魔導王陛下、御嫡子誕生物語 ~『術師』の復活~   作:空想病

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海上都市うんぬんについては、作者の独自設定です。


第5話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後。

 ナザリックの執務室で、魔導王アインズは、政務を遂行していた。

 アインズは海上都市への派遣調査要求に関する書類を、慎重に、かつ真剣に吟味する。

 大陸の東の彼方の海に存在するという、謎の都市。南方のエリュエンティウよりも情報に乏しい伝説にしか謳われない彼の地は、あの“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”ツアーですら、詳細を把握していない。

 そこからの往還を遂げたという冒険者たちの存在は、魔導王の琴線に触れるに相応しいものである。

 アインズは傍らに立つ参謀に声をかけた。

 

「“重爆”……レイナース、と言ったか。彼女らへの褒美の件、よろしく頼むぞ」

「承知しております。すでに、冒険者組合を通してナザリックに招いております」

 

 これまで誰も真偽を確かめられなかった海上都市の存在。

 そんな土地からの生還を遂げたことが“真”にしろ“騙り”にしろ、レイナースたちが献上してきたマジックアイテムの効果は絶大の一言だ。ナザリックですら再現不能、かつユグドラシルには存在しなかったはずの「アンデッドの受肉化」という効力を秘めた果実は、何としても詳細を明確にしなければならない。

 この果実は、下手に使うと、アインズをいとも容易く滅ぼすことも可能な代物。

 アンデッドの特性破棄。数時間にも及ぶ魔法封印。人間としての肉体を得る代わりに失われるもの。

 あのツアーですら明確な情報を持っていないというのも厄介極まる。

 だからこそ、この都市の調査と、都市住民の確認は不可欠な事業に思われた。

 しかし、それでも。

 

「今は、こちらから仕掛ける必要もないか」

 

 聞けば、この海上都市は、ツアーがこの世界に生を受ける以前より存在していたとか。

 にも関わらず、この都市が大陸に暴虐の限りを尽くしたとか、逆に賢政を敷いて治めたという歴史は残っていない。であるならば、逆説的にこちらから手を出さなければ、大人しくしていてくれるはずだろう。話を聞く限りでは、レイナースたち冒険者と対話交渉も可能であり、マジックアイテムを三桁単位で贈与してきたというのだから、そこまで悪い相手ではないはず。むしろ、友好関係の構築をこそ目指すべきだ。

 南方の浮遊都市に強行偵察を送らなかったことが功を奏したように、今回も地固めを優先させる。

 アインズは書類に「不認可」の落款を押し、専用のトレーに納めた。

 これで、今日の政務は終了となる。

 

「さて……」

 

 予定だと、もうそろそろだ。

 久しぶりに守護者全員を、アインズはこの執務室に集めた。

 すでに、政務補佐として脇に立つ「参謀」デミウルゴスと、警護主任として仁王像のごとく直立する「将軍」コキュートスがいる。

 沸き立つ精神に煮られる感覚に辟易しつつ、アインズは気晴らしに傍らの蟲王(ヴァーミンロード)の近況を聞き出す。

 

「……そういえば、コキュートス。雪女郎(フロストヴァージン)……六人の奥方は、どうだ?」

「ハッ。母子トモニ壮健ソノモノ。予定デハ、半年モセズニ産マレルトノコト」

「半年もせずに、……って、早くないか?」

「異形種ハドウニモ、人間ナドヨリモ成長ガ早イトノ見解ガ」

 

 コキュートスは、友たる悪魔の見立てに信頼を置いている。

 その友は将軍の言を補足するために、恭しく言葉を発する。

 

「その代わり、異形種同士での交配は、子が著しく出来にくく、現在のところ子を産むことに長じた者たち――この場合、(ロード)女王(クイーン)男淫魔(インキュバス)女淫魔(サキュバス)系統に属するシモベたちでしか、懐妊の報告は届いておりません」

 

