魔導王陛下、御嫡子誕生物語 ~『術師』の復活~   作:空想病

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第4話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「誠に――誠に、申し訳ございません。アインズ様、そして、皆々様」

 

 忠謹の限りを尽くすNPCの一人、セバスは、今回の件を平謝りしていた。

 その隣に立つ人間メイド、ツアレも、夫の姿にならい(こうべ)を差し出す。

 最敬礼の姿勢は、さらにもう少し、二人の頭を床面に近づけていった。

 

「頭をあげよ、セバス。そして、ツアレ」

 

 二度は言わないぞと、なるべく強い言葉を使って、主人は忠勤を尽くすシモベたちの姿勢を元に戻させる。

 今回の騒動で動員されたシモベの数と、消耗されたユグドラシル金貨――被害額を考えれば、セバスたちは何としても贖罪(しょくざい)しなければ気が済まないところであったが、さすがに主の意思こそが絶対である。

 

 一同が玉座の間に集合しているのは、アインズの私室が使えないからだ。

 白竜の撒き散らした綿の惨状もそうだが、あの三人の本気形態で行われた戦闘痕も凄まじく、その様子はまさに災害――というよりも、空間が熔けて融けて解け果てたような烈しさが、深々と刻まれていた。戦闘による損傷や破壊は、ギルドの運営資金で修復されるので問題はないが、あれだけの規模となると一分十分で片付くような損害ではない。メイドなどのNPCを動員して修復作業を速めさせたとしても、数時間は使い物にならないだろう。

 だが、アインズはそのことを憂えてはいない。

 むしろ、他のメンバーの部屋でなくて良かったとすら思考している。

 ちなみに、騒動の元凶たるマルコは、未だにアインズの腕の中にいる。

 随分と至高の御方のぬくもりを気に入ったのか、胸元のローブの裾を掴んで離そうとせず、無理に引き離そうとすると、起きて涙と絶叫の気配を漂わせるから、いかんともし難い。父母の声にすらなびこうとしないのだから、余程だ。しかし、アインズの腕の中にいる限りは、完全に安心しきった様子で寝息をたて続けてくれている。アインズ自身、これくらいのことで疲労を感じるほど惰弱なステータスを持ってはいないのだから、これくらいで良ければ別に構わなかった。

 アルベドやアウラはしきりに羨望の眼差しを差し向けてくるが、さすがに赤ん坊を相手に目くじらを立てるほど、彼女たちは幼くはない――はず。

 

 主と共に居並ぶアルベドやデミウルゴス、アウラやメイドやニニャたちにしてみても、アインズの言葉に反駁する理由はなかった。

 特に、マルコを図書館で逃がしたデミウルゴスについては、まったく別の意味で反駁できない。

 

「謝罪をするべきは私の方だよ、セバス。私がマルコを図書館で確保できていれば、こんな」

「いいえ、デミウルゴス様。そもそも休暇を拝領していた私が、二人から目を離してしまったことが――」

 

 互いが互いを気遣い、己にこそ非があると言い募る姿勢は、これ以上ないほどに誠実な光景だ。いくら普段は仲の悪い悪魔と竜人であろうとも、己の失態を他者へなすりつけるような愚行を見せるはずもない。

 二人の弁舌に、赤子を見失った母、ツアレまで加わろうとするのを、白い悪魔の声が未然に制する。

 

「双方ともに、それくらいにしておきなさい。事態はすでに終着しているのです。反省すること、自省することは美徳に違いないとしても、必要以上に己を卑下することは、己を生み出し「かくあれ」と定めていただいた創造主への不忠になると知りなさい。それも――アインズ様の御前(おんまえ)で見せるなど」

 

 宰相からの的確無比な掣肘(せいちゅう)によって、二人の自虐合戦は終結を見る。

 

「まったくだよ。二人とも、アインズ様に申し訳が立たないのは分かるけど、起こっちゃったことはどうしようもないでしょう?」

 

