3日目、旅館の布団の中で目を覚ました俺はまたも記憶が曖昧で。
「見知らぬ天井だ」
などと天丼していた。
「あ、先輩。おはようございます」
隣の布団で寝ていたいろはが声をかけてくる、なるほど俺はこいつと旅行中だったと思い出し布団から這い出る。そんな俺の姿は、ドアを境界に公然わいせつとなるような格好だった。
…ま、まあそういう雰囲気になっちゃったってことで、許して。
旅館の朝ごはんをいただいたあと、またも俺達は電車を使い、金沢駅を通り過ぎて、加賀へと来ていた。
月うさぎの里という、たくさんのウサギが放し飼いされている施設へと訪れる。そこには確かにたくさんのウサギがいて心がぴょんぴょんした。普段の疲れはノーポイッ!して楽しもう。
「先輩、ほらほら!かわいいですよ、うさぎ」
そう言ってウサギを抱くいろは。あの、お願いですからそこのベンチに座って抱いてくれませんか?しゃがんでると、その、あんたミニスカだから…。見えてる、可愛らしいおパンツが。
俺が目を逸らし、その事に気づいたいろはは顔を真っ赤にしてくてくベンチに歩いて行き、ちょこんと座る。俯いて無心でウサギを撫でているのを見る限り、普通に恥ずかしかったのだろう。なんだそれ、可愛いなお前。
隣に座り込みぼーっとしていると俺の足元に一匹来た。そいつを持ち上げ膝に置き体を撫でる。ピンとしていた耳は後ろへ倒れ、気持ちよさそうに目を閉じた。
「こんな感じなのかな…」
ふと聞こえたいろはのひとり言の意味を理解するのに数秒かかる。
なんですか、あんた双子でも産みたいんですか。頑張ります。
「いやー、癒されちゃいましたね」
「ああ、どの子も可愛かったな」
「先輩顔がニヤついてます普通に気持ち悪いです3M以上離れてください」
酷い。そんなことを微笑みながら楽しそうに言うもんだから、怒る気にもならない。橘純一、お前の気持ちがよくわかるぞ。七咲との会話ってこんな感じなんだろうな。
俺達は月うさぎの里内で軽食をとったあと早めに今日の宿へ向かっていた。今日の午後から合流する人たちとの待ち合わせがそこだからだ。
石川にはたくさん温泉街があり、ここがなんて名前なのか分からんが、周りに看板がある。どうやら『花いろ』の聖地らしい。
調べてみると加賀よりの金沢にあるらしい、結局金沢に戻ってきたか。
「ヒッキー!こっちこっち!!」
遠くに二つのメロンと絶壁と二つのスイカと輝く笑顔と八重歯が見えた。ぶっちゃけ左から由比ヶ浜と雪ノ下、平塚先生と戸塚、さらに小町である。
全員昨日まで何かしらの用事があったらしく、だったら現地集合で一泊しようという話になった。
「みなさんお久しぶりですー」
いろはが小走りで戸塚たちのところへ行ってしまった。その際に荷物を放置され、俺の右には荷物が取り残されていた。置いてっていい?流石に自分の分で両手いっぱいなのね、俺。
「やあ、比企谷」
「丁度いいところに来てくれました。いろはの荷物持ってくれません?」
「もとよりそのつもりだよ」
いろはと入れ違いに俺の元へ来た平塚先生がそう言う。アンタ男前すぎる、なんで結婚出来ないんですか。逆に男前すぎるからですね、分かります。
こうして2人から3倍以上の7人という大世帯となった俺たちだが、まずは荷物を何とかしようということで早めに宿へ向かい部屋を案内された。皆が皆歩き回る準備が出来たところで温泉街を歩き回ることとなった。
「いやー、楽しみです!皆さんとこうして旅行できるなんて…感激です!」
「うん!僕もだよ。大学に入ってからこういうことしてなかったから…うん、楽しみ!」
小町と戸塚がそう話していた。俺ごときが戸塚の初めてを貰っていいのかと思ったが、まあ気にしない方面で。
「あの、結衣さん。近い」
「えへへ、雪乃!」
彼女らは近い大学にそれぞれ通い、ルームシェアしている。と言っても雪ノ下家の所有物に由比ヶ浜が居候しているだけとも言えるが、まあ2人とも仲良くやっているようだ。
「先生どっすか、最近」
「ふっ、まあぼちぼちだね」
「先生まだ婚活してるんですか…いい加減諦めたらどうです?」
いろはが先生に死刑宣告を放った。と思われたが、先生はあまり気にしていない様子だ…なぜ。
「人間諦めが肝心だからな…いいもん、自分で稼いだお金は自分のために使うんだからぁ!!」
…アッハイ。
その後も俺たちは食べ歩きだったり看板に誘導されるがままに様々なスポットを訪れたりした。かなり楽しかった。