 異形種は寿命がなく不老。

 元来、子を残す必要性が他の生き物に比べ薄い存在たちだ。

 設定的に子を孕みやすい(または孕むことが大前提の)モンスターでもなければ、早々(そうそう)懐妊することはありえないというのが、デミウルゴスの調査結果でわかってはいた。

 だが、そんな問題も解決する世界級(ワールド)アイテムを、デミウルゴスは握っている。

 

「おまえの、デミウルゴスの実験……子供らについては?」

「“ヒュギエイアの杯”の賜物である我が子らも、順調そのものでございます」

 

 にっこりと微笑む悪魔はさらに進捗状況を正確に告げようとして、不意なノック音に遮られた。

 アインズの存在しない心臓が跳ねあがる。

 メイドが訪問者たちの到来を告げてきた。

 

「アインズ様、アルベド様たちが」

 

 来た。

 ついに来た。

 アインズはいつも通りを装いつつも、支配者らしい尊大かつ厳格な態度で、彼女らの入室を許した。

 

「四人とも、よく集まった」

 

 執務室に現れた女たち(一人は少年)は、アインズの目の前で一斉に膝を折っていく。

 

「第一、第二、第三階層守護者「元帥」シャルティア・ブラッドフォールン、御身の前に」

「第六階層守護者「総監」アウラ・ベラ・フィオーラ、御身の前に」

「お、同じく第六階層守護者「導師」マーレ・ベロ・フィオーレ、お、御身の前に」

「――「宰相」アルベド、御身の前に」

 

 今、ここに、ナザリックの「六大君主」が勢揃いした。

 この世界に転移した時と同じように、しかし、はっきりと、あの時とは違う感情と感覚に惑いながら、アインズは堂々と言葉をかける。

 

「面を上げよ」

 

 すっかり慣れたはずの支配者然とした言動にも関わらず、アインズはいつかの日と同じように漆黒に染まるオーラを垂れ流しにする。

 しかし、無理もない。

 これから告げることを、今回の全員招集の内容を思えば、テンパってしまっても仕様がないと、自分で自分に言い訳しておく。

 

「おまえたちを呼び出したのは他でもない、“あの件”について返答しようと思ってな」

 

 わざわざ含みのある言葉を使って、アインズは精神を安定化する時間を稼いだ。

 こんな時まで情けない気がしないでもないが、これは人として(アンデッドだが)、当然な反応だとも言える。

 

「……その前に、デミウルゴスやコキュートスにも礼を言っておく。おまえたちの実験や検証のおかげで、私は今回の決断に至ることがかなった。感謝する」

 

 強く、重く、告げられた賛辞を、二人は普段以上に忠烈な姿勢で受け取ってくれる。

 デミウルゴスによる“杯”を使った交配実験、そして、コキュートスが示したNPC同士による懐妊報告によって、ナザリックの軍拡は、さらなる段階へと飛躍することだろう。この場にはいない、育児休暇中のセバスにも、感謝は伝え終えている。

 彼らの示した可能性によって、アインズもまた、これまで先延ばしに先延ばしを続けてきた事柄に、ひとつの解答を示す時が来た。

 

「さて……アルベド、シャルティア、アウラ、マーレ……我が傍に」

 

 骨の指が平伏する者たちを招いた。

 その命令は、彼女たちにとっては何よりも優る褒美であり、感動だった。

 しかし、我先にと突貫し暴発する者は、いない。四人とも厳かに、かつ礼儀にかなう足取りで、主人の座する机に向かう……向かおうとして、意外な光景を見た。

 

「アインズ様?」

 

 四人は同時に声を震わせる。

 手招いたはずの主人が、椅子から立ち上がり、あろうことか今動いているシモベである者たちへと近づいていく。

 その行為自体は珍しいことではない。優しく優しいアインズは、いつもこうして、シモベでしかないはずのNPCたちに、驚くほどの厚遇を示すのだ。上位者として威厳と尊大に満ちた支配者としてではなく、創造者として恩赦や賛嘆を与える授与者としてでもなく、まるで親が子に接するかのように情愛と情感と情動に溢れたような、親しみの深い行為。