 巡回警備の休息がてら、第十階層にまで降りてきた総監・アウラもまた、苦言を呈する。

 さらに、ペストーニャ、ユリ、ナーベラル、ニニャにしても、彼女たちの意見に沈黙をもって同意する。

 アインズは皆それぞれの反応に相好を崩す。

 

「まさに、アルベドとアウラの言う通りだ。二人とも、そしてツアレ」

 

 その声音に宿る感情は、深淵のように底知れない慈しみ。

 

「マルコは無事な姿で、我々の前に舞い戻ったのだ。これ以上の結果など必要ないではないか」

 

 アインズの優しさ――ナザリックに仕える者たちへの情愛は、まさにとどまるところを知らない。

 

「本当に、気に病むことはない。今回の件は、むしろ起こるべくして起こったと言えるだろう」

「で、ですが」

「セバス――今回の件については、私がぬいぐるみに施した魔法、あるいは施していなかった魔法が、事態を混迷させた主な要因の一つだ。おまえたちを処断するというのであれば、私も同様に、罰を受けねばならない」

「そ、そのようなこと……」

 

 主人にここまで言わせた以上、シモベ風情にはそれ以上の抗弁は許されなかった。

 セバス、ツアレ、デミウルゴスをはじめ、マルコ喪失に関わったすべての者たちの罪は帳消しとされる。

 

「マルコには修理し再調整を加えたぬいぐるみを与えるとして、新たに探知しやすいビーコン……魔術師組合にも卸されている魔法のタグを付与しよう。そうすれば、マルコの位置は今回よりも容易に探査可能になるはず」

 

 他にも、もっとあらゆる事態を想定しておくべきだったと後悔している主人の姿勢は、シモベたちにはあまりにも眩しすぎた。

 セバスとデミウルゴスは、その瞼の端に光を宿しそうになる。

 ツアレもまた、大粒の涙を指先ですくい上げつつも、主人の瞳にしっかりと頷いてみせた。

 

「あの……ところで、アインズ様」

 

 だから、なのだろう。

 金髪の人間メイドは遠慮しがちに、だが確たる疑念に蓋を出来ずに問いを投げる。

 

「うむ? どうしたのだ、ツアレ?」

 

 疑問するツアレの視線に、アインズは疑問を返そうとして、

 

「その、御姿は?」

「んん? ……あ」

 

 自分の顔面が露になっていることに、遅まきながら気づかされる。

 頬を撫でる空気が、骨の顔や仮面を装備している時とは違い、はっきりと感じ取れる。

 そういえば、マルコを抱き上げる際にマスクを外した、あのままの状態で玉座にまで戻ってきていたのだと、ようやく思い至った。マルコをあやすのに夢中で、仮面をボックスにしまいっぱなしにしていたのだ。

 今更ながらアインズは、どう説明したものかと完全に迷子になる。

 

「こ、ここ、これ、これはその、あー、何というか」

「これは、アインズ様の受肉化した御姿よ、ツアレ」

 

 動揺しっぱなしの主より先んじて、傍に侍るアルベドの声が朗々と紡がれる。

 ツアレは納得の表情を浮かべるが、逆に、アインズは困惑を深めてしまった。

 

「え……アルベド?」

「あのアイテムを使われたのですね? 元の御尊顔も素晴らしいものに違いありませんが、(まこと)に、こちらも魅力的な御姿……さすがは、(わたくし)の愛する御方……」

 

 この世界基準だと、三枚目が五枚目程度にランクダウンしているはずだが、女悪魔は心底から主の顔にはりついた男の顔が好ましいと(のたま)う。

 陶然とした薔薇色の頬。パタパタと喜びに踊る翼。情愛に艶めく金色の瞳に射竦められるアインズは、他のNPCたち――アウラ、デミウルゴス、セバス、ユリ、ナーベラル――の表情を眺める。

 誰の顔にも、主の顔が人間然としたものであることに、疑念も戸惑いも抱いていないことが(うかが)い知れる。

 

「えと……全員、この姿が私だと、わかるのか?」

 

