「む、向こうから会いに来てくれるなんて、うれ、嬉しいなぁ」
震え声とはこのことだった。
書類に目を通した団長は病室のベッドの上で形容しがたい表情になっていた。
「団長さん、私は概要しか聞いていませんけど、そこまで怯えるようなことしたんですか?」
時間を空けて書類を団長に渡したリンゴは、彼の狼狽え振りに訊かずにはいられなかった。
「ディプラデニアさんって人と交際してたけど、お互いにいろいろあって仲裁が必要なほど酷い別れ方をしたって言ってましたけど」
当然、酒の席での話である。
彼は酒を飲まないとこんなことは言わない。
だが、彼はリンゴの声すら聞こえていないようだった。
「ま、まあ、今部隊は休止中だし、しばらくは来れないだろう。
と、と、とりあえず三週間後の集合場所を伝えて、それまでに対応を考えて……」
見事なフラグ建築だった。
「失礼します、こちらに団長さんがいらっしゃると聞いたんですけど」
とんとん、とドアをノックする音の後に澄んだ声がドア越しに聞こえた。
その声に、団長は電気を流されたかのようにビクリと反応した。
「あ、はい、そうですけど」
「私、プルメリアと申します。お邪魔してもよろしいでしょうか?」
どこか気品を感じられる対応だった。
リンゴは団長の方を一度見たが、どうぞ、と入室を促した。
「お久しぶりですね、団長さん」
入ってきた少女は一目で出身地が分かる水着のような出で立ちだ。流石に雪国に来ているのでコートを羽織っていたが。
彼女は幼げな容姿でどこか妖艶さすら感じる優しげな笑みを彼に向けた。
「お、おう、お久しぶり、ディ、ディプラデニアちゃんは元気かい?」
キョドるあまり自ら地雷を踏んでいく団長。
「はい、あちらの方がだいぶ落ち着いたので、今度は団長さんのお世話をしようと想いまして」
「へ、へぇ、それはありがたいなぁ」
「(いつもの団長さんなら、ぐえっへっへ、何のお世話をしてくれるのかなぁ、とセクハラするのに!!)」
別の意味で驚愕するリンゴだった。
「こちらに任務に訪れていらっしゃると聞いてやってきたんですけど、診療所にいると聞いて心配しました。
何か必要な物とかありますか? りんごをうさぎさんの形に剥いてあげましょうか?」
と、献身的な姿勢を見せるプルメリア。
本当にお世話しに来たらしい。
全く関係ないが、それを聞いたリンゴは自分が裸でウサミミを付けている姿を想像してブルリと寒そうに震えた。
「特に、ひ、必要ないかなぁ!!
今一番必要ないのは、そ、訴状とかだったり」
「訴状? 何のことですか?」
「い、いやぁ、も、もしかしてプルメリアちゃんも、訴状を持って来たりしたのかなぁって」
どうやら彼が怯えまくっている理由はそれのようだった。
情けない話である。
「そういうのは無いですけど、実はディプラデニアちゃんからお手紙を預かっています。
はい、これをどうぞ」
そう言って彼女はコートの内側から封筒を取り出した。
「あ、うん、そう、手紙なのね……」
彼は少し拍子抜けしたような表情で手紙を受け取った。
封筒は少し膨らんでおり、一枚二枚の手紙ではなさそうだった。
彼は少し逡巡を見せたが、意を決して封を切った。
中からは数枚の折りたたまれた手紙が出てきた。
そして、団長は手紙を広げると、一枚目の手紙に目を落とした。
『突然こんな手紙を送る身勝手を許して下さい。
これは私がこれまでの自分と決別するために必要な行為なのです。
私たちの出会いは忘れもしないあの雨の日のことでしたね。
あの頃、私はあの男に裏切られ、自暴自棄になって街角に立ち、手当たり次第に男の温もりを得ようとしていました。
初めて恋を知り、そしてそれが報われない危険な恋だった故に破れた事実を私は受け入れられずにいたのです。
私は不特定多数の男の人と関係を持ちました。
中には口に出すのも
都合のいい相手だと性欲の捌け口として何度も求められたこともあります。
その日もそうして誰かの温もりを求めて夜の街を彷徨っていました。
そうしていたら雨が降ってきて、私は雨宿りするしかできなかったわけです。
何をするでもなくただただ雨が止むのを街灯の傍で待っていると、たまたま通りかかったあなたが私に話しかけてくれましたよね。
こんなところに居たら寒いだろう、家まで送っていこうか、と傘を差し出して。
あの時、私はあなたの家に泊めてください、と言ったのを今でも覚えています。
あなたは快く見ず知らずの私を泊めてくれました。
そして私は、お礼は体で支払わせてください、とあなたに迫りました。
あなたはそんなつもりで泊めたわけじゃない、と言いましたけど、私がもう一度願い出ると、あなたは私を受け入れてくれました。
あなたにとっても、わたしにとっても、一夜限りの逢瀬だと、この時は思っていたのでしょう。
少なくとも私はそうなると思っていました。
そうなっていれば、どれだけ良かったか。
数日後、また同じ場所で雨に降られ、雨宿りをしていると同じ時間にあなたはやってきてくれました。
あなたは私を見て、やっぱり、と呟きましたよね?