 だが、今回のこれは少し違う。

 アルベドたちは近づき、アインズもまた近づいていく。

 どこまでも優しく、なによりも優しい、そんなアインズが見せた気遣いに、判った宰相と参謀は黙したまま、判らない元帥と総監と導師と将軍も黙したまま、事の推移のまま行動する。

 アインズと四人は、互いに触れ合える位置にまで近づくと、アルベドたちはやはり跪き、アインズはそんなシモベたちに微笑みかけ、己の決定を語る。

 

「おまえたちからの求婚を、私なりに吟味し、四人全員を対等な妃として、我が妻に選定しよう」

 

 四人は目をいっぱいに開き、与えられた言葉の意味を、胸の奥深くにしまう。

 

「私は、かつて言った。『将来、そういった関係もあるかもしれない』と」

 

 しかし、あの時は状況がそぐわなかった。もっと言えば、悪すぎた。未知の世界に転移し、アインズ・ウール・ゴウンの名を世界に轟かせるという一大事業の最中、自分たちの置かれた状況が不確定で、かつ未知数な因子や法則が働いている、この異世界において、部下にして親友の子どもたちである者たちと、「そのような関係」を築くことは許されなかった。

 何よりも、アインズは許せなかった。

 彼女たちは、かつての仲間たちが残した至宝の存在。

 それほどのものを、己の勝手気儘に(もてあそ)(もてあそ)ぶことは、言語道断である。それこそ、タブラ・スマラグディナが創り上げたアルベドの設定を書き換えたままになってしまったことは、今も尚、アインズの罪悪感を刺激して止まぬ爆発物の様相を呈している。

 だというのに、友人たちが残した子らを、我がものとして占有し愉しむような無様をさらすわけにはいかなかった。できなかったとも言えるが。

 アインズは彼女たちとの関係が変節し変容し変貌することを恐れたのも事実だ。自分の気持ちに蓋するように、彼女たちが真摯に、真剣に、その心に確固として抱いた想いを、無視し続けた。

 しかし、もはや言い訳のしようなど、ない。

 世界は誇り高きアインズ・ウール・ゴウンの名の下に統一され、未だに、未知の部分や未解決な問題が残っていると言っても、アインズ・ウール・ゴウンに抗しきれる存在、アインズ・ウール・ゴウンに災いをもたらす要素は、可能な限りにおいて排除され尽くしている。(きた)る100年後の未来に現れるだろうユグドラシルプレイヤーなどへの対策も、つつがなく講じられ続けている、この現状。

 アインズと彼女たちの間に、障壁となるものなど無いに等しい。

「至高の御身」としてではなく、「四十一人のまとめ役」としてでもなく、「統一大陸の魔導王」としてでも当然、ない。

 彼女たちを愛する「ただの一人の男」として、ようやく彼女たちの本懐を、遂げさせる時が来たのである。

 男は弾むような声で、女らの名を呼んでいく。

 

「アルベド」

「くふー!」

 

 純白の女淫魔(サキュバス)が、

 

「シャルティア」

「我が君!」

 

 真祖の吸血鬼(ヴァンパイア)が、

 

「アウラ」

「はい!」

 

 闇妖精(ダークエルフ)の少女が、

 

「マーレ」

「は、はい!」

 

 闇妖精(ダークエルフ)の少年が、

 

「おまえたち四人を、我が妻、我が妃として迎え入れる。異論はあるか?」

 

 異論の有無など聞くまでもなく、全員一斉に承知の声を挙げた。

 感激に咽ぶ声。上気した頬や耳。清々しいほどに住んだ八つの瞳が、アインズの瞳をまっすぐにとらえる。

 背後からは祝福の言葉をデミウルゴスが奏で、歓喜の微笑をコキュートスが顎を鳴らして示す。アインズ当番のメイドと共に、隠形していた護衛の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)らも、拍手を打って賛同の意を唱えた。

 

「さぁ、四人とも……」

 

 アインズは両手を広げ、意味を判じかねている妃たちに、命じるのではなく、願う。

 

「我が腕の中へ」

 

