ゼロと底辺を結ぶ銀弦   作:ゆにお

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二話 忍び寄る影 その2

 ケイツがルイズに庇護下に置かれてからも、彼らの日常には大した変化はなかった。

 相変わらず≪沈黙する悪鬼≫は決闘のときにケイツの魔法を散らしたきり姿を見せない。

 さしあたって変わった事を上げるなら、ケイツが厨房で食事を取るようにルイズが手配してくれたことだ。

 コック達はケイツが剣術でギーシュを倒したのを気をよくし豪勢な料理を振舞ってくれた。

 ケイツの中でルイズと彼らに対する評価が大幅に上がる。そして今もケイツは厨房に足を踏み入れようとしていた。

 

「『我らの剣』が来たぞ! 」

 

 シェフや給仕たちがケイツの姿を見て取るや、歓待の喝采に包まれた。まるで英雄の凱旋のようだ。

 ケイツが何かを言うまでも無く給仕たちが香ばしい薫りがただようスープや、ふんだんに調味料を使った肉料理などをテーブルの上に並べていく。

 

「あ、ああ……」

 

 既に、何度か訪れているが、この歓迎っぷりにケイツは未だ馴染めない。

 善良無垢な好意というものがささくれた心に触れて、ひどくくすぐったかった。

 

「今日のシチューは特別ですわ」

 

 丁度配膳を終えたばかりのシエスタがケイツに向かってにっこりと微笑んだ。

 ケイツは照れるというのとはまた違う何かで、彼らの好意から思わず目を背けたくなる。

 

「……」

 

 ケイツは既に一般常識程度にはハルケギニアの話をルイズから聞いている。

 彼らは『平民』であり、この神の愛に恵まれた魔法世界ハルケギニアにおいてさえ魔法が使えない。≪悪鬼≫とは別の意味で神の愛に見放されし者たちだ。

 そんな彼らを見ているとケイツは地獄で逃げ回っていた頃を思い出す。

 刻印魔導士の責務を投げ出した後、ケイツの敵は≪協会≫からの追っ手だけではなかった。

 悪鬼を見下していたケイツはいつもひとりで、悪意に返される悪意におびえていた。逃亡先のアメリカでまともな読み書きもできずスラム街での浮浪者生活が長いケイツを好んで雇おうとするものなどいなかった。

 収入が皆無に近いので、ゴミをあさる以外に生きる術はない。そしてそのような弱者は恰好の獲物であった。

 暇潰しにケイツは殴られ、蹴られた。なまじ剣の腕があっただけにその分徹底的に痛めつけられた。自分が全く理解できない理由で激怒した男に拳銃で撃たれたこともあった。ケイツの身を守る魔法は≪悪鬼≫の観測下では全て燃えつき、何の助けにもなってくれない。

 人目につかないところでひっそりと魔法を使うことだけを考えて生きるようになるにはそれほどの時間を要しなかった。

 魔法に触れることだけが惨めな自分を特別な存在に変えてくれる瞬間であった。

 だが、そんなささやかな時間でさえ、人目を避ける場所にいることによって、必然的に人目を避けて行われる犯罪に巻き込まれることになり、台無しにされた。

 ケイツがいる場所よりも深く暗い路地裏に女性が連れて行かれるのを黙認し、見張りのために一ドル紙幣を握らされたこともあった。耳を劈くような悲鳴が響き渡るのをケイツは必死に耳をふさいで耐えた。そうしないと生きていけなかったからだ。

 翌朝になって虚ろな目で恨みがましく横たわっている裸の女の死体が冷たくなっていた。

 口封じに殺されかけた。似たようなことが何度も繰り返された。

 燃えカスのようにくすんだ正義感がついに耐え切れなくなって、警察に通報したら、案内したその場で殺されそうになった。

 もはや何も信じきれなくなったケイツは心のよりどころである魔法に縋った、魔法で必死に抵抗しようとした。

 だが、迫り来る拳を止めることさえもできなかった。見下されて、吐きかけられる唾すら受け止めてくれなかった。

 奇蹟は何からも守ってくれない。神よ、神よ、神よ、神よッ! 神よッッ!!――――

 どれだけ縋っても救いはなかった。そこは神なき地獄。奇蹟はすべて燃え尽きる。

 

