提督の布団にもぐりこむ駆逐艦の話   作:しらこ0040

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第三章「霞編」
【金属の蝶】


 耳障りな鉄の羽音が、私の全身を包み込んでいる。

 

 煤だらけのスクリューがはるか上方で唸り声をあげていた。くぐもった回転音はそこらじゅうに反響し、体の節々にぶつかってくる。目をつむってその音だけに集中すると、音の流れが迫りくる圧力のように全身を覆っているのを感じた。

 少女の濡れた指先が細かく震える。彼女はその震えをごまかすように、強く握り拳を作って目を開いた。

 

 まず薄く張った水面、そこに浮かぶ自分の足が見えた。足の先は「主機」と呼ばれる艤装に包まれていて、低い駆動音を響かせながら小さな少女の体を水面に浮かべている。

 視線を上げると正面に固く閉じた鉄の門、視線の端ではバタバタと艦娘たちが走り回っていた。

 薄暗く閉鎖的なドックの中、鼻をつくのは油と火薬の匂い。あんなにもうるさかった羽音は、戦争の気配に溶けて今や耳鳴りのように薄く遠くに響いているだけだ。

 

 薄暗いゲートの内側で、少女は出撃の時を待っている。背負った艤装の重みが、痛いほど肩にのしかかっていた。 

「霞、ぼさっとするな」

 

 並び立つ旗艦にそう促されて、朝潮型駆逐艦「霞」は手持ちの12.7cm連装砲を深く握り直した。

 

「…わかっています」

 

 旗艦に向き直ると、太ももに固定した魚雷管が大きく揺れる。霞は空いている左の手で、固定したベルトを固く締め直した。

 朝潮型は初期装備では手持ち砲と逆の腕に魚雷管を搭載しているが、今回支給された5連装酸素魚雷は従来のモノと違い重量があるため、航行のバランス維持のために太腿にベルトで固定していた。

 

「なんや、霞ちゃんおねむかいな?」

 

 そう茶化してくるのは軽空母の龍驤だ。横並びになっている隊の列の中から、のけぞるように後方に首を傾けてこちらを覗き込んでいる。

 まるで駆逐艦と見まごうほどの小柄な艦娘だが、重厚な艤装の代わりに背負う巨大な巻物が、彼女が戦闘機隊を操るれっきとした空母艦娘であることを象徴していた。

 

 霞はにやにやと視線を送る龍驤を一瞥して、不機嫌そうに眉を吊り上げた。

 

「姉さん…」

 

 龍驤は霞の眼圧に押され、体勢を立て直しながら視線を逸らす。

 

「冗談やジョーダン」

 

 別に霞だって本気で怒っているわけではない。龍驤だって出撃前の駆逐艦に気を回してくれている。霞は今一度、待機中の艦隊を見回した。

 

 旗艦である戦艦「日向」、軽空母「龍驤」、正規空母「飛龍」、重巡「衣笠」、雷巡「大井」。そして駆逐艦「霞」。これが鎮守府のエース、「第一機動部隊」であった。

 

 ただ、必ずしも固定のメンバーではなく、特に重巡雷巡は控えのメンバーとの切り替わりが激しい。危険を顧みず突撃し、負傷したものは即控えと切り替わる。圧倒的火力と制空能力、そしてこのサイクルの速さこそが、彼女たち第一機動部隊の「強さ」だった。

 

 霞はこの隊で副艦を務めている。雷撃戦においては大井と共に先陣を切り、夜戦が始まれば最前線で砲をふるう。潜水艦狩りも彼女の仕事であり、もしものことがあれば日向の代わりに旗艦を務める事すらあった。

 

 そんな霞が他の艦とは違う点、それは彼女には「控え」がいないという点だ。霞の代わりに第一で出撃できる駆逐艦はいない。霞は第一機動部隊唯一の駆逐艦であった。

 

「第一機動部隊、出撃準備!」

 

 日向の号令で正面ハッチが大きく開かれる。注水が始まり、足元の水かさが一気に上昇した。

  

「旗艦「日向」、出撃()るぞ!」

「待った!第一出撃待て!」

 

 突然の静止に、先陣を切っていた日向が真っ先に減速し、回頭した。後続の艦たちも続けて声のした方を振り返る。皆の視線の先、一段高い場所に見えるドックの入り口に、見覚えのある男性が息を切らせて柵に寄りかかっていた。

 

「提督…」

 

 日向をはじめとして皆一斉に敬礼する。提督は柵にもたれかかりながら、手を挙げてそれを制した。

 

「いい、いい。休め」

 

 提督は肩で息をしながら、ぷらぷらと手を振っている。どうやら指令室からここまで走ってきたようだ。提督はじっくり時間をかけて呼吸を整え、上着の袖で額の汗をぬぐった。

 

 頭を上げ、出撃前の艦隊を見回す。旗艦の日向と目が合うと、提督は自分の背後を指さすように親指を立てた。

 

「日向、戻れ。『error』が帰った。次の仕事だ」

 

 部隊の全員が首をかしげる提督の言葉に、声をかけられた日向だけが目を見開いた。

  