 膝を折っていた妃らは、激発するように駆け出した。

 戦士職のステータスに長じているアルベドとシャルティアが、夫たる者の胸、その肋骨に飛びつき、しかし愛おしむように、その感触を頬の上で優しく(たお)やかに撫でた。ステータスでわずかに劣るアウラとマーレは遅れをとったが、その雄々しい骨盤と太腿にしっかりと縋りつく。そんな小柄な(数年たって、それでもまだ十代程度の)体躯の二人を、アインズは骨の両腕で抱きかかえてみせる。

 アインズは努めて冷静に、冷厳に、だが愛情に身を焦がすような熱のある声音で、ひとりひとりに語って聞かせる。

 

「マーレ……おまえの魔法の力は、私と我がナザリックを幾度となく助けた。改めて、感謝するぞ」

 

 感謝なんて畏れ多いと、はにかむマーレ。

 

「アウラ……おまえの支援(サポート)は、いつだって私たち皆を影から支えてくれた。これからも、よろしく頼む」

 

 頷きつつも、子犬のように微笑むアウラ。

 

「シャルティア……おまえのおかげで、私は自らの過ちを知り、それを是正する機会を得られた。おまえがいなければ、私たちは大きな災禍に見舞われただろう。本当に」

 

 それ以上は過言だと、首を振るシャルティア。

 

「……アルベド」

 

 最後に残った女に、アインズは告げる。

 

「おまえには、つらい事ばかりを押し付けてきた。私の代わりにナザリックを運用し、日々を忙殺され、何よりも……おまえだけは、私が歪めてしまった過去もある。本当に、すまないことをしてきた。だが、これは、今回の我が決定は、けっしておまえを憐れむ意味も、おまえに贖罪する意図も、一切含まれていない。私はおまえを愛している。同時に、シャルティアも、アウラも、マーレも、等しく愛おしいと思っている。だから、おまえたち全員を、私の正妃として迎え入れる」

 

 深淵よりも尚深い声音に、アルベドは両目の端に熱を灯した。

 

「十分です」

 

 アインズを――モモンガを見つめる金色の瞳は、そこに佇む愛を見つめる。

 

「私のような不束に過ぎる者をお迎えくださっただけでも、私には過ぎた幸福です……」

「……それは違うぞ、アルベド」

 

 きっと、アインズは自分を卑下し、(せめ)を己一人に負わせるだろう。

 そう、彼女はこれまでの経験から予測していた――だが、違った。

 

「過ぎた幸福であるものか。

 おまえたちはこれより、これまで以上に幸福な時を過ごすのだ」

 

 私と共に――

 

「ああ……」

 

 呟く声に救われる。これまで幾度も救われてきた。

 溢れる想いが雫となって、女の薔薇色の頬を伝う。

 シャルティアが、アウラが、マーレまでもが、元守護者統括の懊悩を解かすように、微笑みを向ける。

 

「幸せになります」

 

 愛する者と共に――

 優しい彼と共に――

 ここにいる皆と共に――

 それだけで、アルベドは満たされていく。

 これ以上ないほどの幸せを感じつつも、これからきっと訪れる幸せに想い焦がれる。

 

「うむ」

 

 アインズは深く頷き、アルベドの頬をローブの袖で拭ってやる。

 柔らかく溶けるような微笑みを見て、ふと、彼の存在しない脳裏に、感謝の思いが過った。

 

「ツアーにもそうだが、ニニャには感謝しないとな」

「ニニャに……ですか?」

「ツアーはともかく、あの娘が何か?」

 

 アルベドとシャルティアは小首をかしげ、アウラとマーレも疑問符を頭に浮かべる。

 アインズは妃たちに、魔法都市でニニャに対し行った結婚相談のことを、訥々と語って聞かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先日、魔法都市にて。

 ニニャに助けてもらった礼を告げた時に、アインズはひとつの相談を持ち掛けていた。

 

「実は、アルベドたち、四人と、正式に婚姻を結ぼうと思って……な」

 

 持ち掛けられた少女は、別段驚くでもなく、頷きを返してみせる。

 