 アルベドをはじめ、居並んだシモベたち(ツアレとニニャは除く)は首を縦に振ってみせる。

 人間の移ろいやすい表情ながら、その表情筋が揺るがなかったのは、完全に偶然でしかない。それほどの脱力を、ナザリックの主人は味わわされてしまっただけだ。

 アインズは相変わらず知らないが。

 ナザリック地下大墳墓に住まうNPC、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに属するシモベたちは、揺らめくような気配というものを漂わせ、それによって仲間を感知し、同属か否かを判定する機能を保持している。その気配には強弱というものが当然存在し、わけてもナザリックの主人たる至高の四十一人――アインズの気配というものは、シモベ風情とは――最強たる階層守護者のものとも――比べようもないほどに絶対的な強い輝きを放っているのだ。いくら御身の造った至高の鎧で身を包み隠そうと、仮面で白磁の(かんばせ)を覆い隠そうと、アイテムによって受肉した姿に変わっていようと、アインズがアインズである限り、その存在を見違え、敵と認知するような愚考に彼ら彼女らが至るはずがない。アインズが抱いた懸念――間違って攻撃されるのではないか――というのは、完全に無駄な思考でしかなかったわけだ。

 アインズの胸の中から、盛大に本物の溜息が漏れてしまう。

 

「……まぁ、いいか」

 

 おかげでひとつの懸念事項が消え去ったと考えるべきか。

 今後はナザリック内で受肉した姿で歩き回る時に、装備を変更する手間もなくなるのだから。

 さらに言うと、このアイテムで受肉していたおかげで、マルコはアインズに怯えることなく、無事に保護されたのだとも言える。これをナザリックにもたらした”重爆”には、何か褒美をとらせるべきだろう。

 

「そういうことだ、ツアレ。納得したか?」

 

 金髪のメイドは深く頭を垂れて頷いた。

 

「さて……では、ツアレ。今回、マルコを一時的に喪失した時の状況を聞かせてほしい。ああ、勘違いするな。おまえを責め立てるつもりなどない。ただ、今回のような事件が頻発することにでもなったら面倒と言えば面倒だから、それ相応の対策を協議したいというのが実際だ」

 

 委細を承知したツアレであったが、彼女は言葉少なに、自分が目をはなした一瞬にマルコが消え去ったこと以上の情報提供ができないことを教えてくれた。メイドとしての修練を積み、母親としても成長過程にあるツアレであっても、今回の騒動については完全に彼女の認識を超えていたことだという事実。

 アインズは深く頷くと共に、そんな母親の失態を許した。

 マルコは竜人との混血種という、他に例を見ない存在――たとえ赤ん坊であろうとも、ただの人間の女程度では制御できない事態が発生しても、無理からぬことだと判じるしかない。

 

「しかし、そうなると今回、マルコが姿を隠した原因がわからないことには、再発の可能性も」

「そのことについてですが、アインズ様。私からひとつの仮説を申し上げたく」

 

 膝を折ったままの最上位悪魔が弁を振るう。

 

「許す。聞かせてくれ、デミウルゴス」

「ありがとうございます。――おそらくですがマルコは、生まれながらの異能(タレント)を保持しているものと、私は愚考いたしております。今回の騒動は、その異能が、顕著に現れてしまったがために発生したものではないか、と」

「……生まれながらの異能(タレント)、だと?」

 

 主人と同様、一同は言葉に詰まる。

 この世界固有の力と目されてきた異能力――ナザリックの存在では、習得はおろか、その全容の解明にすら至れていない謎の力を、マルコは発現してみせたという仮定は、それほどの威力を秘めていた。

 デミウルゴスは強く確信する。

 

「今回のマルコ一時喪失において、私、そして図書館に詰めるアンデッドたち複数名が、マルコが単独で、いかなる魔法や特殊技術も用いずに、宙に浮かんでいる姿を目撃しております。我々ナザリックの者では感知不能の異質な力が作用したとするのであれば、シモベたちがマルコの存在に気づけなかったのも」

「た、確かに――納得がいくな」

 

 ユグドラシルには存在しない力が働いたとなれば、魔法や特殊技術への対応に慣れた存在では、その事象に対抗対処することは難しい。おまけに、マルコはセバスの、NPCの血を半分しか受け継いでいない存在であるが故か――あるいは単純にレベルが低いせいなのか――ナザリック固有の気配感知にも、微々たるものにしか感じられない。

