第41話 狂愛◆
屋上はやはり風が強い。揺らぐライターの火を手で覆って風から守りながら、俺はようやくいつもの日課を始めた。
一息吸い込めば爽やかなメントールの香りが口内から鼻腔へと行き渡る。そして紫煙を宙に向かって吹きかけた。
「あー、うめぇ」
『不味ぃ。本物が吸いてぇ』
生温いプラスチックベンチに腰かけてロビーから拝借してきた新聞を広げる。
「ヒーロー殺し逮捕か。やっぱ一番はこれしかないよな」
当然のように一面の話題はこのニュースだった。保須市の商店街にて高校生4人が居合わせたところにベテランヒーローが2人駆けつけ逮捕に至ったものの、高校生たちを庇ったヒーロー、ネイティブが殉職しその他民間人2人も犠牲になっている。
『ふざけんなこの俺の華麗な活躍が一番のハズだろ?! 節穴かよ。マスコミはやっぱ糞だ』
「世を忍ぶ俺がニュースなってどうする。姐さんに迷惑がかかるだろうが」
『いーや、忍び過ぎてんだよ俺たちは。目立って宣伝するべきだ!』
そしてヒーロー殺しと同時に保須市に現れた4人の敵も大きな話題に挙がっている。脳味噌がむき出しにした姿の
幸い現場にはエンデヴァーを始めとしたヒーローが多数駆けつけていたこともあり、今のところ死亡者は確認されていない。ただし重軽傷者は多く、確認できているだけでも91名でありまだ増える見通しであるとのことだ。
また
「あー仁くんここにいたー。いけないことしてるんだー」
起き抜けの猫のような間延びした声がした。振り返ると艶やかな黒髪の左側だけアップ気味のサイドテールがそよぐ風に揺れていた。
「やー、ツナちゃん。今日もいい天気だね」
『徹夜明けにこの日差しはないぜ。最悪だ』
「あーそうやって話ごまかすんだ。いけないんだ。タバコはねー、健康に悪いんだからめーなんだよー」
俺の大事な清涼剤をとりあげようと彼女は手を伸ばすが、俺が頭上に掲げてしまえば130㎝ちょっとぐらいであろう彼女の小さな背では決して届かない。
健気にぴょんぴょん跳ねる姿が年相応でなかなかに愛らしい。もう数年すれば彼女の姉のようにたわわな胸部が激しく上下運動するのだろうが、今は悲しいことに揺れるものがなにもない。年相応といえばそれまでだが。
「休憩は咎めませんが、全く貴方という人は……あれだけタバコは強く禁止したというのに。しかもこの病院は全面禁煙ですよ。
「あー
リンちゃんも屋上へ上がってきたようだ。双子のツナちゃんとはサイドテールの向きが逆なこと以外は全く同じ顔のハズなのに、リンちゃんの方が若干目力が強く目元と眉尻が吊り上がっているように見える。対してツナちゃんはゆるみ気味の口元とまんまるに見開かれた特徴的である。この二つは性格が表情に出るいい例だ。
「これはタバコじゃないって。前にも言ったでしょ100%ハーブなの。超合法で市販のヤツ」
「景観と教育に良くありません」
猛禽のように睨むその瞳からは一歩も引く気配が感じられない。俺の負けだ。俺は渋々とポケットから携帯灰皿を取り出し、火を消してから吸い殻をねじ込んだ。
「ぐすん、俺の唯一の楽しみが……」
「仁くん、昨日がんばったからペロちゃん1個あげるねー」
「ありがとう。超嬉しい」
『何だ。飴かよ』
舌を出した少女が描かれているパッケージを引っ張り、オレンジ色の棒つきキャンディを取り出す。差し出しておきながら当の彼女は物欲しそうにこちらを見つめている。もしかして最後の1個だったのか?