「それは良い御話です」

「ただ……」

 

 とんでもなく気恥ずかしい感じを、精神安定化が抑え込んでくれる。

 それでも、言葉の歯切れが悪い印象が拭いきれない。

 

「私は、どうにも、その、結婚、というものは初めてのことで」

「あぁ…………」

 

 そもそも骨の身のアンデッドが結婚なんて、失笑ものだ。

 実際、ニニャは口の前で拳を握って、可笑しそうに肩を震わせている。

 しかし、アインズは大真面目に、一般大衆的な意見の参考として、現地の常識人たる少女に問いかける。

 

「率直な話――ニニャは、どう思う? アンデッドが結婚することについて」

「そう、ですね」

 

 ニニャは視線を宙に彷徨わせるほどの逡巡を見せるが、やはり朗らかな様子で笑みを深める。

 

「そこまで気になさることはないと、私は思います。

 確かに、アンデッドが結婚するというのは疑問かもしれませんけど、魔導王陛下であるアインズ様なら、むしろ王妃の一人や二人、いても不思議ではないのでは?」

 

 実に率直な言葉で、ニニャは現地人としての常識から、アインズの懸念を払拭していく。

 この異世界の王族というのは、正妃、側室、愛妾など、複数人の異性と関係を持つことは珍しくも何ともない。アインズの考えるように、正妃を“複数”用意するという制度はさすがにおかしいはずだが、下々の身分でしかない者たちにとっては、差したる違いなどないというのが本当のところだ。

 第一、アインズは、この大陸全土に覇を唱える統一国家を樹立した、至高の魔導王。

 その制度的な齟齬(そご)や違和に不満や疑義を申し立てる識者など、存在するわけもない。

 

「そうか……それを聞いて、ひとまず安心したぞ」

「そんな。これくらいのことで」

 

 照れくさそうにニニャは手を振った。

 

「でも、本当に……これくらいのことなら、もう誰かに聞くこともできているんじゃ?」

 

 無論、アインズはニニャに相談する以前に、ツアーなどにも相談を持ち掛けてはいたが、彼は現地の存在としては特異な出生と立場にある。

 竜王の末子にして、評議国の代表として君臨してきた、当代における始原の魔法(ワイルドマジック)の使い手。

 そもそもにおいて結婚制度という枠組みにとらわれない“竜”という生き物なのだから、人間の国民が抱く印象や情感などとかけ離れている可能性も否定できないと、彼本人から忠告を受けている。

 その点、ニニャは最後の相談相手としては適格な逸材と言えた。

 この世界の常識を知る魔法詠唱者、元銀級冒険者として市井で暮らしてきた平民、アインズたちの教育により教養を積みに積み重ねた知識人の存在は、これまで気づけなかったことが不可思議なほどに完璧な相談相手であったことに、アインズはようやく気付かされたわけだ。

 

「あくまで参考に、な」

 

 言って取り繕う魔導王は、さらに相談を続ける。

 

「だが、アンデッドである私が、果たして婚姻を結んで、相手となる彼女たちを幸せにできるかどうか」

「……失礼ながら、アインズ様はアルベドさんたち、皆を愛しているんですよ、ね?」

 

 恐縮した風に()いてくるニニャに、アインズは無論と宣する。

 

「私は彼女たち、皆を愛しているとも」

 

 それは未だに、親愛の情なのかもしれない。だが、アインズは確固たる意志をもって頷いた。

 彼女たちを失うことは、あってはならないこと。

 彼女たちに降りかかる災厄は、何一つとして看過できないこと。

 アインズが確信を込めて首肯する姿に、ニニャは目を伏せ、納得したように頷きを返す。

 

「彼女たちから愛され、彼女たちを愛しているのなら、それでいいのではないでしょうか?」

 

 簡潔に結論する少女に、アインズはさらに解答を追及する。

 

「だが、彼女たちは友人の子供みたいな立場で……、しかも一人は、おとこの()なのだが」

 

 などの事情も包み隠さず話してみたが、やはりニニャは「自分の気持ちに正直に」と譲らない。

 