 デミウルゴスは思う。

 今後、生まれてくるナザリックと現地勢力の混血児たちは、マルコ同様に興味深い異能を獲得する。

「だろう」ではない。

 それはもはや、予感というよりも、神託と言っても良いほどだ。

 マルコは、セバスとツアレの営みの結果、想いの結実――それ以上に、とある世界級(ワールド)アイテムがもたらした、不可能とされていた混血をはじめて可能にした、大いなる可能性の萌芽。

 アインズたち至高の四十一人が創造しなければ存在するはずのなかったセバス、

 アインズが何よりも尊き御身の名の下に保護しシモベの末席へと加えたツアレ、

 アインズたちの栄光の象徴にして世界一つにも匹敵し得る“ヒュギエイアの杯”、

 これらすべてをひとつ所へと集約し、集積し、集束せしめたる御身の神をも超える智謀と展望が成し遂げた、奇跡の中の奇跡――

 それほどの存在を、自らの継嗣(けいし)同然に抱き、寝かしつける主を見つめるデミウルゴスは、玉座の間の端に控えるメイドの傍に立つ少女へと水を向ける。

 

「ところで、ニニャ」

 

 向けられた少女は意外な相手からの言葉に肩を揺らし、ナザリックの誇る参謀に応じる。

 

「は……はい?」

「おそらく君は、対象が“どのような異能を持っているのか鑑定する魔法”を、知っていますね?」

 

 アインズをはじめ、その場にいたほぼすべての存在が、目を瞠る。

 問われた方のニニャは、思い出したように笑みを浮かべてみせた。

 

「ああ。〈異能鑑定(アプレイザル・タレント)〉ですね。それでしたら、知ってます」

 

 一同の視線が魔法詠唱者の少女へと注がれる。

 

「というか、もう習得できています」

 

 さらに、驚愕の声が場を満たした。

異能鑑定(アプレイザル・タレント)〉は、第三位階に数えられる魔法だ。第四位階まで修めた今のニニャの力量であれば、習得しようと思えばすぐにでも習得可能な部類である。

 何とも準備の良い話であるが、ニニャはこの魔法によって、己に宿る“魔法適性”の異能を発見した過去を持つ。それ故に、この魔法には人一倍の関心を示し、習得できるものなら習得したいと考えていたのだ。

 これはむしろ必然とも言うべきだろう。

 

「ふ、ふふ」

 

 突如聞こえたそれは、悪魔の笑声ではない。

 

「ふはははは、はははははっ!」

 

 水晶の玉座に座する者――ナザリック地下大墳墓の主人にしては珍しい、大きな笑い声をこぼしていた。

 普段ならば抑制されるはずの激しい歓喜をそのまま言葉にして、アインズは己の恩人にして生徒たる少女を喝采する。

 

「見事! 見事だぞ、ニニャ!」

「あ、えと、ありがとうございます!」

 

 ニニャはほとんど初めて、己の師である魔導王の笑みに打たれ、数瞬の後に、恭しく姿勢を正した。

 彼女のおかげで、マルコに宿る異能の詳細も判明し――それだけでなく、今後生まれてくるだろうナザリックの血を継ぐ者らの発現する異能についても、彼女の手によって順次把握されていくことになる。

 デミウルゴスが見たニニャの可能性とは、まさにこれだったのだ。

 ニニャはアインズが予期した通り、このナザリックに、ナザリックには存在しない魔法の恩恵を授ける使者としての役割を果たすべく、御身からの教練を施されてきた――そして今回、彼女は完全に、ナザリックでも唯一無二の存在にまで昇華されたわけである。すでに完成された高レベル魔法詠唱者では不可能な、若く、才能に満ちたニニャだからこそ、多様かつ多彩な現地の魔法に習熟し、場合によってはこちらの希望する魔法を適時に修めていくことも可能だろう。彼女を蘇らせた時から、ここまでをアインズが読み切っていたことは、確実な事実。

