え、結果? 爆死に決まってんじゃん!!
その日、私は夢を見ていた。
夢と自覚のある夢を、明晰夢と言うらしい。
私はウインターローズに聳える霊峰の頂上に立っていた。
リリィウッド出身の特に私が思い入れなどないこの山に関する夢を見るのは不思議を通り越して不可解であった。
空は異様なほど澄み切っていた。
ウインターローズの空はどこよりも美しいと団長は言っていたが、私は今それに同意できない。
なぜなら、この不気味なほど澄み切った空は灰色がかっていたのだから。
私が呆然と立ち尽くしていると、隣にはいつの間にか団長が立っていた。
そして、彼は隊旗を霊峰の頂上に突き刺していた。
風も無いのに音を立ててはためく赤地に黒百合の刺繍がされたそれは、まるで生きているかのようだった。
やがてそれは、突き刺さった雪に覆われた地面を赤く染めていく。
夢でなければ鉄錆びのような臭いがするだろうことは明白だった。
血染めの黒百合が、雪化粧で覆われた霊峰を全てを赤く染め上げた頃だろうか。
団長が隊旗を掲げたのだ。
すると、血を吸った赤い雪の中から、何かが這い出てきた。
それは、花騎士だった。
一人や二人ではない、十人単位、いや百人規模の大人数だった。
彼女たちは皆何かしらの致命傷を負っており、酷い火傷や四肢の欠損、はらわたから臓物があふれる者、胴体から離れた自らの頭を小脇に抱える者すらいた。
彼女らは例外なく戦死者だろう。
死者が死体のまま蘇る、地獄じみた光景だった。
やがて、隊旗を掲げる団長が霊峰から降り始めた。
蘇った亡者たちはそれに導かれるように付き従った。
その歩みは遅々としたものだった。
片足が無く歩けない者は近くの者が手を貸し、下半身が無い者は両脇から肩を貸して連れて行く。
だから私は彼女らの顔を見て回る余裕があった。
知っている顔もあった。
知らぬ顔もあった。
誰もがやはり、戦場で勇敢に散っていった者たちばかりだった、
亡者の行軍は霊峰を降りると、モズ森林区へと歩みを進めた。
かの場所は死者の国へと通じているという伝承があり、彼女たちの行く先はそこで間違いないのだろう。
案内役の女巨人が見当たらないが、その役回りは団長と私なのだろう。
血の滴る隊旗を掲げ、道程を赤く濡らし私たちは奥地へと進む。
そうして辿りついた森の奥地に、この世の物とは思えぬ巨大な門が私たちを待ち受けていた。
ゆっくりと、巨大な門が開く。
その奥には何があるのか、漆黒のみが存在しているかのような見通しの出来ぬ暗闇だった。
だが亡者たちは、躊躇いも無くその中へと身を投じていく。
それはあるべき姿なのだろう。
だから私は、団長と最後の二人になった時、彼もまたその門の奥へと歩み進もうとしたので、彼の肩を掴んだ。
「お前はまだ、死んでいないだろう」
歩みを止めた団長は、名残惜しそうに門の方を見やる。
門の向こう側にはあの時、私を助ける為に勇敢に戦った彼女たちが悲しげな表情でこちらを見ていた。
「すまないが、もう少し待ってくれ。
この男はまだやらねばならぬことがあるんだ」
私は彼女たちにそう言った。
そうして、私は目を覚ました。
「……夢か、夢なのか?」
私は立ち上がり、周囲を確認する。
そこには、疲れ果てた様子の花騎士たちが数人単位で一塊となって眠っていた。
彼女らは亡者ではなく、今を生きる部隊の同胞たちだった。
一様に怪我の手当てを受けた形跡があり、部隊のほぼ全員がここに眠っていた。
場所は、ウインターローズにある診療所の一つだった筈だ。
目覚めたばかりの私は、一つ一つ状況を整理する。
今日、私たちは霊峰に住まうと言う雪崩を起こす“霊峰の悪夢”と呼ばれる害虫を退治するべく、かの地へと向かった。
冬場には手を付けられない怪物となる為、夏場に討伐に行くと言うことだった。
これは毎年の恒例行事みたいな物らしいのだが、行うたびに死者が出るという危険な任務だった。
激闘だったのを、覚えている。
雪崩を起こすというのは害虫の力の一部らしく、夏場であるかどうかは余り関係なかった。
奴の雪崩攻撃で奇襲を受け、まず部隊は分断された。
その際に団長はペポを庇い斜面を滑り落ち、百メートル以上滑落した。
ペポが言うには、その際に意識を失っていたと言う。
近くが崖だったらこの二人はこの世にはいなかっただろう。
同時に三名の隊員が雪崩に呑み込まれたが、害虫は待ってはくれない。
即座にリンゴが部隊指揮を引き継ぎ、サクラを補佐に任命して戦闘を行いながら態勢を立て直し、班の再編をするという離れ業を行う羽目になった。
死闘の末に、私たちは勝った。
防御を捨てて、捨て身になってのギリギリの勝利だった。