 こうしてケイツの心は燃え尽きたカスとなっていった。

 だが、そうまでなってなお、ケイツは十一年間の逃亡生活の中で ”すべての危機から逃げ去り、ただの一度たりとも人間を殺したことがなかった”のだ。

 人を殺さなかったのは自分が臆病だったからだけなのであろうか。違う気がした。

 神の如き才能を手にして以降も、その力使って今まで自分を見下していた奴らを踏みつけ、復讐する気力はわきあがってこなかったのだ。そうすることは実に容易いはずなのに……。

 

 今、繰り広げられている光景に目を向ける。ケイツが貴族を倒した事を厨房のみんなが我が事のように喜んでいた。人に褒められたり喜ばれたりしたことなぞ、三十余年の記憶を洗ってもほとんどない。

 どこか現実感のない喧騒に包まれてケイツの胸が少し熱くなった。

 たった一人で耐え続けていたことが、この状況を運んでくれた気がして報われたような気持ちでいっぱいになり視界が滲んできた。

 

「すこし、しょっぱいな」

 

 シチューを口にするケイツの呟きは誰にも聞こえなかった。

 誤魔化すようにスプーンを動かしていると背中に衝撃が走った。傍にいたマルトーが伏し目がちなケイツを笑い飛ばす。

 

「おいおい、な~にしょぼくれた顔してんだ。え? おい、料理の味はどうだ? 腕によりをかけて作ったんだぜ」

 

 それは嘘偽りの無い好意だった。ケイツは姿勢を正し厳かにシチューを口に運び、言った。

 

「うまい、まるで魔法のようだ」

 

 途端、マルトーは弾けるように破顔する。

 

「そうだろう! そうだろうよ。確かに貴族たちは魔法が出来る。実際土から鍋や城を作ったり、とんでもない火の玉を吐き出したり大したもんだ! でもよ、こうやって料理を絶妙な味加減に仕立て上げるのだって一種の魔法さ。そう思うだろう?」

 

 自慢げに哄笑するマルトーに対してケイツが憐憫の眼差しを向ける事はなかった。

 所詮、神に見捨てられた奇蹟無き民達の精一杯の虚勢だと嗤い捨てるには彼らの心遣いは温かすぎるのだ。

 

「……そうかもしれんな」

 

「おお!? 話が分かるな。ますます気に入ったぜ。おいシエスタ!」

 

「はい!」

 

 威勢のいいマルトーの呼びかけに、シエスタも負けず劣らずの快活さで応じる。

 

「我らの勇者にアルビオンの古いのを注いでやれ」

 

「かしこまりました」

 

 恭しくシエスタは応じ、ぶどう酒の棚からヴィンテージを取り出してケイツのグラスに並々と注いだ。

 

「おい、『我らの剣』よ。あんた魔法使いなのにどうしてそんなに剣も上手なんだ? どこで習った? どこで習ったらそんなに上手になれるのか教えてくれよ」

 

 もう何度も厨房に訪れているのにマルトーはいつもこの調子で尋ねてくるのだった。

 

「……私に師はいない。魔法が使えない中で身を守る為に、それの他に縋るものがなかったのだ」

 

 いつもは曖昧に誤魔化すケイツだったが、上物のワインを傾けて、ほろ酔いになった為か、つい口から零れてしまった。

 

「お? 魔法が使えなくなったことなんてあるのかい? 魔法使いもいろいろ大変なんだな」

 

「ああ……。私は地獄に落とされて、そこには魔法を消去する≪悪鬼≫どもが跋扈していた。やつらに抗うために身に着けざるを得なかったのだ。それは褒められるようなことでもない」

 

 ケイツの語りには積年の苦難がありありと浮かんでいた。酔いも手伝って遠い目で語るケイツの言葉に厨房のみんなは彼に大人の風格を感じてしまった。

 

「かぁ~~、なんてやつだ! あんたもいろいろ大変だったんだなぁ。茨の人生を歩み生きてきたってのに、それをちっとも驕らねぇ。よし、もっと飲め! そして、おい、お前ら! 真の大人ってのはケイツさんみたいな人を言うんだ。見習えよ!」

 

「はい! 真の大人は驕らない!」

 

 若いコック達が復唱する。

 マルトーはすっかり感極まっていた。目端には涙を浮かべ彼の苦難に共感を抱いていた。

 

