「悔しいな……」
ふと気づくと言葉が漏れていた。きっと今の僕は集中力にかけていたのだろう。
『頑張ってね。デクくん』
今にも泣きそうな充血した瞳で、そう呼びかけてくれた彼女。いつもより僅かに高かったその声が、観客席から舞い降りる声援をかき消すように僕の脳内を埋め尽くしていた。また、だ。何も出来ない無力さが胸を締め付ける。
『どーんと、行ってこい!』
『うん、勝つよ!』
麗日さんとすれ違いざまに突き合わせた右拳が少しまだひりついた。
第一、第二種目ともにあれだけ活躍し期待されていた中、瀬呂くんとの戦いでの完膚無きまでの一方的な試合。悔しいなんてものじゃなかったはずだ。でもそんな素振りを見せること無く麗日さんは僕を笑顔で送り出してくれた。多分その理由はきっと――――
「笑顔は最強だ」
目を見開き、真っ直ぐに前を向いた。集中しよう。
「その気持ち悪りぃ引きつり笑いは止めろ。クソナード!」
鋭い八重歯を剥き出しにして、かっちゃんはそう叫んだ。
「クソナードなんかじゃない。僕は、デクだ!」
これまでの戦いと違って、麗日さんも、飯田くんも、猪地さんも、心操くんも居ない。かっちゃんと一対一で向き合う機会をようやく得ることが出来た。君と対等に並ぶために、この戦いは絶対に負けられない。
それに勝たなきゃ、さっきの約束を破ることになってしまう。
「ふん、粋がんなよ。このクソデク!」
無造作にジャージを脱ぎ捨てたかっちゃんは、見るからに全身汗塗れだ。スロースターターというかっちゃんの数少ない個性の弱点。それを突くための速攻をプランの一つとして考えていたが、すぐさまそれは脳内で破棄する。
「準備は万端ってわけか」
轟くんや猪地さん相手にではなく、僕に対してここまで入念に用意をしてきたという事実に、嬉しいような気持ち悪いような不思議な感覚をふと抱いてしまう。
「最初っから全力で叩き潰してやる。何だ、てめェその呆けた目つきはよっ?!」
ドスの利いた声が鼓膜に突き刺さる。そして僕が口を開くよりも早く、かっちゃんは言葉を連ねてきた。
「俺が負けた敵をてめェはふっ飛ばした」
それは僕の力だけじゃないよと言おうとしたが、ここは口を噤む。
「てめェだけじゃねぇ。デカ女とクソメガネには言われたい放題、挙句の果てには普通科のモブにまで出し抜かれた」
有無を言わさぬ強い眼光が更に鋭さを増していた。
「あの日から俺は傲るのを止めた。だけどそれは俺じゃねぇ。だから俺は
君に認められたい。君と並びたい。ずっとそう思っていた。だから――――行くよ。かっちゃん。
「嫌だね」
「アァ?!」
端的な言葉で、煽る。万に一つでもいい、かっちゃんの集中を僅かにでも削げる可能性があるのならやるべきだ。
『さぁ今から白熱の2回戦初っ端から注目のカードが揃ったぞ! 俊足の緑谷VS空中戦の爆豪だ! 準備はいいか?』
猪地さんから教わった、力の引き出し方のコツを模倣する。家電製品みたいにスイッチをオンオフするんじゃない。僕の中にある巨大な給水タンクから蛇口を僅かに回して、水を絶えることなく流し続けるイメージだ。そう、僕の両足を常に水で濡らし続けるように。
「“
敢えて得意の右の大振りで来るか、中距離爆撃で距離を取るか。もしくは、アレか。かっちゃんがどんな策で来るとしても、僕がやるべきことはただ一つ。
『START!』
その掛け声とともに上へと全力での跳躍。右腕で両目を覆った状態で、だ。
『マブシーっ! 俺はサングラス掛けてるからいいけど、A組はやたらと目眩まし好きだなぁ。俺の予備、意外と似合ってるじゃんイレイザー』
『その目眩ましでアイツらは命拾いしているからな。視覚の重要性を身を以て感じているからだろう』
用心していて良かった。アナウンスがなくとも腕の隙間から漏れてくる光の量からして間違いない。常闇くんとの戦いで見せたスタングレネードもどきか。いきなり目を潰されたら為す術もなく終わる所だった。
『相変わらず緑谷は読みが上手いな。前の試合から最悪を想定してきっちり腕でガードしている……そろそろ外してぇ』
『だが次はどうでる緑谷、空中戦を挑むつもりか?』
プレゼントマイクの言う通り、空中戦はかっちゃんの領分。すかさずかっちゃんも追撃を掛けてくるはず。ほら、爆発音が近付いてきた。出し惜しみは出来ない。目を覆っていた腕を外し、人差し指を構える。
下半身でこれだけ使えるようになったんだ。ぶっつけ本番だけど指でもやれないはずがない。
だけど今度は3%じゃ全然出力が足りない。蛇口を半回転回すイメージ!