「なんだと、解った。出撃はどうする?」

 

 日向はそそくさと主機の回転を落とし、出航口の柵に手をかけた。鉄柵に手をかけたまま、もう片方の手で主機を完全に停止させる。

 提督が階段を下りて日向に手を伸ばした。日向はとまどう事無くその手を取って、勢いをつけて陸に上がる。鉄の床を踏む音が大きく反響した。

 

 「日向の代わりに別の戦艦を出す」

 

 提督は日向の手を引っ張りながら、残った第一のメンバーに目を向けた。

 全員突然の事に理解が追い付いていなかったが、「たぶん出撃はするんだろうなぁ」と察していたので、提督の申し出に内心ホッとしていた。

 

「陸奥、出ろ」

 

 提督が入ってきた入り口に向かって声を張り上げる。すると、奥の廊下から電探が特徴的な茶髪のショートカットが顔をのぞかせた。

 

「新人だからな、揉んでやってくれ」

 

 「陸奥」と呼ばれた艦娘は入口から小走りで階段を下りてくる。提督の横に並ぶと、彼女の長身が特に際立った。提督自身あまりガタイが良い方ではないがそれでも170cmはあると考えると、彼女は180くらいか。キリっとした輪郭に金の瞳、頭からは鬼の角のように二つの電探が飛び出していた。

 

 陸奥はたどたどしく敬礼する。

 

「昨日付けで配属になりました。長門型二番艦『陸奥』と申します。ご、ご指導ご鞭撻よろしくお願いします!」

 

 そして敬礼しながら腰を折って深く礼をした。

 彼女が背負っている艤装。それが大艦巨砲主義を象徴する「41cm砲」である事は皆が気が付いていた。そして、この選ばれし艤装を乗せる事を許可されている戦艦が、かつて「ビッグ7」と呼ばれていた事も。

 

「昨日付けでもう第一起動部隊(ダイチ)で仕事かいな。流石長の字の妹やなぁ」

 

 相変わらずちゃちゃを入れるのは龍驤だ。はたから見れば親子ほどにも年が離れているように見える二人だが、ここでは彼女の方が先輩である。

 陸奥は気恥ずかしそうに、電探を避けて頭を掻いた。

 

「長門さんに比べたら、私なんてまだまだです」

 

「長門さんには会ったの?」

 

 そう聞くのは大井である。

 陸奥は一瞬目を輝かせたが、すぐさま目線を下げて言いよどんだ。話を切り出す声は小さく、どこかたどたどしい。

 

「あーはい、「七つ星」で…」

 

 彼女の微妙な表情から皆瞬時に心中を察した。かつて世界の「ビッグ7」と呼ばれ、妹艦の陸奥にとっては永遠の憧れであったであろう長門であるが、彼女の今の姿に陸奥なりに複雑な気持ちがあるのは想像に難くない。

 

 そんな微妙な空気を打ち壊すため声を上げたのは、重巡洋艦の「衣笠」である。彼女は大きく手を挙げて、提督に具申した。

 

「旗艦はだれがやるの?」

 

 そういえばと、皆が提督に視線を向けた。戦艦が合流したとはいえ、新米の陸奥を旗艦に据える事はとてもできない。

 視線の集まった先の提督は胸の前で腕を組んで、視線だけで小さな駆逐艦の少女を指名した。

 

「霞ちゃん」

 

 名前を呼んでそれを確定付ける。

 霞は「わかったわ」と一つ頷いて、海面を滑って陸奥の前に移動した。

 

「陸奥さん、朝潮型の霞です。今日は私の後ろについて航行してください。不本意かもしれないけど、よろしくね」

 

 自分の倍ほどの身長差のある陸奥に向かって、霞は握手を求めた。陸奥はかしこまって、小さな先輩に頭を下げる。

 

「ふ、不本意なんてそんな…。お話は常々うかがっています、霞さん」

 

 固く握手を交わしながら、霞はクスクスと笑った。その意味が分からず、陸奥はきょとんとしている。

 

「霞『ちゃん』でいいですよ。みんなそう呼ぶの、私のこと子供扱いしてるんです」

 

 そう言って、霞は隊の皆を振り返った。

 

「霞の機動部隊が出ます、準備して」

 

「「「了解」」」

 

 全員が頷いて、開いたままになっていた正面ハッチに向かい合う。日は高く、海面に反射した光がキラキラと輝いて見える。晴天の空を反射する青く静かな海は、気が遠くなるほど美しく澄んでいた。

 

 しかし、その景色に目を奪われているものなどいない。彼女たちにとってこの海がどんなに美しかろうと、その瞳に見えているのはあの禍々しき敵機どもだけだ。

 

 背後で陸奥が着水する音を聞き、霞は先行して主機を回した。それに連なるように、後続の艦達が続いた。

 

 霞の澄んだ声が響く。

 

「第一機動部隊、抜錨します!」

 

 そこにはもう、『少女』としての面影は残っていない。彼女たちは『艦隊』として、戦場へ向かう『兵器』としてそこに存在していた。

 


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