サイト君、がんばる   作:セントバーナード

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第13話 オルニエール邸

 

 

 

 エレオノールの転居は馬車三台と従者二人、侍女三人の大がかりなものになった。

 一度、ヴァリエールに帰り、身支度を整えてからからだったことを勘案すれば、十日ほどというのは公爵家令嬢としては急いだ部類に入るのかもしれない。

 

 実家では、父は「また、あの使い魔か。当家に面倒ばかりをかけおって」と怒り心頭。母は母で「では、武人としての鍛練には私が出向きましょう」。

 烈風カリンにしごかれたのなら、サイトはオルニエールから病院に直送ということも考えられる。早く仕事を終え、研究に復帰したいエレオノールにとって、母の申し出は迷惑でしかない。

 「太后陛下からの下命を考えれば、武術は対象外になりましょう」とマリアンヌに責任を負わす形でこの場を切り抜けた。

 

 家族の中で唯一、病床にある妹だけが「あらあら、それはルイズが羨ましがりますわね、姉さま」と笑顔でことの本質を突いたのだが、エレオノールにはよく理解できなかった。

 

 

 

 

 オルニエールでは、サイトが館で出迎えた。「領地の境で、とまでは言いませんが、普通、邸宅の敷地外で待ちますわよね、普通なら」と先制パンチを食らわしたのは、さすがエレオノール。「あなたをしつけるのは、王家からの命令です。王命に背かないよう存分にさせていただくわ」とは、頭を下げたサイトに対する宣戦布告だった。

 

 

 引っ越し作業は家臣がするもの。

 エレオノールは長旅の疲れをいやすでもなく、案内された応接室で「準備は十分でしょうから、早速、授業を始めましょう。あなたにふさわしい教材も用意しました」と四、五歳児が使う幼児向けの手習い帖を差し出した。

 「大文字小文字、活字体に筆記体、お茶の時間までに完璧にして」と出て行こうとしたのだが、ここでサイトが計算外の反応を見せたのだった。

 

 

 

 テキストをパラパラとめくったサイトが「覚えました」。

 この世界に来た時から、音声はハルケギニア語から日本語に脳内で自動変換される上、文字はアルファベットにほど近い。キリル文字やギリシャ文字ほどの違いもない文字の記憶はごく簡単ではあった。ルーン刻印による脳力増強もある。

 

 

 彼女の作戦は、お茶を飲みながらテストして「この程度も覚えられないの? シュバリエの肩書が泣いているわね。マントを返上して元の平民に戻ったら」などの悪口雑言をぶつけて、まずは学習意欲をそぐ。それからネチネチと無学無教養ぶりをあぶりだして「聡明で気高いエレオノール様、私奴は先生の高い見識にふさわしい教え子ではありません。平民用の手習い教室から始めさせていただけますよう、伏して陛下にお願いしてまいります。お許しください、ご勘弁ください」と泣いて謝らせて、エレオノールの指導を辞退させる方針だったのだ。

 

 

 

 それが初手からつまづいた。

 

 (虫のくせに生意気ね、かっこつけてるんじゃないわよ)。

 

 では、と「山」「杖」「馬車」「手紙」などの単語を目の前で書かせてみた。スペルはすべて正しかった。

 なら、と「ロマリアでは、主に雨は平野で降る」

 「司教が上手に司教の絵を市境に書いた」

 「暑い日が続いていますが、父上、母上、カトレアにはお元気でお過ごしでしょうか。私はいやなことも命じられましたが、それなりに息災にしておりますゆえ、ご安心ください」

 思いついた文章を次々に述べ、口述筆記させたのだが、羽ペンでさらさらとつづられる文字列に一つの間違いもなかった。

 

 ここまで来れば、サイトが文盲を脱していることは疑いようがなかった。

 「何よ、読み書きできないなんて嘘じゃない。私どころか太后陛下までだましたのね」と激昂したエレオノールだが、サイトは困った顔で「でも本当に、今、覚えたんですよ」。実際、その通りだった。

 

 

 

 サイトは彼女から学ぶことに「勘弁してよ」と思う反面、期待するところがあった。王立魔法研究所で研究員をしているという。魔法学院も座学、実技とも優秀な成績で卒業したと聞いている。妹のルイズは勉強はともかく、虚無に覚醒する以前は、魔法は落第状態だった。この姉さんは、この世界の知識や魔法の形成条件についてサイトを満足させるだけの情報を持っているはずだ。

 

 

 

 ノート数ページをエレオノールが言うままに書きつぶしていたサイトが突然、口を開いた。

 

 

 「質問いいですか?」

 

 

 ぞんざいな口のきき方に腹立ちを覚えたものの、教師と生徒の立場であるこの場では了承するしかない。

 

 「ハルケギニアの文字って、その生成過程はどの程度解明されているんですか?」

 

 

 「はぁ?」

 

 思わず、間の抜けた返事をしてしまったことに、エレオノールは人知れず赤面した。

 

 

 「いや、ここの文字は音素で表記されていますが、過去にその原型となる表音文字、表意文字があったはずです。それはどの程度、分かっているんでしょう?。もしくは、その痕跡が抹消されるような歴史でもあるんすか?」

 

 

 

 十歳近くも年下のこの元平民(虫から昇格していた)の言葉の意味がよく理解できなかった。「音素」「表意」などの単語は聞いたことがあるような気がしたが、それは文字学を専門にしているごく一部の学者にしか通じない専門用語だったのだ。

 

 

 「いや、おれのいた世界では文字の発明とその伝播での変遷過程は長年の研究でかなり分かっているんです。なら、この世界でも類似した経緯をたどったと考えるのが普通ですよね」

 

 

 

 エレオノールはこの少年が、異世界からルイズによって召喚されたことを思い出した。そして、「ヒラガ」という家名を持ち、前の世界では学校に通っていたらしいことも。この年齢で通う学校なら、ハルケギニアでは魔法学院のような高等教育に類する。風竜よりも速い「ゼロ戦」とか言った飛行機械もこの少年の故国のものだったはずだ。もしかすると、本当にもしかすると、このシュバリエ(元平民から昇格した)の知識は、思った以上に深く、広いのかもしれない。

 

 

 

 そこまで考えたエレオノールはどう返事をしたらいいか迷った。

 

 

 

 手持ちの知識で答えれば、自分を、ヴァリエール家を、母国トリステインを軽く見られるかもしれないという不安と、この少年から異世界の知識を引き出してみたいという欲望との狭間に立っていたのだ。

 

 

 そして、エレオノールは欲望に忠実で、学問に対しては誠実な女性だった。

 

 

 「文字学について私は詳しくないの。それをあなたに教えるだけの知識は持ち合わせていないわ、ごめんなさい、ミスタサイト」。エレオノールが初めて、サイトの名前を呼んだ。それも敬称付きで。

 

 

 

 

 「いやーっ、こちらこそごめんなさい。誰でも得手不得手はありますもんね。変な質問をして、申し訳ありません」。サイトがニカッと笑って、後頭部をかいた。

 

 

 

 それは、サイトとエレオノールが知識と情報のギブアンドテイクを前提とした奇妙な友情で結ばれた瞬間でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 


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