれれば別の手を考えたわよ!駆逐艦だからって、皆私の事を子供あつかいして!」

 

 霞ちゃんが唾を飛ばしながら怒鳴り散らすのと、包みから取り出したキャラメルをぽいと口の中に放り込むのがほぼ同時だった。キャラメルの空き箱を机の端に重ねると、高く重ねた空箱の山がコトリと音を立てて崩れた。

 

「子供だと思われたくなかったら、その味覚から改善する事をオススメするね。最近食事の量が少ないと炊事の者達が心配していたよ」

 

 私はため息をつきながらちらかったお菓子の空き箱を片付け始めた。こうやって甘いものを頬張る様は年相応の少女というよりは、むしろ黙々と甘味を貪る疲れたOLのようなやるせなさがある。日々の食事の量を減らしてまで菓子を口に運ぶ姿は、少なくとも主計科将校が軍医と2時間も面を合わせて定めた健康維持管理表(リスト)が、彼女に何の関心も抱かせなかった事を意味している。

 

「ちゃんと野菜はとってるから大丈夫よ」

 

 言いながら霞ちゃんがフタに手をかけた棒菓子の箱には、大きく「サラダ味」と書かれているのが見える。私は頭痛をおぼえ始めたこめかみを押さえて、どう注意を促すべきが思案していた。

 

 その時。

 

「ねえ『error』って何?」

 

「ん?」

 

  突然矛先を変えられて、私はとっさに誤魔化してみせた。霞ちゃんはひきつった私の表情を見逃さず、鋭い口調で畳み掛けてくる。

 

「なぜ鎮守府内で暗号を使うの?駆逐艦(こども)には言えない、ナイショの話?」

 

 容赦なく詰め寄ってくる霞ちゃんに対し、私は長年鎮守府間で使われてきた常套句に頼る事にした。「こほん」とわざとらしく咳払いをし、人指し指を立てて語りだした。

 

「『error』は猫を吊り下げた少女の姿をした妖怪で、かねてより鎮守府間では問題視されていたんだ。さっき窓から突然入ってきたから私も吃驚してね、日向に退治してもらったんだ」

 

「せめて真面目に嘘ついてよ。傷つく」

 

 以前は日向もこれで騙されていたのだが、トップエースの研ぎ澄まされた洞察力には改めて感心する。私は観念して慎重に言葉を選びながら説明し始めた。

 

「君も気づいているだろうが、艦娘というのは多くの情報を大本営(うえ)により伏せられたうえで存在を許可されている。errorのような隊内の事象だけでなく、テレビや新聞で世情を知る事すら強く制限されている」

 

「あたしたちに供給されてる雑誌や映画だって、何重もの検閲を抜けて鎮守府に来ている。情報管理は徹底され、艦娘は鎮守府の外に出る事も許されない」

 

 「そうだ」と私は頷く事で彼女に答えた。

 

「ただ外部の情報をシャットダウンしているだけじゃない。鎮守府の中で起こっている事もほとんど一般には知られていない。深海棲艦という人類敵対生物がいる事、艦娘と呼ばれる兵器がそれと戦っている事、一般が知っているのはせいぜいその概要だけさ。艦娘がどうやってヤツらを相手に戦っているか、人類の為に戦う艦娘とは何なのか、一般でそれらを知る者はいない」

 

「見世物にされないだけ感謝しろって事?」

 

 精一杯の彼女の皮肉に、私は大きく首を横に振った。

 

「鎮守府全体の士気に関わる問題だから慎重に対応しているんだ。確かに鎮守府内であれ、ごく一部の者にしか伝えていない事実もある。だがそれは艦娘の士気を維持するためであり、戦いの為だ。もちろん、君たちを護る為でもある」

 

「……」

 

 私の言葉に霞ちゃんも思う所があるのか、難しい顔をしながらも口をはさむことなく私の話を聞いている。

 

「艦娘が深海棲艦を材料に作られていることを知っているだろう。それだって一般には公表されていない。もしそれが大々的に報じられれば、君たちの存在を危険視する輩だって出てくるだろう。我々だって別に艦娘(きみたち)に意地悪をしたいわけじゃない。我々は艦娘の身の安全を第一に考えて…」

 

「臭い物には蓋をする。合理的ね、感心するわ」

 

「霞っ!」

 

 話の途中で立ち上がった霞ちゃんに対し、私はつい大声を上げていた。自分自身の声を遠くに聞きながら、脳裏では耳障りな舌打ちを繰り返していた。どうして自分はこうも話が下手なのか。霞ちゃんでなくたって、恩着せがましく大人の道理を押し付けられては怒るのは当然だ。

 

「先に寝るわ」

 

 座ったままの私を見下ろす霞ちゃんの冷たい視線に、私は思わず目を伏せていた。

 

「…すまない」

 

 言葉を発しながら唇を噛むこの後悔の味は、駆逐艦に頭を下げる事への屈辱では無い。自分自身の不甲斐無さと、誇り高き駆逐少女に「共に戦おう」と手を取り合う事も出来ぬ己の未熟さゆえだ。

 

 私は頭を抱えながら、遠ざかる少女の背中を見、そして彼女がドアノブに手をかけたのを見て驚いて顔を上げた。自分でもビックリするくらいの大声が飛び出した。

 

「そこは私の部屋だぞ!?女の子は自分の部屋で寝なさい!」

 

 霞ちゃんは私の方へ顔を向ける事すらなく、静かにドアノブを回す。

 

「霰が部屋に鍵をかけて寝ちゃったのよ。アンタが私を信用してないのはわかったから、寒空の下に女の子を放り出すような冷徹漢だとは思わせないで頂戴」

 

 一方的にそうまくし立てて、霞ちゃんは返事を待たずに私の自室に入っていった。私はため息をつく間もなく、あわてて彼女の後を追って扉をくぐった。

 


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