今日も居ると思っていた、とあなたは私に傘を差し出して。
ごめんなさい。
本当は私もあなたが来ることを期待していたんです。
この時点であなたは何も悪くなかったのに。
あなたの優しさに甘えてしまった事が、あなたと私にまつわる出来事の全ての元凶だと認識しています。
矛盾していますよね。
でも、初めてあなたと肌を重ねた時、あなたならまた来てくれると思ってしまったのです。
あなたは私と同じだから。
本当は知っていました。
あなたは、そういうつもりじゃない、と言いましたが、あなたが私と繋がりを持とうと期待していたことを。
あなたは私と同じで誰かの温もりを求めているのだと。
……こういうのは未必の故意に入るのでしょうか。
あれから何度か夜を共に過ごすうちに、あなたは私にこう言ってくれましたよね。
もう俺たち恋人同士みたいなもんじゃね? と。
この言葉が私を狂わせた。
その日から、私はあなたの恋人になりました。
私は毎日のようにあなたの家に通い、尽くしました。
尽くした、という一方的な表現でごめんなさい。
自覚はあるのです。私は自分がメンヘラだという自覚が。
ですが、どうか許してください。
これが私なのです。変えようがない、私という人間なのです。
朝、朝食を作り、あなたを起こして一緒に朝食を取り、家から送り出す。
部屋の掃除や買い物などを済ませ、夕方になるとあなたが帰ってくるのを待つ。
あなたが帰ってきたらあらかじめ準備しておいた夕食を食べて、一緒にお風呂に入って、夜は獣のようにお互いを貪りあう。
……この生活はしばらく続きましたね。
私はあなたの恋人で居られたでしょうか。
今思い返してみれば、恋人と言うより夫婦のような感じでしたが。私が恋人と言うのをよく分かっていなかった証拠でしょう。
あなたは精一杯、私の“ままごと”に付き合ってくれましたね。
あなたは私を精一杯愛してくれるよう、努力してくれていましたね。
だから私もあなたを愛する努力をしました。
求めるばかりの私が、自分からあなたの元へと近づこうと色々なことをしました。
あなたは騎士団長だったので、あなたの騎士団に異動を願ったこともありました。
あなたは仕事場に私情を持ち込むわけにはいかないから、とやんわりと断りましたが、結局私は押し通してしまいました。
その結果、多大な迷惑を周囲に掛けたと、とても反省しています。
職場の人間関係の維持に腐心するあなたに自分勝手で酷い言葉を投げかけてしまいました。
そしてあなたが私に気を使う余り、多くの花騎士たちが転属してしまいました。
……あの人たちには申し訳ないことをしたと思っています。
もうこんな関係は止めよう、そう切り出したのはあなたでしたね。
私はあなたの恋人には成れなかった。
私はあなたと恋人同士には成れなかった。
なんで、どうして、と私はあなたに縋り付いて泣き叫びましたが、心の底ではわかっていたんです。
こんな不健全な関係は、さっさと終わらせるべきだと。
だけど感情はそうしてはいられませんでした。
死んでやる、愛してくれないなら死ぬ、と私は無様に叫んだと思います。
その時は必死だったので、よく覚えていないのです。
もうその頃には、あなたは私の目の届かないところで別の娘と逢引きしていたのを、私は知っていたのです。
ええ、私はいつの間にかあなたの重荷になっていた。いえ、最初からだったのかもしれません。
私と共に過ごす苦痛を、別の場所で癒そうと考えるのは別に当たり前のことだったのでしょう。
そのことを責めるつもりはありません。
だって私とあなたは別に、恋人同士などではなかったのですから。
だから私も、かつてのように街頭に立ち、見知らぬ男と再び関係を持ち始めました。
あなたの関心を引きたいが為に、そして新しい温もりを求めて。
何とも酷い話です。
何とも醜い話です。
あなたも、わたしも、結局はお互いのことをちっとも愛してなどいなかったのですから。
こんなことなら、あの時優しくなどして欲しくなかった。
こんなことなら、あの時期待なんてしなければよかった。
ごめんなさい、あなたを愛せなかった私を赦してください。
寝物語でお互いのことを話しましたよね?