「愛し愛されることに、細かい事情や損得なんて必要ありません。少なくとも私は、姉さんが異形の――竜人のセバスさんと結ばれ、マルコを生んで、ナザリックであんなにも笑顔でいられる姿を前にしたら、そう断言するしかありません」

 

 ニニャは閉じた瞼の裏に、確かな像を描き出す。

 愛する我が子を(いだ)き、寄り添い合う、一組の夫婦。

 あれだけの騒動を引き起こし、その渦中にいながらも、自儘に気儘に、赤子らしい沈黙を貫く、可愛らしい姪っ子の寝顔。

 あんなにも幸福な光景は、“愛”なくしては生まれるはずのないもの。

 故にこそ、ニニャは簡単に結論する。

 

「きっと、大丈夫です。アインズ様たちは、こんな私にも幸せを与えてくれた。この大陸に住む人々……だけでなく、亜人や異形も、存在するすべてに幸福を謳歌させている。それだけのことを成し遂げた人が、自分を、自分たちを幸せにできないなんてはずがありません。そうでなかったら、絶対におかしいです。

 アンデッドも、モンスターも、男の子も女の子も、そんなことは関係ない。

 そこに“愛”という、ただまっすぐな気持ちがある以上、問題なんてあるはずがない。

 正直に、ひたすらに、皆が幸せになれると、私はそう信じています」

 

 アインズは少しだけ、ほんの少しだけ、胸が痛んだ。

 

「私は…………そうは、思わない」

 

 切実なまでに自分を慕い、敬意と尊信を(いだ)く少女の健気な言葉は、王として、為政者として、ひとつの冷酷な現実を直視していないことを雄弁に伝えているかのよう。

 アインズは慈悲深い王だと思われている。

 だが、その内実はドス黒い――眼窩の奥に潜む闇よりも暗い、死の(おり)だ。

 

「君は知らないだろうが。私は、数えきれないほどの死を見てきた。死をもたらした。不和を、災禍を、混沌と無道を、時には正義そのものを、この手で裁き、侵し――殺してきた」

 

 正義と慈悲だけで国は成り立たない。政治は時として、あらゆる不正と無慈悲――犠牲を、敵も味方も問わず、民らに強要する。罪人への断罪に、敵国との戦乱に、あるいは復讐と報復に、アインズは多くの血を流した。それ自体は特段アンデッドの心には響いていない。無責任に忘れ去ろうとも思わない。だが、この目の前の少女が懐くような、純真無垢な憧憬の念を抱かれるようなことはあってはならないと、そう思うのだ。

 

「私は世界を救ったと、大陸に平和をもたらしたと、民は言う。だが、私が救えなかったもの、救わなかったもの、救おうとすら思えなかったものは、確かに存在している」

 

 アインズは骨の掌を眺める。

 ちっぽけな掌だ。すべてを救うには、あまりにも無力な己をアインズは(わら)う。

 至高の王と言われようと、アインズにも出来ないことはある。あまりにも多く存在する。

 ツアーが語ってくれた“彼”と“彼女”もそうだが、他にもいろいろな事柄において、アインズの力が及ばないことはまま存在する。

 罪を犯すものは発生するし、内乱を起こそうとする不穏分子は殲滅せねばならない。それらを悉く滅殺したとしても、(はま)真砂(まさご)が尽きることがないように、次から次へと愚物たちは湧き起こる。防犯をいくら施したところで、騒乱の芽を摘み取ったところで、連中は巧みにその上を行くのだ。いっそのこと浜の真砂を、世界の土台そのものをすべて消滅させるしかないだろうが、それではかつての仲間たちに顔向けできない。廃墟どころか、滅亡した世界の上に君臨しても、何の意味もないのだから。焦りは禁物だと、常に自分に言い聞かせている。

 そうして、そんな連中の犠牲となる者たちを、アインズは救えない。

 どんなに事後救済を施したところで、失われたすべてを取り戻すことはできないのだから。

 後悔はない。

 許しもいらない。

 嘆きも悲しみも存在し得ない。

 それでも、この少女からの敬意だけは――少し耐えられない。

 

