提督の布団にもぐりこむ駆逐艦の話   作:しらこ0040

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第一章「初雪編」
【居酒屋「七つ星」にて】


 少女は夜の海沿いを一人歩いていた。

 

 つい先ほどまで静かだった海が、今は荒れに荒れ、黒々とした波を強く防波堤に押し付けている。夜の演習組はもう引き上げただろうか、哨戒班もこの調子ではろくな成果は上がらないだろう。

 

 そんな事を気にしながら少女は周りに誰もいない道を黙々と歩いた。消灯時間が近いこんな時間に、鎮守府の外に出ている者は少ない。ましてやこうも海が時化(しけ)ていては、わざわざ申請を出して海に出る者もいないだろう。

 

 高い波しぶきを見ながら少し歩くと、前方に明かりが見えてきた。夜の倉庫群の一角。この鎮守府には、人のいるはずのない夜遅い時間にこつ然と明かりを灯す倉庫がある。艦娘だけに開け放たれたその施設は、出撃を控えた者、そして無事生き残った者達がひと時の楽しみを分かちあう艦娘だけの憩いの場であった。

少女は明かりに向かって歩を速め、両手でのれんを払いのけた。

 

 

 

 

 中に入った時、店内ではすでに閉店間際の様子が見て取れた。窓際の席が軒並み片づけられている他には、ごく一部の空母達がまばらに座っているのが見えるだけだ。彼女達は皆一人でテーブルを占領して、ちびちびとグラスを傾けている。そんな中、少女は奥のカウンターに並んで座る駆逐艦娘の姿を見つけ、そちらに向かって歩き出した。

 

 朝潮型駆逐艦「霞」はカウンターに座ってこちらに背を向けている目立つ桃色の頭を目指して、狭い店内をテーブルの間を縫うようにして進んだ。こちらに気づかずコップを傾けているその背中に声をかけようとしたその時、その隣に座る長い黒髪の少女がビールのそそがれたコップを持って霞に振り返った。

 

「おつかれ…」

 

「お疲れ様なのね、我らがM・V・P!ヤッホー!(ノ^∇^)ノ」

 

 つられてピンクの少女も赤くなった顔で振り返り、「へい」と手を振り上げた。

 

「やらないわよ」

 

 霞は向けられたハイタッチを跳ね除けて、その隣の席に腰かけた。

 手を挙げた本人、綾波型駆逐艦「漣」は唇を尖らせて再びカウンターに向かって座りなおした。

 

「ノリが悪いにゃあ。戦艦空母交じりの第一艦隊の駆逐艦MVPにょ、もっと胸張れって!」

 

 「熱くなれよっ!」と一人盛り上がる漣に、霞は露骨に顔をしかめた。

 

「うるさい!何がMVPよ。一切の作戦経緯も知らされないで、目の前の標的を撃破しただけでMVP?嬉しくもなんともないったら」

 

 霞は苛立ちながら漣の前に盛られた山盛りの枝豆に手を伸ばした。皮の端を唇に押し付けて、指に力を込めて中の豆を押し出す。そして怒りを込めて口内で豆を噛み潰した。木目の荒いカウンターに肘をつき、厨房の奥へ視線を向ける。

 

「長門さん、おでん一つ」

 

「はいよ」

 

 厨房でお通しの準備をしていた元連合艦隊旗艦に、霞は慣れた調子で注文を済ませた。エプロン姿の戦艦は一旦調理の手を止めると、エプロンの端でサッと手を拭いて、奥で煮えたぎっているおでんの鍋へ小走りで駆けて行った。

 

「司令官殿に進言すればよかったのに( ̄⊿ ̄)」

 

 漣が自分の焼酎をコップに注ぎながら言った。コップの縁までなみなみ注がれたそれを、テーブルの上を滑らせて霞の目の前まで持ってくる。

 

「戦果報告は旗艦だけでいいんですって」

 

 嫌味がましくそう言って、霞は今にもあふれだしそうなコップを受け取った。唇を尖らせて、コップの縁からすするように焼酎を口に含み、嚥下した。

 

「じゃあ、司令官殿の顔も見てないっぽい( ̄ー ̄?)」

 

「あんただってそうでしょ」

 

「いや、遠征隊の漣達とは違うかなって。なんたって霞っちは第一機動部隊唯一の駆逐艦にゃし」

 

「ごめん、語尾が気になって内容入ってこない」

 

「なっしー?」

 

「やめて」

 

 霞は手を振り払って、酒臭い少女の顔を遠くに追いやった。

 

 霞の所属する第一機動部隊は鎮守府のエース・オブ・エースと称される前衛部隊だ。そこに身を置く駆逐艦というだけで、霞は他の駆逐艦からは嚮導とは別に一目置かれる艦娘という扱いを受けていた。正直その待遇というか扱いのせいで、駆逐艦の中には彼女と同等に話せる者はごく少数で、こうやって出撃後に他部隊の駆逐艦達と時間を作っては情報交換などをしているという訳だ。

 

 霞は大きくため息をついて、手の中のコップを円を描くように揺らした。その表情は、幼い容姿とは不釣り合いなほど気だるげな哀愁に満ちている。

 

「もう何ヶ月もあのクズの顔なんか見てない。最後に口を利いたのなんて、もう半年以上も前かしら」

 