 その時、厨房の片隅から声が上がった。

 

「あいたっ!」

 

「ん? なんだ、どうした!?」

 

 マルトーが怪訝そうに顔を向けると、金髪をツインテールで纏めたメイド、ローラが指を抑えていた。

 

「申し訳ありません。指を切ってしまいました」

 

 彼女の指先から鮮血がつたり落ちていく。「大丈夫です」と表情をほころばせるが、痛みに顔を歪ませていた。

 ケイツがすっと立ち上がり、ローラの方へと歩き出す。

 

「あ、あの? どうしました? ケイツさん」

 

「見せてみろ」

 

 ケイツは一言で制し、ローラの指先を見た。

 簡単な応急手当でどうにかなりそうな傷だったがケイツはローラの指と傍で心配そうにしているシエスタの指とを相似弦で繋ぐ。

 

「わっ! すごい」

 

 驚嘆の声が意味するのは瞬間的な完治であった。

 通常ハルケギニアでは平民がやすやすと魔法治療を受けられるものではない。

 

「あ、あの……。お代の方は」

 

 指先がすっかり癒えたローラが、おずおずと言う。

 

「気にするな。大したことではない」

 

 渋ることなく治療魔法を平然と行使したケイツに厨房は大いに沸きあがる。

 

「なんてお方だ。まるで聖者のようだ」

 

 ケイツさん。ケイツ様、ケイツ様と次々に唱和されていく。

 持て囃されてケイツの頬が真っ赤になっていったのは単なる酔いのせいだけではなかった。

 瞬く間にお祭り騒ぎのように厨房全体に活気が満ち溢れた中でケイツは己が両手を見つめる。

 

 かつて、≪神に近き者≫はケイツに言った。

 

”力なきことがそなたの目を覆う闇ならば――ならば、くれてやる」

 

 その宣言の元に、今まで見ていた世界が嘘のように変貌した。世界のどこを見渡しても『似ている』ものだらけだった。

 何かは何かに似ているし、そのまた別の何かも別の何かに似ている。先を辿れば『似ていないものなど無い世界』あった。

 万物が銀線で結ばれ、そして形成された白銀の海で、震えながらケイツは≪神に近き者≫に尋ねた。

 

”私とお前は今、魔法の素質で並んだと言いたいのか。ここから何をつかむかは私次第だと言いたいのか?”

 

 ひどく強張った声で話していた自分をケイツは未だ覚えている。

 そして、何かの冗談のように呆気なく手にした超常的な才能にケイツは振り回される事を恐れ、今の今まで使い道が分からないでいた。

 けれど、この力をどう使っていけばいいのか微かながらに分かったような気分になる。

 

「……ひょっとすると私は、魔法医に向いているのかも知れんな」

 

 思考の海に沈みながらケイツはそう呟いた。

 

「――ケイツさん?」

 

「ん?」

 

 ケイツが顔を上げると、シエスタがはにかみながらケイツの隣に立っていた。

 

「私、心配だったんですよ。ケイツさんがあんなことになって……。私もあの場所にいたんです。ケイツさんが普通の平民だと思ってたんですけど凄い魔法をつかって、でもすぐに追い込まれて……。けど、無事でよかったです」

 

 シエスタは身をすくませるように話した。

 そんな彼女になんと答えればいいのか分からなかった。

 ここ数日、ケイツは人の好意を受けすぎた。

 まるで、タバコを覚えたばかりのような奇妙な感覚に慣れるのはまだまだ時間がかかるような気がするのだ。

 

「心配には及ばん。これでも私は逃げ延びることにかけては自信がある」

 

 すくりと立ち上がり、厨房を見渡した。

 

「心からの気配り、感謝する。この事は忘れないでおこう」

 

「おう、アンタも困ったらまた来いよ!」

 

 一礼し立ち去るケイツにマルトーがその背中に言葉を投げかけた。

 ケイツが広場に出ると風が吹き込んできた。ほろ酔いにも似た高揚の中、爽快感で満たされてケイツは歩き出す。魔法使いではなくとも≪悪鬼≫でもない彼らのことを反芻しながらケイツはルイズの元へ行くため歩く。

 

 その背に向けられる視線の正体に彼は気付かなかった。


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