 まさに、端倪すべからざるというより他にないというのが、デミウルゴスの抱いた絶対の信奉であったが、そんな悪魔の内実も知らず、アインズは陽気な声でニニャを手招く。

 

「では、ニニャ。早速ですまないが、マルコの異能を鑑定してくれ」

「わかりました」

 

 承知の声をあげた少女は、朗らかな調子で玉座からわざわざ降りてきたアインズの腕の中で眠り続ける姪っ子に手を差し伸ばし、ひとつの魔法を発動する。

 

異能鑑定(アプレイザル・タレント)

 

 魔法の輝きがニニャの掌を覆い、マルコが保持する異能――『空中浮遊』――を教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ニニャはドタバタ騒ぎだったナザリック地下大墳墓から、転移の鏡で魔法都市への帰還を果たした。

 

「ふあ~、疲れた」

 

 湯浴みを済ませ、バスローブではなく自分で買い求めた緑色の寝間着(パジャマ)姿に身を包み、少女は真っ白でふかふかなベッドの感触に身をゆだねる。

 

「今日は、一段と、すごかったなぁ……」

 

 予定とは違ったけど、ある意味もっとすごいものを見た。ナザリック地下大墳墓の、外の世界とは比べるべくもない魔法技術の粋を凝らし尽した神聖な場所。未だにニニャの訪れていない場所が数多く点在し、今日の予定だと第九階層のしょっぴんぐもーるという場所を見学する予定だったのだが、それ並みに意義深い出来事を、今日という一日だけで堪能した気分を味わっている。

 子犬のような闇妖精(アウラ)が一瞬だけ見せた巨獣のごとき雰囲気。

 セバスやデミウルゴスやアルベドたちの“本気”の姿。

 ゴーレムたちによる物語に謳われるような闘い。

 宙に浮くという異能を発現した姪っ子の力。

 そして、あの人の――

 

「……何を考えてるんだか」

 

 おかしくなって笑みがこぼれる。

 自嘲するニニャの耳に、ノックの音とナーベラルの声が届けられた。

 

「はい。どうかしましたか?」

「アインズ様がお見えになりました」

「……アインズ様が?」

 

 はて、今日明日は魔法都市で政務を行う予定などなかったはずだが。

 ナザリックから鏡を使って転移してきたのだろうことは明白。ニニャは僅かに抱いた疑問に答えを見出すよりも先に、この城の主と対面するに相応しい姿を数秒で整えた。与えられた早着替えのローブはこういう時に重宝する。

 

「お待たせしました」

 

 扉を開けてダイニングに出ると、いつもと同じ格好の、しかしいつもとまったく違う様子の人物を迎え入れた。

 

「ああ、すまないな、ニニャ。せっかく休んでいたところを」

「いいえ、そんなこと。……マルコは?」

「さすがに、食事の世話は母親に頼るしかないからな」

 

 なるほどと少女は納得する。

 至高の存在と言っても、赤ん坊に授乳させるなんてことはできないのも無理はない。

 ニニャの見つめる先には、白骨の顔立ちではなく、幻術で作った時とほぼ同じ――しかし、あれは完全な人間の肉と皮――の、年嵩の積み重なった男の表情がはっきりと浮かんでいる。未だに、受肉化というものは続いているようだ。

 

「ニニャ……わざわざ着替えてきたのか?」

 

 気にしないでくださいという言葉を微苦笑に乗せながら、ニニャは首を振ってみせる。

 

「それでは、アインズ様」

 

 二人を引き合わせたナーベラルは主人に一言だけ語り掛けると、そのまま部屋の外の廊下へ。

 

「では、ごゆっくり」

 

 直角に腰を折った黒髪の乙女が、扉の向こうに消える。

 唐突に至高の魔導王陛下と二人きりにされるニニャであるが、これまでに魔法の授業や実地の教練でもこういった状況には慣れていた為、そこまでの狼狽や動揺はない。

 とりあえずニニャはアインズと向き合うように応接セットのソファに腰掛けた。無論、アインズを先に座らせてからだ。

 