夏場でこれでは冬に勝てる部隊などスプリングガーデンには存在するのだろうか。
雪崩に埋もれた仲間を何とか救出し、団長と泣きわめくペポを回収し終えると、何とか夕方になる前に近くの町へと帰還できた。
あの化け物相手に事実上死者ゼロという快挙を成して帰ってきたが、それを喜ぶ者は居なかった。
雪に埋もれた仲間と団長は検査の為、即入院。
同胞たちも応急処置程度だった怪我の手当てを受けているうちに夜になり、そのまま眠ってしまったと言う流れだ。
私は疲労の残る体を引きずり、立ち上がる。
そして団長たちの居る病室へと向かった。
部屋の明かりはドアから洩れていた。
「ぐがぁーーー、すぴーーーー、むにゃむにゃ……」
ドアを開けると、ランタナの寝息が一番に耳に入った。
彼女は団長の眠るベッドに体を預けて眠っていた。
その背には毛布が掛けられている。
反対側には同じようにリンゴも眠っていた。
「あ、クロユリさん……」
私がドアを開ける音に反応したのか、未だに起きていたペポが振り向いた。
彼女も随分泣きはらしたのか、目元や両目がまだ赤みを帯びていた。
「まだ起きていたのか?
行軍の疲労もある、少しは眠った方がいい」
私が他人に気を使うのもらしくない。
だが、彼女は首を横に振った。
「大丈夫です、団長さんは私を庇ってこんな目に」
「あの雪崩攻撃を防げたら人間ではないだろう。
あまり気に病むな。そいつもそれを望まないだろう」
「せめて目を覚ますまでは、居させてください」
彼女は梃子でも動きそうになかった。
勝手にしろ、と私は言う他なかった。
彼女の言う通り、彼はまだ目を覚まさない。
命に別状はないらしいが、打ち身に擦過傷、骨折が数か所。
魔法による治癒込みでも二週間は安静しなければならない大怪我だ。
対してペポはかすり傷程度。
気に病むなと言うのは無神経な発言だったかもしれない。
「私は足手まといだったんでしょうか」
と、ペポは自虐に近い言葉を吐いた。
違うと分かっていても言わずにはいられないのだろう。
「お前たちはなぜこの部隊に来たんだ?」
することも無いので、私は彼女に付き合ってやることにした。
これ以上、彼女の自虐など聞くに堪えない。
「この部隊に来る人って、害虫討伐に熱意がある人が多いですけど、私は別に特別な理由とか有るわけじゃないんです」
彼女はそう言って、ランタナの頭を撫でた。
むにゃむにゃ、と彼女は気持ちよさそうに身をよじる。
「ランタナちゃんって、ちょっと変わってるっていうか、常識に囚われないっていうか、昔からやんちゃで、私はよくお守りをしていたんです」
「それは今もじゃないのか?」
「それは違います。もうランタナちゃんは立派に花騎士の仕事はしていますし。
ただ誤解を受けやすいので、私がフォローに回らざるを得ないと言うか……」
少し遠い目になってペポは言う。
あえてそれは同じことじゃないのか、などと野暮なことは言わなかった。
「ランタナちゃんはこれでもそう言うところは敏感で、そう言う風に見られるところからすぐに離れちゃうんです。
だから友達も私くらいしか居なくて、根は良い子だって周囲に伝わるようになったのって本当に最近なんですよ」
友が認められるのを我がことのように喜び、誇らしげに彼女は語った。
「そんな感じだからランタナちゃんはいろんな部隊を転々として、私もそれに追っかける感じで異動を繰り返してたんですけど、ある日、ランタナちゃんの方からこの部隊に行かないかって誘われたんです。
何でも、団長さんと意気投合したとかで。
異動初日に団長さん、私になんて言ったと思います?」
「当ててやろう。
将来有望な子を確保したと思ったら、もっと好みの女が付いてきた」
「概ねその通りです」
ペポの遠い目は更に遠くを見つめるようになった。
その男の場合、肉体的に将来が有望じゃない方がいいのかもしれないが。
「出会ってすぐにわかりましたよ。
ああ、この人はランタナちゃんを偏見とかそう言うのじゃなくて、もっと別な目で見てるなって。
ランタナちゃんってそう言うところ無防備だし、これは私が守らなきゃなって、思ってたんですけど」
「最近似たような関係の二人を見たな。
こっちは守る方が餌食になりそうだが」
「それは言わないでください……」
それは彼女にも自覚はあるようだった。
「団長さんに昔何があったのかは知りません。
だけどあんなに害虫に対して残虐になれる人も他に知りません。
この人の危うさは、ランタナちゃんも分かっていて付いて行っているんだと思います。
私も、こんな寂しそうな人、放っておけないから」
「言葉を選ぶ必要があるのか?
