夏が過ぎ去ろうとしている時期のブロッサムヒルの夜風は涼しい。
それを楽しみながら花騎士ウメは軽く呷った酒気を冷まそうと寮から歩み出ていた。
彼女はプライベートな時間からか、普段の凛々しい騎士装束ではなく浴衣姿だった。
「一人の晩酌も慣れてしまったな」
と、一人ごちるウメは寂しさを多分に含んでいた。
と言うのも、いつも酒に付き合ってくれる親友のサクラが別の騎士団に異動となり早数か月、各国を飛び回り目覚ましい活躍をしているという。
それゆえ休みも不定期で、彼女は先日の天華祭以来、サクラと顔を合わせていなかった。
「おや?」
そんなことを思っていたが為の天の采配なのか、彼女はサクラの後ろ姿を見つけた。
彼女は修練場の端っこに腰掛け、何するでもなくぼうっとしていた。
「サクラか? どうしたそんなところで」
「あら? ウメちゃんじゃない。この間ぶりね~」
相変わらずの間延びした口調にウメは思わず安堵した。
この寝る時以外は誰かの為に働いているようなサクラが何もしないで呆けているという姿は、らしくないと思ったのだ。
まるで、何もすることが無くてどうすればいいか分からないみたいだったから。
「今日、帰りだそうだな。
そちらの部隊の子が気を使って私の方に今日から数日休みだと手紙が来てな」
「そうなの、丁度さっき帰ってきたところなのよ~。
とりあえず緊急性の高い討伐任務は終わったから、数日ほど様子を見て情報を集めるんだって」
サクラが危険な任務を専門とする部隊に配属されたのはウメも知っている。
とは言え彼女は全く、サクラのことを心配していなかった。
親友の実力は自分がよく知っていると自負しているからである。
「……教官殿の部隊はどうだ?」
彼女の様子が普段と違うことを察してか、ウメは初めて彼女の部隊の事ではなくそれを率いる男について尋ねた。
准騎士時代に二人は彼に世話になり、その教えは今も二人に息づいている。
そんな彼に不幸があったということも知っていて、あえてウメはサクラに彼のことを聞かなかったのだ。
「うん、まあ……そうねぇ」
曖昧に笑い、歯切れの悪い言葉をこぼすサクラ。
「何かあったのか?」
「そんなことはないわよ?」
「サクラ、私がお前のことが分からないはずないだろう?」
「ううぅん……」
サクラは不満げのような悔しげのような表情になった。
普段見ない親友の表情にウメも思わず笑ってしまった。
実のところウメにしたってサクラが嘘を言ったかどうかなどわからない。
ただ単に、普段嘘を吐く必要のない人間であるがゆえに、彼女が嘘を吐くのが下手だっただけである。
何でもできるサクラに腹芸の才能が無いことをウメは感謝した。
「実はな、先ほど手紙をくれたと言った子が、最近お前の成績が不調だと教えてくれてな。
励ましの言葉でも送ってくれないか、と頼まれていたんだ」
と、ウメは根拠を述べて見せた。
実際はその手紙は彼女の部隊の複数人から届いていて、いかに部隊内でサクラが慕われているかをうかがわせるものだった。
「そうなの……やっぱり彼女たちには悪いことをしちゃったかしらね」
「いったいどうしたんだ、サクラ?」
彼女の横に座り、彼女に問いかけるウメ。
「実はね……」
と切り出し、サクラは答えた。
要約すると、こんな感じである。
「つまり、お前が支給品を使わないから他の誰かにあげようとしたところ遠慮され、試しに支給品の配られない程度に成績を抑えてみたが、教官殿に察せられて怒られた、と」
ウメの要約に、サクラはこくんと頷いた。
そこまで聞いて、ウメは違和感を覚えた。
サクラは頼まれたって誰かに功績を譲るようなことはしない。
ウメがサクラを目標としているように、サクラも常にウメと並び立てるよう努力しているのだから。
「……教官殿となにかあったのか?」
ウメがそう問うと、サクラは思わずと言った様子で顔を上げた。
図星だったようだ。
「まあ、その、なんだ、教官殿の趣味嗜好は准騎士時代も知れ渡っていたから別に男女の関係では無いとは思うが。
言えない事ではないのなら、話してみるといい。
少しは楽になるかもしれん」
騎士学校で教官をしているのは年若い准騎士ぐらいが好みだからだ、と熱弁していた彼を脳裏に思い出しながら、ウメは言った。