「それで――どうして、こちらに?」

「……ああ、いや。ナザリックの外でも、受肉化はしっかり機能するのか、試したくてな」

 

 あと、今日の教練は結局お流れになってしまったことも、魔導王陛下はわざわざ詫びに来たという。

 

「そんな――お気になさらずに」

「ああ、いや……うん」

 

 まだ何事かを言いたげなアインズの態度を理解し、彼が話しやすいよう、ニニャは静かに、ただ笑顔だけはくっきりと深めつつ、紡がれる言葉を待つ。

 

「――それと、感謝せねばならない。君に」

「感、謝……ですか?」

 

 語られた内容は、僅かにニニャを困惑させる。

 自分は何か、こうアインズに感謝されるべきことがあっただろうかと首をひねる。

 

「あ、〈異能鑑定(アプレイザル・タレント)〉のことでしたら、別に感謝なんて」

「あ……ああ……それもなんだが」

 

 どうにも普段とは違い、羞恥というか、遠慮というか、とにかくそういった感情が強く表れていると判る。人間とまったく同じ受肉した顔ということもそうだが、それ以上に感情が浮き彫りになっているかのようなアインズの逡巡し懊悩する様が新鮮だった。

 何だか、すごくおもしろい気がしてならない。

 そんな生徒の内実に気づいたのかいないのか、アインズは咳払い――真似事ではない――を、ひとつ。

 

「マルコを止める時、私は君に助けられてしまった」

 

 言われて初めて、ニニャはあの時のことを思い出した。

 あれはほとんどニニャが咄嗟に、何も考えないで行動しただけなのに、あの時の礼を言っていなかったことを、アインズは気にしていたという。ニニャは、あの一瞬のことを鮮明に思い出す。

 その場に待機するよう厳命されたメイド二人を置き去りに、ニニャだけがアインズを支えに行くことがかなった。ニニャの後押しを受けた形で、アインズは半狂乱のごとき様態だったマルコを見事に鎮静化させることに成功した。……もっとも、ニニャ程度の力が加わった程度で、アインズの力に些少の助力にもならないとわかってはいるのだが。

 畏れ多くも。

 アインズはあの時、ニニャが支えに来てくれたことに感謝を告げに来たというのだ。

 思わず頬を緩めてしまう。

 アインズが自ら矢面に立つ形で、ニニャの姪のために働きかけてくれた。

 魔法によって吹き飛ばされる危険を顧みず、ただ一心に、幼すぎるマルコの命を案じてくれた。

 たとえ、マルコが稀代の寵児として期待され、アインズたちの将来にとって不可欠な可能性の具現化であるという、ただそれだけの価値しかないと判断されていたとしても、ニニャにとっては関係がない。

 

「助けただなんて。むしろ私の方こそ感謝しないと」

 

 マルコは(ツアレ)の愛娘であり、ニニャたちにとっては血の繋がった家族なのだ。

 ニニャたちは幼き頃に両親と死に別れている。それ以降、たった二人きりの家族として互いを支え合い、そうして今、こうして幸福な毎日を送ることができている。

 ニニャたちにとって、家族とは欠けてはいけないもの。

 両親が死んだことで強固に結び合わされた絆は、悪辣な豚によって引き剥がされはしたが、アインズたちのおかげで、ツアレは命を繋ぎ、愛する子を儲け、そうしてニニャもまた、蘇ることが叶ったのだ。

 家族の安寧。最高級の衣食住。大陸でも屈指の魔法の授業と好待遇。

 これでアインズから、さらに感謝の言葉などを贈られてしまっては、いくら何でも「貰いすぎ」というものだろう。

 それくらいの自覚はニニャにも存在していた。

 本当に気にしないで構わないと少女の様子に、アインズはさらに何かを言い足そうとして、ついで頭を振った。

 

「すまないな。どうにも私は我儘で」

「我儘……ですか?」

 

 意外なことを聞いたように、ニニャは疑問する。

 

「本当は。あの場で即座に、君に感謝をしておくべきだったものを……今回の件において、私は少々、いや、かなり迂闊だった」

 