「駆逐艦なんて皆そんなもんなのです」

 

 霞はコップの揺らす手を止めて、体ごと漣の方に向き直った。

 

「ねぇこの前の話、考えてくれた?」

 

 漣は一瞬何の事かわからないと首を傾げた後、急に眉をひそめて口をへの字に曲げた。

 

「駆逐艦嚮導から司令官殿に意見具申するって話?無理無理、巡洋艦ですらつい最近代表が司令官殿と顔合わせできるかどうかってとこまで漕ぎつけたとこなのに」

 

 巡洋艦は駆逐艦と違い海域の管理・制圧を担当する艦であり、当然駆逐艦より格上にあたる。そんな巡洋艦すら提督に直接意見を述べる権利は持ち合わせていなかった。彼女たちの嚮導艦ですら、秘書艦を通してごく一部の有意的意見が提督に上げられるのみに留まっている。

 

「駆逐艦の話なんて秘書艦どころか軽巡洋艦に握り潰されて終わりなのね」

 

「なら提督に直接具申するしかない…」

 

 今まで黙ってビールを呷っていた特型駆逐艦の「初雪」が突如そう切り出した。その視線は二人の方を見ずに、現れては消えるビールの泡をじっと見つめている。

 

「はい、おでん」

 

 霞はカウンター越しに熱々のおでんを受け取りながら、眉をひそめて初雪の意味深な横顔を見つめた。

 

「あんた酔ってんの?」

 

「初雪っちは酒癖悪いからにゃあ」

 

 漣がそう言うと、初雪はふるふると首を左右に振って、鋭い眼光で二人を見据えた。ぐっと握り拳を作って、手を震わせながら宣言する

 

「提督の寝込みを襲う…」

 

 霞は息をのむと同時に、おでんのたまごを丸飲みにして大げさにせき込んだ。

 

「ごっほ…や、やっぱ酔ってるでしょあんた」

 

「酔ってない。夜戦こそ駆逐艦の本分、だからベッドの中で…」

 

「酔ってるでしょ」

 

「酔ってないってば…」

 

 初雪は霞の前のおでんの皿に手を伸ばして、箸の先端をちくわの穴の中に通した。二本の箸を外側に開くようにしてちくわを固定し、じりじりと自分の方に引き寄せる。

 

「この酔っぱらい、ちくわ返しなさいよ」

 

「夜なら秘書艦にも邪魔されないし、見回りに気づかれる事も無い…」

 

 初雪は霞の忠告も意に介さず、どんどん話を先に進めていく。その様に対して、霞はからかうような口調で焼酎に口をつけながら言った。

 

「それで、色仕掛けでもするつもり? あんたのそのぺったんこの胸で?」

 

「Bカップになりました…」

 

「なん…だと… ; ̄ロ ̄)」

 

「漣、アンタも飲みすぎよ」

 

 射抜くような視線で漣に釘をさしつつ、熱弁をふるう初雪を見て今度は呆れたように目を細めた。

 

「初雪、アンタそれうまくいくと思ってんの?」

 

「賭ける…?」

 

 初雪の勝ち誇ったような笑みが何とも癪に障る。しかも賭け事となれば引く訳にはいかないのが駆逐艦の性と言うものだ。

 

「…乗ってやるわ。アンタが日向さん(秘書艦)にどやされる方にここの支払い賭ける」

 

「漣は初雪っちが提督の酸素魚雷をつうずるっこまれる方に、キープしてるボトル賭けりゅ」

 

 初雪は二人の返答に満足したようにうなずくと、コップの底に溜まった残りのビールを一気に呷る。カーンとコップの底をカウンターに叩きつけ、勢いよく立ち上がった。

 

「じゃ、支払いはお願い…」

 

「ちょっと、なんでそうなるのよ」

 

 怒声混じりの霞の問いかけに、初雪は彼女の瞳を見下ろしながら答えた。

 

「あたしが勝つから…」

 

 そう言い残して、初雪はカウンターから腰を上げた。背後で霞の怒声が響いたような気がしたが、初雪は無視して店を出た。

 

 のれんをくぐり外へ出ると、駆け抜ける潮風がむき出しの肌を刺す。暗い海の波は高く、初雪は荒れる海面を横目に、しばらく海沿いを歩いた。その歩みは駆逐艦寮を離れ、めったに駆逐艦の立ち寄らない作戦棟へと向かっていた。空母寮をこえ、演習場を挟んだ反対側にひときわ高い建物が見えてくる。

 

 作戦棟は第一艦隊用の特別会議室や秘書艦詰めの事務室などかある、おおよそ駆逐艦とは縁のない建物だった。こんな所に好き好んでやって来るのは、秘書艦あがりのお利口さんか、もしくは毎朝提督の顔を見ないとストレスアイコンが真っ赤になるようなLOVE勢ぐらいだろう。そう、提督のいる指令室もこの作戦棟の中にある。

 

 初雪はしばらく海沿いを歩き、作戦棟の裏手に回ると、高空を見やり、明かりのついている三階の窓を見据えた。地理は完璧に把握している。訳あって初雪も以前はあししげくこの作戦棟に通っていたのだ。

 

「ほんとは得意だし、こういうの…」

 

 初雪の最後のつぶやきは、潮臭い夜風に溶けて誰の耳にも届く事もなかった。

 


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