「軽蔑したかな?」

 

 己の信じる者が、大したことのない偶像だったと知らされた少女は、

 

「いいえ」

 

 きっぱりと、柔らかい表情のまま、首を振った。

 何故だと疑問する魔導王に、ニニャは為政者の所業を、彼が己の罪に感じているものを、確かに認める。

 

「それぐらい知っています」

 

 誇るように、悪戯に成功した子供のように、少女は呆気にとられる王をくすりと笑う。

 

「犠牲を強いること、救えなかったものがいること……それぐらい、私にだってわかってます。けれど、あなたは王様なんです。そこはしっかりと自覚しないといけません」

 

 まるで教師が生徒を窘めるような雰囲気だが、アインズは不思議と悪い気はしなかった。

 

「言ったでしょ? 王様は堂々としないと、って。それが王様の義務(しごと)です。本当に、アインズ様は優しすぎます。でも、それはそれで酷いですよ?」

「……酷い?」

「自分が“救えなかった”人のことばかり考えて、“救ってあげられた”人のことを気にもかけないなんて」

 

 彼に救われた少女は、救われた者としての立場以上に、本気の本気で、アインズに怒っていた。

 吊り上がっていた眉を柔らかく緩め、淡い微笑みを浮かべる少女の変貌に、王の無い心臓が痛く弾んだ。

 

「私は今、幸せです。あのまま、あの場所で、死んだままでいるよりは、ずっとマシな人生を歩ませてもらっています。これは、他のどんな王様や、神様にだって無理なことです。あなたはすごいです。できなかったことを覚えておくことも結構ですが、自分にできたことも、ちゃんと考えてくれないと、救われた方はたまりませんから」

 

 それに、とニニャは言い募る。

 

「……覚えていますか? はじめて第三階層を案内されて、地下聖堂をたずねた時のこと」

 

 覚えていた。

 その時、蘇生して数日もないニニャは無自覚にも、魔導王陛下を困惑させる質問を投げかけてくれていたから。

 ニニャは、あの時にした質問を、その時に得られた解答を思い返す。

 

「私が、マルコの命名の理由を聞いた時、おっしゃっていましたよね?

『――人、その友のため命を捨てること、これより大いなる愛はない――』って」

 

 少女は少しだけ寂しそうに微笑み、物憂げな様子で視線をそらした。

 

「あの時、私はペテルたちのことを思い出してしまいました」

 

 アインズは唐突に、朝日が差し込むかのように、記憶の底に眠っていた冒険者たちを、“漆黒の剣”たちの死相と末路を、思い起こす。薬草の香りさえ添え物に成り果てるほどの血臭が充満していた屠殺場。狂気と殺戮を(ほしいまま)にした狂宴の光景。

 今では想像することも難しいが、この少女は、間違いなくあそこで、その命を終わらせていた。

 蘇った少女は言葉を続ける。

 

「ペテルにダイン、ルクルットの三人は、ンフィーレアさんを攫いに来た悪党に襲われた時、私を庇ってくれました……自分たちの命を捨てる覚悟で」

 

 ニニャという友のために、あの三人は命を捨てた。

 結果から言えば、彼らは一瞬のうちに殺されてしまい、少女はとんでもない責め苦を受けたわけだが。

 それでも、ニニャは彼らを恨むはずなど、なかった。一瞬にして突き殺された彼らの奮戦と勇気を讃えた。友たる自分を逃がすために、命を(なげう)つことに躊躇(ちゅうちょ)しなかった彼らを、勇者たちの死を、あの拷問と痛苦の最中に(いた)み、今でもこうして思い出してしまう。

 

「あの三人は、私の誇りです。

 彼らと出会えたことは、モモンさん――アインズ様に救われたことと同じくらいに、素晴らしい奇跡だったと思っています」

 

 ちょっと不敬かもしれませんねと、頬をかくニニャ。

 そんな少女の言を、アインズは頭を振って否定する。

 