 マルコを危険にさらし、ツアレに愛児喪失の恐怖を抱かせ、ニニャへは魔法を浴びる自分の背を後押しさせるなどという事態に追い込んだ――その責任のすべてが自分にあると、アインズは宣言する。

 

「そんな、アインズ様」

「いや、本当にすまないことだ。いくら謝ったところで、今回のことについては私一人が責められるべきだろう。ナザリックの主人たる者が、ナザリックに住まう者の力を見誤り、今回のような危険を呼び込んだというのは、叱責されて当然と言うべきだろう」

 

 アインズは、常のように精神が安定化しないから、このような弱音を吐き連ねているわけでは、ない。

 まったく当然の、彼自身の自己評価として、マルコが一時的に行方不明な状況になったのは、己の管理能力の甘さが露呈した結果だと認識していた。もっと有用な魔法を、もっと有効な対策を、もっと、もっと……何か方法があったはずなのだと、無限に続く思考の水底へ沈んでいく。

 彼は我が儘に、己の失態をあげつらい続ける。

 実に誠実な男の姿がそこにはあった……だが。

 

「だというのに、私は」

「アインズ様」

 

 伏せがちになっていた男の鼻先を、細い柔らかな指が、優しくつまんだ。

 

「ニ、ニニャ……?」

 

 若干ながら鼻声になるアインズに構わず、名を呼ばれた少女は小さなテーブル越しに、きっぱりした口調で、かの王を叱りつける。

 

「ダメですよ。王様は堂々としていないと」

 

 ニニャはアインズやナーベラルの魔法授業の一環として、この世界では類稀な量の“智”に触れる機会を得ていた。ナザリック最高位の智者三名や、不眠不休のアンデッドであるが故に膨大な勉強時間を得られた魔導王とは比べるべくもないが、少女はすでに、そこいらの学生や臣民では及びもつかないほどの識者の片鱗を宿していたのである。

 だから、彼女は彼の我儘の裏にあるものを理解する。

 

「あなたが言ったことです。“今回の件は、むしろ起こるべくして起こったと言えるだろう”って」

 

 もともと、モモンに化けていたアインズが人に在らざる様な感じを抱いていたことからも、ニニャの直感力・判断力は馬鹿にできたものではない。

 

「できなかったこと、やりきれなかったこと、どうしようもなかったことを、あげつらい後悔しても仕方ありません。

 それよりも、自分ができたこと、やりとげたこと、どうにかなったことを考えるべきです。完璧なんてことは、きっと神様にだってできやしないんですから」

 

 ニニャは知っている。

 この人が、アインズが、神などよりも余程、人間らしい事実を。

 いくら神のごとき超常の力を振るおうとも。

 いくら神の住まうような宮殿に座していようとも。

 彼は、共に笑い、共に嘆き、共に怒り、共に喜ぶことができる、そんな素敵な御方なのだ。

 それがわかっているから、少女は確信を込めて、目の前の人物をたしなめる。

 

「もっと、自分自身を褒めてもいいんです。

 少なくとも私には、アインズ様の成したことの千分の一、万分の一すら、出来っこありませんから」

 

 むしろ、こっちの方が羨ましくなる内容ではないか。

 だからこそ、彼は自分を我儘と言ったのかもしれない。

 

「もっと……自分を……か」

 

 ニニャの見つめる先で、彼の微笑に纏わりついていたものが、質感を失い始めた。

 まるで夢か幻のように、男の顔は普段通りの白磁のそれにとって代わる。

 彼自身もその現象を自覚できたのか、かすかに頬骨を撫でてみる。

 

「やっぱり、そっちの方が、アインズ様っぽいですね」

 

 ホッとしたように、ニニャは表情を綻ばせる。

 少女の笑みに釣られ、アインズもまた相好を崩してしまった。

 骨の顔面に変化などあり得ないが、それでもニニャは、目の前の王が朗らかに笑いかけてくれることを理解する。

 

「そうだ、ニニャ」

 

 魔導王は打って変わって堂々とした口調で、謝罪とは違う、もうひとつの“相談”を自らの生徒に持ち掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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