「はぁ、ウメちゃんには嘘はつけないか」
サクラはため息を漏らし、話し始めた。
「あぁ、ウメちゃんのうっすい胸板に顔をうずめて複雑な表情されてぇなぁ」
「あのふわっふわしてそうな髪の毛に絡みつかれて眠りたいですぅ」
「あの細目がどれだけ開いてるか定規で測定してぇ」
「いいですねぇ、ついでに屈んでもらって胸がどれくらい重力に引かれるか試してみてくださいよ!!」
「ちょっと待て!!」
サクラの回想シーンにウメが登場し、場面を紙を破るかのように引き裂き、現実に引き戻した。
「そのッ、場面は必要なのか!?」
「うふふふ、ウメちゃんったら可愛い~」
「茶化すな、全くもう……」
軽くそういうのを挟んで、再びサクラは話し始めた。
その日、害虫討伐を終えて皆が寝静まった頃にリンゴ団長はリンゴちゃんと酒盛りをしていたらしい。
いつも通り猥談に花を咲かせていた二人だったが、今日は別の客が紛れ込んでいた。
「団長さん、あまり飲み過ぎてはだめですよぉ」
それがサクラだった。
彼女の姿を見かけた団長が彼女を誘ったのである。
「わーってるって、そんなことよりサクラ、お前もウメちゃんの魅力について語ろうぜ。
いつかお酒をぶっかけて梅酒ならぬウメちゃん酒をしたいぜ」
「是非とも頑張って谷間を作ってもらって、そこにお酒を注ぎたいですね。
そして無慈悲に垂れ流しになる、と……」
「その時の表情を肴にして飲みたいもんだな!!」
と、二人は頭の悪い会話をして盛り上がっていた。
「もう、団長さんったらぁ。ウメちゃんだって谷間ぐらいあるわよぉ」
多分、とサクラは最後にぼそりと付け加えた。
繰り返される天丼展開。場面脇でウメちゃんがスタンバっていると、ようやくサクラが本題を切り出した。
「どうして団長さんはそんなにおっぱいが小さい子が好きなんですか~」
サクラも酔っていたから、そんなことを口に出来たのだろう。
「うむ、恐らく……」
団長も酔っていたから、こんなことが言えたのだろう。
「――――――母親のせいだろう」
気だるげな表情で、彼はそう言った。
「団長のお母さまですか?」
「ああ、近所では評判の気さくで良い人だった。
頼まれれば雪かきだって手伝ったし、悩み事があれば親身になって話を聞いてあげていた。
色んな人に頼られていて、頼まれごとで忙殺されることもしばしばだった」
「それは素晴らしい人ですねぇ」
リンゴはそう言ってから、団長が全く表情を変えていないことに気付いた。
酔っていても察せるほどに、彼は不機嫌そうだった。
「それが俺にはたまらなく不愉快で、気持ち悪かった」
そう語る団長の目には害虫に向ける殺意とは別の嫌悪感や、侮蔑に満ちていた。
「どうしてか分かるか?
母親は周囲にとっては良い人でも、俺にとってはそうじゃなかったからだ。
母さんは決して自分の失敗を認めない人だった。自分が何か間違っても、決して俺に謝ったりしなかった。
怒りっぽくてすぐにヒステリックになって怒れば手が付けられなかった。
細かい欠点を上げればキリがない。
そう言うところを知っていた俺が、外面だけは良い母親の姿を見てどうして誇れるっていうんだ」
リンゴは少なくとも、女性に対して彼が不平不満を純粋に語るのは初めて聞いた。
団長も、酔っていたからそんなことを言ったのだろう。
普段の彼が決して口に出すような話ではなかった。
「大嫌いだった。あの人は自分の頭の中に独自の理屈があった。
俺が理論的に話しても、その理屈や感情で物事を判断するあの人が心底理解できなかった。
だからこそ俺はまともに育った。それだけは感謝してるよ、本当に」
そう言って団長はグラスを呷った。
「なあサクラ、お前があの人と違うのはよく知ってるよ。
あの人は外面の為に、そうしないと生きていけないからそうしていた。
でもお前は単純に他人の為に尽くすことを喜びとしている。
身勝手で嫉妬深い俺は、最初はその差が理解できなかったんだ。昔冷たく当たって悪かったなぁ」
サクラはそこで忘れていた昔のことを思い出した。
教官時代の彼は、准騎士時代の自分に妙に冷たかったことを。
そんなこと忘れるくらい、彼女にとってどうでもよいことだったのだったのだが。
「気にしてませんよぉ、団長さん」
「本当か? 本当にか?
