部屋からそのまま飛び出してきたために、ルイズはメイジの象徴たる杖をベッド横のチェストに置いてきてしまっていた。
ゆえに、お仕置きにエクスプロージョンは使えない。三メール前で大きく踏み切って、両足つま先をサイトに向けた。必殺のドロップキックである。
「キャッ」
両脇の娘は、サイトの腕を放し、頭を抱え込んでしゃがみ込んでしまった。それほどルイズの表情は鬼気迫っていた。
きれいに決まるはずのドロップキックはサイトにかわされた。このまま墜落すれば、地面にお尻をしたたか打ち付けて青あざができる。と思われた瞬間、体を半身に開いたサイトが右腕で宙を行くルイズの太ももを上から、左腕で背中を支えたのである。そのままルイズの勢いを殺すように、左足のかかとを支点にクルックルックルッと三度らせんを描き、二人は止まった。
サイトはゆっくりルイズを地面に降ろし、両腕でその華奢な体を優しく抱きしめた。
そして、言った。
「ただいま、ルイズ」
これだけで彼女の中で渦巻いていた怒り、焦り、哀しみ、不満が雲散霧消してしまった。(ここで甘い顔をしては駄目!)と思いつつも、顔は再びとろけてしまう。サイトに抱きしめられることで、脳内物質エンドルフィンが大量に分泌され、多幸感が体中を駆け巡っていたのだ。
しゃがみ込んでいた二人も立ち上がった。それぞれがサイトの腰に手を回して、しっかり密着した。サイトの正面と両腕を確保しているルイズは、「まぁこれぐらいはいいか」と見逃すことにした。優越感がなせるわざであった。
だが、四人にとって至福の時間はそんなに長く続かなかった。
「まーた、サイト、サイトーかぁ。今日はレモンちゃんとメロンちゃん、パインちゃんを独り占め?」
地鳴りのような重く暗い声が届いた。風上のマリコルヌである。
水精霊騎士隊の早朝訓練を終え、学院に戻ろうとしたらこれ。彼の声には「なんでサイトばっかり」という怨念がこもっていた。
「こ、これはサイトが一方的に」と真っ赤になってルイズが弁解したが、あの黒い視線に耐えられるだけの精神力は持ち合わせてはいない。少女たちはすごすごとサイトから離れ、距離を取るしかなかった。
ルイズの弁解を完全に無視したマリコルヌと他の隊員。場所を譲った少女たちに代わり、サイトを取り囲んだ。
「「「おかえり、サイト!」」」
三人の美少女に抱きつかれていた光景はうらやましいには違いないが、それは学院では見慣れたものであって、今さらそれに嫉妬するのはマリコルヌぐらいしかいない。
一番喜んだのはギーシュかもしれない。
ここしばらくの訓練は指導役のサイトがいないため近接戦はほとんどできず、体力強化のランニングばかり。隊長のギーシュがどれだけ叱咤しても、士気が上がらなかった。あらためてサイトの存在の大きさを痛感していたのだ。
「オルニエールで研修させられていると聞いたけれど、もう終わったのかい?」
「いや、まだまだ勉強途中なんだけど、ゼロ戦を引き取りに来たんだ。忙しいコルベール先生に管理ですごい迷惑を掛けているようだから」
「?」
「?」
「?」
隊員たちの頭の上に疑問符が並んだ。授業はいつも通りだったし、ゼロ戦の管理が大変だとは聞いたことがなかったからだ。
「そ、そうよ、サイト。早くコルベール先生の所へ行かないと」。
自分の企みが露見する前に、ここはサイトを連れ出すに限る。
サイトはルイズに引きずられる形で、コルベールの研究室に向かった。
休日早朝にもかかわらず、コルベールは温かく迎えてくれた。サイトが口を挟む前に、ルイズはゼロ戦をオルニエールに運ぶ必要が出たこと、ついては、今から出発したいことなどを早口でまくしたてた。
もともとサイトの所有物だし、ある程度の分析も終わった。コルベールとしては、少し残念な気もするが、これ以上置いておくことを強要できない。ただ心配なのは、この貴重な飛行機械がきちんと保守管理できるかどうかだった。
「ええ、それはなんとか。エレオノールさんと二人で急ごしらえながら格納庫と滑走路を館のそばに造りましたから」
このサイトの返事が、ルイズに寮室入り口での姉とのやり取りを思い出させた。
「ちょっとちょっと、あんた、エレ姉さまとどういう関係なのよ?」
「ああ、姉さん、おれの家庭教師になってくれてるんだ」
「えええええっ!」
驚き方は遺伝するのかもしれない。妹の声は、太后から拝命した時の姉の叫び声と同じだった。
「何が『えええええっ』よ」
研究室のドアが開いて出てきたのは、部屋に置いてきた長姉だった
「探したわよ」とルイズを一にらみした後、コルベールにあいさつした。
「はじめまして、ミスタコルベール。ルイズの姉にして、シュバリエサイトの個人教師を王家から命じられておりますエレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールと申します。二人が日ごろ、お世話になっておりますこと、心より感謝申し上げます」
膝の曲げ方、目線の動かし方、非の打ちどころのない自己紹介であった。公爵家令嬢から丁寧そのもののあいさつを受けたコルベールも若干の緊張を持って答礼した。
「当学院で教師をしておりますジャン・コルベールです。お目にかかれて光栄です。ミスヴァリエール」
エレオノールが学院に在籍した十年前にはコルベールは奉職していなかった。後世、トリステインの、いやハルケギニアの産業を変えたと言われる二大エンジニアの、これが初対面だった。
「で、これがゼロ戦ですの、ミスタ」
「ええ、ハルケギニアのフネとは全く別の原理で空を飛ぶ機械です。風石を使わず、自ら風を起こし、その風で空に浮かぶ。サイト君に言わせると、その段階で翼に揚力が発生するというのですが、まだ、その理論の解析は終わっていません」
コルベールにしてみれば、この学院で自分の説明、講義を初めて真正面から受け止めてくれた最初の人物となった。エレオノールにしても、サイトの言う「科学技術」を実物に即して教えてもらえる最初の機会だった。
「で、ミスヴァリエール、これがその風を切る力をつくるエンジンです。精製された油を霧上にして、個々の筒の中で内部で圧縮、燃焼を繰り返します。この往復運動をこのクランク軸で回転運動に変換し……」
二人の話は終わる気配を見せなかった。
気が気でないのはルイズである。
ぜろせんでオルニエールに行き、サイトと過ごす計画がピンチだ。ただでさえティファニアとシェスタがこの研究室にまで付いてきている。綿密な計画がエレオノールの登場で崩壊し始めている。ガラガラガラという音が耳元でとどろいている気さえした。
そのまま、夕方になった。なってしまった。
サイトはあろうことか、ゼロ戦後部座席にエレオノールを乗せてオルニエールに飛び立っていった。
日中、エレオノールがコルベールとの議論に夢中だったのは幸いだったが、水精霊騎士隊の野郎どもや、邪魔な邪魔な少女二人がサイトと二人っきりにするはずもなく、ルイズの計画は水泡に帰したのである。
以後も虚無の曜日ごとにサイトは学院に訪れた、ゼロ戦の後部座席にエレオノールを乗せて。
かくして、夏季休業が訪れるまで、ルイズの欲求不満は高まる一方だったのである。