お互いにそれぞれ環境や境遇などの、こうなる要素はたくさんあったのだとは思います。
ですが、そう言うのは全く関係なく、私たちはお互いに最低でした。
私たちの関係は結局、恋人同士などではなく、お互いの傷を広げ、傷口に塩を塗り、そうして出来た痛みを舐め合うだけの悪循環でしかなかったのでしょう。
あなたがこの関係を終わらせようと言った時、私が早まった行動を取らずに済んだのはあなたがプルメリアを同席させていたからでしょう。
彼女は私の行動に不信を持ち、あなたに接触していたそうですね。
事の次第を聞き、あなたがこの関係を終わらせるべきだと言うように提案したのも彼女だと後から聞きました。
第三者の彼女が間に入っていなければ、多分私はあなたを殺して自殺を図ったと思います。
あなたは理不尽に思うかもしれませんが、私にとってあの“ままごと”は私が私であることを維持するのに必要な行動だったのです。
ええ、そうです。あなたの大嫌いな、理屈で説明できない女の身勝手な感情なのです。
私はずっと、あなたにそれを押し付けていたのです。
それから、私たちはお互いに故郷に帰ると言って、別れましたね。
この一件であなたに団長業の休業を余儀なくさせてしまい、本当に申し訳なく思っています。
私も花騎士として活動を休止し、プルメリアと共にしばらく故郷で一緒に過ごしました。
彼女には本当に迷惑を掛けてばかりです。
その後、花騎士としてフリーで活動していると、去年の夏ごろでしょうか。
海岸警備をしていた私の所に、シーズンの為かとある騎士団が追加で警備に参加したのです。
色々あったのですが、私はその騎士団の元へ行くことにしました。
そこの団長さんは私が、何でもします、と言っても手を繋ぐだけだったり、団長権限で禁欲生活を命じてきたり、私にとってちょっと堅苦しい人です。
ですが、ようやく私にもわかったのです。
私が求めていたものは、愛と言う名の霧のようなものではなく、小さくとも目の前にあるちょっとしたことの積み重ねだったのです。
それは例えば、誰かと手を繋いで町へと遊びに行ったり、同じ食卓で同じものを食べてその日にあったことを話したり、そんな他愛も無い、普通のことだったのです。
あなたは情事の時にしか私に触れてくれず、自分のことを話してくれませんでしたね。
いいえ、責めているわけではないんです。あなたは私を気遣ってくれていたのですから。
たとえそれが臆病からだとしても、あなたは私を傷つけまいとしていたのですから。
私は恋に狂って、目の前が見えていませんでした。
私とあなたの関係も、そうした目線で見ることができれば……いえ、もうこれは終わったことですね。
私の心残りは、私の所為であなたにその小さな幸せを伝えることができなかったことです。
私は身勝手な期待であなたの優しさを踏みにじってしまった。
私自身の浅ましさから、あなたを利用してしまった。
今更私たちが顔を合わせても、どうしようもありません。
あなたに会う勇気が無いと言われても否定できませんが、会ったところで何を話して良いかもわからないのです。
だからどうか、せめてこんな汚れた女の事なんて忘れて幸せになってください。
あなたの好きな、幼げで起伏の少ない容姿の持ち主と一緒になって、私の知らないところで勝手に幸せになってください。私も勝手に幸せになります。
その相手がどうか、女の理屈や理不尽を並べてあなたを傷つけることの無い、優しく無垢な心の持ち主であることを願います。
もしどこかで出会う様なことがあっても、私のことなど無視してください。
顔を合わせるようなことがあっても、初対面を装ってください。私もそうしますので。
さようなら、私と同じ、愛に飢えた悲しい人。
最後に、ひとつだけとても酷いことを言います。