「食べる?」
「食べる!」
ぱくりと食いついた彼女は満面の笑みで「ありがとー」と俺に言う。まぁ元はツナちゃんのだったけどな。可愛い笑顔を見れたからそれでいい。
「トゥワイス、貴方ちゃんと寝てないでしょう」
「そりゃぁこれだけ急に人が減ったら、俺がその分頑張るしかないじゃん」
「未だに連絡が取れないものも数名いますし、本当に貴方のおかげで助かりましたよ。ですが疲労は業務の非効率化に繋がります。少し休みなさい」
俺の隣に腰かけて自らの膝を叩くリンちゃん。これはもう、つまり……いいんだよな?
「仁くん膝枕いいなー」
「いいだろー?」
昨日は燃える街の中を駆け巡って自警団として救護所まで避難に遅れた人たちを運びまくり、病院に戻ってからは腕利き緊急医を俺の個性で増産して神様のオペを連発してみせた。間違いなく昨日のMVPは俺だという自信はあったし、こうして超絶黒髪美少女からご褒美を頂いていることに何の不思議もなかった。つまりはロリっ子最高!
『ガキだと肉感が足りねぇ、痛ってぇ?!』
「全然痛くねぇよ」
額に軽くデコピンを当てられた。
「
リンちゃんは俺の頭を撫でながらロマンチックの欠片もない言葉を、ため息と共に吐き出す。
「倫音はまたむずしーこと考えてる。お友達が増えるならそれでいーんじゃない?」
「貴女は気楽で良いわね。私も少し休もうかしら。下は警察とマスコミでややこしいことになっていますし」
「だよねぇ。私も逃げ出して来ちゃいました」
「やぁトガちゃん、君もサボり?」
「そうですよ。私もちょっと疲れちゃいました。大体山場は超えましたしいいですよね?」
「あと10分でみんな持ち場に戻りますよ。いいですね?」
「やったぁ!」
「あと10分も膝枕天国、天使だ!」
『……地獄だ。悪魔の間違いだろう』
ぴっちりと張り付いた看護服がトガちゃんに良く似合っている。指を組んだ状態で掌を外へ向け、両腕を前方に伸ばす動作をする彼女の突き出されたお尻には、くっきりパンツラインが浮かび上がっていてちょっとだけエロい感じだ。
「それにしても倫音ちゃん、いつもは事務のお手伝いだけなのに昨日から人使い荒すぎです。私も仁くんみたいにご褒美を要求します」
「ご褒美ですか。まぁたまには甘やかすのもいいでしょう。貴女も日頃から良くやっていますしね。被身子、何か希望はありますか?」
その言葉にトガちゃんの顔つきが変わった。眼球が目まぐるしく動き、視点が定まらない様子だ。頬は紅潮し、薄く広がる唇の隙間からは鋭い犬歯がきらりと光る。
「えへへ、実は巡理ちゃんのね、血を多めに採血してきたんですよ。だからちょっとだけ、一口だけでいいからチウチウしていいですか?」
「それはめーだよトガちゃん。お姉さまは“いのちのきょーかい”を超えたんだから。それは大事なさんぷるなんだよー」
「珍しく
リンちゃんはサラリと提案したつもりだったのだろうが、トガちゃんの反応は苛烈だった。
「いいんですか? 本当にいいんですかぁ?!」
「えぇ。前言は撤回しませんよ。でもお姉さまの血は貴重ですし、情勢を読む必要もありますから使い時は少しだけ待って下さいね」
「うん、待つね! ちゃんと待てるよ私! 倫音ちゃんありがとう!」
「ど、どういたしまして?」
「トガちゃんよかったねー」
「繋ちゃんもありがとう」
クルリとその場でターンして小躍りするトガちゃんはノリノリだ。リンちゃんはテンションの上がり具合に若干引き気味な様子だがツナちゃんはどこまでもマイペースだ。
「あのときの巡理ちゃん血がいっぱいでとってもカァイイ感じだったなぁ。背も高くてスタイルも良くて羨ましいなぁ。良い感じに染まったお揃いのスーツも着てみたいなぁ。ウサギリンゴ私も食べたかったなぁ。私が剥いてあげたら食べてくれるかなぁ。恋バナもいっぱいしてみたいなぁ。あの男の子のことが好きなのかなぁ。あの男の子にしてたみたいにチウチウしてみたいなぁ。どんな味がするのかなぁ。巡理ちゃんいいなぁ。同じになりたいなぁ。心も、体も、命も、みんなみんな、巡理ちゃんと一緒になりたいなぁ」
「たのしそーだね、トガちゃん。繋も一緒におどるー!」
「うん、一緒に踊りましょう。あぁ、想像するだけでも楽しいねぇ」
次第に微睡に落ちながらも俺は嘗ての糞ったれな日々を思い出す。
それと比べて今はどうだ?