単に哀れなだけだよ、この男は。
お前もそう思っているんだろう?」
「……」
ペポは肯定もしなかったが否定もしなかった。
ただ悲しそうな表情をするだけだった。
「こんな気持ちで戦うのは、迷惑でしょうか」
「お前は自分を責める理由を探しているだけだ。
お前の親友の戦う理由はなんだ? 崇高な志があるというのなら、是非とも聞いてみたいものだ」
「あはは……」
ペポは苦笑いした。
どうやら崇高な理由ではないようだ。
「うぅ……」
その時だった。
団長が呻き声と共にゆっくりと目を開けた。
「……ここは、どこだ?」
「団長さん!!」
「起きたのか」
私は思わず安堵していることに我ながら驚いた。
「ここは診療所ですよ、団長さん」
ペポがそう語りかけると、彼はそうかと頷いた。
「……クロユリ、お前が引き留めてくれたのか?」
彼のおぼろげな視線が私へと向けられた。
「どうなのだろうな」
もしそうならば、ロマンのある話なのかもしれないが。
「ペポ、お前は無事か?」
「はい、私は大丈夫です」
彼女は団長の手を握りしめてそう言った。
「リンゴ、状況を報告しろ」
「はいッ」
彼の言葉に、眠っていたはずのリンゴが無意識に起き上がった。
「全員帰還、無事です。標的の害虫は討伐済み。
しかし団長を含め隊員の休養がしばらく必要かと」
「分かった、今日は休め」
「はい、くかー」
そのままぱたりとベッドに突っ伏すリンゴ。
本当は起きてるんじゃないのかと疑いつつも、起きた拍子に落ちた毛布を掛けなおした。
「霊峰の悪夢……噂には聞いていたがとんだ化け物だった。
あの子たちが手を振っているのが見えたぞ」
「あんなのが毎年とは、この国もなかなかに過酷だな」
「違いない」
彼はそう呟くと、ゆっくりと目を閉じた。
すぐに寝息が聞こえてきたので、眠っただけらしい。
「ペポ、お前もそろそろ寝た方が良い」
と、私は言ったのだが、反応が無い。
様子を窺ってみれば、どうやらペポは緊張の糸が切れたのか、俯いたまま眠ってしまっていた。
彼女も無理をしていたのだろう。
私はペポをランタナの脇に寝せて、彼女に掛かっていた毛布を広げて二人に掛けなおし、部屋を後にした。
「ひとまず、諸君らの奮闘に賛辞と感謝を送ろう。
そして謝罪を。無様を晒してしまって申し訳ない」
翌日、団長は病室に団員たちを集めてそう切り出した。
彼は謝罪をしたが、形だけのものなので誰も口を挟まなかった。
「我々が無事勝利し、帰還できたのは霊峰の加護があったからだろう。
前置きは手短にこれくらいにして、今後の活動について述べようと思う。
見ての通り私はこの体なので、部隊活動はこれから三週間ほど停止することにする。
皆は休暇と思い、故郷に帰り、家族や友人と共に思い思いに過ごすといい。
部隊に残る者はウインターローズの観光などをするなら、丁度いい期間だろう。
だが勝手な活動は許さん。緊急以外の戦闘は禁ずる。止むを得ない場合、後日報告書を提出するように」
彼は注意事項を述べ終えると、一息吐いた。
彼の表情からは多少の心労が見て取れた。
「俺たちは多大な戦果を挙げてきた自負がある。
しかし少しばかり急ぎ過ぎたかもしれない。
慣れない地での戦闘、もっと訓練を積むべきだった。
今回の負傷は俺の責任だ。これからはもっと慎重に任務を選ぼうと思う。
集合は、三週間後の月曜日にブロッサムヒルの騎士団支部に、午前十時とする。遅れた者は二点の違反点を課す。
俺からは以上だ、解散!!」
彼がそう宣言すると、隊員たちは各々散っていった。
「それでは団長さん、お体をお大事に」
「ああ、皆を頼むぞ」
途中まで帰り道は一緒なので、一緒に帰る同胞たちを団長は挨拶に来たサクラに任せていた。
「クロユリ、お前は行かないのか?」
二人きりになったところで、団長は私にそんなことを言った。
「私に帰る場所など無いのは知っているだろう」
「いや、観光に行った連中とかいるだろう。
まあ、お前が暢気に観光とか想像できないしな」
そう言って彼は、深く溜息を吐いた。
「今回は失敗だった。
死人が出なかったのは奇跡だった」