「不敬であるものか。彼らはまさに、君にとっての、無二の仲間たちだったのだ」

 

 アインズの胸中にも、自分の仲間たち――ギルメンたちとの思い出は、鮮烈に、鮮明に、残っている。

 それを思えば、ニニャはまさに自分の同類とも言えるだろう。

 魔導王の言葉が慰めに聞こえたのだろうニニャは、海のように深く、空のように淡い瞳を潤ませて、しかし、涙は一滴もこぼさない。ただ実直な感謝と共に、大地色の(こうべ)を差し出した。

 

「――これより大いなる愛はない、か」

 

 アインズは、我知らず呟いた。

 少女の胸を打った言の葉を、今度は言った自分自身の奥底に響かせてしまう。

 急場しのぎの命名の儀が、こんな形で(かえ)ってくるとは、まるで予想もしていなかった。

 とんだ皮肉に相好を崩しつつ、アインズは頭を上げた少女を、一心に見つめ、見つめ返される。

 とても暖かな、そして心地よい時が、アンデッドと少女の間に流れた。

 最後に、ニニャは確信を込めて、告げる。

 

「失ったものは取り戻せないとしても、今ここから始めることができる以上に恵まれたことはないはずです。大丈夫ですよ、モモンさん……アインズ様は、こんな私ですら、救ってくださいました。蘇生させて頂いただけでなく、続く道を示してくれた。だから、きっと、彼女たちの気持ちにだって、答えを見つけられる――あなたの愛によって、幸せにしてあげられるはずです」

 

 でも、それでもダメだったら――

 

「私も及ばずながら、皆さんのために、力を尽くします。

 あなたに救われた者の一人として、あなたたちの力に」

 

 ニニャ一人の献身で、いったいどれほどのことができるというのか、それは分からない。

 だとしても、ニニャはアインズ・ウール・ゴウンに、自分を救ってくれた大恩人に、ただ報いる。

「報いたい」という意思ではなく、あくまで「報いる」という、ただそれだけを決定して、若い魔法詠唱者(マジックキャスター)の少女は、あらゆる魔を導く王に対し、誓う。

 彼からの(ほどこ)しを、(めぐ)みを、大いなる御心を――けっして、無為になどしない。

 ……だから、

 

「きっと、大丈夫」

 

 魔導王は少女の浮かべた蕾のような微笑みに背を押され、ひとつの決断を下す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そのようなことがありんしたか」

「いや~、本当にいい()だね、ニニャは」

「う、うん、そ、そうだね。お姉ちゃん」

「ニニャには個人的に、礼を言っておくべきかしらね……いえ、いっそのこと」

 

 正妃たちは口々にアインズの相談に乗ってくれた魔法詠唱者(マジックキャスター)の少女を誉めそやす。

 背後に控える参謀や将軍までもが、御身の相談役という大役を果たした存在を讃えだした。

 ただの現地の人間としては、これは破格とも言える高評価ぶりだ。

 アインズは自分が褒められたかのように面映(おもは)ゆくなる。

 

「うむ。……ここでひとつ、皆に伝えておくべきことがある――」

 

 彼女たちの反応を窺うように、魔導王はさらなる決定を、その場にいる者たちに語って聞かせた。

 異論反論を述べても良いと告げた夫に対し、妻たる者たちは静かに首を振るだけ。

 

「異論などありんせん」

「反対する理由もありませんし」

「ア、アインズ様が、決められたことですから」

「私も――むしろ、喜んで賛同させていただきたく思います」

 

 続いて水を向けられた参謀と将軍、メイドや護衛からも賛成意見しか上がらない。

 無論、アインズの決定が絶対的な強権を持っているにしても、「それほどの価値があるのだ」と、ここにいる全員が共通認識として知っていたおかげだ。

 意外な展開に気を良くしたアインズだったが、未だに不安要素は残っている。

 

「では、後日。我々の正式な婚姻報告を、シモベたち全員の前で行うとしよう」

 

 それまでは他言無用と宣した主の言葉に従い、全員が承知の声を奏で、頷くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次の、明日の更新で、完結予定です。

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