あなたなんてぜんぜん好みじゃなかったで すし、ほかの女に いろめばかりつか う ような、さいて いな、ろり こんや ろ うなんか、きもちわ るくてしかた なか ったです。
だい きらい で し た 。
デ ィプ ラデ ニ ア 』
「ディプラデニアちゃんは最後まで団長さんに会いに行くか、悩んでいました。
だけど、他の男の人との関係を清算したのに、あなただけそうしない訳にもいかないって、この手紙を」
わざわざウインターローズにまでこの手紙を届けに来たプルメリアはそう言った。
ぽた、ぽた、と数枚重ねの手紙の上に、雫が滴り落ちる音がする。
「団長さん……」
横で見守っていたリンゴは見てられずに目を逸らした。
遠目からでは手紙の内容は良く見えないが、彼女にも最後の方の筆跡が乱れ、何度も書き直した形跡があるのは分かったのだ。
「い、いやぁ、わ、われ、ながら、いい、お、女を、のがした、もんだぜッ」
その言葉から、強がり以外の何かを感じられる者は居るのだろうか。
嗚咽交じりのその声は、痛々しさに満ちていた。
「いいんですよ、強がらなくても」
手紙を握りしめて打ち震える男に、幼さがまだ多く残る少女は優しく声を掛けた。
慈愛に満ちた、傷ついた者たちに向けられる無垢で美しい優しさだった。
「ディプラデニアちゃんを悲しませないように頑張ったんですよね。
団長さんはあの子の体と心を守ってくれたんです。だから、泣いていいんですよ」
その小さな体に、なぜそれほどの母性を感じられるのか、彼には分からなかった。
彼が求めるすべてを持ち合わせる少女を前にして、彼は感情の発露するのを堪えきれなかった。
「ほ、ほんとに、そんなつもりじゃなかったんだよぉおお!!
お、おれ、俺はぁぁぁああ!! ただ、ただッ、好みの女の子が寒そうにしてたから声を掛けただけでッ、傷つけるつもりなんて無かったのに!!」
「うんうん、あなたは優しい人ですからね」
「俺頑張った、頑張ったんだよぉおお!!
だけど、だけどどうしても我慢できなかったんだ!! 無理だった!! 耐えられなかった!!
彼女が怖かったんだ!! どんなに愛そうとしても、穴の開いたバケツみたいに抜けて行った!!!
彼女を愛しきれる自信がなかったんだ、だから裏切った、おれが、俺が弱かったばっかりに!!」
「弱くてもいいんです、皆、そうなんですから」
「こんなにも、こんなにも俺のことを分かってくれた女の子を裏切った!! 最低だ!! 最低のド畜生だ!!
こんなにも優しくて、儚く脆い繊細な女の子を!!」
「大好きだったんですよね、私もそうだから」
「ううッ、うあッ、あああああああああああああああ!!!」
見るに堪えない男の嗚咽を正面から向き合うその少女の背に、リンゴは純白の翼を幻視した。
天使とは、彼女のことなのか。
一体この若さでいかにして、このような精神性を得られるというのか。
「よしよし、何も心配することなんて無いんですよ。
私が全部、好きなだけ受け止めてあげますから」
彼女の細い腕の中で、彼の嗚咽は次第に小さくなる。
「やっぱり私が来て正解でしたね。
団長さんったら早速こんな怪我をしているんですから」
と、慈愛に満ちた表情で彼女は言う。
団長さんちょっと代わってくれないかなぁ、なんてリンゴは場違いにも考えるのだった。
余談だが、リンゴも後日彼女に存分に良い子良い子されたようだった。
本当はR版で書いてみようかと思ったんですが、思った以上に重苦しくなってしまったのでこんな感じにしました。
口調が多少違うかもしれませんが、慣れない手紙と言うことでここはひとつ。
元々シリアス専門なんですが、男女関係でここまで重くしたのは初めてです。
メンヘラ度をアップして書きましたが、個人的にディプちゃんは大好きです。
彼女をあのヤンデレ三人集と一緒くたにした公式は許すまじ。
よし、気を取り直して次はコメディを書くぞ!!