満天の星も千葉では考えられないほど綺麗で、俺はいろはと宿泊している部屋から空を眺めていた。みんなは今頃お土産屋で友人や家族に何かしら買っている。
「なあ、いろは」
「なんですか、先輩」
「改めてありがとな」
その言葉は俺の心情を言葉にしたには余りに簡潔で、余りに不足していた。けれどその根底にあるのは間違いなく感謝で、この言葉はまちがっていなかった。
「まあ、先輩ですし。仕方ない先輩は私がいないとダメなんですから」
呆れたようにいろはが言った。
そう言われると恥ずかしいのだが、あながち間違いでもないのでなんとも言えずにいた。上を向いていた顔をいろはの方へ向ける。その横顔は見蕩れるほど綺麗で、蕩れ~的な感じだった。萌えの上位互換である。
「いろは、婚約してくれ」
気づけばそんなことを言っていた。
「先輩、私は貴方と付き合い始めた時から、そのつもりでしたよ」
あっさりと、そう返されては返す言葉がなかった。要らなかった、必要ではなかった。
俺が欲したのは言葉でもメッキでも、況してや偽物でも無い。俺はこいつを、こいつの全てを欲した。そうすれば、オマケで本物が付いてくると信じたから。感じたから。
本物なんてものは意識するべきものじゃなかった、高二のいつしか感じた本物はその時俺が欲したわけじゃなかった。いつの間にか、それはそこにあったから。
「いろは…」
いつの間にかこちらを向いていたいろはと目が合い、唇も合いそうになる。
「お兄ちゃ~~ん…ごめん」
間の悪い小町が部屋に入ってきた。いや、ほんと、タイミング考えろよ…。でもまあいいか、俺といろはは微笑み合う。
「どうした、小町?」
「いや、小町たちお風呂行こうとしてたから。いろはさん呼びに来たの」
「ありがとっ!それじゃ私入ってきますね」
手を振り送り出す。ここで気づく…戸塚も今頃風呂じゃね?
そう思えば動きは早かった。途中でいろは達を追い越した気もするが、知らん。みんな呆れ顔だったし、きっと気づかれてるんだろうな。
戸塚とのお風呂を満喫した俺は傍から見ればキモ怖いホクホク顔だったろう。実際由比ヶ浜に引かれてるし。
「よう!由比ヶ浜」
「ヒッキー元気すぎキモい!そんなに彩ちゃんとのお風呂がよかったの?」
「…よかったなんてそんなチャチなもんじゃなかったな」
頭の上に疑問符が見える。首を傾げるも気にしないことにしたのか俺の隣を歩き始める。
そういえばいろはの卒業旅行に行きたいと提案したのは由比ヶ浜だったらしい、何故か聞いてみるか。
「なあ、由比ヶ浜。なんでお前はいろはの卒業旅行に来ようと思ったんだ?」
「あー、そのこと?いや、私たちにとって一番身近な後輩だったじゃん」
「それもそうだな、一緒に祝いたいとか、そういうノリか」
由比ヶ浜が頷く。
小町は総武に入学するも奉仕部には入らず、それどころか帰宅部になっていた。秋になって生徒会に立候補して当選してからは忙しそうだったがな。つまり『奉仕部』としての後輩と言えるのは、実際に部員という訳では無いが、いろはがその筆頭となるのだ。
あとは誕生日会とかと同じ感じなのだろう、一緒にその思い出を共有したかったのだろう。
「それに暫くヒッキーに会えてなかったし」
「会う必要がないからな。あー、別に会いたくないってわけじゃないぞ」
「分かってるし!ヒッキーならそういうんだろうなって思ってた」
見透かされてる…。
浴場と同じ階にあった休憩所でほかのメンツを待つ。エレベーターまで行く道の途中にある場所であるため、あいつらも気づくだろう。
机を挟んで俺達は寝転んだ。おお、あれが結衣山脈。絶景絶景。
「…先輩?覚悟はいいですか」
いつの間にかいたいろはにそう言われる。いつもならすぐ正座だが、しかし今日はそうはいかん。
「まあ待て、俺が悪かったのは確かだ。しかし俺も反発しないのはどうかと思う。そこでだ」
「なんですか」
イライラしているいろはから目をそらし、あるものを見る。いろはもそれを見て、にやりとする。
「分かりました…では」
「「卓球で勝負!!」」
こうしていろはとの旅行の最後の一夜を賭けた戦いの火蓋が切って落とされた。多分これに負けたら俺は今日布団で寝れない。春間近とはいえそれはまずい、必ず勝つ!!
「えっと…今ので、9対8かな?」
スコア係の戸塚がそう言う。何故こうも拮抗しているか、理由は一つ。
「あと2点、行くわよ一色さん」
「はい!…ふふふ、心の準備は出来ましたか?先輩」
相手チームにチーターがいるからです。卓球はテニスほど動き回らないからなぁ、体力ももつんでしょうね。しかしこっちにも助っ人はいる!
