俺の足も既に治りかけ、入院生活も残すところ数日となった。この数週間、唯一毎日顔を出してくれたのは折本だけだった。小町…。
「おっすー、比企谷」
「よ、お疲れさん」
今日も今日とて折本はきた。そして今日も少し雑談して帰っていくのだろう。なんだかんだでこいつとの会話は暇つぶしになる。積み本はすべて読んだし、積みゲーもやりたいところまではやった。毎日のプリントは午前のうちに終わってしまう。暇を持て余していた俺にとって、折本の存在はかなり有難かった。
「どーなの?そろそろ退院できそうなの?」
「ああ、まあな。退院してもまだ松葉杖生活だろうけどな」
「その時はその時でまた助けてあげるから。ウケる」
今までの折本を見ていてわかったことがいくつかあった。彼女はかなり優しく、また意外にも繊細で感情の起伏が激しかった。彼女はどうやら俺のことをかなり信用したらしく、校内での不満を愚痴ってくるようになった。
でも、その関係ももう終わりにしなければならない。彼女はあくまでトップカーストの人物だ。俺みたいなカースト外のやつと教室で話しているのを見られるのは、彼女に悪影響を及ぼす。確かにこいつといるのは気を置く必要が無いことが判明してから、居心地が悪くなることは無かった。しかしそれはここがパーソナルスペースだからだ。
俺は明日、この関係にピリオドを打つ。
翌日、俺はなんと言おうか思索していた。なのだが、考えても考えても笑って流される様子しかシミュレートできない。正直なところ詰んだ。まあいい、午後のことは午後の俺に任せる。1日でも早く普通に歩けるようになるために病室内で軽く運動し始める。
「やっほー!!」
「…まだ昼前だぞ」
「あはは。職員会議だって」
いい迷惑だ。なんと言おうか考えてなかった。とりあえずいつも通りにするべきだという結論に至り、ベッドに移動する。
「でさー、昨日帰ってから…」
折本はいつも通り喋っている。生返事しか基本的にしない俺はどうやって関係を切るか考える。生返事になってもいつも通りというわけだ。
「晩御飯食べてても勉強してる時にお腹減ってさ…」
なるべく折本を傷つけてもう二度と喋りたくないと思えるほど辛辣な言葉を選べ。彼女の中から俺を排斥しろ。この数週間で丸くなった俺を捨て、俺の悪魔に体を委ねる。ただの傀儡になっても構わない、今日、今終える。
「そのラーメンが…」
「なあ、折本」
「…なに?」
俺の並々ならぬ覚悟が表に出ていたのか、少し怖気づいている折本。心は痛まないが…頭が少しばかりズキズキする。怖気づくのはやめるんだ、気圧されるな、俺。
「お前、実は優しかったんだな」
「…なに、どしたの。いきなり」
「でさ、お前は優しいから、事故で高校デビューできなかった俺を気遣ってんだろ。安心しろ、お前はどうだったかしらんがどうせ初日から行ってても中学の頃と変わらなかったさ。昔も今もこれからも俺はぼっちであり続ける。だから、もし、もしもお前が俺への同情でここに来ているのなら……そんなのはやめろ」
まだだ。まだ足りない。痛む頭を右手で押さえながら、言葉を紡ぐ。
「はっきり言って迷惑だったんだ。確かにプリントを持ってきてくれるのは助かった、それについては礼を言う。でも、毎回毎回雑談していってそれでいてここぞとばかりに何かあれば俺を笑って、バカにして…。もう耐えられない…あとは補習でもなんでも受ける。だから、もう来るな」
ここまで言えばさすがの折本も泣くか?