別の部隊からいっぱいサクラ寄越せってラブコールされてるけど、行っちゃわない? 行っちゃわない?」
「行っちゃいませんってば~」
「うう、ごめんよサクラぁ、こいつ将来おっぱいデカくなりそうだからって今のうち頂いちゃおうなんて思っててごめんよぉ」
「……」
それはちょっとどうかと思ったサクラだった。
「つまりですね、団長さんの貧乳好きは嫌いだったお母さまの胸が大きかったからだと?」
リンゴちゃんが真顔でそう締めくくった。
「ああ、そうだな……うん? 言われてみればそこまで大きくなかったような。
あれ、言われてみれば全然大きくなかった気が……」
こうして話にオチが付くのであった。
「つまり、お前は自分の善意が他人から見て外面の為にやっているように見られたのがショックだった、と」
ウメは彼女の話を簡単に要約した。
何とも贅沢な話だと、彼女は思った。
サクラは大抵のことを手際よく終わらせてしまう為、余った時間を他人の為に使える。
要するに、夏休みの宿題を初日に終わらせてしまうので、残りを奉仕活動やその他諸々に充てているだけなのである。
ウメからすればその残った時間は研鑽を重ねてサクラに追いつく努力をする時間なのだから。
実のところ、サクラが彼だけでなく一定数の人間からそういう風に見られていたのを、ウメは知っていた。
サクラの目の前で面と向かって言うような輩こそ居なかったが、ウメはサクラの陰口を何度か聞いた経験があったのである。
悲しいことだが、人間の善意は必ずしも受け入れられるものではないし、伝わるものでもないのだから。
「分かってはいたのよ、でも何だか自信無くしちゃった……」
「サクラ、気にすることはない。
周りがどう思おうと、それは周囲の勝手なのだから」
最近サクラがブロッサムヒルをよく開ける為、彼女がよく行く孤児院に代わりに行くことも多かった。
彼女の部隊から手紙を出してきた子たちからしてもそうだ。
いかに彼女が慕われているか、一目瞭然だ。
この程度のことで彼女が折れるとは思わないが、励ますくらいは構わないはずだろう、と彼女は思っていた。
「私もこういうことを気にするのは初めてだったわ。
だけどああして酒の席で本音で言われちゃったらねぇ……」
サクラは顔を俯かせて、こう言った。
「ねぇ、ウメちゃん。
やっぱり私は昔の方が可愛かったのかしら……」
「……うん?」
ウメは一瞬彼女が何を言ったのか理解できなかった。
「ウメちゃんは今も昔も可愛いから羨ましいわぁ」
「いやいや、私なんかよりサクラの方がずっと、ってそうじゃなくて……」
ウメは思った。そっちか、と。
あの長い前振りはなんだったんだ、と。
「もしかしてサクラは教官殿に、その、あれだ、
「それは無いわ。でもあの人と話すことは公の場でのことか、おどけて茶化されるくらいなものだったから。
彼の好みのタイプじゃないのは分かっているけど、昔の方がよかったと言われたら、女として複雑な気分になるでしょう?」
「それはまあ、確かにな」
ウメだって知人から、昔の方が可愛かったね、と言われたら微妙な気持ちになる事だろう。
しかも冗談ではなく軽く酒が入った状態の本音で。
「それにこの前、こんなことがあったの。
私の所属する騎士団はほら、大きな騎士団で部署ごとに団長さんが居るんだけど、そのうちの一人に後輩のアイビーちゃんみたいな口調で話す団長さんが居るんだけれど……。
彼、私のことを何て呼称したと思う?」
「……さあ、想像もつかない」
一体なんて呼ばれたのだろうか、逆に気になるウメだった。
「禁断の果実頂きし血吸い桜……」
そっとウメはサクラから目を逸らした。
少しだけ格好いいと思ったのは内緒である。
当人からすれば、リンゴ団長の部下のサクラさん、みたいな意味合いなのだが、それを初見で察せよというのは酷な話だった。
「私って、そういう風に思われてたのかしら……」
なんというか、ウメはそう言うところはサクラらしいと思った。
彼女は少しばかり天然の気があるのだ。
「そんなことより、今日はさっさと寝て英気を養ったらどうだ?
孤児院の子供たちもサクラが来るのを心待ちにしているぞ」
「……そうよね、切り替えていかないとダメよね」
パン、と顔を叩いて気持ちを切り替えるサクラ。
これならわざわざ相談にならなくても大丈夫だったかもしれない、と思うウメだった。
サクラを先に帰らせ、引き続きウメが夜の散歩を楽しんでいると、
「お、おやぁ、ウメちゃんじゃないか。奇遇だなぁ」
彼女は見知った顔と出くわした。
「教官殿、お久しぶりです」
「いや、もう俺って教官じゃないんだけどね……」
軽く会釈をするウメに、少しだけ寂しそうにリンゴ団長は言った。
「教官殿もサクラを心配してこちらの方に?」
「あ、うん、いや、なんだか最近元気なさそうだったし?
ちょっと酒の勢いで嫌なこと言っちゃったからかなぁ、なんて……」
「サクラは気にしてませんでしたよ」
「あ、そう……いつもウメちゃんには迷惑かけるね」
「慣れたものです」
恥かしげに頭を掻く彼を見て、ウメは少しだけ准騎士時代を思い出した。
彼もウメも、昔からサクラの周囲を引っ張るパワーには敵わなかった。
「ウメちゃん、これから一杯付き合ってよ。
美味い焼き鳥屋見つけたんだ」
「それではご相伴与らせてもらいましょう。
ああ勿論、少しだけですよ?」
「まあ大丈夫だって、飲み過ぎてもそっちの団長には俺から言っておくからさ。
丁度、俺の補佐官を待たせてるんだ、紹介してやるよ」
二人は並んで、未だ明りの灯る町の中へと消えて行った。
そんな感じで、今日もブロッサムヒルの夜は更けていくのだった。
デルちゃんのピックアップ・・デルちゃん欲しい。
でもどうせ出ないちゃん・・。ランタナ・リシアンサス・デルフィニウムのやかましい部隊作りたいなぁ。