きらきらと輝く笑顔と楽しげな声に囲まれて。
しかもこんな俺を包み込んでくれるこの手の温もりが傍にあって。
ひと昔の前の俺にはひとかけらさえも想像ができないほどに恵まれた、夢物語みたいな日常だ。
この日常の先には俺が一人に戻れる、俺が俺であることを許される世界が待っている。
なんて
俺だけじゃない。皆はもっと救われるべきだ。
俺を包み込んでくれる彼女たちと一緒だったら、俺はなんだってやれる。
看護師さんごっこでも、ヴィジランテごっこも、ちょっとしたスパイごっこだって。
洗礼名トゥワイス。この名にかけて俺は全てを捧げよう。
「
× ×
「ヒーロー殺しもザマァねぇな。あれだけ啖呵切ってヒーロー1人と一般人2人ってしょぼすぎだろ!」
上等なウィスキーのロックを煽りながら
「ですが脳無の扱いの方が少し小さいのが気になりますね。ラブラバ、あなたはきちんと仕事をしているのですか?」
「しているわよ。だからこそTVや新聞での扱いがこの規模で済んでいるんでしょうが。主な通信網は物理的に破壊して、残ったところを私がハッキングで殆ど情報封鎖していたんだから情報が出回る余地があるわけないじゃない!」
死柄木の腰巾着の黒霧がネチネチと嫌味を言ってくるものだからちょっと怒鳴り気味で返してしまった。私は完璧にやったわ。伊達に徹夜していないわよ。
「そう言われれば少しは理解できないこともありませんが、封鎖するだけでは意味がないでしょう。先ほどから編集しているその動画はどう使うおつもりですか?」
「物事にはバズる、炎上するタイミングってのがあるのよ。そのタイミングは決して今じゃないわ。それに情報というのは出回った瞬間から価値が劣化するのよ。取引材料にもいくつかは使うんでしょう? それなら少なくともこの2つはしっかりと切り札としてとっておくべきだわ。特にこっちは世界そのものが変わるかもしれないのよ?」
「ラブラバ、やっぱりお前を引き込んで正解だったよ。これでゲームの概念自体が変わった。何もオールマイトやエンデヴァーを倒すことに固執する必要はない。
チンピラたちと脳無1体を連れて雄英に乗り込んだ挙句、入学したての生徒たちに追い返された程度の幼稚な思考から死柄木は既に脱却している。
アイツがやっているのはトランプで例えるなら大富豪の革命と下剋上だ。雑に強いカードで戦うフリをしながら、その水面下で革命に必要なパーツを1枚ずつ揃えていっている。
「人を支配するのに必要なのは金、権力、情報、武力、そして命を握ること。既にそのうちの2つの情報と武力はアドバンテージがあるし、3つ目の命に関しても足掛かりを得た。それにこれで先生が戻って来れるようになれば権力だってついてくる」
「えぇ、先生が戻ってくればもう何も恐れるものなどありません」
「あぁそうだな。だから今はアイツらに俺たちのことを愉快犯とでも思わせておけばいい。ただ俺たちの存在だけを世間に仄めかしておく。それが絶対に後で活きてくる。そして一気にカードをヒーローたちに突きつけてやるのさ。あのオールマイトやエンデヴァーの絶望する顔が見てみたいぜ。ハハハッ!」
「そんなに上手くいくのかしら。怪我人が多数出たから案の定、
前回の襲撃計画の稚拙さから世間は完全に騙されているけれど、今回の事件は一般人やヒーローを傷つけるのはあくまでおまけの目的だ。
“多くの人々を傷つけること”で、あの宗教かその派生組織のどちらかと考えられる