彼にとって、そのような状況に陥ってしまったことこそが敗北なのだろう。
「なあクロユリ、どうして俺は騎士団長になったと思う?」
「女性にモテたいからだと以前言っていなかったか?」
「じゃあ、一度引退して教導に移った理由はなんだと思う?」
「……」
私は答えなった。
答えが分からないからではなく、彼の自嘲気味の表情に聞きに徹した方が良いと判断したからだ。
「怖かったんだよ、彼女たちを失うのが。
俺はそれまで凡庸な結果しか残せない……いや、危険を冒さない臆病者だった。
だからあの時、俺は彼女たちを止めた。
もう生存者はいない、行っても無駄死にだとな」
それは常識的にも、そして結果的にも正しい判断だろう。
一人に対して十人の命は、決して釣り合わない筈なのだから。
「だが彼女たちは引退してなお、花騎士だった。
師匠に師事し、彼女たちこそが本当の花騎士だと知った。
我が身を省みず、無辜の命の為に危険に飛び込むことを厭わぬ、輝かしい魂の持ち主だった。
俺はそれを理解してなお、そのことが嫌だった。
確かにそれは高潔なことなのかもしれない、素晴らしい無私の行いなのかもしれない。
だが、死んじまえば話すことも触れることも、後悔することだって出来やしない。
俺はなクロユリ、お前を知らない当時の俺にとって、お前の生死なんてどうでもよかったんだ」
それはある種の懺悔なのだろう。
彼は結局、自分の手の届く範囲の人間の笑顔さえ守れればそれでよかったのだ。
それは人間としての限界であると共に、逸脱した考えでも何でもない。
誰もが、顔も知らない人間の為に命を掛けられるわけではないのだから。
「こんな人間が、教導だって?
こんな浅ましい男が人に何かを教えるなんて、馬鹿にしているにもほどがある。
……サクラやウメちゃんや他の教え子たちには、本当に悪いことをしてしまった」
「聞くに堪えんな。
それ以上その下らない戯言をほざくなら、その折れた骨をもう一度折ってやるぞ」
流石の私も辟易してきた。
なんでこう、自分を責めたがる輩がこの部隊には多いのだろうか。(ブーメラン)
「俺だって弱気になる時はあるんだよ。
酒の入ってない素面の時にこんなこと言えるのはお前ぐらいなんだから、許してくれよ」
この体じゃ酒も飲みに行けん、と彼は力なく肩を竦めた。
あほらしい、と私は吐き捨てて病室を出た。
そう言うのは私のような可愛げのない女のやる事ではないんだ。
病室を出て出口の方へ体を向けると、私は思わずギョッとした。
りんごとナイフを乗せたお盆を持つリンゴと、何かの書類を手にしたサクラが気まずそうに立っていたからだ。
書類の出し忘れとはサクラらしくも無いミスだったが、これも彼女の持つ天運なのだろう。
やはり、“持っている”人間は違うと言うのか。
とは言え、フォローする謂れも無いので、私はさっさと横を通り過ぎた。
手持無沙汰になった二人は、結局私の後を付いていく形となる。
「団長さんはああ言っていましたけど、私はあの頃の団長さんに教わって良かったと思ってます。
この間、後輩の団長さんに指導していましたけど、あの時の団長さんはちょっと怖かったから。
昔の私だったら怖くて泣いちゃったかもしれないわ」
ロビーに近づくと、サクラはそのようなことを口にした。
「それは想像できませんねぇ、あ、差支えなければ書類は私が出しておきましょうか?」
「そう? 悪いけどそうして貰えるかしら」
そう言って、サクラはリンゴに差し出した。
「他部隊から花騎士の異動に関する書類ですか。
あ、これは……もしかして」
リンゴはその書類を見るや否や、とても複雑そうな表情になった。
それが気になり、私はさり気なく背後に回って書類の上半身の掛かれた似顔絵を見やる。
書類などに使う魔法で書かれた緻密な絵は、団長好みの幼げで優しそうな印象を窺わせた。
出身はバナナオーシャン。
名前は、プルメリアと書かれていた。
次回、『ディプラデニアの手紙』
19日12:00時投稿予定。
今回だけならず、当然の如くドキツイシリアス100%。
前回思いっきりギャグに走ったからいいよね?