何故だろう、俺は折本をもう好きじゃなかったはずだ、むしろ嫌いなまであったはず、なのにどうして胸に違和感が残る、なぜ俺の頭は痛む、事故の後に頭に異常はないって結果出てたじゃないか。
「比企谷、私はそんな理由でここに来てない」
折本は口を開いた。
「もしも比企谷が今言ったことが全部本心でさ、もしほんとに迷惑だったんならプリント持ってくるだけにする。雑談もしないしすぐ帰るようにする…でもさ、左手見てみなよ」
俺の右手は俺の頭にあり、俺の左手は掛け布団を強く、ただ握りしめていた。
「そういう嘘をつく時ってさ、堪えるために人間どこか握るとこよく見るよね。比企谷、嘘ついたでしょ、流石にこれはウケないよ」
呆気なく見抜かれてしまった。しかし後には引けない。なんとかこいつの中の俺を消さなければ…そう思うもうまく言葉を紡げない。
「比企谷。言ったよね俺を笑ってたってさ…私は、比企谷と笑ってるつもりだったよ」
……完敗だ。もう返す言葉がない、本心を語るしか、俺には残されていなかった。
「…本音を言えば楽しかった。お前といることは安らぎでさえあった。このままこの入院生活が続いてもいいと思えるくらいだった、もし宝くじが当たったらそれを餌にお前とシェアハウスしたいと思ったしそんな妄想もしてみた」
「なにそれ、ウケる。楽しそうじゃん」
「たしかに楽しいだろうな。でも、俺とお前は住む世界が、言葉通り違うんだよ。俺の居場所はクラス内であってクラス外なんだ」
物理的に言うなら来週には俺の座標は自分の教室だろう。だが、だからと言ってクラスに馴染めるとは思ってないし馴染もうとは微塵も考えていない。
基本省エネな俺は休み時間に教室から出るのはせいぜい昼飯の時くらいか、それもしばらくはこの足のせいで出来そうにないけど。
「住む世界なんて関係ないし、私は気にしない」
そんなのは知ってる。そんなこと気にするやつじゃないって、それくらい中学校の頃は気持ち悪いほど見てたから察してる。けど、
「お前が許しても、周りは許さないだろうな」
「っ!?」
そのことに関しては折本も自覚があったらしい、今日一番顔が強ばる。彼女の目は大きく開かれ、対照的に口は堅く閉ざされていた。
「…そう、かもね。ううん、きっとそう」
折本の意識が変えられたところで、折本の周りは変わらない。そう言いたかった。彼女もそれに気づいているだろう。
「でもっ!…私、クラスであんたのこと話してるからさ、案外受け入れられるかもよ」
「みんな最初は受け入れたとしても、どうせ後で…」
「だったらっ!!」
折本が大きな声を出して俺に迫る。身を乗り出し、両手をベッドにつき、俺の目と折本の鼻は言葉通りの距離まで近づく。
「あんたが変わればいい!!」
…俺は変わらないし、変われない。長年の間に蓄積された拙い人生経験によって形成された性格はは、残り数日の入院生活で覆されない。俺の本質は一生変わらない。
「…無理だ。俺にそんな勇気はない。変わらないし、変われない」
折本は自分の状況を把握したのか少し顔を赤くし俺から離れる。
「なら、私が変えてやる。あんたが、変わらされたって言えるようにする」
なんだよ、それ。無理だ、無理だと言ったら無理なんだ、なんで引き下がらないんだ、どうして諦めないんだ、お前が粘れば粘るほど…俺の決意は揺らぐんだよ。
「今日は帰れ…一日お互い時間を置いて、また明日な」
「…そう、しよっか。プリント」
そう言われたのでプリントを交換し、折本を帰す。
クラスの人たちは俺と折本が喋ることをよく思うわけがない。再三繰り返すが、住む世界が、所属カーストが違う。決して交わるはずのなかった世界。
「…どうしてこうなっちまったんだよ」
いつも俺たちを照らしてた太陽は、曇天の上に隠れてしまっていた。
折本と言いあった翌日、俺は医師から明後日に退院できると伝えられた。が、明後日はまだ金曜日できりが悪く、親の都合もあり退院は最終的に日曜日となった。世がゴールデンウィークで賑わう、その直前となった。
「そろそろか…」
時計も太陽もセッティングされていた、普段あいつが来る時間をふたりが知らせる。
ドアが開いた、折本だ。
「やっほー」
声に勢いがなく、昨日のことを引きずってるのが手に取るようにわかる。
「よう、お疲れさん」
そう言って俺は手で座れと促す。その椅子の上には飲み物がある。ほんの、お詫びのつもりだが、まあ伝わらなくてもいい。ただの自己満足の一環だ。
その席に座って数刻、折本の方から喋り出す。
「あのあと、考えた。で、比企谷の言う通りだと思うし、だからと言って私の方から世界を合わせるのも、違うと思った」
「ああ、そんなことされるならそれこそ絶交だしな」
「でも、私たちには喋る手段なんてたくさんあって、それが学校内で展開されるのを嫌うなら、放課後メールくらいは…いいよね?」
…まあ、それくらいならいいか。もしそれをうっかり喋ってしまったとしても『かおり優しー』ですむだろう。
「勝手にしろ」
こうして俺たちの関係は安定した…はずだった。
夏休みがあけ、9月。HRの時間をすべて睡眠につかっていた俺は誰かに肩を叩かれる。
顔を上げるとそこには折本がいた。
「おい、お前…」
「よろしくね!」
「いや、だから」
「よ!ろ!し!く!ね!!」
なんだよ、こいつと思いながら頭を回す。俺の視界に入った文字列はこう意味していた。
『文化祭実行委員 男子:比企谷八幡 女子:折本かおり』
……さいですか。
どうやら彼女はなんとしても喋りたかったらしい。
「お前、これいつから考えていた」
「最初から!」
と言うと多分一日考えたあの日か。こいつ、つまり
「ハメたな」
折本はにひひと笑うだけで何も言わなかった。