「お兄ちゃん、まだ行けるよ!!兄妹のコンビネーションを見せつける時だよ!!」
俺の助っ人は小町。由比ヶ浜は運動が苦手で、平塚先生は雪ノ下よりさらに上のチーター、もはやビーターであったため小町となった。平塚先生やばい、右から左にラケットを降ってボールに左回転がかかってたからね、どんなツイストサーブだよ、テニプリか。
いろは、雪ノ下ペアのサーブから試合が再開される。
「死ねぇ!!」
そう叫びながらいろはが全力でサーブを…ととっ。まさか前に落としてくるとは少し体勢を崩しながらも球を台の端へ叩く。しかしさすが雪ノ下、難なく返す。が、少し浮いてしまったその返球を小町がスマッシュで決めた。
「9-9!」
「「いえーい!」」
小町とハイタッチする。流石は兄妹、素晴らしいコンビネーション!!隙がない!
負けず嫌いの雪ノ下が悔しそうなのが見える。ここで煽るとどうなるのか…試合のあとが怖いのでやめておくことにした。
「行きます!」
小町のサーブでまたも再開する。しかし雪ノ下がリターンでわざとエッジする。雪ノ下の目線からそれを読んでいた俺が球をあげる。
「今度こそ!!」
いろはが力んで決めようとする。いろはの打球は台ギリギリでアウトとなった。
「…エッジしましたね!」
「10-9で、えっと八幡たちがマッチポイント!」
「うっ、バレバレだった」
白々しすぎるわ。なんでこの娘平気ですぐばれる嘘つくの?何はともあれこれで比企谷兄妹のマッチポイントである。ここで小町と作戦会議を少し。
「小町、擦れ」
「え、でもあれは禁断の技…10回に1回しか成功しないから封印したのに…」
「大丈夫だ、俺を信じろ。入る!」
「…分かった、やってみる!」
小町は目を閉じ深呼吸し始める。雪ノ下といろはもそんな小町を見て集中力を高める。
小町が高くトスを上げる。ラケットを振りフェイントを繰り返し、ついに球を打つ…いや、後ろから前に球の下を全力で擦る。球にはこれ以上無いほどのバックスピンがかかる。自陣で一度バウンドするも、相手のネット際すれすれに落ちるほど強い回転。フェイントにより『いつ』打たれるかに意識を集中していた雪ノ下は焦った。
「っ!?」
しかし、さすがは雪ノ下。ネット際で鋭角に返球してきた。小町の顔が驚愕に染まり、対するいろはは歓喜に染まる。でも、まだだ。
それを予測し既に回り込んでいた俺は強くドライブ回転をかけ打った。その球は台でバウンドしたあと高くあがりいろはの顔の横を抜ける。完全に油断していたいろはは動けずにいた。
「え……」
「俺は信じていたさ、小町がサーブを決めることを…そして、雪ノ下がネット際でエグく返球してくるのもな」
「…完敗ね」
「さっすがお兄ちゃん!やる時はやる男!!」
こうして俺達の卓球対決は幕を閉じた。ところで、どうして卓球対決してたんだっけ?
卓球をしていた4人はさっと汗を流すためもう一度浴場へ行き、その後部屋に戻った。既にそこにはトランプ、UNO、携帯ゲーム機などなど夜更かしにもってこいなものが準備されていた。つーかスイッチまであるし…平塚先生だな。
「おかえり~。ささっ、まずは何しよっか?」
「定番の大富豪でいいだろう、人数が多いからトランプは二セット使うぞ」
「ですね。あ、小町そっち配ります!」
「八幡お疲れ様、かっこよかったよ」
「雪ノ下先輩、次は勝ちましょうね!」
「ええ、もちろんよ。首を洗って待ってなさい、比企谷くん」
夜は更けていくも、俺達の声が止まない。結局俺たち全員が眠ったのは明け方の時間と言える頃だった。
俺が目を覚ました頃には既に短針は6より12に近く、それでもまだ半分くらいは寝ていた。起きているのは…いろはと小町か。
もう一度入っておこうと風呂に向かい戻ってきた頃には皆着替えまで終わっていた。宿を出てぶらぶらし、夜行バスの時間までに様々なところへ行った。
「楽しかったですね、先輩」
「…まあな」
隣のいろはが話しかけてくる。既に俺達は夜行バスで東京に向かっていた。東京につく頃には太陽も見えるだろう。
「千葉に帰ったら、指輪見てくるか」
何でもないようにそう伝える。
「…はいっ!」
俺が求めた本物、それが何なのか未だに分からない。きっとこいつじゃなくても本物自体は手に入るのだろう。けれども俺はいろはとの本物が欲しかった。雪ノ下との本物でもなく、由比ヶ浜とでもなく、陽乃さんや海老名さん、三浦、川崎、留美、城廻先輩、平塚先生、小町、折本。
こうして思うと高校生活の中で知り合った女性が案外多いことに気付かされる。その中からいろはを選んだことを後悔しないよう、俺はいろはと生涯を共にしようと、生活していこうとそう誓いながら意識を手放した。