「SMASH!!」
かっちゃんにじゃない。地面に向けてソレを放つ。
痛い。けれど今までみたいにぐちゃぐちゃに折れてはいない。多分筋肉断裂と骨にヒビが入った程度で済んでいる。
その痛みで得た対価は大きいはずだ。オールマイトほどじゃないけれど衝撃波を利用して、かっちゃんよりも更に上空へと僕の身体は舞い上がった――――きっちりと太陽を背にして。
もう、一撃だ。次は空へ。
「い……っけぇえっー!」
ヒビの入った人差し指を砕ききる。その反動でっ!
『ここで緑谷の渾身のドロップキックが炸裂……しねぇええ?! なんつー反射神経してんだ爆豪。あの距離で爆発を利用してギリギリの回避。まさにセンスの塊だー!』
あとコンマ2秒ほどの差だった。でもその刹那にかっちゃんは見事な対応をやってのけた。少なくとも直前まできっちり入ると確信してしまっていただけに、そのショックは大きい。
右手の爆発を回避のため水平に打ち出した直後、左手の爆破の余波で僕の落下軌道に修正を掛け、場外コースへと誘導するまでやってのけた。以前より彼に近付いてきたからこそ改めてかっちゃんのセンスには脱帽するしかない。本当に凄すぎる。
観客席に衝撃波を打ち込むわけには行かず、中指でのスマッシュを斜め上空に放ち、何とかリングへと着地する。
受け身をしっかりとったけれど、最初のスマッシュで抉れた地面だ。ジャージが、皮膚が、ガリガリと剥き出しのコンクリートに削ぎ落とされる。でも
『怒涛の絨毯爆撃。爆豪、上空から一方的な展開だー!』
「これで、くたばりやがれぇー!」
容赦のない爆撃の雨あられが降り注ぐ。勢いを増す威力。かっちゃんは本気も本気だ。
「くたばる、もんかっ!」
足の出力を4%に上げて、何とか致命傷
限定発動を5%に上げて回避を試み続ける。鈍くなる痛覚と反比例していくかのような、
『でもちょっと爆豪の動きが単調な様子だ。怒りで我を忘れたか? 確かに見栄えのする大技は多いが前の試合の方が色々と小技を見せていた気がするぞ?』
『我を忘れてなんかいないさ。アイツはアイツなりに慎重に戦っていやがる。上空から近づかないのも、緑谷の機動力と読みを舐めていないからだ。緑谷はカウンターや奇襲が上手いからな。それに大技が増えた分上下にしか爆発を繰り出してねぇのに気づいたか? セメントスが居るとはいえ、審判や観客席に余波が行かないように、気を使ってるんだろう』
『なーるほど。意外と細かい男なのね』
20秒にも満たない僅かな時間の攻防でもどんどん地形は歪になっていく。受け身を取るにしろ、ステップを取るにしろ、足場の状況は悪くなっていく一方だ。
そして足場だけでなく視界も爆炎と破片でどんどん悪化していく。だけど、それはかっちゃんも同じだ。仕掛けるなら、ここしかない!
「SMASH!!」
自ら足元に向かって衝撃波を放つ。幾つものコンクリートの破片が上空へと舞い上がる。この状況を利用するしか僕にきっと勝機はない。
イメージするべきは、あの日の勇姿。それを模倣するには、
「きっとやれるはず。やるんだ!
出来た。全身に静電気が走ったような感覚が駆け巡る。きっちり5%の力が循環しているという実感。これならやれるぞ!
かっちゃんが舞い上がる破片を掻い潜って、追撃を掛けてきた。僕が何を仕掛けてきてもねじ伏せてやるぞと言わんばかりの、鬼気迫るという表現がまさに似合う形相だ。
だからこそ、このタイミングはきっと、右の大振りっ!