『ヒーロー殺しの被害者以外の死人が出てなくてよかったですね』なんて言っているTVのコメンターたちの毒にも薬にもならない意見が今も目の前で流れているけれど、本当にバカバカしくてたまらない。
「ですが確かに効果はありました。数年前から治癒系個性の持ち主の失踪も後を絶ちませんし、エンドレスの娘の起こした奇跡や、その背後組織のことを鑑みればある程度その効果の信ぴょう性は憶測はできます」
「複数人の血やDNAが混ざっていたんだっけ。しかも薬ごとに配合もてんでバラバラ。まるで脳無みたいね」
「あなたもそう思いますか。私もそうです。ですから私はこうも思うのです。脳無の製造ノウハウを持っている我々が大本を掌握すれば、更に効能が上がるかもしれないと」
「その考えはなかったな、よく言ってくれた黒霧。それは充分に可能性があるな。確かに副作用のばらつきも個性由来と考えれば納得が行く部分も多い」
「今回鹵獲したヒーローたちの改造と並行して、この視点からの
「あぁ。頼んだぞ。そういや黒霧、そろそろ面談の時間じゃないのか?」
「えぇ、そろそろですね。まずは私の方で彼らを見極めてきます。仲間にするか、餌にするか、ね」
死柄木のほうではなく、ギロリと私の方を強く睨んで、黒霧は言う。つまりアイツは再び私を脅しているのだ。
「絶対に、この仕事はやり遂げるわ。だから早くジェントルを返しなさいよ! あんなところじゃ彼がかわいそうだわ」
「ダメだな。アイツの個性は中々に使い勝手がいいから手放すには惜しい。先生のちゃんとした返事があるまでは保留だ。だがまぁそうだな、今回の情報を使ってある程度の結果を残せたらもう一度アイツに合わせてやる」
顔面に張り付けられた手の向こう側にある捻じ曲がったその口を、二度としゃべれないようにナイフで切り裂いてやりたい。
「本当なのね? わかった。必ず最高の結果を出して見せるわ。だからそれまでジェントルは大事に扱ってね」
堪えなさい。今は雌伏のとき。
私が頑張っている限り、ジェントルは餌にされない。
「勿論だとも。だからせいぜい励むことだな」
そう言い残して死柄木は自分の部屋の方へと帰って行った。
「……絶対にいつか殺してやるわ」
だけどそのために、今は耐え抜いて、耐え抜いて、こいつ等の信頼を勝ち取るのよ。
そして
下唇を噛みしめ、タイピングのスピードをより一段階あげる。
じわりと口に広がるのは生臭い私の血の味。
爽やかな紅茶で口の中を洗い流してしまいたい衝動に駆られるけれど、今の私には紅茶を飲む資格はない。
紅茶を飲むのは2人一緒でじゃないと何の意味もない。
彼が帰ってきたらあのゴールドティップスインペリアルを飲みに行こう。
その日が来ることを糧にすればこの屈辱の日々だって耐えられる。それにジェントルの方が絶対辛い眼にあっているんだ。
「愛しているわ。ジェントル」
いつか絶対に救けるから待っていてね。
まずは第二章の答え合わせ。
実は敵連合しっかり計画通りでした。
オリジナルルートに寄っていきますが、できるだけオリキャラは増やさない方向で組み立てています。原作世界と立ち位置が変わった人物が多めになっていますので、そのあたりもお楽しみいただければ幸いです。
毎度ながら感想いつでもお待ちしております。
【挿絵表示】
3章スタートにつき表紙絵変えました。
これに人数追加していきたいと思います。