そう確信を持って僕も討って出る。雄英入試の実技試験で飯田くんが僕を助けてくれたときのように、舞い上がる瓦礫を足場に駆け上がった。
二つの瓦礫、たった三歩分の跳躍。でもその最小限の動きで十分だ。
「獲った!」
無防備な背中を晒すかっちゃんの首に右腕を回す。もう限定発動――――改め、フルカウルのパワーは必要ない。ワン・フォー・オールの起動を解除し、自分自身の筋力で勝負だ。
地面まであと約2メートル。このままかっちゃんを下敷きにして地面に叩きつけたいけれど、そんなことを許してくれるほどかっちゃんは甘くない。
「うぉおおおおっ!」
『背中を獲った緑谷、頭突きってそりゃマジかよ。おい?!』
一瞬でも頭を揺らして視界と判断を鈍らせれば充分。
「ッて?!」
そのままかっちゃんは僕の重みごと地面に叩きつけられたけれど、きっとすぐさま爆発で僕を振りほどこうとしてくるだろう。
ここが正念場だ。
抜群の目と反射神経で躱されるなら、見えないところから一瞬で迫って密着して極めれば良い!
危険性の少ない意識の落とし方、無力化のコツはきっちりと猪地さんに教わった。
「やったれー緑谷くん、爆豪をぶっ飛ばせ! ブートキャンプの成果を見せるんだ!」
頸動脈を圧迫する腕に力を込め始める。
「負けるなーデクくん!!」
「諦めんな爆豪! お前しか合法的にリア充どもを潰せる奴がいねぇんだ!」
残る問題は――――歓声をかき消すかのような爆発音。音なんて生易しいもんじゃない、衝撃波そのものだ。僕の腕と頭部に直接爆破が撃ち込まれている。流石に破壊力は対人用に抑えられているとは言えどもその威力は絶大だ。
「デクっ!?」
「絶対にっ、倒れるもんか!」
あぁ、倒れてたまるもんか。本気の脳無にやられて瀕死になったかっちゃんは、身を挺して盾となってくれた砂藤くんや切島くんは。
そしてあの日、僕たちの代わりに死んでしまった街の人たちは、もっと痛かったはずなんだ。だから、こんな痛みなんてっ気にするな!
ここからきっちり耐えきれれば僕の勝ちだっ!!
「…………く」
抵抗する力も爆発も力が弱まってきた。
僕も爆発で脳を揺さぶられ続け、次第に視界がもう定まらない。
あとは筋力と根性の勝負。負けるもんか。
腕に込める力を――――あれっ、今何秒……………………?
「俺は上に行くぞ。デク」
× ×
鼻につく消毒液の匂いと、未だに焦げ臭い髪の匂いが僕を現実へと引き戻す。
視界にはアチコチに巻かれた包帯と絆創膏だらけの自分の身体。そうか、僕は負けたのか。
「デクくん?! もう起きたん?!」
「良かった。一時はどうなるかと思ったぞ」
みんなの視線が僕に集まる。どうやらここは出張保健所で、無様に僕はベッドに横たわっていたらしい。
「心配かけてごめんなさい」
握り締めてくれていた麗日さんの柔らかな手の温もりを、飯田くんの呆れたようなメガネのズレを直す仕草を、そして何より猪地さんとリカバリーガールの最高の笑顔を、僕はきっとこの先一生忘れることはないだろう。
『修羅の如く』
そんな小難しい形容詞を、僕が人生で初めて使った瞬間だったと思う。
かっちゃんに対しての気持ちの整理よりも先に、猪地さんとリカバリーガールを全力で宥めてくれた飯田くんとオールマイトこと八木さんにどうお詫びしたら良いのかを麗日さんと考える羽目になってしまった。
本当は麗日さんを励まさなくちゃいけないのに、気を使われてばっかりだ。
強くならなくちゃいけない。それはヒーローを目指すものとして当然のことだ。でも、もっと精神的な所で寄り添えるような、支えになってあげられるような人にならなくっちゃいけないと改めて思った。
「…………結局まだまだ、ってことか」
「私たち、ちょっと調子にノッちゃってたね」
モニター映るみんなが活躍する姿を二人で見ながら、総括するとそんな所に落ち着いた。
「焦らず頑張ろっ!」
「うん」
そう明るく振る舞う麗日さんに同調して返事をする僕。
僕が泣くわけにはいかない。麗日さんが泣くのを我慢しているんだ。
笑わなきゃ。受け売りとはいえ、そう彼女に教えたのは僕なんだから。
けれども、そんな悠長なことを言っていられるのは本当に僅かな期間だけだった。
――――変革の波が、もうすぐ押し寄せて来る。
フルカウル習得するも届かず。1-A全員が正史よりも早熟になっていますので、緑谷くんの覚醒&修羅化よりもかっちゃんの執念が上回った形です。
この試合結果のため轟くんのオリジンは違う形に変化します。